Chapter.15.5
――夕日を浴びながら、船は静かに入り江を離れた。
順調な滑り出しに、瞬く間に島は後方へと小さく遠のいていく。夕日の朱に染まった島は美しく、なぜか離れがたい思いにさせられた。
そこで過ごした時間が、きっと忘れられないものであったからだろうか。
船の修繕は想定より早く終わり、難破船探索から戻った一行を待って、すぐに出航できる状態になっていた。出航できるとなれば、ここに留まる理由はない。日が落ちれば座礁の危険が増す。クォークは当初の予定を早め、暗くなる前に島を出航することにした。
ユーリスは船首で一人、海をぼんやり眺めていた。
追い風なのか、船体は勢い良く波を割って目的地へ進んでいっている。
だが、そんなダイナミックな光景もユーリスの目にはちっとも入ってこない。
――脳裏に浮かぶのは、驚いたナマエの顔だった。
あの時、自分は何をしようとしていたのか。
思いがけず抱いた衝動に呑まれかけたユーリスは結局、突然マナミアが入室してきたことにより我に返り、仲間に不貞を働くという行為は何とか免れた。しかし我に返ったはいいが、今度は自分が何をしようとしていたのか思い直して、彼の頭は瞬時にショートした。
思わず奇声を上げてその場から逃げ出してしまったが、彼女はどう思っただろう。
「……はぁ」
盛大なため息が、潮風に紛れて消える。
ナマエを異性として意識している――その事実に気づかされた瞬間から、ユーリスの思考はまともに機能していなかった。
なにせ彼女は自分を子供としか見なしていない節がある。エルザとアルではないが、出会ってまだ数日だ。しかも記憶喪失で正体不明の人物であることは、未だに変わりない。
それなのに、どうしてここまで心をかき乱されるのか。
基本的に彼女は、合理的に物事を考えるらしく、たまに発言は冷たいと思うことがある。女であるという自覚が薄いのか、無茶をして見ているこちらがハラハラさせられる。斜に構えた態度が鼻につく奴だと思えば、不器用な優しさを覗かせることもあって……。
「……」
そこで、思考がぴたりと止まる。
ユーリスは両手で頭を抱えた。
「うわ……考えてみたら、最初からかよ……」
要するに、最初から彼女の存在を気にしていて、無意識のうちに目で追っていたということか。
はあ、と再度ため息。
「僕、もっとおしとやかな方が好みだったと思ったんだけどなぁ……」
ぼそりと零れた本音。
漠然とだが、好きになるならマナミアのような、おっとりとした女の子らしいタイプだと信じて疑わなかった。それだけに、この感情のズレは大きい。
――そのとき。
「……マナミアみたいな?」
頭上から、淡々とした声が降ってきた。
「ギャア!」
反射的に叫び、ユーリスは跳ね上がる。
見上げた先には、いつの間に来たのか、手すりに肘をついたナマエが立っていた。
「なんだよ、人を化け物みたいに……」
怪訝そうに眉を寄せる彼女に、ユーリスは完全に動揺した。
「な、何てタイミングで現れるんだよ君は! っていうか、い、今の聞いてたの!? 違うよ! マナミアは好みじゃなくて、いや、マナミアはすごく素敵だけど……じゃなくて、ああ、もうとにかく――」
一息でまくし立てる。
よりによって最悪のタイミングで現れてくれたものだ。若干パニックを起こしつつ先ほどの発言を否定すると、皆まで言わせず彼女は納得したように頷いた。
「まあ、マナミアを養うのは大変そうだしな。並みの稼ぎじゃ難しそうだ」
「それはそう……、いやだから違うって!」
どこか同情じみた視線を向けられ、ユーリスは内心頭を抱えたい気持ちになった。
そんな少年の葛藤など意に介さず、ナマエは面倒くさそうに手をひらひらと振る。
「あーうんうん。分かったから、ちょっと来てくれないか、ユーリス。見てほしいものがあるんだ」
「……え」
「……何コレ」
ユーリスは調理台いっぱいに広げられた魚介の山を前に、心底うんざりした声を漏らした。
ナマエに連れられて辿り着いた先は、なぜか船の調理場だった。
