Chapter.16





 グルグ族の前線基地は、まるで島全体が一つの要塞と化しているかのようだった。
 地面の裂け目からは赤黒い溶岩が噴き出し、空へと黒煙を巻き上げている。厚く垂れ込めた雲の間を、ドラゴン型の飛行体が悠々と滑空していた。哨戒中なのだろう。
 島に近づくにつれ、鼻をつくような硫黄の匂いが船上に漂いはじめた。
 
 正面からの接近は危険と判断し、一行は島をぐるりと迂回しながら、防備の手薄な裏手を目指した。
 距離を取って船を停泊させると、小船を水面に下ろし、潜入部隊が乗り込む。
 出発前、クォークが仲間たちに潜入方法を説明した。
 ある程度まで小船で近づき、そこからは泳いで上陸するという案だった。
「濡れるのは苦手なんだけどな……」
「バレない距離から泳ぐとなると、ずいぶん泳がなきゃならないんじゃないか? 上陸する頃にはへとへとになってるかもな。アル、大丈夫そう?」
「え、ええ……多分」
「しかしなぁ……それ以外に良い方法はあるか?」
 仲間たちの不満に、クォークは困ったように頭を掻いた。
 確かに、敵に気づかれずに接近するには、泳ぐしかないのが現実だった。小船でうっかり近づけば、即座に発見されるだろう。
「うーん、それ以外かぁ……」
 ナマエは腕を組み、しばし思案に沈む。要は、小船の存在を敵に悟られなければいいのだ。
 ふと、ある考えが閃き、顔を上げた。

「クォーク、一つ試したい方法がある。濡れることには変わりないけど、泳ぐ距離は短縮できるかもしれない」
「ほう、その方法とやらは?」
「それは後のお楽しみだ」
 不敵に笑ってそう答えると、ナマエは後ろにいた少女へと視線を向けた。
「それと……アルは、もう少し着込んでおけ」
 何のことか分からず、カナンは小首をかしげた。


 小船に乗り込むと、操舵手以外は身を伏せた。
 ナマエは海面すれすれに手を伸ばし、冷気魔法を発動する。火山帯に近いためか、海水はぬるく、魔法の冷気が触れた瞬間、表面が急速に冷やされていく。
 やがて、温度差によって霧が立ちのぼりはじめた。
「なるほど、霧で視界不良にしようってことか」
 ユーリスが感心したように呟く。
 ナマエは無言のまま魔力を注ぎ続け、霧はみるみるうちに濃さを増していった。
 濃霧に包まれた小船は、静かに、しかし確実に基地へと進んでいく。
「こんな南の海で霧というのも妙な感じだがな」
 クォークが首をひねる。
「気にしない気にしない。海の天気は変わりやすいだろう? 今日の天気予報は濃霧注意ってね」
 ナマエは肩をすくめておどけてみせた。
「それにしても、寒いわね……」
 カナンがぶるりと身を震わせる。


 裏手とはいえ、完全に無防備というわけではなかった。歩哨が立っていたが、濃霧のせいでこちらには気づいていないようだ。
 島の岸辺ぎりぎりまで近づくと、一行は静かに海へと身を滑らせた。
 小船を岩陰に隠し、暗い海中を潜って裏口の水門へと向かう。
「やはりこちらは情報通り手薄なようだ。なんとか内部への侵入は成功したな」
 水から上がったクォークが、ほっと息をついた。
 だが、敵地で気を抜くわけにはいかない。濡れた衣服を手早く乾かし、慎重に通路を進む。
 やがて、歩哨を一人発見。
 ナマエが素早く狙撃し、音もなく倒す。
 そのまま進もうとした瞬間、鼻をつく強烈な悪臭が一行を襲った。
「うっ、くさい……!」
「なんだこの匂いは」
「吐きそう……」
 仲間たちは次々と鼻を押さえ、カナンは涙目で口元を覆っている。
 だが、ただ一人、平然としている男がいた。
「え? なに? どうしたのさみんな」
「……エルザ。お前、何も感じないのか?」
 クォークもこの時ばかりは、彼をかばいきれなかった。
 
 悪臭に顔をしかめながら進むと、匂いの発生源が明らかになる。
 門番のように立っていたオーガ。その口から放たれる、凶悪な口臭だった。
 眠りこけていた門番のグルグ族狙撃で仕留めた後、仲間たちは八つ当たりのようにオーガに剣と魔法を叩き込んだ。
 長いリーチの武器に苦戦しつつも、なんとか撃破する。
 だが、なおも漂う刺激臭に耐えかね、ユーリスがとどめとばかりにフレアを放った。
「消毒完了ってね」
「よ、容赦ないな……」
 問答無用の仕打ちにエルザが引き笑いを浮かべると、ユーリスはキッとエルザを睨みつけた。
「鼻オンチのエルザには僕らの気持ちは分からないんだよ」
 同意するように、他の仲間も頷く。
「そ、そこまで言われるほどのものなの?」
 エルザは少し涙目で、とほほと肩を落とした。


 気を取り直し、扉を開けて進むと、一行は生活区画と思しき空間へと足を踏み入れた。
 床には荷物が無造作に散らばり、壁際には使いかけの道具や食器が積まれている。だが、肝心のグルグ族の姿はどこにも見当たらなかった。
 どうやら、ここは敵の本陣ではないらしい。クォークたちが侵入したのは、島の外縁にある副次的な施設のようだった。
 道はさらに外へと続いており、内海を挟んだ向こう岸に敵本陣と思わしき基地があった。
 島のあちこちでは、マグマが地表を割って噴煙を上げている。その熱を利用しているのか、基地の一部には蒸気を逃がす装置のような構造が見えた。

「マグマを使って生活しているのか……」
 顔を出してそっと外の様子を窺っていたエルザが、どこか感心したように呟いた。同じく外の様子を眺めていたユーリスが、何気ない口調で言葉を継いだ。
「グルグ族の文化は人間のそれとは全く異質だけど、昔は共存していたらしいよ」
 エルザが振り返って、隣の少年を見た。だが、彼の表情は眼帯の陰に隠れて読めなかった。
「いろいろあって、グルグ族はこんな危険と隣り合わせの場所に追いやられたみたいだけど、でもそれが今では危険なマグマでさえも使いこなして生活してるんだ。すごい執念だよ、ホント」
 その言葉の端にかすかな侮蔑が滲んでいるように感じられ、ナマエはわずかに眉をひそめる。
「人間とグルグ族が共存していたなんて、信じられない……」
「……今ではもう、それを知る人は少なくなってしまったのさ。減らされた、というべきかもしれないけどね」
 ユーリスの言葉に、カナンが小さく息を呑んだ。
 彼は彼女に視線を向け、肩をすくめる。
「生きるためには、知らない方が良いこともあるってことさ」
 それきり、彼は口を閉ざした。
 その沈黙の奥に、何か深い事情があるのは明らかだった。
 彼がどこで、どのようにグルグ族の知識を得たのか――それを語る気は、今のところなさそうだった。


