Chapter.07,08
次の日の朝、昨日より若干遅く目が覚めた。
セイレンとマナミアはまだ眠りの中で、マナミアは食事の夢でも見ているのか「お腹一杯ですわ」と小さく寝言を呟いていた。アルと名乗った少女は、部屋にいないところを見るとおそらく昨夜のうちに帰ったのだろう。
顔を洗って支度を整え、一階へ降りる。厨房では、アリエルが火を入れながら動き回っていた。
「おはようアリエル」
「おはよう! ねえ、昨日あなたもワックの薬取りに行ってくれたんでしょ? 本当にありがとう!」
ワック? 一瞬誰のことか分からず困惑した。が、すぐに思い当たる。
「……ああ、病気の子のことか。これから良くなっていくといいな」
「そうね」
ナマエの言葉に、アリエルは笑顔で頷いた。
「あ、朝食はどうする? 少し待ってくれれば簡単なものは用意できるけど」
いや、とナマエは首を振った。朝はただでさえ忙しそうなのに、これ以上仕事を増しても悪い気がした。
「いい、外で食べてくるよ」
「そう?」
アリエルが少し残念そうに笑みを浮かべる。
マフラーで首元を覆って酒場の扉を押し開けると、背中に「いってらっしゃい」と声が飛んできた。ナマエは口角を上げ、「行ってきます」と片手を上げた。
今朝の朝食には、新鮮な青魚をフライにし、野菜とともにパンで挟んだものをチョイスした。朝からフライは重たいかと思ったが、ビネガーソースが重たさを消してくれて、意外なほど軽く食べられた。
朝食を取り終わって少し街をぶらぶらし、仕事になりそうなものを探してみる。しかし、めぼしい依頼はどこにも見当たらなかった。この街にギルドでもあればよかったのだが、そういった仕事を斡旋してくれる場所は残念ながらないようだ。
アリエルの酒場に戻ると、扉の前で待ち構えるようにクォークが立っていた。
「早いな。どこに行っていたんだ?」
「市場に朝食食べに行っていた」
「よく手持ちの金が持つな。まだ昨日の取り分も渡してなかっただろう」
クォークが呆れ半分で言うと、ナマエは悪戯っぽく微笑んだ。
「ふふ、”盗賊の上前をはねた”のさ」
クォークがぎょっとする。
「おまっ、いつの間に……!」
「手癖が悪いからな」
ひらひらと利き手を振ると、クォークは頭を抱え、深くため息をついた。
ふと酒場を見渡すと、二階では彼の仲間が部屋を出たり入ったりと忙しない。どうやら任務の準備をしているようだ。
「忙しそうだな」
「ああ。今日はこれからルリ城で行われる舞踏会の警備任務があるんだが――」
そういえば彼らの雇い主はこの島の領主だったか。
へえ、と相槌を打つと、クォークがさり気なく予定を探ってきた。
「お前の今日の予定は? これからどうするか決まっているのか」
「残念ながら、まだなんにも」
肩を竦める。
クォークはほんの一瞬、安堵の色を見せた。すぐに咳払いで取り繕う。
「じゃあ――」
居住まいを正したクォークの目は、思った以上に真剣だった。
「正式に、俺たちの仲間にならないか?」
予想外の誘いに、ナマエは瞬いた。
「クォーク傭兵団に?」
「なんだその名前は」
むっとした声に、ナマエは堪えきれず笑った。生真面目なクォークは、ついからかいたくなる。
「だって、名前は必要だろ、何事も。それともカリアゲ傭兵団のほうがいい?」
「やめろ」
眉間の皺が深くなり、ナマエは「ごめんごめん」と両手を上げて降参する。
クォークは鼻を鳴らすと、真面目な口調に戻った。
「……で、どうするんだ? 他の仲間の了承は得ているから、あとはお前次第だ。今なら一日三食、それとふかふかのベッドと風呂付きだぞ」
「それってつまり現状維持ってことか?」
「支払いは俺持ちになる」
「へえ」
なるほど悪くない条件だ。ナマエは少しだけ俯いて考え込むふりをした。
「どうせなら昼寝付きがいいな」
「昼寝、か? それは……まあ、日によるが」
クォークが律儀に頭を悩ませ始めたので、ナマエはすぐに笑い声をこぼした。