調理台の上には魚や海老、貝類やらがどっさりと積まれ、鮮度の良いものもあれば、色味からして危ういものも混ざっている。加えて、そこにはマナミアとアルの姿まであった。
「どうしたの、これ」
傍らのナマエに問いかけると、彼女は少し気まずそうに視線を逸らし、苦笑混じりに説明を始めた。
「いや、実はマナミアがな……」
曰く、難破船で目にした豪勢な料理を、結局一口も食べられなかったことが、思いのほか堪えたらしい。船に戻ってからというもの、目に見えて落ち込んでいたのだという。
それを見かねた泳ぎの得意な船員が、出航前に海へ潜り、貝や魚を捕まえてきた。せっかくだからと、その食材を使って、マナミアが満足するだけの料理を作ろう、という話になったらしい。船の備蓄と照らし合わせた結果、どうにか海老のシチューなら作れそうだった。
「ふうん……で、これを僕にどうしろと?」
事情は理解した。だが、なぜ自分が呼ばれたのかは分からない。
答えたのは、エプロン姿のカナンだった。
「ユーリスって島育ちでしょう? だからどれが食べられるか、見分けられないかなって」
その言葉に、ユーリスは無言で魚介の山を見る。
中には鮮やかすぎる色の魚や、いかにも毒を持っていそうな貝も混ざっていた。
「……僕よりマナミアの方が料理に詳しいでしょ」
「私は調理後の姿しか分かりませんわ」
にこりと無邪気に言われ、ユーリスは思わずため息をついた。
島暮らしとはいえ、食事の支度はほとんど母親任せだった。それでも、手伝いで見た記憶がないわけではない。
「仕方ないな……。分かる範囲でしか見分けられないからな」
そう前置きして、ユーリスは袖をまくり、魚介の山に向き合った。
「――この魚は毒があるから肝を取らないとダメ。これは生でもいける。……うわ、これカツオノエボシじゃん。捕った人、生きてる?」
言いながら、手際よく仕分けていく。その動きに無駄はなく、判断も的確だった。
「さすがですわユーリスさん」
「意外と詳しいな」
マナミアが感嘆の声を上げ、ナマエも感心したように目を細めた。
「別に……こんなの」
妙なところで注目され、ユーリスは居心地悪そうに視線を逸らす。
「でも助かったわ。見分けがつかなかったら、全部食べちゃおうってマナミアさんが聞かなくて」
野菜を洗いながら、アルが可笑しそうに笑う。
「あら、だって最悪私の魔法をかけながら頂けば問題ありませんもの」
「うわ、命がけの食事かよ」
一仕事終えたユーリスは調理の光景を眺めながら、マナミアの言葉に顔を顰めた。
ナマエは魚を豪快にぶつ切りにし、鍋へ放り込んでは次の作業へ移っていく。手際はいいが、かなり大胆だ。
「マナミアは手伝わないの?」
「私は食べる専門ですわ」
「あ、そう……」
笑顔で即答され、ユーリスは黙るしかない。
そこへ、ナマエが小皿とスプーンを持ってきて、マナミアに差し出す。
「マナミア、味見」
「うん……とても美味しいです!」
即答の太鼓判に、ナマエはほっとしたように口元を緩めた。
「僕の分は?」
ユーリスがそう言った瞬間。
「はい、ユーリスさん」
「ふがっ!?」
いきなりスプーンを突っ込まれ、ユーリスは目を白黒させた。
ナマエは肩を震わせ、笑いを堪えている。
ユーリスは顔を赤くし、ナマエを睨みつけた。
「美味しいでしょ?」
無邪気な笑みでマナミアに問われ、文句も言えずに少年はこくこくと頷いた。
その後、ユーリスとマナミアも作業に加わり、調理場は一気に賑やかになった。
手先の器用なユーリスはジャガイモの皮むきを任され、マナミアはシチューが焦げないように鍋の見張り役を任せられた。
……のだが、マナミアはこっそり何度もシチューを味見と称して味わっているようだ。
「マナミア、あんまり味見ばかりしていると皆の分なくなっちゃうよ」
「大丈夫よ。まだまだ沢山……って、あら本当だわ」
慌てて鍋を覗くと、確実に量が減っていた。
「……マナミア」
「ごめんなさい」
しおらしく眉を下げるが、反省しているかは怪しい。
そのとき、背後で短い悲鳴が上がった。
「あっ……やだ、焦げちゃったわ」