 相変わらず敵の気配はない。
 しかし外へ出て崖伝いに進もうとすると、空からあのルリ城で見た不恰好なドラゴン(ユーリス曰く、ガーゴイル船というらしい)が降りてきて、そこからグルグ族の兵士が続々と降り立ってきた。おそらく、偵察に出ていた部隊が戻ってきたのだろう。
 彼らは完全に油断しており、こちらの存在にはまったく気づいていない。
「一気に畳み掛けるぞ」
 クォークの合図で、敵を一息に飲み込んだ。





 次にたどり着いたのは、蒸気が立ちこめる採掘場だった。
 地熱を利用した危険な作業場で、大勢の人間が強制労働に駆り出されている。
 煤にまみれた捕虜たちの姿が、熱気の中にぼんやりと浮かんでいた。
「……採掘場か?」
 物陰に身を潜めながら、クォークが低く呟く。
 ナマエもその光景を見て、眉をひそめた。
 捕虜の中には、明らかにルリ城襲撃以前から囚われていたと思しき、やつれた者たちも混じっている。
「結構な数の捕虜だな。もしかして奴ら、今までも度々人間狩りしていたんじゃないか」
「狩られたとすれば、小さな島々の人間だろうね。その方が帝国の目に付かないし」
 ユーリスが吐き捨てるように言う。

 その時、一人の男が力尽きて倒れ、見張りのグルグ兵に無造作に突き飛ばされた。
 男の体は転がるようにして、エルザたちの潜む岩陰のすぐ前まで吹き飛ばされる。呻き声が、熱気の中にかすかに響いた。
 その残酷な光景に、カナンが小さく身を震わせた。両腕で自分を抱きしめ、目を閉じる。だが、誰も彼女の異変には気づかない。
 グルグ兵が剣を抜いた。労働力として使えなくなった捕虜を、処分するつもりだ。
「悔しいけど、ここは我慢か……」
 ユーリスが唇を噛み、自分に言い聞かせるように呟く。

 誰一人、あの今にも斬られそうになっている男を、助けに行こうとはしなかった。今飛び出せば仲間全員を危険に晒すのが目に見えているからだ。
 だが、ナマエは再び採掘場に目を向ける。
 目指す進路はこの採掘場を抜けた先だ。ならばここでじっとしているのも、目の前の捕虜を助けるのも同じことではないか――。

 その時だった。
 隣にいたカナンが、ふいに動いた。
「あ、やば……」
 本能的に、ナマエはこれから彼女が何をしでかすかを察して呟いた。
「――だめぇーーー!!」
 カナンの叫びが、空気を裂いた。
 次の瞬間、彼女の放った魔法が、グルグ兵を直撃する。
 その一撃で、場の空気が一変した。
 見張りの兵が慌てて警鐘へと手を伸ばす。
 ナマエは即座に弓を構え、矢を番える。狙いは、警鐘の兵士。
 放たれた矢が、警告の音とほぼ同時に兵の首を貫いた。
「間に合わなかったか……!」
 ナマエは舌打ちし、矢筒から次の矢を引き抜いた。

 けたたましい警告の音を聞きつけて、奥からグルグ兵の大群が押し寄せてくる。捕虜達はこの混乱に逃げ惑ってばかりいる。
「余計なことを!」
 忌々しげに吐き捨て、クォークは剣を構えて飛び出した。エルザとユーリスもそれに続く。
 カナンだけが、固まったようにその場に立ち尽くしていた。
「アル、立ち止まるな! 今は動け!」
 ナマエの言葉に、カナンがハッと我に返った。
 ここは既に戦場だ。立ち止まれば即、死を意味する。
 ナマエはカナンとともに、まず捕虜たちの退路の確保に奔走した。
 ……だが、全員を無事に逃がすことは叶わなかった。
 カナンが助けようとした男は、すでに事切れていた。彼女は一瞬、泣きそうな顔をしたが、唇を噛みしめ、涙をこらえる。


 捕虜を逃し終えた後、ナマエとカナンは苦戦している仲間の元へと駆けつけた。
 戦況は芳しくない。敵の数は多く、次々と増援が現れる。その上オーガが数体いて、やっかいなことこの上ない。
 ナマエは戦況をさっと見て、表情を曇らせた。押されている。このまま敵が引かないと、不味いことになるかもしれない。

「ごめんなさい……、私のせいで」
 魔法を放ちながら、カナンが震える声で謝る。
 だが、その言葉はクォークの怒りに火を注ぐだけだった。
「分かっているならやるな! 半端な私情は仲間を殺す! 俺の仲間を殺すつもりか!?」
 彼は完全に激昂していた。あまりの形相にカナンが怯む。
「死にたいのなら一人で死ね! 俺の仲間を巻き込むな!」
「クォーク、言いすぎだ!」
 見かねたエルザが口を挟むと、クォークは顔を歪めた。
「エルザ……お前だって、そうやって仲間が死んでいくのを何度も見ただろう?」
 エルザが言葉を失う。
 クォークは目の前のオーガに向き直ると、地を蹴って飛び出す。
 怒りを剣に乗せ、咆哮とともに振り下ろした。
「ここは戦場だ! 特別扱いはしない! 死ぬべきものが死ねばいい! 俺の仲間に死ぬ理由は、無い!」
 重い一撃に、オーガが吹き飛ぶ。その言葉に、傭兵たちは誰もが沈黙した。
 カナンをかばいたい気持ちはある。しかし一方で彼女の無謀な行為は咎められるべき行為であるとも思う。
 全く持って同感なお言葉だが、ナマエはクォークの言葉にどこか引っかかりを覚えていた。違和感の正体が何であるかは、しかし分からない。

