Chapter.10,11





 中庭を突っ切って一気に東門まで走り抜けると、階段を駆け上がってくるセイレンとジャッカルの姿が見えた。
「よお、ナマエ! 無事だったか」
 セイレンへの挨拶もそこそこに、ナマエは勢いこんで尋ねた。
「セイレン、ジャッカル! アル見なかったか?」
「アル? って、あのアルだよな? いや、見てねぇな」
 セイレンが首を傾げた。どうやら思い当たる節はないらしい。
「エルザとクォークなら、囚われのお姫様を助けに東門から入り江に向かったぜ?」
 ジャッカルの言葉に、ナマエは怪訝な顔をした。
「お姫様? アルガナンのか……? 変だな」
 確かにアルだと思ったのだが、違ったのだろうか。一瞬考え込んだが、しかしすぐに頭を振った。
「……まあいいや、私も追うから、あとは頼んだ!」
 ぐずぐずしている暇はない。
 二人に別れを告げて、東門へ一気に走り出す。
「気をつけろよー!」
 背後からセイレンの呑気な声が追いかけてきた。




 東門を抜け、入り江に続く街道をひた走った。
 道すがら、数多くの獣人とルリの兵士が死屍累々と転がっていた。道半ばに大きな騎獣が倒れており、その体には深い斬撃が刻まれていた。エルザたちの仕業だろう。
 街道から見下ろせる海には、襲撃者達のものと思しき軍船が数隻、南へと逃げるように滑り出していく。なるほど空と海から同時襲撃とは、よほど入念な準備をしたものだ。入り江に不審船が近づいてきたことすら気づけなかった城の警備の杜撰さに、ナマエは舌打ちしたくなった。

 さらに先へと突き進むと、岬が見えてきた。数人が揉み合っている。エルザたちだろうか。
 クォークが数人の獣人を相手にし、エルザは大柄な赤髪の男と激しく刃を交えていた。突端には、長身の獣人が二人。その足元にくず折れるようにして座り込んでいるのは、やはり――。
「アル!」
 叫んだ瞬間、轟音。大地が揺れた。
 直後、襲撃者たちは影のように姿を消した。まるで瞬間移動でもしたかのような消え様だ。
 ナマエは一瞬呆気に取られたが、すぐさま我に返りエルザへ駆け寄った。
 鳩尾を打たれたらしいエルザは腹を押さえ、目を丸くする。
ナマエ!? どうしてここに……」
「それはこっちの台詞だ。お姫様を追いかけてたんじゃなかったのか? カナン様だっけ?」
 エルザに治癒の魔法を施していたアルの肩がびくりと揺れる。エルザは咄嗟に誤魔化しきれず、言葉に詰まった。
「あ、それは、その……」
 ナマエがちらとアルを見る。少女の横顔は何よりも雄弁だった。
 同時に、先ほどトリスタが言いかけていたことはこれだったのかと気づく。
「……そういうこと。昨日はお忍びだったってことね」
 振り返ったアルの目が大きく見開かれる。どうしてわかったの? とでも言いたげだ。
 なんて素直な少女なのだろう。それでは正解ですといっているようなものではないか。
 ナマエが内心可笑しく思ったとき、再び轟音が。今度は立っていられない程の振動が襲った。
「うわっ――」
 城の方を振り返ると、尖塔から突き出た巨大な砲台が、容赦なく砲撃を連射していた。

 ひとつが岬の柱に直撃し、爆発音と砕けた破片が雨のように降り注ぐ。
 洒落にならない。ここも完全に射程内だ。このままでは足場ごと消し飛ぶ。
「くっ、まずい! このままじゃ崩れる!」
「俺達がここにいることを、城の連中は気づいていないんだ」
 目元を押さえたクォークが、忌々しげに唸る。
「味方に殺されるなんて笑えない冗談だな」
 悠長にしている時間はない。
 来た道は崖崩れを起こしており戻ることは不可能だ。下を見ると、海は荒れている。飛び込むという手もあるが、荒波に呑まれて死ぬのがオチだ。
「下に船があるな」
 崖下を見ると、帆を広げた軍船が一隻。まもなく出航するようだ。
「よし、あの船に飛び乗るぞ」
 クォークの決断に頷いて、ナマエは船までの道のりをすばやくチェックする。入り江まで続いていた橋は壊されている。結構な高さを飛び降りなければならないようだ。
「結構高いな。大丈夫?」
 アルの方を振り返ると、彼女は殊勝に笑って見せた。
「私なら大丈夫。他に方法はないわ!」
「よし、行くぞ!」
 クォークの合図と共に、飛び出した。