振り返ると、アルがフライパンを手に困り顔をしている。
窯からパンを取り出していたナマエがすぐに駆け寄り、若干香ばしく焼き上がりすぎた鶏肉を見て肩を竦めた。
「このくらい平気平気。むしろ美味しそうだ」
「そうかしら?」
その一言で、アルは笑顔を取り戻した。
「ねえナマエ、料理って楽しいわね!」
どうやら彼女は、この作業を心から楽しんでいるようだった。
ナマエはその様子に小さく肩を竦める。
「面倒なだけだろ」
「そう? 私は好きだわ。食べてくれる人の笑顔を思い浮かべながら作ると、より一層楽しくなりそう!」
「アルさんの料理なら、エルザさんはきっと何でも喜んで食べてくれますわ」
マナミアの言葉に、アルはさっと頬を染めた。
「や、やだ、そんなつもりで言ったわけじゃ――」
不意に、調理場の扉が開いた。
振り返るとそこに今まさに話題の人物が立っていて、アルは驚いて調理場の奥へと引っ込んでいってしまった。
「あれ、みんなで何してるの?」
「旨そうな匂いだな」
エルザと、その後ろにクォーク。どうやら匂いにつられてやってきたようだ。
「マナミアのためにシチューを作ってたんだ」
「え……。あ、あの、俺たちの分も……あったりする?」
ナマエはエルザの言葉に苦笑した。
「心配しなくても、ちゃんとみんなの分もあるよ」
料理が完成すると、一同は食卓を囲み、賑やかに食事を始めた。
わざとエルザの前にアルが焼いたチキンを置くと、彼女に恨みがましい視線を向けられたが、ナマエはあえて無視した。アルが焼いたんだ、とエルザに告げると彼は躊躇なく手を伸ばし、「美味しいよ」と笑った。
その一言で、アルは心底嬉しそうに微笑んだ。
――彼女は心から、このひと時を楽しんでいるようだった。
賑やかな食事会も終わり、夜もすっかり更けた頃。
甲板では船乗りたちが、ラム酒片手に宴会をおっぱじめていた。笑い声と調子外れの歌が夜気に溶け、船内にまで届いてくるが、不思議と耳障りではない。長い航海に慣れた者たちの、ささやかな息抜きなのだろう。
甲板に出たナマエは、その一角から少し離れた場所に、ユーリスの姿を見つけた。
木箱に腰を下ろし、男たちの輪を遠巻きに眺めている。手にはラム酒の入ったグラスを持ち、ちびちび舐めるように飲んでいるようだった。
意外に思いながら、ナマエは足を向けた。
「呑んでるのか?」
声をかけると、ユーリスはナマエを一瞥し、何も言わずに体を少しずらした。隣に座れるだけの空間を作ってくれている。
礼を言って腰を下ろすと、思った以上に狭く、自然と腕が触れ合った。
次の瞬間、逃げるようにユーリスの腕が引っ込む。
横目で見ると、少年の頬はうっすら赤い。大分呑んだのだろうか。
「酒は嫌いじゃなかったっけ」
「……好きじゃない。けど、呑めないこともない」
妙に理屈っぽい返しに、ナマエは思わず苦笑した。
「屁理屈っていうんだぞ、そういうの」
ユーリスはちらりとこちらを見ただけで、反論はしなかった。酔いが回っているのか、単に面倒だったのか。
「あいつらの宴を見ていたのか?」
問いかけると、ユーリスは、うん、と頷いた。
「珍しいな。こういうの、苦手そうだけど」
「……もともと海の民だったから」
少し間を置いて、ユーリスは言葉を続ける。
「父さんの船に、何度か乗せてもらったことがある。その時も、みんなあんな風に歌いながら火を囲んでて……僕は、いつもこうして眺めてた」
「ラム酒を呑みながら?」
冗談めかして言うと、じとりと睨まれた。
「揚げ足取り」
「悪い」
少年の機嫌を損ねてしまったようだ。ナマエは軽く肩を竦めて謝った。
ユーリスは再び視線を宴の方へ戻す。
しばらく、二人の間に沈黙が落ちた。
波音と歌声だけが続く中、不意にユーリスが口を開いた。
「……ナマエって、器用貧乏だよね。戦い方が下手っていうか」
「へ?」
唐突な言葉に、ナマエは目を丸くした。
「へ、下手……かな。そうかな、はは」
上手だとは思ってはいないが、下手とまで言われるくらいだろうか。ユーリスの言葉に、ナマエは若干傷ついた気持ちになった。