「ごめん、冗談だよ。オッケーボス、よろしくね」
「ああ」
差し出された手を、ナマエは迷いなく握り返した。
その瞬間、ようやく自分の居場所ができたような、そんな奇妙な安心が胸に宿った。
晴れて正式に仲間入りを果たしたナマエだったが、ふと気になって尋ねた。
「昨日言ってた下心って、このことか?」
「ん、ああ」
質問にクォークは頷き、少し照れくさそうに頬をかいた。
「お前は腕が立つからな。仲間に加わってくれれば有難いと思っていたんだ」
「なるほど、昨夜のは様子見だったってことか」
「まあ、そうなるな。気を悪くするなよ」
気にしてないよ、とナマエは笑った。
「それで、さっそくなんだが一つ頼みがある」
準備に取り掛かろうとしたところで、クォークに呼び止められた。
「なに?」
振り返ると、彼は微妙に言いにくそうに視線を逸らし。
「……その格好、もう少しなんとかならないか。その、城の警備にはちょっとな」
その言葉に、おもむろに自分の格好を検める。
全身黒ずくめの暗殺者もどきの装束。
機能性は高いが、公式な場での任務には確かに相応しくないかもしれない。
「――そうだな、私もそう思う」
肩を竦めると、クォークが安堵したように息を吐いた。
ルリ城へ向かう道中、クォークはナマエが新たに仲間に加わったことを告げた。
今更だとは思ったがナマエが改めて挨拶すると、おおむね歓迎された。
クォークに指摘された服装は、取り急ぎセイレンとマナミアに相談し、彼女たちの予備の服を借りることにした。白シャツに黒革のコルセットベストは自前のまま、上から厚手の紺のジャケットを羽織る。下はスリット入りの黒革スカート。防御力に劣るのがやや心配だったが、不審者度合いは大分ましになったと思う。
今回の任務は、一ヶ月後に成婚を控えたランバルト公爵家とアルガナン伯爵家の、婚約の披露宴の警備にあたるという内容だった。両家とも帝国では有数の貴族らしく、大陸中から様々な要人が今回の舞踏会に参加するらしい。
ナマエにとっては初めての任務だが、聞くだけで退屈な任務の予感がした。だが、エルザはどこか落ち着かず、珍しく緊張した面持ちを見せている。
城門前に到着すると、クォークが門番に通行証を提示し、重厚な城門がゆっくりと開いた。
ルリ城は、どこか女性的な優美さを感じさせる造りだった。尖塔のラインは細く、曲線が多く、光を受けて淡く輝く壁面は、まるで透明な薄絹を重ねたように柔らかい。
エントランスホールに一歩足を踏み入れる。天井がとんでもなく高い。シャンデリアから降り注ぐ光が、モノクロのモザイクタイルの床で細かく弾けている。
踏むだけで汚してしまう気がして、ほんの一瞬、足を止めたくなるほどだ。
「ひゃー、すっげえなあ、おい! アルガナン伯爵ってのは、たいしたヤツだ」
「セイレン、あまりキョロキョロしないで……」
セイレンが声を抑えずはしゃいでみせると、ユーリスがしかつめらしく注意してみせる。
「さて、舞踏会はすぐに始まるぞ」
クォークが一旦立ち止まり、今回の注意点を淡々と説明する。
曰く、反目している貴族同士の諍いに注意しろ、ということだ。
なるほど、注意する点はそれだけか、とナマエは内心呆れた気持ちになった。基本的に、この島は平和らしい。
エルザなどは上の空で明後日の方向を見ている。と思ったら、どうやら婦人と談笑している騎士を見つめていたらしい。
「いつかは、俺だって……」
騎士の後姿を見つめ、どこか思いつめたように呟く。
「ははは……、無理だって」
「そんなことはない、俺を信じてくれ。必ず皆を騎士にしてみせる」
ジャッカルが苦笑すれば、クォークがむきになって返す。
言葉には妙な熱がこもっていた。
ああ、クォークが騎士を目指していたのは、エルザのためでもあるのか。そう静かに納得した。
まったく仲のいい二人だ。顔はあまり似ていないが、兄弟なのだろうか?