 崖を飛び降りて入り江にすばやく移動し、今にも出航せんとする船に舫伝いに飛び乗った。
 まず船首に乗り込み身を潜めると、幸いにも敵に見つかった様子はなかった。
 まだ轟音が響いている。この船にだけは砲撃が当たらないでほしいとナマエは内心祈った。せっかく乗ったこの船が、あわや沈没などとなったら目も当てられない。
 船内は砲撃の対応に追われているのか、慌しい。好機と見て、エルザが船体の縁を伝ってキャビンに向かって侵入を試みに行った。

 そうこうしている間にも、どんどんルリ島が遠ざかっていく。
 アルは疲れ切ったように、木箱に背を預けて膝を抱えている。
 クォークは先ほどの砲撃で目をやられたらしく、目元を押さえていた。大事になると不味いと判断し、ナマエは彼の顔を覗き込んだ。
「目、見せてみろ」
「あ、ああ」
 クォークが遠慮がちに顔を上げる。ナマエは迷いなく顎を掴み、ぐいと上向かせた。目が合うと、彼は気まずそうに目線を逸らす。
 瞼に裂傷。だが、眼球には異常はないようだ。
「瞼を少し切ってるな」
 治癒術はあまり得意ではないが、このくらいの怪我ならばナマエの手に負える。治癒魔法を唱えるとすぐに出血は収まった。
「よし、血は止まった。見え方に異常は?」
「ない。……悪いな」
「いいや」
 淡々と頷いて、ナマエは隣の少女へ視線を移した。
「大丈夫? お姫様」
 その呼び声に、アルは青白い顔を上げて不機嫌そうに眉をひそめた。
「その呼び方はやめて。なんだか馬鹿にされてる気分だわ」
 どうやらお気に召さなかったらしい。ナマエは肩を竦める。
「じゃあ……アルとカナン、どっちがいい?」
 カナンでいいわ、と少女が一転微笑む。
「ところであなた、エルザの仲間じゃなかったんじゃないの?」
「ああ。実は今朝仲間になったばかりだ。私はナマエ、よろしく」
「そう。じゃあ改めてよろしくね」
 そう言うと、アル改めカナンが立ち上がった。先ほどよりは僅かだが、顔色は良くなっている。

「で、今回の襲撃者の正体は、一体なんなんだ?」
「グルグ族だ」
 クォークが短く答える。
「グルグ族?」
 聞き慣れない名に眉をひそめたナマエへ、カナンが後ろめたい表情を浮かべながら口を開いた。
「何百年も前、帝国により迫害され、追放された民のことよ」
 なるほどそういうことか。ならば追放した国の人間に対する恨みも相当なものだろう。
「じゃあ、こういう襲撃は今まで何度も?」
「いいえ。ここ何十年はグルグ族の襲撃なんて全くなかったの。それなのに、突然どうして……」

 その時、船首の扉の向こうから声が聞こえた。
「クォーク、ここは抑えたよ」
 どうやらエルザが無事に中を抑えたらしい、扉を開けるとそこにエルザと、グルグ族に捕虜されていたと思われる男が座り込んでいた。怪我をしているらしい。
 カナンが慌てて治癒の術を施す。どうやら他にも捕虜が捕まっているらしい。その男の目撃情報によると、傭兵らしき人物も中に混ざっていたという。
「まさか、ユーリスとマナミアか」
 城で見かけなかった残り二人の仲間を思い出す。ならば急いで確認しないと。
 クォークとエルザは頷いて、船の乗っ取り作戦を開始した。



