Chapter.12,13






 船内がようやく落ち着いた頃には、太陽はすでに頭上へ昇りきっていた。
 解放された元虜囚たちの多くはもともと船乗りだったらしく、舵取りや帆の調整は手慣れたものだ。指揮だけはクォークが執り、航海作業諸々は彼らに任せることにした。


 これでルリ島に帰れる――と安堵したのも束の間、船員達の思惑とは裏腹に、クォークは「グルグの艦隊を追跡する」と言い出した。敵拠点を突き止め、手柄にするつもりだという。
 既に周辺には他のグルグ艦隊の影もなく、今から彼らを追う事は難しい。どうやって追うつもりだ、との疑問に、クォークは船長室に飾られていた航路図を提示した。航路図どおりの航路で行けば、敵拠点までは順当に進んであと二日の距離だ。
 航路図を持ち帰るだけでも手柄になりそうなものだが、クォーク曰く、それだけでは手柄としては不足なようだ。やはり直接敵拠点を密偵し、軍勢の規模を把握できればまずまず、拠点を破壊できればなおのこと上々――そういう腹積もりらしい。
 親分の決定に、船乗り達は異論を挟むべくもない。危険を承知の上で、その提案を飲んだ。
 
 ではカナンは護衛をつけてルリ島へ……とはいかなかった。
 驚いたことに、カナンは自分も敵拠点まで連れて行くよう頼み込み、エルザがそれに同調し、クォークがあっさり許可したのだ。
 マナミアとユーリスはカナンの正体を知らないので特に反対はしなかったが、事情を知るナマエは違った。

「――ちょっと待て、それはやめといた方がいいんじゃないか?」
 ナマエの一言に、カナンの顔に浮かびかけていた笑みが固まった。彼女は困惑した表情でナマエを見て、か細い声で問い返す。
「……どうして?」
 ナマエは、カナンが城に戻りたくない何かがあるのだろうとは薄々察していた。
 が、しかしそれを差し引いてもカナンを危険地帯へ同行させる理由にはならない。これから敵の渦中に突っ込むと言っているのに、どうしてそんなところにリスクを背負いながら行けるというのだ。第一、彼女自身の身の危険がある。
 ナマエはあえて厳しい面持ちで、きっぱりと言った。
「どうもこうもない。第一、保護者が心配してるだろ。あんた、いいところのお嬢様だろうが」
「それは……」
 カナンがうろたえた。言葉が見つからず、俯く。今にも泣き出しそうな顔をしている。
 見かねて、エルザがカナンを背に庇った。
ナマエ、アルは俺が守るから心配ない」
 あまりに短絡的な言い分に、ナマエは深くため息をつく。
 エルザは明らかにカナンに惚れている。だからこそ、連れて行けばどれほどのリスクが生まれるのか、まともに想像できていないのだ。
 ナマエはエルザに指先を突きつけ、鋭く睨みつけた。
「あのな、だったら今すぐ救助船にでも乗り換えて、彼女を家まで送り届けろよ。少し待てばルリの艦隊が追いつくはずだ。この子と一緒にいたいのはわかるけどさ、この船を見ろよ。半壊状態でいつ沈むかわからないぞ」
ナマエ!」
 エルザが鋭い声でナマエの言葉を遮った。ぐ、とオッドアイに睨み返される。
「アルのことは、君に口出しされたくない」
「エルザ……」
 カナンが怯えたようにエルザの名を呼ぶ。
 エルザは完全に頭に血が上っている。これ以上何を言っても無駄なようだ。
「……わかったよ。どうなっても知らないからな」
 嘆息し、踵を返す。
 ふと周りを見渡すと、他の仲間の姿がない。飛び火を恐れてか、既に船内に逃げ込んだ後のようだった。



