Chapter.09







 ――風が、変わった。
 
 披露宴会場の別棟へと通じる門を警護していたナマエは、ふと鼻先に違和感を覚え、スン、と鼻を鳴らした。
 焦げた匂い……いや、というより火薬を含んだ匂いがする。また花火とやらを上げるつもりなのかと思ったが、昼間にあげても意味あるものなのかは甚だ疑問だ。
 舞踏会が始まってから、たいして時間は経っていない。
 なのに、先ほどまでとは明らかに空気が違う。どこか、肌が粟立つような――尋常じゃない空気。
 しかし、一緒に警護している騎士は何も気づかないのか、欠伸をかみ殺している。もしかしてナマエの勘違いなのだろうか。
 耳をすませた瞬間、遠くで悲鳴のような音がのぼった。気がつかない程度に、地面がわずかに揺れる。


 ――その時。
 ゴオ、と巨大な影が頭上を通り抜けた。
「なんだ……!?」
 反射的に構えて顔を上げると、空に巨大なドラゴンのようなものが飛来している。ドラゴンにしては不格好で、図体がでかいが。
「あ、あれは……あれはまさか……!」
 隣の騎士が蒼白になっている。何か心当たりがあるようだが、一体なんだというのだ。
「あんた、知ってるのかあれ」
「そんな馬鹿な……なぜ今日なんだ……」
 ナマエの問いなど耳に入っていないように、騎士は動揺してぶつぶつと呟いている。
(役に立たないな!)
 心の中で毒づきつつ、ナマエは剣を抜き体勢だけは整えておく。
 ――不恰好なドラゴンが旋回し、再び城の方角へ低空で接近してくる。
「くそ……! やはりグルグ族の襲撃か! 冗談じゃない!」
「あ、おい!」
 騎士が悲鳴じみた声をあげ、あろうことか踵を返して脱兎の如く逃げ出した。
 ナマエは呆気にとられ、次いで盛大に舌打ちした。
(逃げた……!? いや、いや、知らせに行ったと思おう……!)
 
 そう自分に言い聞かせていると、不恰好なドラゴンの腹部から何かが落ちてきて、目の前にズドンと着地した。
 なんてダイナミックな登場の仕方か。
 闖入者がゆっくりと立ち上がる。ナマエはその顔をしっかりと見た。
 顔つきが、どこか獣じみている。長い手足に、がっしりとした体付き。獣人のように見える。
 どうやら、今度こそ亜人種のようだ。
「……一応聞くが、あんたは今日の披露宴の招待客か?」
 剣を構えたまま問うと、威嚇するような声が返ってくる。
「退け、人間!」
 どうやら確実に招待客ではないらしい。
 ナマエは剣を握りなおし、唇の端を吊り上げた。
「悪いが、招待されてないヤツは通せないんだ」
「ならば押し通るまで!」
 獣人が吼え、地を蹴った瞬間――ナマエの炎が炸裂した。




 第一の襲撃者はあっさりと倒したものの、空から第二、第三の影が次々と降ってくる。
 つい先ほどまで優雅な音楽が流れていたのに、今は城のいたるところから悲鳴と怒号があがっている。襲撃者の正体は依然不明だが、どうやら彼らはかなりの数で攻めてきているらしい。
 あちこちで爆音が響き、建物が崩れる音までしてきた。
「一体どうなってんだよ……聞いてないぞこんなの!」
 誰か説明してほしい。敵の正体が分からないままなのは、正直不気味だ。

 そこへ、背後の門がガタンと開き、パニックになった招待客が雪崩のように飛び出してきた。
 その中になぜか、さっき逃げた騎士の姿もある。
「うわっ!」
「助けて! グルグ族が!」
「殺される!」
 混乱した招待客の男が、逃げ場を求めて中庭へ向かって走り出す。
「ちょっと待て! そっちはダメだ危ない!」
 ナマエが慌てて引きとめようとしたが、遅かった。
「ひい!」
 空から新手が降ってきて、男は腰を抜かし尻もちをつく。襲撃者が剣を抜き、振り上げ――。
「させるか!」
 間一髪、ナマエが滑り込んだ。鍔迫り合いになる。刃同士がぶつかって火花を散らした。

「あとは頼んだぞ傭兵!」
 そのわずかな隙に、さっきの役立たず騎士が横をすり抜け、中庭へ逃げていく。ぎょっとして、騎士の背中を思わず二度見した。
「あ、ちょ、待てこら! せめて客を安全なとこに誘導……頼むから仕事しろよ騎士!」
 叫んでも、立派な甲冑は振り返りもしない。
「あー、くそっ!」
 怒りに任せて剣を押し込み、弾く。よろけた襲撃者に腹いせとばかりに電撃を嫌というほど浴びせてやった。獣人が痙攣しながら地に崩れ落ちる。
 