 その時、さらに奥から新たなグルグ兵が現れた。
 ナマエはうんざりして、リーダーを振り仰いだ。
「クォーク、とりあえずアンタは頭に血が上りすぎだ。少し冷静になって、この状況をどう打破するか考えてよ」
 リーダーらしくさ、と軽口を叩いて場を和ませようとしたが――。
「あぁ!? そりゃ、全員叩き潰すしかないだろうが!」
 クォークが鬼のような形相で怒鳴り返す。
「……まあ、そうだな」
 ため息をついて、彼女は新たにやってきたグルグ兵らに範囲魔法を食らわせ吹き飛ばした。



 ようやくグルグ兵の群れを退けた頃には、全員が肩で息をしていた。
「漸く片付いたか……」
 魔法を連続使用していたユーリスは特に疲労の色が濃い。彼は荒い呼吸を繰り返しながら、ようやく顔を上げた。
「ったく、バレたね。完全に」
 その一言に、カナンがびくりと肩をすくめる。
 顔を伏せたまま、痛々しいほどに表情を曇らせていた。

 この最悪な空気をどうにかしようと、ナマエは慌てて口を開いた。
「とりあえず全員無事だったから――」
 いいんじゃないか。そう言いかけた瞬間、ガタリ、と扉が開いた。
 反射的にクォークが剣を振るう。
「オーガか? させるかよ!」
 だが、飛び出してきたのは魔導兵器の放った火球だった。
 クォークが咄嗟に剣で弾き返す。火球は軌道を逸れ、壁に激突。
 轟音とともに建物の一部が崩れ、瓦礫が真下にいたカナンを襲う。
「アル!」
 カナンは目を見開いたまま動けない。
 ナマエは駆け出そうとしたが、距離が遠すぎた。
 間に合わない――そう思った瞬間、カナンの体を後ろから引き寄せる影があった。
 エルザだった。
 彼は身を挺してカナンを庇い、瓦礫の直撃から守った。

「エルザ! アル!」
 派手な音を立てて地面に落ちきった瓦礫は、通路を完全に塞いでいた。
 ナマエはその前に駆け寄り、声を張り上げる。
「カナッ……アル! 大丈夫なのか!?」
 エルザが庇ったはいいが、瓦礫の下に埋もれてないかが心配だった。ナマエの掛け声に返事はない。焦れて再度叫んだ。
「エルザ! 返事をしろ! アルは無事なのか!?」
 しばらくして、向こう側から元気そうな声が返ってきた。
「ああ、無事だ! だけどそっちには行けそうにないから、合流する道を探すよ!」
 その声に、ナマエはようやく安堵の息をついた。
「分かった、気をつけろよ!」



 振り返ると、魔導兵器を破壊し終えたクォークが、獣よろしくぐるぐるとその場をうろついていた。
「くそっ、あの忌々しいお嬢様め……」
 どうやらまだ怒りが収まらないらしい。ナマエはうんざりして、ぼそりと呟いた。
「……大人げないぞクォーク。少しは落ち着いたらどうだ」
 その一言に、クォークはぴたりと足を止め、ナマエを睨みつけた。
「俺の仲間が危険に晒されたんだぞ! 落ち着いてなどいられるか」
「……アルを選んだのはあんただろ、クォーク。こうなることを予想できなかったあんたにも責任があるんじゃないか」
「――なんだと!」
 クォークの目が怒りに燃える。
「じゃあお前は、あのお姫様の行為を許すってのか? あの考えなしの行動が、俺の仲間を殺すところだったんだぞ! 俺の仲間を犠牲にして、あんな死にかけの男を!」
 その剣幕に、ナマエは顔をしかめながらも、言葉を返す。
「そうは思わない。アルは仲間の命を犠牲にしたかったんじゃなくて、あの捕虜の命を助けることを選んだだけだ。……結果的に助けられなかったけどな」
 クォークのこめかみに浮かんだ血管が、ぴくりと動く。
 ナマエは静かに、彼の胸元を指差した。
「ひるがえって、あんたは最初から仲間の命を選んでる。だから、あの捕虜を助けるって選択肢は最初からなかった。それは私も同じ。でも、アルは違った。選んだ命が違っただけで、“命を選ぶ”って行為そのものは、どちらも変わらない。責められるようなことじゃない」
 そして、言葉に棘を込めて続けた。
「……それに、どうせここは“死ぬべきものが死ぬ”戦場なんだろ? 彼女が飛び出さなくたって、この先嫌というほどその機会が待っているさ」
 クォークが苛立ちを爆発させるように、地面を踏み鳴らした。
「ああ、分かってるさ! 分かってるけど……腹が立つんだよ! くそっ!」
 怒鳴り捨てるように言い放ち、彼はそのまま先へと駆け出していった。
「おいクォーク、先走るな!」
「先を見てくるだけだ!」
 その背にナマエが声をかけるも、クォークは振り返らず、扉の奥へと消えていった。


 一部始終を静かに見ていたユーリスが、ようやく口を開いた。
「ちょっといじめすぎだよ」
「あれ、そう?」
 咎めるような視線に、ナマエはとぼけたように肩をすくめる。
 ユーリスはため息をつき、壁にもたれかかった。
 クォークが戻るまでのわずかな時間でも、体力を回復しようとしているのだろう。

「……アルのこと、いやに擁護するね」
 その言葉にナマエは振り返って、微笑を浮かべた。
「だって、お優しいじゃないか。自分の危険を顧みず、見ず知らずの人間を助けようだなんて、普通できないよ。……それとも、ただ見殺しにする勇気がなかっただけかな」
 その言葉尻に、どこか棘があった。
 ユーリスは少しだけ顔をしかめる。
「なんか皮肉に聞こえるんだけど……」
「あれ? そうかな?」
 ナマエは首をかしげ、無邪気なふりをする。
 だが、すぐに目を伏せ、ぽつりと呟いた。
「そうだな、……あの純粋さは、少しうらやましいかもしれない」
 純粋に人を助けようとしての行為だった。
 あの瞬間、カナンが見せた真っ直ぐな行動。
 それは、ナマエの中でとうに失われたものだった。
 だからこそ、あの輝きが、少しだけ眩しかった。
 ユーリスはその言葉に、しばし黙り込む。
「僕は……クォークの気持ちも、アルの気持ちも、両方分かるから……」
 そう言いかけて、言葉を飲み込んだ。
 ナマエはそんな少年を見て、困ったものだと言いたげに笑いかけた。
「しかしあの二人、本当に仲のいい兄弟だな」
「クォークとエルザのこと? 兄弟じゃないよ。たしか二人とも孤児だ」
 その言葉に驚いたのはナマエだった。
「え、でも……」
『俺はエルザを騎士にするためならばなんでもやる』
 脳裏にクォークの声が響く。兄弟でなければ、あれほどエルザのことを思う彼の情念はなんだ。