 デッキに出ると、外の見張りは熱心に外海だけを警戒していて、こちらに背を向けていた。
 そっと後ろから近寄って、一気に首を絞めた。手応えは軽い。短い呻きとともに見張りが崩れ落ちる。
 別の扉をそっと押し開け、船内へと続く梯子を下りる。
 無用心なことに、そこには一人の敵影すらなかった。
「大丈夫、誰もいない」
 振り返って囁くと、カナンがぱっと駆け出していく。なんてお転婆姫だ。ナマエは呆れつつ身を低くした。
「カナン! 待つんだ!」
 エルザが慌てて小声で彼女を呼び、追いかける。その一瞬後だった。
「うわっ!」
 ドン、と派手な音がしたと思ったら、船体に横穴がぽっかりと空いていた。カナンとエルザは辛うじて踏みとどまっていたが、当然、敵に位置を悟られてしまったようだ。
 ナマエは即座に剣から弓へと武器を切り替え、加勢に加わった。
 
 その場にいた獣人たちを倒し終え、穴の縁へ身を寄せ、外をのぞく。
 遥か彼方──後方から、数隻の艦隊が怒涛のように砲火を上げて迫っていた。
 ルリの砲撃が止んだと思えば、今度はこっちか。
「うわ、派手にやってるな……」
「アルガナン家の艦隊が追撃してきたようだな」
 また別の船が砲撃を受け、マストを派手に折られていた。もはや航行不能だろう。
「早いとこ船が沈む前になんとかしないと」
 幸い向こうの艦隊は図体がでかい分だけ、速度は出てない。こちらが機動力で振り切れる可能性はある。
 だが悠長にはしていられない。

「カナン……勝手に先走っちゃダメだ。敵はどこにいるか分からないんだから」
「ご、ごめんなさい」
 無茶をするカナンにエルザがお小言をもらすが、少女の顔にはあまり反省の色は見られない。どことなく生き生きとしている様子のカナンに、エルザは結局あまり強く出られないようだ。
 仕方なく、あまり無理をしないようにと一言告げて先へと進む。
 どうやらこの階にはすべて砲台が設置されているらしい。砲台を操る者を手早く片付けると、先ほどから続いていた轟音は幾分ましになった。
 奥へと進み、リフトを開く。そこは船倉へと続く縦穴になっており、梯子が伸びている。
 クォークがしんがりとなり、エルザが先頭で降りていく。カナンが続いた。
「さあ、お前もだ。ナマエ
「うん」
 下の様子を見ていたナマエはクォークに促され、梯子に足を掛けた。
 数段降りた、その時。
「うわっ!」
 爆音とともに、船体が大きく揺れた。
 船体が大きく軋み、梯子そのものが砕け落ちた。
 身体が宙に投げ出される。
「――っく!」
 反射で手を伸ばし、鉄枠の出っ張りを掴む。掌に焼けるような痛み。だが落下は止まった。
 上を見上げれば、砕けた梯子が雨のように降ってくる。腕で頭を庇った時、遥か頭上からクォークの声が聞こえた。
ナマエ!」
 顔を上げると、彼が覗き込んでいる。
「クォーク、無事か!?」
「ああ、なんとかな! 俺は別のルートを探してみるから、お前はとりあえずエルザ達が無事か確かめてくれ!」
「了解!」
 梯子が壊れてしまっては元も子もない。ナマエは頷いて、安全に降りる道を探した。


 縄や柱などを伝って何とか船倉までたどり着く。
 どうやらエルザとカナンは無事だったらしく、下から二人の会話が少しずつ聞こえてきた。
『それ……あげるよ』
『でも、大切な形見だって』
『持っててほしいんだ、カナンに』
『いつか、あの流星雨を一緒にまた、見に行く日まで』