 
「クォークはエルザに甘すぎる」
 上甲板で船員たちと海図を見ていたクォークを見つけ、開口一番、ナマエは言い放った。
 クォークは、その一言にぐ、と言葉を詰まらせた。気まずそうに咳払いを一つ。
「それは、……反論の余地はないな」
 そう言って、後ろめたいことがあるかのように顔を背ける。ナマエは逃がすまいと、クォークの顔を覗き込む。
「あんたもあんただぞ。お姫様を無事に連れ帰るだけでも十分な功績になるはずなのに、なに焦ってるんだ。わざわざ敵拠点に突っ込もうなんざ、爆弾抱えて火元に飛び込むようなもんだ。ここから先は、失敗なんか許されないんだぞ」
 そこはクォークも理解しているのか、反論はなかった。
「いいのか。下手すりゃ、お姫様をすぐに連れ帰らなかったって事で、お咎めがあるかもしれない」
「それは……」
 言いかけて、クォークは口を閉ざす。何かを思い悩み、しかし振り払うように小さく首を振った。
「だが、これは手柄を立てるチャンスなんだ」
 その声音には揺るぎない意志があった。頑固な性質は、どうやらエルザだけではないらしい。
 ナマエは肩を竦め、天を仰ぐしかなかった。
「あ~……もう。もっとうまく立ち回れないもんかね」





 全員一致とはいかなかったが、ひとまず船は決定どおり敵拠点を目指して航海を再開した。
 だが砲撃による破損が想像以上にひどく、船は浸水が進んで十分な速度も出ないことが判明した。
 このままではナマエの言葉通り、早晩沈みかねない。
 直ちに近くの島に停泊し、修繕作業に入ることにした。
 
 座礁しないよう慎重に舵を切りながら、船は穏やかな入り江へと分け入る。白い砂浜が弧を描いて広がり、波間が輝いている。綺麗なところだった。奥には濃い緑が続き、手つかずの森が息づいている。
 碇を下ろし、島に上陸した。破損箇所を確認すると、どうやら完全な修繕に一日半はかかるらしい。


 その間、手の空いている者たちは無論何もしないわけにはいかない。
 クォークはまず、エルザとマナミアに島の探索を指示した。主な目的は、真水の確保と食料の調達。行き帰りの分を含めると、ある程度の量が必要になる。作業員の人数と併せて、マナミアの分も考慮する必要があった。
 続いて、残る二人にも指示が出た。
「ユーリス、ナマエ、すまないが船の食料庫を確認してきてくれ」
「了解」

 リフトで船の船倉へと降りると、奥では船員が浸水の水出し作業に忙しそうだった。
 食料庫へと向かい、早速荷物をチェックする。
 まず目についたのは大量の干し肉。保存のきく野菜が数樽。さらに積み込まれていた“戦利品”らしい荷の中には、小麦、香辛料、ホールチーズ、ナッツ類などの乾物が山と積まれていた。あとは船乗りのマストアイテム、ラム酒が樽ごと並んでいる。
 生鮮食品にやや欠ける品ぞろえだったが、魚は海からいつでも調達できる。マナミアには悪いが、当分の間は魚と干し肉で我慢してもらうことになるだろう。

 しかし、品物のチェックという単純な作業は、こうも早く飽きがくるものなのか。
「こういうの、マナミアだったら喜んでやってくれそうだけどな」
 棚をチェックしながらぼやくと、樽の中のキャベツの数を数えていたユーリスが、顔を上げずに反応した。
「マナミアにやらせたら、片っ端から胃の中に片付けちゃいそうじゃない?」
「……それは困るな」
 容易に想像がつき、ナマエが苦笑した。

 そのとき、足元を影が走った。
「うわ、ねずみだ」
 米袋をチェックしていたユーリスが、忌々しそうに声を上げた。
 見ると麻袋の一部が破られ、米がこぼれ落ちている。中身もほとんど齧られているようだ。丸々ひと袋。幸いにも被害はそれだけだった。
「どうする?」
「貴重な食料には変わりない。とりあえず取っておいて、いざという時に使おう」
 ユーリスが露骨に嫌そうな顔をした。
「その”いざ”が来ないことを祈るね」
 ひとまず袋を脇へ寄せ、ラム酒のチェックに移る。

 しばらくして、ユーリスがふいに声を落とした。
「……ねえ」
「ん?」
ナマエはどうして、アルが付いてくることにあんなに反対したんだ?」
 ナマエは持っていた瓶を木箱に戻し、彼を振り返った。
「それは……アルと、そして私たちの身の安全のためだ。なにより、アルは傭兵じゃない」
「でも、アルはお嬢様だけど意外と度胸があるし、足手まといにはならないと思う。ナマエは、そこを心配してるんでしょ?」
「……まぁ、それもあるけど」
 だが核心はそこではない。
 カナンが戦力になることは承知しているが、彼女はクォークたちの雇い主の姪だ。そしておそらく伯爵には、カナンがグルグ族によって連れ去られた事がすでに伝わっているはずだ。カナンは確か一ヶ月後に帝国の貴族との婚約を控えている。
 そんな微妙な時期に、数日間といえどもむさ苦しい男たちと過ごしたという事実を作るのは、彼女にとっても得策ではない。
 これが後々、どう影響してくるのかはわからない。エルザはもとより、一緒にいた他の仲間にも害が及ぶかもしれないのだ。
 そう、ナマエ自身、保身を考えなかったわけじゃない。
 