クォークの言う”皆”の中に、自分は入っているのだろうか。そんな馬鹿げたことを一瞬考えて、心の内だけでひっそりと笑った。
クォークが舞踏会の打ち合わせに行ってしまうと、各自自由行動に出た。
ナマエは城の構造を把握しようと、廻れる範囲内で城を探索し始めた。三階には図書室と伯爵の執務室、それと別棟へと続く扉があったが、立ち入り禁止らしく近づくことは難しかった。
二階に中庭へと続く扉があったので、そちらも見ておこうと思い、階段を下りかけたそのとき。
「あの、待っていただけますか。……そこの、美しいあなた」
「――ん?」
不審な呼びかけに振り返れば、そこに――。
***
白騎士タシャは、消沈した様子を隠し切れず中庭から大広間へと戻った。
いくら傭兵ごときに侮辱されたとはいえ、騎士たるものが公の場であのような大立ち回りをしてしまうとは、己を律し切れてない証拠だ。
その上尊敬する師トリスタにフォローまでさせてしまうとは、弟子失格だ。
昔からこうだった。正しいものは正しく、間違っているものは間違っていると、思ったことをそのまま口に出してしまう。正直者、不器用、生真面目、とは師の言葉だ。まったくその通りだと自分でも思う。嘘はつけない性質なのだ。
その性質が災いして、先ほどの騒ぎを起こしてしまった。
しかし、あの突っかかってきた赤毛の女傭兵――。態度こそ頂けないものの、あの気迫だけは、退廃的なルリの騎士よりはよほど……。
思案に暮れていたその時、男女の言い争う男女の声が聞こえてきて、ふと顔を上げた。
「……いや、だから……無理だって――」
どうやら、貴族らしき男性客がしつこく女性に言い寄っているようだ。女性は腰に剣を差しているが、小奇麗な格好をしていたため、見た目だけでは警備に雇われた私兵か招待客かの判断はつきかねた。
だがどちらにせよ、彼女は困り果てている様子だ。
『――民衆は、いかなる時も騎士を信奉し愛してくれる。それを裏切る事は、恥と知れ』
師の言葉が脳内によみがえる。
迷いなく、足は自然に前へと出ていた。
***
「――せめて一曲だけでも、お相手いただけませんか? 美しいあなたとの思い出がほしいのです」
そう懇願するように言ったのは、つい先ほど急に声をかけてきた、名も知らない男だった。
「ごめん、何度も言ってるけどそれは無理」
そっけなく返すが、男はまったく耳を貸さない。
手を振り払おうにも、がっちりと握られていて叶わない。このような事態は予想外だった。
男の装いはいかにも貴族風だ。あまり邪険に扱って、後でクォークに迷惑がかかってもまずい。扱いに困る相手だ。
腰の剣に気づかないあたり、尚更タチが悪い。
「参ったな……、そろそろ警備の打ち合わせに行かなきゃならないんだけど」
しなれぬ愛想笑いを浮かべ、困惑気味に言ってみる。
「……警備? そうか、君は招待客じゃなく、この城の警備担当なんだね。では、上司に命じて、君の仕事を僕のパートナーに変えてもらおうか」
「いや、そういう訳にはいかないんだけど」
全く聞く耳を持たない。どうやら舞踏会も始まらぬうちから、もう酔っぱらっているようだ。
ため息をこぼす。そろそろ嫌気が差してきた。一発殴ったら目を醒ますだろうかと思ったが、そうする訳にもいかず。
「ああ、本当に君は美しい……。まるで――そう、妖精の女王のようだ。気取っていないのに優雅で、愛らしさすら兼ね備えて……。ねえ、僕は湖近くに小さくて可愛い別荘を持っているんだ。そこを君にあげるよ。君の好きに使っていいから、ねえほら早く僕のパートナーになると言っておくれ」
「妖精? ……クスリでもやっているのか?」
なんだかジャッカルみたいだ……と内心思ったが、彼の方が数十倍マシだ。ジャッカルは引き際を心得ているが、この男はひたすらしつこい。
「はははっ……! いやあ、君、本当に面白い娘だね。そうだね……実は本土から特別に取り寄せた"とっておき"があるんだけど、一緒にやるかい?」
男は妙にねっとりした笑みを浮かべ、ナマエの腕をさらに強く引き寄せようとした。
距離を詰めるその動きに、悪寒が背筋を走る。
「冗談――いや近っ。ちょ……それ以上こっち来るな」
じりじりと距離を詰められ、とうとう背中が石壁にぶつかった。男の酒臭い吐息が鼻先に漂う。思わず顔が引きつった。
「ん~嫌がっている顔もかわいいね……」
――ピキッ。
男の最高に気味の悪い笑みを目にした瞬間、堪忍袋の緒が切れる音が聞こえた。
「う、」
「う?」
(……うっざぁあああああッッ!!)