「……」
 なにやら、出て行きにくい雰囲気だ。こんな非常時になに青春してるんだ……と呆れながらも、律儀に息を潜めて彼らの会話が終わるのを待つ。
 ――まあ、こんな時だからこそ、なのかもしれないが。
 ……しかし正直、縄を掴む手がそろそろ辛い。
 やがて、ガタン、と扉の開く音が聞こえた。どうやら会話は終わったらしい。
 これ幸いと、ナマエは手を離した。

「ちょい待ち」
「うわ!」
 先へと進もうとするエルザの背後にナマエが落ちてきて、彼は盛大に飛び上がった。
ナマエ! びっくりさせないでくれよな」
 ごめん、と白々しく謝ったナマエに、エルザは一瞬考え込む。一拍、間があって。
「なあナマエ。もしかして、今の会話、全部……」
 隣でカナンが、ぱっと顔を赤くして俯く。
 そんな反応をされると、いたたまれない。ナマエは頭を掻き、潔く罪を認めた。
「あー……ごめん。なんか出て行きにくくって」
 エルザは言葉を失い、静かに悶絶した。

「く、クォークは?」
 気を取り直したエルザの問いに、ナマエは肩を竦める。
「梯子壊れたから別ルート探すってさ」



 先へ進む。
 倉庫らしき区画を抜けると、奥は牢屋になっていた。鉄格子の前に、看守が一人、ぼんやりと突っ立っている。
「誰か捕まっている」
 灯りの届く範囲に、銀髪の少年の姿。
「ユーリスだ」
 無事を確かめ、ナマエは安堵した。
 エルザが隙を突いて看守を一撃で沈めると、ユーリスがこちらに気づいて目を見開く。
「ユーリス、無事か? 今、鍵を開けてやるから……」
「エルザ、ナマエ! と、……アル?」
 看守から奪った鍵束を使い、エルザが錠前に次々と差し込む。だが合うものがなかなかない。
「お願いだから、早く開けてよ」
「う、うう……も、もうちょっと待って……」
 痺れを切らしたユーリスが苛立ったように言う。エルザはどうやら手先が不器用らしい。見ていられず、ナマエが手を差し出した。
「貸してみろ、エルザ」
「あ、うん」
 鍵束を受け取り、錠の形を一瞥。一本の鍵を迷わず選び、差し込む。
 金属音は軽く、扉はすぐに開いた。
「遅かったじゃないか……。でも、ありがとう、助けに来てくれて」
 ようやく開放されたユーリスは、安堵の表情を滲ませながら礼を口にした。
「怪我はないか」
「大丈夫」
 拘束具を外してやると、手首に赤い擦れが残っていた。
「赤くなってる……。治癒魔法、かけておくか?」
 少し心配になって尋ねると、ユーリスはむっとした顔で手を振り払う。
「だから大丈夫だって」
 言い捨てて、足取り荒くエルザのもとへ向かってしまう。
 ナマエは内心で苦虫を噛み潰しながら、行き場を失った手を下ろした。……昨日やらかしたばかりなのに、またやってしまった。どうにも彼のことは構いすぎてしまう。

 周辺を探っていたカナンが不意に声を上げた。
「ねえ、この箱、武器がたくさん仕舞ってあるわ。使えるものがないかしら?」
「本当だ。捕虜から押収したものかな。……あ、これユーリスの武器じゃないか?」
 一緒に覗き込んだエルザが、見覚えのある武器を拾い上げてユーリスへ差し出す。
「ありがとう。ところで、なんでアルもここにいるの?」
 ユーリスが腰に短剣を紐で結わえながら、素朴な疑問を口にする。エルザが、分かりやすく動揺した。
「ルっ、ルリ城からこの船に逃げ込む時に、たまたまね」
「ふぅん……。まあ無事でなにより」
 明らかに納得はしていない様子だったが、どうやらエルザの下手糞な嘘に騙されてくれることにしたらしい。


 ユーリスによると、マナミアは別の牢屋に連れて行かれたらしい。
 さらに奥へ進んで地下へと行くと、海水が大分高いところまで入り込んでいた。砲撃で浸水が始まっているのだろう。
 