 ――その時だった。

「……なんだ?」
 ズン、と島全体がわずかに震えた。鼓膜を打つ低い振動が、地の底から這い上がってくる。足元を激しく揺らすほどではないが、その音は徐々に大きさを増していた。
「まさか、砲撃の音?」
 ユーリスが眉をひそめて呟いたその時、先の通路から複数の足音が響いてきた。
 数からして、エルザとカナンだけではない。それ以上。

「ああもう、また大群がお出でなすったのかな……」
 ぼやいて弓を構え足音の主を待ち構えると、通路の向こうから飛び出してきたのは、エルザとカナンだった。仲良く手を繋いでいる。
「ユーリス、ナマエ!」
 エルザは二人の姿を認め、険しかった表情をほころばせる。
「無事で良かった……、え?」
 言いかけ、顔が引きつった。エルザとカナンの背後に、グルグ兵の大群が。
「ごめん! さっそくだけど手伝って!」
 エルザは駆け寄るなりくるりと向きを変え、剣を構える。
 ユーリスはため息をつきながら、詠唱の準備に入った。
「余計なものまで引き連れて来てくれて、本当にありがたいね」
「ユーリスぅ……」
 仲間の皮肉にエルザが情けない声を漏らす。
 ナマエは苦笑しながら、迫る敵の剣を受け止めた。

「ところでこの揺れは何?」
「どうやらルリの艦隊が来てくれたらしい」
 戦いの合間にユーリスが尋ねると、エルザが応じた。なるほど、やはり砲撃の音だったか。
「なんだ、もうちょっと早く来ればいいのに……。ということは、あのトリスタ将軍も」
 将軍、トリスタ様と呼ばれていた、あの壮年の男のことか。
 ……ではあの白騎士もいるのだろうか。脳裏に、城で別れた騎士の姿が浮かぶ。白騎士の方の名前を知らないことに気づいて、再会したら名前くらい聞いておこう、と心の隅に留めた。

 戦いが終わり、辺りに静寂が戻る。
 ナマエは青ざめた顔のカナンに目を留めた。
「アル、大丈夫か? 疲れているみたいだ」
 大分疲労しているようだった。無理もない、このような長期の本格的な戦闘はおそらく経験がないのだろう。
「少し休んだほうがいいんじゃないか。……そうだ、ポーション飲む? 効果は保証する。味は……まあ、アレだけど」
 ナマエはポーチからポーションを取り出し、軽く笑って差し出した。
 カナンは弱々しくも笑みを浮かべ、首を振った。
ナマエ、ありがとう。私は大丈夫だから。それよりも、先を急ぎましょう」
 その言葉に、ナマエは小さく頷いた。確かに、ここで立ち止まっている余裕はない。
「そういえば、クォークは?」
 エルザが辺りを見回しながら尋ねる。
「先走って飛び出していったよ」

 慌ててエルザが先へ進むと、扉を抜けてすぐ、剣戟の音が聞こえてきた。
「クォーク!」
 角を曲がると、クォークが数人のグルグ兵に囲まれていた。
「なんだよ、先走って飛び出していった割に、こんなところで足止めされてたのか、アンタ」
 ナマエは呆れたように言いながら、弓を構える。
 クォークは敵の剣を受け止めつつ、忌々しげに顔をしかめた。
「くそっ、いちいち突っかかる奴だなお前は。おいエルザ、無事だったんなら手伝え! こうなったら派手に暴れるぞ!」
「なに、二人とも喧嘩でもしたの?」
「するか!」
 エルザのとぼけた声に、クォークが即座に突っ込んだ。

 外に近づくにつれ、砲撃の音が激しさを増していく。
「そっちはダメだ、道が崩れて先に行けない」
 グルグ兵を倒し終えたところで、クォークが呼び止めた。どうやら一応はもう少し先の道まで偵察をしていたらしい。だが途中で敵に見つかり、後退を余儀なくされたようだ。
「で、外でドンパチやってるのはなんだ? 内乱か?」
「いや、援軍が来たんだ。ルリの艦隊だ」
「ほう、そいつはありがたい」
 エルザの言葉に、クォークは口笛を鳴らした。
「こんなに早く来るんだったら、ルリの艦隊の到着を待って突撃した方が良かったな」
「いや、それはないな」
 ナマエのぼやきに、クォークは即座に首を振った。
「どうして」
「一番槍の方が、手柄が多いからに決まってるだろ」
 不敵に笑われ、ナマエは思わず引きつった笑みを返した。
 隣では、ユーリスが深いため息をついている。

「でもクォーク、敵の中枢は内海の向こう岸だ。どうやって渡るのさ?」
 エルザが核心を突く。確かにこのままもたもたしていれば、着々とルリ軍の侵攻が進み、そのまま敵本陣に突撃しかねない。そうなれば一番槍どころではない。
「さぁな。空でも飛べりゃあ楽なんだが」
 流石のクォークも、こればかりはお手上げらしい。

 外へと出ると、島のあちこちから砲撃の煙が上がっていた。
 空は黒煙に覆われ、地鳴りのような轟音が響き続けている。
「さて、どうしたものか……」
 クォークは向こう岸の本陣を睨みつけ、腕を組んだまま立ち尽くしていた。


 その時だった。
 目の前を何かが風を切って駆け抜けた。
 視線を上げると、空を旋回する巨大な鳥のような影が数体。
 ――グリフォンだ。
 そのうちの一体が向きを変え、こちらへと急降下してくる。
 背には人影があった。白銀の鎧を纏った、あの城で見た騎士――。
「乗れ! トリスタ様の命だ!」
 鋭く響いた声に、エルザが思わず叫ぶ。
「タシャ!」
 その名を呼ばれた白騎士は、短く頷いた。
 どうやら、絶妙なタイミングで救いの手が現れたらしい。