 その後、まともな騎士が数名駆けつけたので、彼らに招待客の避難誘導を任せた。




「どうしてこうなったかな……。もっと割のいい仕事だと思ってたんだけど……」
 襲撃はひとまず落ち着いたようだ。
 予想外の肉体労働を強いられ、肩で息をしながらナマエは空を仰いだ。
 念のためにと、荷物にあった魔法装身具を付けてきてよかった。身体能力向上のネックレスと魔力強化の指輪。おかげで一人でどうにかこの場を捌ききれるくらいには戦えている。
 他の仲間はどうしているだろうか。様子を見に行きたい気持ちはあったが、勝手に持ち場を離れる訳にもいかない。襲撃が始まってから、まだ四半刻は経っていないくらいだが。

 その時――。
 ふと異様な気配を感じて、視線を向ける。
 どうやら中庭に誰かがやってきたようだ。
 気配を殺してそっと中庭を窺う。
 そこに、長い赤毛を揺らしながら悠然と進む、一際大きな獣人の姿が。
「なんだ? あのデカいの……」
 その存在感は異様なほどで、気圧された気分になった。一言で言えば、覇気だ。
 ふとその赤毛の獣人の後ろを見ると、小柄な少女が俯きながら後に従っていた。どこか見覚えのある背格好。
 少女の後ろには良く似た背格好の獣人が二人。まさか捕まって連行されているのだろうか。
 少女が、ちらりと後ろを振り返った。
 その横顔を見た瞬間、心臓が跳ねた。
「あれは……まさか――!」
 昨日出会った“アル”だ。
 大変だ。
 慌てて後を追おうとしたナマエの目の前に、懲りずに敵が降ってくる。しかも今度はぞろぞろと団体様だ。
「あのさ……急いでるから、そこどいてくれると嬉しいんだけどなぁ……」
 うんざりしながら、それでも愛想笑いで懇願する。しかし返ってきたのは無言の抜刀。
「――って、話の通じる相手じゃないか!」
 分かってたけどな!
 叫びながら、ナマエは強力な火炎の範囲魔法を叩き込んだ。
 爆炎が轟音とともに上がり、敵影が炎の中に呑まれていく。



 倒しても倒しても敵は湧いてくる。尽きる気配がない。ここがちょうど敵の退却路になっているのかもしれない。
 アルを追わなきゃならないのに――。
 肩で息をしながら、ナマエは内心焦っていた。剣を振り回し続けているせいでそろそろ腕が重く、魔力消費の多い範囲魔法を連発しているせいで魔力もなかなか回復しない。
 接近戦はこれだから嫌なんだ。前線で戦ってくれる味方が一人でもいれば、自分は後方から弓でチクチク敵を狙えばいいだけなのに。
 舌打ちし、荷物からスタミナ回復効果のあるポーションを取り出し、一気に喉へ流し込む。

 空瓶を放り捨てると同時、背後から迫る気配。
 振り向きざまに剣を半円に払うと、獣人の刃が火花を散らして逸れた。
 返す手で踏み込み、獣人の懐へ潜る。
 胸甲を蹴り飛ばし、体勢を崩した相手の背に剣を突き立てる。重い手応えがざくりと伝わった。
 抜刀一閃。飛び散った血潮を、ナマエは無造作に腕で払う。
 まだ終わらない。
 殺気に満ちた数匹が同時に跳びかかってきた。
「来な」
 挑発の一言が落ちる前に、視界の端で、群青色のコートが閃いた。
 
「――加勢つかまつる!!」
 
 勇ましい声と共に現れたのは、がっしりとした体格の壮年の騎士だった。隣には、先ほど会った白騎士もいる。
 彼はこちらを見て軽く息を飲んだようだった。
「貴殿は――」
「あんたはさっきの……」
 壮年の騎士もまた、ナマエの姿を認めて驚いたように目を見開いた。
「なんと、騎士かと思えばご婦人か? ここは儂ら騎士に任せてはやく避難されよ」
「トリスタ様、彼女も傭兵です」
 白騎士の言葉に、トリスタと呼ばれた男は、ほう、と感心したように頷いた。
 精悍な顔付きの男だった。顔に刻まれた傷跡がまるで勲章のようだ。剣の構えは一分の隙もない。中々の実力の持ち主らしい。今度こそ助けが来たと、ナマエは思わず歓喜の声を上げた。
「は……っ、ようやく使えそうな奴が来てくれた! 手を貸して! こいつら、倒しても倒してもきりがない!」
「貴殿! トリスタ様に向かって無礼な――!」
 どうやらその言い方が気に障ったらしい。白騎士がナマエに一喝する。
 が、トリスタがすぐに制した。
「やめんか! 今は非常時だ、眼前の敵に集中せい!」
「はっ!」
 頷き、白騎士が剣を構える。その辺はどうやら弁えているらしい。
 ともあれ頼もしい援軍が現れてくれた。ナマエはニッと笑って、剣を再び構えた。
 
 ナマエは足場を蹴り、二人の騎士の援護を背にさらに深く敵陣へ切り込む。
 剣が吸い込まれるように首筋を裂き、そのまま横薙ぎにもう一体の膝を落とす。
 続けて、倒れた躯を踏み台にして跳躍し、背後へ回り込んだ獣人の喉元へ刃を差し込んだ。