 奥の牢屋に、人影。
「マナミア!」
 エルザが救出に向かうと、優雅に泳いでいた彼女はきょとんとして振り返った。
「あら、エルザさん。どうしたんです、こんなところに?」
「いや、助けに来たんですけど……」
 思わずエルザが脱力する。このような事態になってもまったく動じてないあたり、大物だ。
「くそ、鍵が!」
 しかし牢屋の鍵がご丁寧にも閉まったままだ。このままだと彼女は溺死してしまう。
 先ほど看守が持っていた鍵で開かないかと思い、ナマエは冷たい水を掻きながらエルザの元までたどり着いた。
「エルザ、手伝うよ」
「ああ!」
 深呼吸をし、暗い水中へと潜る。灯明魔法で照らしながら鍵穴を探し当て、なんとか解錠に成功した。
「開いた!」
「よし!」
 エルザが牢屋の柵に足を掛け、扉を手前に引っ張る。が、水流のせいか、扉がいやに重たい。ナマエも手伝って、ようやく開いた。
「お待たせ。さあ、行こう!」


 無事に水から上がると、マナミアは服の水を絞りながらのんびりとした口調で告げた。
「そうそう、私たち、捕まってたんですよね。ユーリスさんもご無事で」
「あ、ああ……なんか緊張感そがれるな。ほかの皆は?」
「クォークも一緒だったんだけど、途中ではぐれてしまったんだ」

 ふと、マナミアがカナンに気づいて首をかしげた。
「あら? あなたは昨日の……アルさん?」
「え、ええ」
「そ、そう、そうなんだ」
 またしてもぎこちないエルザの反応。どうやら嘘が苦手らしい。
 見かねたユーリスが助け舟を出した。
「早くクォークと合流したほうがいいよ。いくら彼が強くても、一人じゃ勝ち目ないし」
「そうですわ。私、すっかりお腹が空いてしまいましたもの」
「まあ、朝食取ってから何も食べてないしな」
 マナミアの服を乾かすのを手伝っていたナマエが苦笑すると、彼女ははっとして手を打った。
「あらいやだ、そうでしたわ。私としたことが昼食を食べ損ねるなんて」
 彼女の表情が急に険しくなる。食べ物の恨みはなんとやら、だ。

「しかし二人とも同じ船に捕まっていて良かったな。バラバラだったらこうはいかなかった」
 そうだな、とエルザがナマエの言葉に同意する。だがユーリスは眉をひそめていた。
「なに、助けに来てくれたんじゃなくって、偶々だったの?」
「あ、いや、その」
「まあ、結果オーライってやつかな」
 ナマエが言うと、ふぅん、とユーリスが目を細めた。




 施錠されていた扉をマナミアが拾っていた鍵であけると、湿ったかび臭い空気が押し返すように吹き出した。内部は倉庫めいた造りだが、奥は妙に静かで広い。
 耳障りな“ごそり”という音が天井から落ちてきたのは、その瞬間だった。
 大型の蜘蛛が数匹、影のように降りてくる。
「げ……っ」
 かさかさとすばやく動き回るそれを目にした瞬間、ナマエは嫌悪感から肌がぞわりと粟立つのを感じた。一目見た瞬間悟った。あの手の節足動物だけはどうにも生理的に受け付けない。
 そもそも、こいつらは果たして倉庫に巣くう害虫なのか、それとも対侵入者用のペットなのか。
 他の仲間が必死に戦っている中、ナマエは静かに後退し、なるべく蜘蛛に近づかないでもいいように魔法で遠距離攻撃に徹した。
 が、甲羅が堅いらしく、あまり攻撃が通ってない。しかも毒を飛ばしてくるらしく、なかなか厄介だ。
 とその時。
「待たせたな」
「クォーク!」
 その豪快な声とともに、クォークが高所から乱入し、落下の勢いを助力に剣で一体を叩き潰す。
 彼の参戦で戦線がまとまり、蜘蛛の排除にようやく決着がついた。