 まず飛び出したのはエルザだった。
 勢いよく駆け出し、旋回するグリフォンの背に飛びつく。
 一瞬バランスを崩しかけたが、すぐに体勢を立て直した。岸辺で見上げていたカナンに、手を差し伸べる。
「カナン!」
 その声に、ナマエは思わず額を押さえた。
 エルザは興奮のあまり、彼女の真名を叫んでいることに気づいていない。
 だが、カナンは嬉しそうに頷き、ためらいなく飛び出した。
「勇気のあるお姫様だね」
「勇気っていうか、無謀っていうか……。あ、」
 ユーリスの言葉にナマエが顔をしかめる。彼はカナンの正体に薄々勘づいたようだ。
「バレバレだよ」
「……一応アレでも隠しているつもり、なんだよ。多分」
 ナマエの言葉に、ユーリスがため息をつく。
「ま、もう少し彼らの茶番に付き合ってあげないこともないけど。さあ、僕らも早く乗ろう」
 促され、ナマエは岸の先端へと歩を進めた。いつの間にかクォークも、グリフォンの背に乗っている。
 しかし飛ぶ鳥の上に飛び乗ろうなんざ狂気の沙汰だ。一歩間違えば海へと真っ逆さまだろう。
「普通に鳥をこっちに着地させてくれれば嬉しいんだけどな」
「そんな悠長にしてられるか。ほら、お前らも急いで飛び乗れ!」
 頭上からクォークにせっつかれる。

 その時、もう一体のグリフォンが岸に身を寄せてきた。
 騎乗者が巧みに手綱を操り、暴れるグリフォンを制している。
「手を出せ」
 差し伸べられた手の主は――タシャだった。
 クォークの鬼のような仕打ちとは違い、騎士らしい所作で手を差し出してくる。
 ただし、相変わらずの仏頂面だ。
「お気遣いどうも。また会えて嬉しいよ」
「貴殿も無事でなによりだった」
 タシャは淡々と答える。
「騎士様もね。ちょうどさっき、あんたのことを思い出してたところ」
 ナマエが手を伸ばしたその瞬間、タシャの手がふいに離れた。
「え、あれ……?」
 どうやら手綱の制御が乱れたらしい。
「……すまない。手元が乱れた」
 戻ってきたタシャの頬が、わずかに赤らんでいた。

「ちょっと待って。あいつの後ろには僕が乗る」
 再びタシャの手を取ろうとしたところで、ユーリスが割って入る。
 ナマエは振り返り、彼を見て頷いた。
「そうだな、乗せてもらえ。落ちないように気をつけろよ」
「わかってるよ!」
 どうやら余計な一言だったらしい。ナマエは肩を竦め、ユーリスが無事騎乗したのを見届けてから、クォークへと声をかけた。
「クォーク、後ろ乗せて!」


 全員無事に乗り込んで、向こう岸の敵本陣を目指した。
「……まだ怒ってるのか?」
 ナマエはクォークの背に掴まりながら、無言で手綱を操る彼に声をかけた。
「あ?」
「さっきのこと」
「別に怒ってなどいない」
 明らかに不機嫌そうな声色が返ってきて、ナマエは内心肩を竦めた。
「なんだ、じゃあ謝り損ねたな」
「ああ?」
 怪訝な声が返る。だが、ナマエは気にせず続けた。
「さっきは言い過ぎて悪かったなって言おうと思っただけだ。怒ってないなら、必要ないみたいだけどな」
「……俺もたしかに頭に血が上っていたよ。悪かった」
 明らかに先ほどよりトーンダウンした声色に、ナマエはふっと笑みを漏らす。
「何を笑ってる」
「別に」
 そう言って、風を切る空の中、彼女はそっと目を細めた。



 グリフォンが空を滑る中、別方向から新たな部隊が合流してきた。
 その先頭には、トリスタ将軍の姿があった。どうやら彼自身も前線に出てきたらしい。
 将軍の鋭い手振りが、突撃の合図となる。

 本陣の入り口は海に張り出した構造で、そこに敵兵が布陣していた。
 弓兵と魔導師――どちらも遠距離攻撃に長けた、厄介な相手だ。
 まず襲いかかってきたのは、空を埋め尽くすような矢の雨だった。
「来るぞ! 落ちるなよ!」
 クォークが手綱を引き、グリフォンが急旋回する。
 ナマエは振り落とされまいと、思わずクォークの背にしがみついた。
「ばっ……! お前、くっつきすぎだろ!」
「アホか、くっつかないと落ちるだろ!」
 理不尽な文句に、ナマエは怒鳴り返す。
「二人とも、前見て前!」
 エルザの声に、ハッと二人は同時に顔を上げた。
「ほら、クォークのせいで怒られた」
「うるさい」
 ふてくされたような男の声にナマエは内心笑った。


 いくら回避しても、敵の攻撃は止まらない。
 矢の雨に混じって、魔導師たちの火球が空を裂く。
「ユーリス! あのデッキに魔法を打ち込め!」
 エルザの指示に、ユーリスが詠唱に入る。
 その間、エルザとクォークが敵の注意を引きつけるように飛行を乱し、囮となった。
「くらえッ!」
 詠唱を終えたユーリスの火球が、轟音とともにデッキを直撃。
 爆風が巻き起こりデッキが崩壊し、敵兵ごと吹き飛んだ。
「やった!」
 ユーリスが少年らしい歓声を上げる。

 だが、喜ぶのは早かった。デッキの奥から、第二陣が姿を現す。
「また弓兵! きりがないな!」
「仕方ない……。ユーリス! もう一度――」
「クォーク、上から近づけるか!?」
 エルザの指示を遮るように、ナマエがクォークの肩を叩いた。
「何をする気だ」
 クォークは訝しみながらも、高度を上げてデッキ上空へと向かう。
 ナマエは腰を浮かせ、剣を抜いた。
「直接突っ込む!」
 叫ぶと同時に、鞍を蹴って宙へと舞い上がる。
「はぁっ!? おいっ待て馬鹿!」
ナマエッ!?」
 誰かの悲鳴が聞こえた気がしたが、もう遅い。


 風を切って空を飛ぶ。
 ナマエの体は、矢の嵐の中を一直線に落下していく。
「ぐっ……!」
 一本の矢が肩口をかすめ、肉に突き刺さった。
 だが、痛みを押し殺し、彼女は速度を殺さずに突き進む。
「どけっ!」
 着地と同時に、グルグ兵の一人に踊りかかる。剣を振るうより早く、体当たりの衝撃で敵兵を昏倒させた。
 肩に刺さった矢を乱暴に折り、痛みをこらえて立ち上がる。目の前には、驚愕に固まった敵兵の顔。
 その隙を逃さず、顔面を掴み、剣を腹に突き立てた。
 背後からボウガンの照準が合わされる。即座に、倒した敵兵の死体を盾にして矢を受け止めた。
 針鼠のようになった骸を敵陣へと投げつけ、できた隙間に滑り込む。
 剣が閃き、血が舞う。