 ――獰猛な獣たちが数分で沈黙するほどに、鮮やかな殲滅だった。

 最後の一体が地に崩れ、静寂が戻った頃。
 ナマエはゆっくりと息を吐き、剣先を下ろした。

「今ので最後か?」
「そのようですね。敵の足も止まったようです」
 騎士二人は、息も乱さず会話している。
 
 一方ナマエは乱れた息を整えながら、剣を収めた。白騎士の言葉とは裏腹に、きっとまた敵は現れると思ったが、ここはもう彼らに任せて一刻も早くアルを追わなければ。
 あの獣人らは中庭を抜けて、東門に出たはずだ。東には入り江がある。もし海に出られてしまったら、追うことは難しい。アルとは顔見知り程度の関係とはいえ、見て見ぬふりは出来なかった。
 とは言え、一応ここの警備担当であるナマエが無断で持ち場を離れる訳にもいかない。抜け出す前に、彼らに事情を話しておいた方がいいだろう。
 そう考えていると、白騎士がおもむろに近づいてきて、ナマエの状態を確認するように視線を上から下へさっと走らせた。気遣うような眼差しだったから、不快感はない。
「……怪我はないか?」
「ない、大丈夫。そういえば、白騎士様にはまた助けられちゃったね」
 ありがとう、と短く礼を添えると、彼はきゅっと背筋を伸ばし、しかつめらしく頷いた。
「礼は不要だ。騎士として当然の義務を果たしただけだ。……むしろ、到着が遅れたことを詫びたい」
 真面目すぎるほど真面目な言葉に、ナマエは思わず苦笑する。あの敵前逃亡した騎士とは雲泥の差だ。
「あは……そのセリフ、襲撃が始まってすぐ逃げ出したあの騎士に聞かせてやりたいよ」
「逃げた、だと? だから貴殿は独りで応戦を……。騎士の風上にも置けぬ奴め……!」
 正義感むき出しで憤る白騎士に、ナマエは肩を竦める。
「まあ今思えば、足手まといがいなくなってくれてよかったのかもな」
 皮肉な台詞に騎士二人が気まずそうな顔をする。
 
 ――いけない。悠長に話をしている暇はないんだった。
「それで、騎士様二人にお願いがあるんだけど――」
 言い切る前に、トリスタが険しい顔で空を仰いだ。
「タシャ! また増援がきおった……。いったいどれほどの軍勢を投入しておるのだ。この島を制圧するつもりか!」
 頭上を巨大な影が掠め、ドラゴンの咆哮が空気を震わせた。
(まずい……! 今度こそ走らないと、アルに追いつけない)
 ナマエは咄嗟に判断し、振り返りざま短く叫んだ。
「悪いけど、ここは任せた! ちょっと急ぎの用があるから、先に行く!」
 おざなりと言っていい雑な説明のまま、一気に中庭へ駆け出す。
「待て、一人でどこへ行く!」
 白騎士の制止に、ナマエは足を止めて振り返った。
「東門! さっき知り合いの女の子がデカイ獣人に連れてかれたんだ! だから急いで追わなきゃ……!」
「女の子……?」
 トリスタが眉を寄せる。
「どのような風貌だ」
「ピンクブロンドで、髪の長い女の子!」
 その言葉に、トリスタの顔色が変わった。
「……よもや、カナン姫か」
 何かに思い当たる節があるようだが、聞いている暇はない。

 ナマエはトリスタの次の言葉を待ちきれずに踵を返した。が、すぐに思い出して再び振り返った。
「そうだ――これ、受け取って!」
 ポシェットからポーションの瓶を数本引っ張り出し、彼らに向かって放り投げる。「おおっとぉ!」と、慌ててトリスタがキャッチした。
「それ、回復薬! 良かったら使って! じゃあ!」
 そう叫び、今度こそナマエは駆け出した。


***


「……まったく、とんでもない傭兵だ」
 颯爽と去っていった女傭兵の後ろ姿を見送りながら、タシャは半分呆れたようにため息をついた。自由奔放さも、力量も、迫力も、何もかも型破りで……目が離せない。
 そんな弟子を横目に、トリスタがぽつりと呟く。
「いかん、儂、今ちょっとときめいたかも」
「……は!? な、何を仰って……!」
 タシャがぎょっとする。弟子の反応を見たトリスタは、耐え切れずにぶっと吹き出し、豪快に笑った。
「なーんてな! わははは!」
「トリスタ様……」
「で、あの美しい傭兵殿とはいつの間に知り合いになったのだ? お主もなかなかやるのう」
「からかうのはおやめください。舞踏会が始まる前、招待客に絡まれる彼女を少し手助けしただけです」
「ふむ……それだけにしては、妙に良い雰囲気だったがのう」
「私には……分かりかねます」
「ふっ、そんなに怖い顔をするな。お主は本当に真面目だのう」
 どうやらいつもの冗談らしい。タシャは肩を落とすが、すぐに表情を引き締める。
 増援を迎え撃つため、二人は剣を構え直した。
「――さて、あの者の言葉が真実ならば、大変なことになるな。一刻も早く事の真偽を確かめねばならん」






2025/12/2改稿