そんな彼女の内心に気づく様子もなく、ユーリスは少し舌足らずに続けた。
「君はさぁ……何でも一人で解決しようとするところ、あるよね。自分で気づいてる? 仲間がいるんだから、少しは信頼したら?」
「あー……」
ようやく、彼の言いたいことが見えてきて、ナマエは言葉に詰まった。まさか酔っ払いに説教されるとは思わなかったが。
「その……心配してくれるのは、嬉しいんだけど」
そう言いかけた、その時。
「それとも、僕らじゃ信用できない?」
ずい、と顔を覗き込まれた。
顔が近い。とろんと潤んだ瞳が、まっすぐこちらを見つめていた。
ほんの一瞬、ナマエは言葉を失い――やがて、小さく笑った。
そっと少年の肩に手を置き、距離を戻すと、ユーリスはびっくりしたように瞬いた。
「そんなことはない。これから気をつけることにするよ。心配、ありがとう」
そう言って立ち上がると、
「……気をつける気、ないだろ」
背後から、拗ねた声が飛んできた。
振り返ると、ユーリスが不満げにまたラム酒のグラスへ口をつけようとしている。
ナマエはその手から、ひょいとグラスを取り上げた。
「あっ」
「呑みすぎだから、これは貰っていく」
「ちょっと! くそ、また子供扱いかよ……」
癇癪じみた声を背に、ナマエはそのまま踵を返した。
聞こえないふりをして、船室へ戻る。
部屋に戻ると、マナミアはすでに寝息を立てていた。
カナンの姿はない。エルザと一緒なのだろう。
特に気に留めることもなく、ラム酒のグラスをキャビネットの上に置き、着替えてベッドに腰を下ろした。
寝入るまでの手持ち無沙汰なこの時間を、どう過ごそうかと考えながら船室の低い天井をぼんやり眺めていると、ふと忘れかけていた日記の存在を思い出し、荷物から取り出す。
灯明魔法を控えめに灯し、最後のページを開いた。大きな戦いに向かう前に書かれたものらしく、その先は白紙のままだ。
(……これも、時間ができたら最初から読み返さないとな)
とはいえ、書き手が“ご主人様”と呼ぶ存在への怨嗟は相当なもので、読むのに覚悟が要りそうだ。
小さく息を吐き、ユーリスから取り上げたラム酒を一口舐める。
まだ眠気は訪れない。
ふと思いついて、ナマエは荷物からインク壷と羽ペンを取り出した。
新しいページを開き、そこにインクを浸した羽ペンをつける。
エルザたちと出会ってから、今日までのことを書き留めておこうと思い立ったのだ。
”――この日記が私の持ち物であるかは分からないが、とりあえず他に書き留めるものもないのでここに記す……、”
翌朝。
空は重く雲に覆われ、晴れ間は見えなかった。しかし南に近づくにつれ、湿潤な気候になっていくせいか、生ぬるい空気が肌を撫でていく。
クォークに呼ばれ、船長室へと向かう途中、ナマエはエルザに呼び止められた。
なんでもあの謎の光の正体が少しだけ分かったらしい。
グルグ族によって略奪されたルリ城の書架の中に、エルザの右手と同じ印が記された本を見つけたのだという。その蔵書によれば、エルザの右手の印は、カナンの先祖にあたる初代アルガナン大魔導師その人が持っていたものと同じ印だというのだ。
さらに、その大魔導師はどうやら”神”から力を授かり、その神は〈異邦のもの〉と呼ばれていたという。
加えて、グルグ族の王もまた、同質の力を持っていた可能性があるらしい。
「異邦のもの、ね。神様にしちゃ、ずいぶん”らしく”ない名前だな」
ナマエの呟きに、そうだね、とエルザは苦笑した。
「それで……、何か思い出せそう?」
「全然」
肩を竦める。
おそらく記憶を取り戻すきっかけになればとエルザが気を利かせてくれたのだろうが、残念ながら特別思い浮かんでくるものはなかった。
船長室へと向かうと、既に全員が揃っていた。
なぜかカナンが同席しているのを見て、ナマエは嫌な予感に眉をひそめる。
エルザとナマエが揃うと、クォークが咳払いを一つして口を開いた。
「全員揃ったな。じゃあ、作戦会議を始める」
まずクォークは、経緯をまとめた。