「うげっ、また無茶な戦い方してる……!」
 追って降り立ったユーリスが、今にも説教してきそうな勢いで睨んできたので、ナマエはとっさに目を逸らした。
 その間に、他の仲間たちも次々とデッキに降下してくる。
 味方が揃い、戦況は一気に傾き始めた。
 ナマエも再び飛び出そうとしたが、腕を掴まれて動きを止められる。
「怪我をしている。貴殿は下がれ」
 タシャだった。
 彼の視線は、ナマエの肩に突き刺さったままの矢に注がれている。
「大丈夫だよ、これくらい」
「ダメだ。カナン様に癒してもらえ」
「カナン様なんて知らないな。どこにいるんだ?」
 とぼけると、タシャの眉間にさらに深い皺が刻まれた。
「……分かったよ。後は任せた」
 埒が明かないと見て、ナマエはあっさりと引き下がった。


 とはいえ、デッキ内に展開しているグルグの布陣を崩すまでは、ナマエは弓に持ち替え、後方からの援護に回ることにした。
 敵をすべて倒し終えた頃、カナンが青ざめた顔で駆け寄ってきた。
 治癒魔法をかけようとする彼女を制し、肩に刺さった鏃を抜くのを手伝ってもらう。
 傷口を押さえながら、自ら治癒魔法を唱えていると――。

「アンタまたなに無茶してるんだよ! 馬鹿じゃないのホント、間違って急所に当たってたらどうするのさ!」
 ユーリスが険しい顔で怒鳴りつけてきた。どうやら、かなりおかんむりのようだ。
「ここなら火葬場には困らないな」
 マグマもあるし、とナマエが冗談めかして言うと、ぐい、と胸倉を掴まれた。
「ふざけるなよ! 怒るよ!」
 思わぬ行動に、ナマエは目を見開いた。
「もう怒ってるじゃないか……あ、ごめ、悪かったって」
 つい口が滑り、ユーリスにじろりと睨まれる。これ以上怒らせるのは得策ではないと、ナマエは慌てて謝った。

 その様子を見ていたトリスタが、破顔する。
「はっは、仲良きことは美しきかな。君たちは姉弟か?」
「違うよ!」
 ユーリスが即座に否定する。
「こんな無謀で考え知らずの馬鹿な姉、こっちから願い下げだから」
「ユーリス、私にも一応心はあるんだぞ。それ以上言われたら泣くぞ」
 ぼろくそに言われ、ナマエは眉尻を下げて抗議する。
「ふん、勝手に泣けばいいじゃん」
 冷たく言い放たれ、ナマエはうっとなった。
「……反抗期、ってやつかな」
「そんなんじゃないわ、きっと。ナマエってば、無茶しすぎよ。ユーリスが怒る気持ち、ちょっと分かるな」
 とどめとばかりに、カナンにもやんわりとたしなめられてしまった。


 体勢を整えている間、エルザはトリスタに仲間を紹介していた。
 カナンの素性については言葉を濁したが、トリスタも察したのか、それ以上は何も聞かなかった。

「傷の具合はどうだ?」
 肩の様子を見ていたナマエに、タシャが声をかけてきた。
「大丈夫だよ。ちゃんと塞がった」
 そう答えると、タシャは何か言いたげに眉をひそめた。
「なに?」
「……貴殿はいつも、あんな無謀な戦い方をするのか?」
 その問いに、ナマエは苦笑を浮かべる。
「いや、そういう訳でもないよ。ええと――」
「タシャだ」
 彼の名を口にしかけたところで、本人が先に名乗った。
 タシャは手荷物から見覚えのある小瓶を取り出し、ナマエに差し出す。
「薬を返しておく」
 ナマエは一瞬首をかしげたが、すぐに思い出した。
 ルリ城で彼らに投げ渡した回復薬だ。
「ああ、これ。使わなかったのか」
「いや、一本使わせてもらった」
 ナマエが瓶を受け取ると、タシャが渋い顔で呟く。
「粉の味がして、あまり好きではない」
「まあ、美味しいものではないからね」
 笑いながらポシェットにしまい、踵を返そうとしたその時――。
「待て」
 タシャに呼び止められる。
「なに?」
「貴殿の名前を聞いていない」
「え、あぁごめん。一応、ナマエって名乗ってる。よろしく、タシャ……様?」
 そういえば、将軍に対して失礼な口を利いた時に怒られたな、と思い出し、取ってつけたように敬称を追加する。
 タシャは頷きながらも、どこか怪訝そうに目を細めた。
ナマエ殿、か。……一応、というのは、愛称か何かということか?」
「えーと……実を言うと、記憶喪失なんだ。名前は、持っていた日記に書かれていたものを拝借しただけ」
 そう説明すると、タシャは驚いたように目を見開いた。
「記憶喪失? 自分のことを、何も覚えていないのか? ……名前も?」
「まったく」
「それは……難儀だったな」
 沈痛な声色で、重々しく告げられる。
 気を遣ってくれているのだろうが、あまりに深刻な表情に、ナマエは思わず吹き出した。
「そうでもないよ。クォークに拾われてラッキーだったし。それより、私のことは呼び捨てでいい。ただの傭兵だし、騎士様に“貴殿”とか呼ばれても落ち着かないからさ」
 そう言うと、タシャは面食らったような顔をした。
 何か言いたげな視線を向けてきたが、やがてそっと目を伏せる。
「……承知した。では、私もそのように」
 その返答に、ナマエは少し驚いた。
 将軍に対して失礼な態度を取った時は激昂していたから、礼儀に厳しいのかと思っていたのだ。
 ……そういえば、さっきエルザも彼のことを呼び捨てにしていたな、とふと思い出す。
 傭兵だからといって見下すこともなく、騎士という立場に驕ることもない。
 この男は、どうやら珍しいタイプの騎士様のようだ。
「……へえ、呼び捨てでいいの? この前みたいに怒らない?」
 ナマエがからかうように言うと、タシャは少し苦々しい顔をして答えた。
「あの時は貴殿――いや、お前がトリスタ様に無礼な態度を取ったから注意をしただけだ」
「そう……じゃあ、遠慮なく呼び捨てにさせてもらうよ、タシャ」
「構わない」
 仏頂面のまま返されたその一言に、ナマエは肩をすくめて笑った。