怒りの熱が一気に噴き上がった。
さっきまで理性で押しとどめていた苛立ちが、もう抑えきれない。
これ以上、この男の狼藉を許してなるものか。
怒りのまま、重心を落とし、膝に力をため――振り上げようとしたその瞬間。
「――失礼、そこの」
涼やかな声が鼓膜を打つ。
その声の主に肩をがっしりと掴まれ、忌々しげに振り向いた男の視界に、白く輝く甲冑の騎士が映った。
男が一瞬気圧された様子を見せる。
「そろそろ舞踏会が始まります。伯爵に招待を受けた方ならば、急がれた方がいいかと」
「あ、ああ……!」
一瞬呆然としていた男は我に返り、ナマエに振り返ってもう一度手を取り、念押しする。
「君! 舞踏会が終わるまでここにいてくれよ! 必ず戻ってくるから!」
そのまま返事を聞かず、慌てて走り去っていった。
一難去って、どっと肩の力が抜けた。壁にもたれ、肺の奥に溜め込んでいた息をゆっくり吐きながらつぶやく。
「……やれやれ。命拾いしたな」
無論自分のではなく、あの男の、だが。
その横で、ナマエの危機を救ってくれた騎士が問いかけてきた。
「……貴殿も傭兵の一員なのか?」
横目でそっと彼の顔をうかがう。
白くやわらかそうな長い髪は後ろできっちり編みこまれており、甲冑の色も相俟って全体的にすごく……いやかなり白い。涼やかな目元を彩る印象的な若草色の瞳が、前髪の影からまっすぐにこちらを見つめている。きれいな顔立ちなのに、常時顔を顰めているのか眉間には少し皺が寄っていて、人を寄せ付けない雰囲気を持っていた。
ひと言で言えば、第一印象は『冷たそうな男』。
……なのに、不思議と目が離せない。彼のまっすぐな視線に滲む誠実さを感じるからだろうか。
「まあ、そんな感じ」
肩を竦めて答えると、彼の表情に若干不機嫌な色が加わった。
「では……あの無礼な女傭兵の仲間か」
「無礼?」
首を傾げる。女傭兵で、無礼な方といえば。
「……セイレンのこと? 赤毛の?」
「名など覚えておらんが、そう呼ばれていた気はする」
不機嫌さが滲む声色に、思わず口元が緩んだ。どうやら早速セイレンとひと悶着あったらしい。
「覚えてるじゃないか」
「……っ」
図星を突かれたように、白騎士が一瞬うろたえた。
すぐにポーカーフェイスに戻るも、動揺は隠しきれてない。
なんと、顔に出やすい男だろう。見るからに立ち回りが苦手そうだが、大丈夫なのだろうか。そんな要らぬ心配すらしてしまう。
彼にとっては、余計なお世話以外の何物でもないのだろうが。
愛想はないが、少なくとも冷たい男ではない。嫌な奴でもなさそうだけど、もしかして真面目すぎて面白味がないと言われるタイプだろうか。
なんとなく、興味を引かれる騎士様だ。
好奇心から相手に視線を向けると、若草色の瞳と目が合った。
ほんの一瞬、互いに無言で見つめあう。
胸がざわめくような、奇妙な感覚。
落ち着かなくなって、すぐに目をそらした。
ふ、とざわめく胸中を落ち着かせるように静かに息を吐き、時間を確認する。そろそろクォークの打ち合わせが終わる頃だ。
「残念だけど、もう行かなきゃ」
「……そうか。酔って絡んでくる者には引き続き気をつけたまえ」
「酔っぱらい相手はもう面倒だな……。人けの少ない場所の警備に回してもらうことにするよ」
「……それはそれで別の心配がありそうだが」
短い沈黙が落ちた。
「はは……。これでも腕にはそれなりに自信があるから大丈夫」
心配性な白騎士の言葉に苦笑する。
踵を返す前、きちんと礼だけは言っておこうと思い、彼の目を正面から見つめ、軽く笑みを添えて頷いた。
「じゃあ……私はこれで。助かったよ。ありがと、ヒーロー」
その言葉に、彼の肩がわずかに跳ねる。
若草色の瞳が驚いたように見開かれたが、ふい、と表情を隠すようにすぐに横を向いてしまった。
その横顔の陰で、彼の指先が落ち着かなさそうに剣の柄を強めに握りしめていた。
「別に私は……何もしていない」
そっけなく言い返す声が、少しだけ掠れている。
「そう?」
笑うと、彼はさらに視線を落とし、わずかに唇を噛んだ。
その仕草が、なぜだか妙に印象に残る。
「……早く行け」
ぶっきらぼうな声に苦笑し、その場を立ち去った。
2025/11/29改稿