 短い休息ののち、今後の作戦を立てた。
 作戦はシンプルだ。漕ぎ手を押さえて、グルグ族を混乱させる。その隙に船長室を奪うというものだ。
「さっさと乗っ取りましょう。どこかに食料を貯め込んでいるはずですわ」
 作戦に一番乗り気なのはマナミアだ。
 と思ったら、当の本人の関心事は食料のようだ。その場にいた彼女以外が苦笑を浮かべるも、マナミアは至ってマイペースだ。

 梯子を伝い上層へ向かう途中、一人の捕虜を見つけ解放した。
 パドルデッキへと侵入すると、見張りが数人巡回している。両サイドには、檻の中に複数人の捕虜が囚われ、漕ぎ手としてこき使われているようだ。
「慎重にやれ、エルザ。まずは手前の見張りからだ」
「ああ」
 エルザが素早く背後へ回り込み、一人を黙らせた。まだ気づかれてはいない。
 ナマエは身を伏せ、息を殺しながら敵の頭へ狙いを定める。
「よし、行くぞ!」
 放った矢が敵の眉間を射抜き、倒れるのと同時にエルザとクォークが飛び出す。マナミアとユーリス、カナンも詠唱に入る。
 白光が弾け、戦端が開かれた。


 手早く見張りを片付け漕ぎ手を開放し終えると、囚われていた人々は歓声をあげた。
「ありがとうございます!」
「やったぞ、自由だ!」
 そう叫んだ瞬間、前方のリフトが重々しい音を立てて開いた。どうやら騒ぎを駆けつけて、応援が来てしまったらしい。
 ナマエは反射的に仲間の位置を確認し、視線をリフトへ向ける。
 現れたのは先ほどより明らかに練度の高い者たちで、その背後にも複数の影が見えた。
「喜ぶのはまだ早いようだな。気を引き締めろ、来るぞ!」
「任せてくれ!」
 エルザが頷き、クォークが前線へ突撃する。元捕虜の中からも腕の立つ数名が加勢した。

 ナマエはすぐに敵の陣形を読み取り、後方に回り込む。
 両側に布陣するアーチャー部隊が詠唱中の味方を狙っているのを視認した。右側に三体、左側に二体。
 彼らの詠唱の邪魔をさせるわけにはいかない。
 走りながら矢を放ち、一人、二人と次々射抜いていく。飛んでくる敵の矢も即座に狙って撃ち落とす。
 残る一体が弓を番えた瞬間、ナマエは迷いなくその射線に身体を滑り込ませた。
 もう矢を引く余裕はない。手に炎を瞬時に呼び出し、前へと突き出す。
「させるか!」
 放たれた矢が腕を掠める。
 痛みは後回しだ。敵の顔を掴み、至近距離で炎を浴びせる。
 焼け付く悲鳴が弾け、敵は崩れ落ちた。
 短剣を抜いて止めを刺すと、立ち上がる瞬間片足がもつれた。先ほど矢が掠った方の半身の動きが鈍くなっている。どうやら毒が仕込まれていたらしい。
「……っ、麻痺毒か……!」
 やられた。
 歯噛みした時、別の敵が背後から飛びかかってきた。咄嗟のことで、反応できない。