 体勢を整えた一行は、扉を潜って中枢へと進んでいく。
 建物の柱には、無骨ながらもどこか荘厳な装飾が施されていた。
「島ひとつ基地に作り変えるとは、なんという技術だ」
 トリスタが感嘆の息を漏らす。
「この様式、帝国の文化にも通ずるところがあります」
「そりゃそうさ。古代グルグ族は人間と共存していたんだ」
 タシャの堅苦しい言葉に、ユーリスが口を挟む。
「ほう、ユーリス殿は物知りだな。その知識、どこで?」
「小さい頃から、そういう環境でね」
 ユーリスが言葉を濁すと、トリスタは目を細めた。
「おっと、いらぬ詮索をしたようだな。申し訳ない」
「いいんだ。それはもう……今はこうして」
「なるほど、良い仲間に巡り会えたのだな」
 トリスタが納得したように頷いた。


 広い空間に出ると、敵の軍団が待ち構えていたように布陣を展開していた。
 剣士、魔導師、狙撃手、そしてオーガ――まさに総力戦の様相だ。
「こしゃくな!」
 トリスタが吠え、敵の攻撃をかわして身を伏せる。
 その隣で、タシャが声を上げた。
「トリスタ様! 前方の敵に、我々の存在を気付かれたようです!」
「――あぁ分かっておる。なに、浮き足立つことはない。ここから激しい戦いになる。皆、死ぬなよ」
 将軍の言葉に、仲間たちはそれぞれ武器を構えた。



 長い戦いになった。一言で言えば、激戦だった。
 次々と押し寄せるグルグ兵を、前線の攻撃部隊が必死に食い止め、ユーリスとカナンの魔法がそれを援護する。
 戦場は混沌を極め、剣を振るえば味方を巻き込む恐れすらある。
 ナマエは前に出るのを控え、弓を手に取り、狙撃手や魔導師を優先して狙った。
 味方が取りこぼした敵を、次々と正確に撃ち抜いていく。

 ふと視界の端で、エルザが敵陣に深く入り込み、孤立しているのが見えた。
 カナンを守ると言っていたはずが、まるで逆だ。
 その瞬間、オーガの棍棒が振り下ろされ、エルザの体が宙を舞った。
「エルザ!」
 カナンの悲鳴が響く。
「あの馬鹿……!」
 ナマエは舌打ちし、飛び出そうとしたカナンを押しとどめた。
「私が行く。アルはここにいて」

 エルザを襲ったオーガへと近づき、その膝に一矢くれてやった。続けざま二発、三発と膝を打ち抜くと、たまらずオーガが膝をつく。振り返りざま、棍棒が唸りを上げて振り下ろされる。
 ナマエはバックステップでそれをかわし、地を蹴って距離を取った。
 オーガは大分弱ってきたようだ。
 その横を、カナンの治癒魔法の光が駆け抜ける。
 気を失っているエルザの体が、淡い光に包まれた。彼が意識を取り戻すまで、もうしばらくかかりそうだ。
 矢を構え直し、ナマエはオーガの片目を正確に射抜いた。
 巨体がもんどり打って倒れ込む。

 もう一発、と矢を構えたその時。
 背後から何かがぶつかってきた。
「うわっ……!」
 振り返ると、同じように驚いた顔のタシャがいた。
「びっくりした……あんたか」
「驚いたのはこちらだ。――避けろっ!」
「わあっ!?」
 ぐい、と力強い手に腰を掴まれ、体が横に引き倒される。
 直後、耳元でブン、と棍棒が空を裂く音がした。
 オーガの一撃が、ほんの数秒前までナマエがいた場所を叩き潰していた。

「……あっぶな。助かったよ、タシャ」
 ナマエは胸をなでおろしながら息をついた。
「危なっかしくて見ていられんな、お前は」
 タシャがため息をつきながら体を起こす。
 その言葉に、むっとして顔をしかめた。
「あ、呆れてるな? 言っとくけど、あんたが邪魔しなければ、あんな攻撃くらい簡単に避けられたんだからな」
「言うに事欠いて、私のせいにするつもりか。呆れた人だ」
 冷ややかな若草色の視線に、一瞬言葉を失う。
「……礼は言っただろ」
「誠意が感じられない」
 ハッとナマエは笑い飛ばした。
「なんだって、誠意? ドレスの裾でもつまんで、お辞儀でもして感謝してみせりゃいいのか?」
「……ふん。できるものなら、見せてもらおうか」
 売り言葉に買い言葉。
 流石にカチンと来て、未だ腰を掴んだままのタシャの手を指差した。
「だったら、早くその手を離せ!」
 タシャがはっと息を呑んだ、その瞬間――。


 ゴッ、と重い音が響き、背後の瀕死のオーガが炎に包まれた。
 ユーリスの魔法だった。
「二人とも何してんだよ! 早く戦闘に戻って!」
 怒声が飛ぶ。
 呆気に取られたままでいると、くっと隣から笑い声が聞こえてきた。
 見ると、タシャが肩を震わせている。
 なんだか馬鹿馬鹿しくなって、ナマエはため息をついた。
「……つっかかって悪かった。助けてくれて、ありがとう」
「いや……私も悪かった」
 立ち上がろうとするタシャに手を差し伸べる。彼は素直にその手を取った。



 敵の増援は、ひとまず止んだようだった。
 好機と見て、一気に奥のリフトへと駆け込む。
 リフトが地下へと降りていくにつれ、空気が張り詰めていく。
 敵の姿はない。だが、ただの静寂ではなかった。

「アイツがいるかもしれない……」
 エルザが小さく身震いしながら呟く。
「アイツ?」
 ナマエが首をかしげると、エルザは唇を引き結んだ。
「グルグの王――ザングルグ」
 その響きに、一向は無言で気を引き締めた。