 そんな胸の内までは口にせず、ナマエは肩をすくめた。
 ユーリスは荷物に目を戻しながら言った。
「僕はいいと思うけどな。それにあの二人を離すのは、なんとなく可哀想だし」
「……へえ、意外。ユーリスはそういうのに興味なさそうだけど」
「別にそういう訳じゃないけど。好きな人と離れたくないって思うのは普通のことだろ。一般論だよ」
「一般論ねえ」
 ナマエは苦笑した。
「けど、あの二人は出会ってまだ二日くらいだぞ? 相手のこともほとんど知らないのに、どうしてそんなに……って思うけどな」
「恋愛に時間は関係ないって言うだろ。……まあ、そういうのは僕もよく分からないけどさ」
 今日のユーリスは妙によく喋る。しかも恋愛の話題ときた。ジャッカルの奇行を醒めた目で見ていたあのユーリスが。
 ナマエはくすぐったいような気分になりながら、軽くからかった。
「ユーリスって意外とロマンチストなんだな。もしかして、初恋の人がアルに似てたり?」
「……」
 返事がない。
「――ユーリス?」
 振り返ると、樽に座ったユーリスが、じゃがいもを両手に掴みながら器用に船を漕いでいる。
 ナマエは慌ててユーリスのもとへと駆け寄った。
「ユーリス、大丈夫か?」
「あ、ああ、ごめん」
 声をかけると、彼はハッとしたように目を開けた。だが、その目はとろんと潤んでいる。きっと眠気が襲ってきたのだろう。
「昨日から一睡もしてないしな。無理もない」
「座ったら急に力が抜けて……立てば大丈夫だから」
 ユーリスは眠気を振り払うように頭を振ると、樽の上から立ち上がろうとした。が、ナマエはその腕を押さえた。
「少し休んでていいよ。残りは私がやっておく。魔法は精神力を使うんだろ?」
 ユーリスがむっとした。ナマエの手を押し退け、立ち上がる。
「そういうわけにはいかないだろ」
「無理しなくていいんだ」
「別に無理してない」
 ユーリスはますます機嫌を損ねたように、唇をとがらせた。常よりも若干子供っぽい仕草なのは、眠気のせいなのだろうか。
ナマエこそ休んでなよ。男の僕の方が体力あるんだから」
「は……、」
 挙げ句の果てに、こんなところで女扱いか。
 予想もしてなかったことだけに、ナマエはたじろいだ。
「ねえ、それよりそろそろお昼時だろ? 残りはこの樽だけだし、こっちはやっておくから、昼飯作ってよ。僕、肉食べたい」
「……そっちの方が大変そうだな。肉……は、干し肉しかないし……」
 ユーリスの要求に、思わずうっと頭を抱える。
 作業員とマナミア分併せて、何人分作らなきゃいけないのだろう。

 しかし腹が減っては戦はできぬ。食事の用意は、誰かがやらなきゃいけないことだ。
 ユーリスの要望通り、ナマエは大量の食料を抱えて調理場へと向かった。
 船員から何人か応援を呼び、干し肉と野菜を使って具沢山のスープを作り、米を炒めてチーズリゾット風にする。魚介を使えないのは残念だが、今から捕りに行っては間に合わない。
 途中、カナンが手伝いに入ってきたが、あまりにも危なっかしい包丁さばきだったため、早々に戦力外通告する羽目になった。
 幸いにもナマエ自身は料理には手慣れているのか、作業をこなす手つきは早い。手早く仕込み終えると、あとは具材が煮上がるのを待つだけとなった。
 食事が完成する頃には、島の奥に向かったエルザたちが、水と食料を抱えて戻ってくるだろう。

 ――島の奥を探検に行きたい。
 戻ってきたマナミアが、食事に目もくれずにそう真剣な表情で告げに来るのは、もう間もなくのことだった。


2025/12/6改稿