Chapter.04






 翌朝。東の海面が白み始めたころ、ナマエはふいに目を開いた。
 一瞬、ここが何処だか分からなくて混乱した。あたりを見渡し、すぐに自分の置かれた状況を把握する。
 ここはルリ島の、アリエルの酒場。自分の名前は”ナマエ”。それ以外は何も分からない。
「……はぁ」
 思わず口から吐息が漏れる。それが安堵のため息か、記憶が戻っていないことへの落胆のため息かは分からなかった。

 同じ部屋では、セイレンとマナミアが静かに寝息を立てている。二人を起こさないよう、そっとベッドを抜け出した。
 ズキリと頭痛が走り、思わずこめかみを押さえる。
 ――昨日はあの後、セイレンに捕まり酒盛りに付き合わされる羽目になった。徹夜明けのテンションは恐ろしく、かわいそうなエルザは一気飲みを強要されていた。クォークが早々にダウンし、酒樽を二つ空にしたところでナマエもギブアップし、二階へと退避した。
 そういえば二階に逃げ出す直前、マナミアが積み上げた皿が三十枚くらいに達していたような気がしたが、あれは酔った意識が見せた幻だろうか。
 だが、今はそんなことはどっちでもいい。ナマエは痛む頭を押さえ、ふらふらと浴室へ向かった。



 冷たい水で顔を洗うと、幾分気分はさっぱりした。
 そのまま部屋へ戻り水差しから水をグラスに注ぎ、一気に飲み干す。喉がずいぶん渇いていた。もう一杯水を飲んでから、着替えてそっと部屋を出た。
 一階の酒場は、まるで昨夜の喧噪が嘘のように静まり返っていた。木の床がぎしりと静かにきしみ、空気はしんと澄んでいる。
 幾分寂しい気分になり、そのまま酒場を出た。

 外の空気は、若干まだ肌寒い。
 とはいえ眠気覚ましに丁度良く、伸びをして深く息を吸い込み、歩き出した。
 あてどなく街を逍遥する。
 海が近いのか、潮の香りが街を包んでいた。
 煉瓦造りの建物が続く通りをふらふら歩くと、まだ殆どが眠りの最中なのか静かなものだった。
 途中、分かれ道に出て、どちらを行くか迷った。そこかしこに小道が続いており、複雑に入り組んでいる。
 ルリ島は、島といえども城下街自体はとても広く、どこもかしこも整然としていた。瀟洒な建物が多く、ずいぶんと裕福な街だと思う。
 とはいえ運河沿いにはやはり粗末なあばら家が並んでいて、それを眺めながら逆に感心を覚えた。どこの世界も同じだ。持つものがいれば持たざるものが当然いる。


 適当に歩くと、市場らしき通りに出た。ここは住宅街と違って既に労働者が早朝から汗をかいており、活気に溢れている。道端の露天では、港で働く労働者のために朝食を提供していた。
 漂う匂いにつられ、露天でひとつ注文した。大きな丸いパンをくり貫き、その中身にクラムチャウダーを注ぎ込んだものだ。お代として昨日見つけた財布から一枚金貨を差し出すと、店主は「ずいぶん古い金貨だなぁ」と感心していた。果たしてお代として受け取ってもらえるのか若干不安になったが、お釣りとして大量の銅貨と銀貨が渡されたから、問題なかったらしい。
 露天の隣に並んでいた樽に腰掛けて食していると、手持ち無沙汰なのか、先ほどの店主が話しかけてきた。
 これ幸いと店主とおしゃべりをしながら、いくつかの情報を仕入れることが出来た。
 分かったことは、このルリ島はラピス帝国という国の統治下にあり、どうやらカナンという先代のアルガナン伯爵の一人娘の結婚式が近く行われるらしい。その祝いの舞踏会が明日開催される予定で、宴の招待客が続々とこのルリ島を訪れ、街を賑わせているようだ。

 食事を終えたころには、ようやく店が開く時間帯となっていた。
 仲良くなった露天の店主についでとばかりに、近くに地図が入手できるところはないかと尋ねた。ルリ島は広く、しばらくは地図がないと迷いそうだったからだ。
 店主に紹介された近くの店に行き、ルリ島の地図を手に入れた。世界地図も扱っていたが、そちらはなかなか値が張ったので今回は購入を見送ることにした。
 さらにそこで質屋を紹介してもらう。手持ちの宝石類を換金するためだ。

 質屋の店が開くのを待って、宝石を鑑定してもらったら結構な査定額が付いた。どうやら宝石類のほとんどは魔法符呪エンチャントが施されており、かなり価値が高いらしい。古い金貨も見た目こそ珍しかったが、純度は確かとのことで換金は可能らしい。
 ひとまず魔法符呪のされていない指輪を一つだけ換金してもらい、アリエルの酒場へと戻ることにした。


 さっそく酒場のマスターに一晩分の宿泊代金の支払いを申し出たが、しかし店主は手を上げて言った。
「それはクォークに払ってくれ。部屋代はぜんぶあっち持ちだ」
 部屋を長期借り上げしてるので、その代金に含まれているらしい。
 テーブルで剣の手入をしていたクォークに金を渡しにいくも、最初は受け取ってもらえなかった。
「一晩くらい気にするな。その金は自分のために使え」
 が、助けられてばかりなのも正直居心地が悪い。
「貸し借りは苦手なんだ。受け取ってくれ」
 ナマエが無理やりクォークに押し付けると、観念したようにため息をつき、金貨を受け取った。
「……わかったよ。もらっておく。それで、良い宿は見つかったのか?」
 クォークが金貨をしまいながら、さり気なく聞いてくる。
「いや、まだ」
「そうか。お前さえ良ければ、このままここにいてもらっても俺達は構わないぞ」
 ありがたい申し出だった。正直拠点を移動するのは面倒だったから。
「午後にまた探してみるけど、その時めぼしいところが見つからなかったらそうさせてもらうよ。気を使わせて悪い」
「気にするな。――こっちも下心があるんでな」
 とクォークがにやりと笑った。