「――ようこそ、我が基地へ」
 重々しい扉が開くと、よく通る低い声が空気を震わせた。
 声に促されるように、下手な小細工は通用しないと観念して、整然と敵の王の前へと進んだ。燃えるような髪を持つ獣の王、ザングルグは悠然と玉座に座していた。その姿に威圧感を覚える。
「ここまでたどり着いたことは、称賛に値する」
「ずいぶん余裕だな」
 クォークが挑発めいた声を投げる。だがザングルグは挑発に乗る気配すら見せない。
「ふっ、うぬらは我に触れることすらできまい」
「やってみなくちゃ、わからないさ!」
 エルザが無謀にも剣を構える。
 力量差は明白だった。だが数の上ではこちらが上回る。
 賭けに出るしかない――その覚悟が、皆の背筋を伸ばしていた。

 しかしザングルグは玩具に飽きたかのように立ち上がり、背を向けて奥の部屋へと歩き去る。
「待て!」
 エルザがそれを追った。
「背を狙うとは、これが人間のあさましさか」
 振り返らずに告げるザングルグの言葉に、エルザは一瞬踏みとどまる。
 だがナマエは、その言葉を鼻で笑った。
「よく言う。宣戦布告もなしに、ルリ城を襲った奴の言葉とは思えないな」
 ザングルグはちらりとこちらを見たが、何も言わずに視線を戻す。

「――マルバス!」
 鋭い呼び声に応じ、四本足の巨大な獣が現れた。
「なっ、こいつどこから――」
 目の前に忽然と現れたその姿に、エルザはたちまちたたらを踏む。
「相手をしてやれ、マルバス。人間どもよ、存分に楽しむが良い」
 そう言い残し、ザングルグは奥へと姿を消した。
 クォークが咄嗟に追いかける。
「エルザ、俺はザングルグを追う。ここは任せる」
「クォーク! 一人じゃ無茶だ!」
 エルザが叫ぶ。だがその言葉は、クォークには届かなかった。


 巨大な獣――マルバスが吼える。
 瞬間、姿を消した。
「えっ」
 戸惑うエルザの背後に、マルバスが陣取っていた。
「速い……っ!」
「巨体の割に俊敏な奴よ!」
 トリスタが忌々しげに呟く。

「そら、これでもくらえ!」
 ナマエは一瞬の隙を見逃さず、毒矢を放った。麻痺毒が効き、マルバスの動きが鈍る。
「とっておきの麻痺毒だ、じっくり味わいな」
「ほう! よくやった」
 トリスタ将軍が歓声を上げると、ナマエはすぐに水を差す。
「って言っても、十秒くらいしか効かないけどね」
「意味ないじゃん! もうちょっと効果長いやつないの!?」
「残念ながら。――エルザ、アレやるぞ!」
 ユーリスのツッコミに応えつつ、ナマエは再び毒矢を放ち、エルザへと視線を向ける。エルザは『アレ』が何かを即座に理解したようだった。
「えっ、大丈夫?」
 驚いた顔のエルザに、ナマエは剣に持ち替えながらにやりと笑う。
「誰に向かって言っている」
「よし、わかった!」
 エルザは即座に頷いて、右手に意識を集中させた。




 島の森の奥で見せたエルザの荒業――ナマエを吹き飛ばすという例の技を食らわせ、徐々にマルバスの体力を削っていった。初めてその技を目にした仲間たちは最初混乱していたようだったが、すぐに各々の戦線へと意識を戻し、目の前の敵に集中した。
 ナマエが宙を舞い、四度目の衝突で(うち一度は狙いを外した)、マルバスは漸く地に崩れ落ちた。

 だが、まだ本丸が残っている。エルザが真っ先に奥へと飛び出し、それを一行が追う。
 ナマエも疲労困憊の体に鞭を打って走り出すと、道の先に倒れたクォークの姿を見つけた。
「クォーク!」
「ぐっ……、エルザ、か? すまない、取り逃した」
「何言ってんだよ! 一人で行くなんて無茶だ!」
 エルザの叱咤に、クォークは苦笑を浮かべた。
 ザングルグの一撃を受けたのだろう。立ち上がるのもやっとの様子だった。
「たまにはカッコつけさせろよ……」
 そう言って、彼はエルザの肩を借りながら、ようやく体を起こした。

(視界が……ヤバいな)
 ナマエは、遠のく意識を必死に繋ぎ止めていた。
 あの技は、想像以上に体力を消耗する。四度も繰り返せば、さすがに限界が近い。
「クォーク殿、ザングルグはどこに」
「申し訳ありません将軍……そこまでは……」
 トリスタの問いに、クォークがかすれた声で答える。
 そのやり取りを聞きながら、ナマエは膝が崩れそうになるのを必死に堪えていた。
 だが、限界はすぐそこまで来ていた。
ナマエ、大丈夫?」
 カナンが心配そうに覗き込んできた。手をふってやり過ごそうとして、とうとう膝をついてしまった。視界がぼやける。
 ナマエ、と誰かが名を呼んだ。
 その声に応えるように、ナマエはかすれた声で呟く。
「ごめん、ちょっと……休憩……」
 耐え切れずに床に両手をつく。今にも崩れ落ちそうだった。
「あれ、ナマエ? 困ったな……クォークも運ばなきゃだし……」
 エルザの戸惑った声が聞こえた。彼はクォークに肩を貸している。いくらエルザとて流石に二人同時に運ぶのは無理だろう。

 そのとき、目の前に影が差した。
「私が運ぼう」
 タシャだった。
 彼は膝をつき、彼は膝をつき、ナマエの手を取り、自らの首に回すように促す。拒否する理由も、気力もなく、ナマエはその厚意を素直に受け入れる。タシャが膝裏に手を添えて立ち上がろうとした瞬間、近くから刺々しい声が飛んだ。
「いいよ、騎士様の手を煩わす訳にはいかない。僕が――」
 ユーリスの声。ナマエは心の中で彼を呼んだ。
 ふわりと浮遊感が訪れる。抱きかかえられたのだと気づくと、頬にタシャの白く柔らかな髪が触れた。汗の匂い、鎧越しに伝わる厚い胸板。そのすべてが、思いがけない安堵をもたらした。
「仲間思いなのは結構だが、貴殿は自分の体格を見て物を言うことだ」
 凛とした声が、静かに響く。
 だが、その言葉に少年がどんな顔をしているのか心配になった。
(そんな言い方したら、ユーリスが怒る……)
 そう思ったが、もはや口を開く気力すら残っていなかった。
「ごめん、タシャ。……頼む」
 かすれた声で、それだけを告げる。
 すぐに「承知した」という短い返事が返ってきた。
 ナマエはその声を聞き届け、ゆっくりと意識を手放した。


2025/12/25改稿