「――食らいやがれっ!」
 ゴウ、と音を立てて飛んできた火炎が、横から敵を吹き飛ばす。
ナマエ!」
 血相を抱えて駆け寄ってくる少年に視線を向ける。
「ユーリス、助かったよ」
 礼を言うと、少年は肩で息をつきながらも、倒れかけるナマエへ手を差し伸べた。
「ちょっと君さ……。自分の身も守れないなら、他人を庇おうなんてするなよ。自分の方が死にかけてるじゃないか」
 耳が痛いほどの正論だ。
「ごめん」
 気恥ずかしくなりながらその手を取ったが、立ち上がった瞬間、足裏から力が抜けた。毒の残滓がまだ巡っている。
「――っ」
 視界が傾き、そのままユーリスの胸へ倒れ込む。
「わっ……!」
 支えた少年が短く呻く。だが腕は確かで、ナマエの体重をしっかり受け止めていた。
 情けないほどの体たらくに、ナマエは慌てて謝った。
「ご、ごめんユーリス……ユーリス?」
 すぐに「早く離れてよ」と冷たい声色で突き放されると思ったが、固まったように微動だにしない。見上げると、少年は別の意味で息が止まった顔をしていた。
 瞳が泳ぎ、口元は反対に何かを耐えるように真一文字に結ばれている。
 その様子を見て、内心焦りが浮かんだ。
「ど、どうしたんだ!? まさかユーリスも毒を……?」
「ち、ちが……っ、いや……その……!」
 否定の形を取ってはいるが、声音は妙に裏返り、言葉が続かない。
 毒ではない。彼の反応を見て、そう確信する。
 ――なら、くっつかれているのが嫌なだけか。
 ナマエは片眉を上げつつ、どうにか自力で体を起こした。ようやく距離が取れると、ユーリスは膝をつきそうな勢いで安堵の息をつく。
 なるほど性根は優しい少年だから、振り払うことは我慢していたわけか。
 苦笑しながら前を見ると、戦闘はすでに終わっていた。仲間がこちらの様子を窺っている。

「ごめん、待たせた」
「大丈夫か?」
 仲間の元に合流すると、エルザがナマエの腕を心配そうに覗き込む。毒が抜ければただの擦り傷だ。ナマエが軽く手を振って見せると、エルザは安堵の息をついた。

 クォークが満足げに頷く。
「よし、漕ぎ手を押さえればこっちのものだ」
「ああ、あとはこの船の頭を抑えるだけだな」
「……そう簡単にいくものなの?」
 ユーリスが疑わしげな調子で言うと、クォークがにやりと笑う。
「こっちから打って出る。このリフトで甲板に上がり、一気に船長室を落とす」
「よし、行こう!」


 
 リフトで一気に甲板まで上がると、見張りに立っていたオーガを倒した。外はもう暗く、いつの間にか日が沈んでいたようだ。追撃していたルリの艦隊の姿もまったく見えない。
 船室の奥へ進むと、階段を上った奥に一層立派な扉があった。
「あそこが船長室か」
「あとはここだけか……」

 エルザの躊躇のない蹴りで扉を開けると、奥に立派な空間が広がっていた。今までの船室と比べて、室内の様相は華美だ。
 一番奥の椅子に、一人のグルグ族の男が王者よろしくふんぞり返っていた。キャプテンハット、眼帯、杖。いかにも海賊らしい風体だ。
「外が騒がしいと思っていたが、君たちだったのか」
 持って回ったような独特の言い回しが鼻につく。
 クォークが単刀直入に訊ねた。
「お前がこの船の頭だな」
 ふっ、と男が鼻で笑った。
「いかにも、私がキャプテンだ」
 立ち上がり、杖をいじりながらゆっくり歩き出す。
 追い詰められた敵将にしては、ずいぶんと余裕な態度だ。何か秘策でもあるのか。
 クォークが警戒しながら、剣を突きつける。
「残っているのはお前だけだ。降伏すれば、命はとらん」
「ふふ、勇ましいな」
 その瞬間——。
 鈍い衝撃音。船長室の側面の壁が、外から拳で破り割られたかのように爆ぜた。
「なんだ!?」
 砕け散る木片の向こうから、異様に巨大な亀に似たモンスターが姿を現した。甲羅は岩のように盛り上がり、目は鋭くぎらついている。
 なるほど男の余裕は、こいつが理由か。
「こいつ……、ムルー……!?」
 エルザがゲッとした表情になる。どうやらムルーという名の厄介なモンスターらしい。
「だが、残念だ。君たちとは、ここでお別れなのだから」
 ふふふ、と男がほくそ笑んだ瞬間、ムルーが前脚を横薙ぎに振るった。
「あ」
「ぐふぁっ!?」
 男はモンスターの前脚に弾かれ、情けない悲鳴とともに勢い良く横穴から外海へ吹き飛ばされていった。
 衝撃的な光景にナマエは開いた口が塞がらない。
「……え? な、なんだ? 私は今一体何を見たんだ……?」
「フッ、笑わせてくれる」
 クォークが笑う。
「いったい何がしたかったのでしょう、あの方は……」
「……笑っちゃったら、ちょっと可哀想よね」
 カナンが星になった船長を哀れんだ。
「まあ、船長はとりあえず何とかなったから、あとはこいつを倒せば乗っ取り作戦は成功かな?」
「あれは自滅したっていうんだけどね」
 ユーリスが素気なく言う。
 各々好き勝手言っていると、ムルーが動きを見せた。エルザが身構え、叫んだ。
「来るぞ!」