敵の大将はザングルグという男で、どうやらナマエが見たあの赤髪の巨漢がそうらしい。
次に航海図を指し、前線基地への侵入経路を説明した。
正面突破は避け、やや遠回りになるが、小船で迂回し背後から侵入する作戦だ。事前に捕虜から聞き出した安全な経路らしい。なお、その捕虜の処遇については、まだ決めかねているという。
「この船はあと数時間でグルグの前線基地に着く予定だ。この作戦は、失敗は許されない。皆心してかかれ」
室内に、静かな緊張が走る。
「で、潜入の面子は?」
ナマエが尋ねると、クォークは即座に答えた。
「潜入は俺とエルザ、ユーリス、ナマエ、アルの五人だ」
「――は?」
思わず声が漏れた。
だがクォークは意に介さず、マナミアへ視線を向ける。
「マナミア。俺達に何かあった時は、あとを頼む」
「分かりました。何もないことを祈っていますわ」
マナミアは迷いなく頷いた。
カナンが面子に入っていることについて、誰も疑問を挟まない。
このまま解散、という流れになりかけたところで、「待て待て」とナマエが声を上げた。
「いやちょっと待てクォーク、それ人選おかしくないか? な、何でアルが混ざってるんだ? 彼女は船待機組だろ常識的に考えて」
軽く混乱しながら尋ねると、なぜか渦中の人物であるカナンが反論した。
「大丈夫よナマエ、私も戦えるから!」
「アル、でもな。そうは言っても――」
「お願い、私もみんなの役に立ちたいの!」
真剣な眼差しに、ナマエは言葉を詰まらせ、エルザを見る。
彼は迷いなく頷いた。
「大丈夫、アルは俺が守るよ」
――ダメだこいつ。
「……もう好きにしてよ」
痛む頭を抱え、ため息をつくしかなかった。
「クォーク!」
一旦解散した後、ナマエはクォークを呼び止めた。
「ナマエか。どうした?」
「あんた何考えてる。どうしてカナンなんだ? 彼女に何かあった時のデメリット、ちゃんと考えてんのか?」
矢継ぎ早の問いにも、クォークは驚かない。
彼は一旦足を止め、ふむ、と考え込んだ。ナマエの問いに驚いた様子は見せない。おそらく反対されることは予測していたのだろう。
彼はどうナマエを説得しようかとじっくり考えながら、ゆっくりと口を開いた。
「カナンの婚約者だが――、プライドだけが高い、役立たずの腰抜けでな」
いきなり関係ない話題を振られ、話の先が見えないナマエは眉を顰めた。
「……で?」
「エルザの方が、彼女にとっていいと思わないか? あいつはいい男だ。今は身分差があるが、なに、エルザが騎士になれば問題ない。……そうなれば、あいつはゆくゆくは島の領主だ。大出世だろう?」
「要するに……発破をかけるつもりか」
「そうだ」
即答だった。
「アルガナン伯爵は、それを許してくれるような寛容な男なのか?」
「認めざるを得なくすればいいのさ」
不敵に笑うクォークに、ナマエは思わず口を噤んだ。
一体クォークは何処まで先を見越しているのだろう。この男の中では、既に計画が出来上がっているのかもしれない。
ナマエがじっとクォークを見つめていると、彼はふっと笑った。
「それにも、しかしたら敵の王とやり合うかもしれん。そうなれば、彼女の魔法は切り札になる」
「……ふうん?」
「何だ、その目は」
「いや。ずいぶん打算的だと思ってさ」
「何とでも言え。俺はエルザを騎士にするためならばなんでもやる」
またエルザか。
クォークの中では、エルザが最重要事項らしい。
ナマエは鼻で笑った。
「は……、自分のためじゃなくて、全部エルザのためか。よほどあいつが大事らしい」
一瞬、クォークの目に怒気が宿る。
だがすぐにそれは萎み、疲れたように肩を落とした。
「――ナマエ、それ以上は勘弁してくれ。大事な時を前に、仲間と揉めたくない」
ナマエは男の横顔をじっと見つめ、そして肩を竦めた。
「……分かった。悪かったな」
そう言うと、クォークは逃げるようにその場を離れた。
不穏な空気を抱えたまま、それでも船は順調に風を捉え、進み続けた。
数時間後。
一行は、ついにグルグの前線基地へと辿り着く――。
2025/12/16改稿