 モンスターは見た目に反して驚異的な俊敏さだった。甲羅の隙間から鋭い針の弾幕を放ち、巨体を揺すりながら狭い船長室を暴れまわる。
 床板がきしみ、壁が崩れ、天井の梁が震える。剣も魔法も、狙った瞬間にはもう当たらない位置へ回避される。
「くそっ、当たらん……!」
「針、来るよ!」
 ナマエが警告するより早く、クォークが針を肩に受け、唸った。
「ユーリス! こいつお前のお仲間だろ。何とかしろ!」
「はぁっ!? なに訳わかんないこと言ってるのさ!」
 ユーリスが真っ赤になる。その反応に、エルザが「ああ……」と妙に納得したように笑った。意味がわからず、ナマエは一瞬だけユーリスに視線を投げかけた。
「……仲間なのか?」
「違うってば!!」
 少年が真っ赤になって否定する。すると回復魔法を唱えていたマナミアが深く頷き、
「そうですわ。私、こんな大きいユーリスさん、嫌ですわ」
「ま、マナミア……」
 ユーリスが固まった瞬間、ムルーが空気を読んだかのように暴れ、巨大な影が覆う。
「ユーリス、伏せろ!」
 ナマエの声より早く針が飛び、ユーリスが吹っ飛ぶ。
 あちゃ~、とエルザが頭を押さえた。
「あらあら、大変」
 ユーリスに止めを刺したはずの張本人は、のほほんとした様子でまた回復魔法を唱え始めた。

 狭い船室ゆえ、エルザの例の力――ギャザリングには途中何度か捕まったものの、魔法装身具で体力が底上げされているおかげか、思ったよりも体は動く。
 ……とはいえ動作が鈍くなるのは相変わらずだ。
 ムルーの動きは粗暴だが、癖が分かれば対応できる。問題は、ギャザリングで動きを制限されることだ。無茶をすれば一撃で沈む。だからこそ、動ける範囲で最も効率的に斬り込める瞬間だけを見極める。

 やがて――。
 ムルーの動きが不意に緩む。回転しすぎて目が回ったようだ。
「……今だ!」
 床を蹴り、滑り込むように接近。前脚の関節後部へ斬撃を叩き込み、ふらつくムルーの顎を蹴り上げると、とうとうムルーが床にひっくり返った。エルザがすかさず跳び乗る。振り落とされる前に、柔らかな腹部へ何度も剣を突き立てた。
 だが、致命傷には一歩足りない。

 正気に戻ったムルーが再び身を揺すり、エルザが飛び退いた。
「エルザ! 私の魔法を皆に!」
「了解!」
 カナンの声にエルザが頷いて、風魔法でシールドを全員へ展開する。針の雨が弾かれ、光が弾けた。

 攻防の果て、エルザが大上段に剣を構える。
「――これで、とどめっ!」
 渾身の一撃が、モンスターの首元へ斜めに刻まれた。
 巨体が大きく痙攣し、暴れまわった後――。
「……終わったか」
 ……ようやく、静かになった。


 かくして無事に船を制圧し、甲板に戻ると、待ちわびていた捕虜達が歓声で迎えた。
 残っていた数人のグルグ族を捕らえて一箇所に閉じ込め、マナミア待望の食料が配給される頃には、東の空がかすかに明るみ始めていた。




2025/12/5改稿