 そのままクォークと一緒に酒場で昼食を軽く取る事にした。
 食事が終わってテーブルでゆっくりしていると、一人の客が酒場に飛び込んできて、そのまま仲間らしき一団のテーブルへ向かう。
「おい、港に帝国から来た騎士一行が到着したらしいぞ」
 会話が聞こえ、クォークの肩がぴくりと動く。彼はわざとらしく鼻を鳴らした。
「ほお。どれ、ひとつツラでも拝みに行くか」
「……騎士一行を? わざわざ見にいくほど面白いものなのか?」
 立ち上がりかけたクォークに尋ねる。彼は少し迷うそぶりを見せ、ややして苦笑を浮かべた。
「まあ、面白いってほどでもないさ。しかし、俺達が目指すべき目標でもあるからな。お前も来るか?」
「いや、私はもう少し街を歩きたい。けど、途中までは付き合うよ」
 クォークは「ああ」と短く頷き、腰の剣を軽く叩いてから歩き出した。

 酒場を出ると、朝と変わらず青空が広がっていた。
 先を行くクォークについていきながら、ふと気になって口を開いた。
「騎士って、いいものか?」
「ん?」
 クォークが前を向きながら相槌を打つ。
「規則に縛られてばかりで、大変そうだと思うけど」
 ふっ、と鼻で笑う音。
「だが、今より確実に生活は安定する」
「……意外と保守的なんだな」
「いつまでもこんな暮らしを続けるわけにはいかないだろ」
「まあ、一理あるね」
 傭兵稼業から見れば、確かに騎士は花形職だろう。しかし騎士として取り立てられるには、功績が必要で、縁も必要で、何より運も必要だ。しかも騎士に取り立てられたはいいが、忠誠を誓う主君が外道だった場合は目も当てられない。
 横目でクォークの顔を覗き込み、悪戯げに笑った。
「けどクォーク。その考え方、ちょっと年寄りくさいぞ」
 その言葉にクォークは図星を指されたように瞠目し、あからさまに顔をしかめた。
「……ほっとけ」


 
 予定通り、午後は宿探しにいそしむことにした。
 ベッドを提供している酒場はすぐに一軒見つかったが、柄の悪い男たちが出入りしていたので即座に却下した。とはいえ、他に見つけたところは完全に上流階級用の宿らしく、どこも門前払い。クォークには悪いが、この分じゃまたアリエルの酒場に世話になりそうだ。
「ま、いいか。そうさせてもらおう」
 考えるのも面倒になって、結局安易な方を選ぶことにした。

 
 そうと決まれば、あとは日が暮れるまでまた街の探索再開だ。
 運河に架かる橋を渡り、少し行くと巨大な円形の建造物が視界に入った。
 周囲は集まった市民でごった返しており、何かのチケットを手にして驚喜する者もいれば嘆き悲しむ者もいる。入口脇には屈強な戦士たちが集まり、剣の重さを確かめるように肩を回していた。
 内部から、悲鳴とも喝采ともつかない声がどっと上がる。金属のぶつかる硬い音。
「……ああ、闘技場か」
 そのフレーズに、なんだか懐かしい気分になる。
 闘技場の入り口付近に目をやると、係りの男が配当金を賭けの勝者に配っている。賭け事は闘技場に付き物だ。勝者の狂喜と敗者の絶望が、同じ路地に共存している。
 
「よーお、イシュタル――じゃなかったナマエ!」
 名を呼ばれて振り返ると、セイレンとジャッカルが手を振っていた。
「セイレン、ジャッカル。……まさか参加してたのか?」
 おうよ、とセイレンが肩を組んできて、茶目っ気たっぷりにウィンクする。
ナマエも参加する? すっきりするぜぇ?」
「闘いにか?」
「ああ。うちらと団体戦でな」
「今日はやめておくよ。賭けて楽しむことにする」
「えー? なんだよ付き合い悪いな~」
「ごめん」
 苦笑すると、ジャッカルが肩をすくめた。
「謝ることはないさ。セイレン、俺もそろそろこの辺で切り上げるわ。ご婦人との約束があるんでな」
「ちっ、こんのナンパ野郎。さっさと行っちまえ!」
「ははは、妬くな妬くな」
「誰が妬くか!」
 セイレンが足元の小石を拾って、笑いながら颯爽と去っていくジャッカルに投げつける。が、軽く躱され、あろうことか衛兵の背中に命中したようだ。
「いてっ! だ、誰だ! この俺に石を投げつけたのは誰だ!?」
 セイレンはぎょっとし、件の衛兵が犯人を特定する前に踵を返し、一目散に逃げた。
「やべっ! じゃ、じゃあ、あたしも酒場に戻ってるから!」
 なんとも忙しない。
 ナマエも巻き込まれる前に、闘技場の中にさっさと逃げ込んだ。




 そのまま何戦か試合を観戦し、折角なので賭けにも参加してみた。
 しかし結果は全戦全敗、運がないにも程がある。
 
「……あれ?」
 続けて賭けようとして、違和感に気づく。
 おかしい。
 気が付けば、今朝換金したばかりの金がほとんど消えていた。そんなに賭けた記憶はないのだが、もしかして知らず大金を賭けていたのだろうか。
「……やらかしたか」
 貨幣価値も分からぬまま投じればこうなる。
 頭を抱えながら闘技場を出てふらふら通りを歩くと、ちょうど貸本屋から出てきた人物とぶつかってしまった。思わずたたらを踏む。
「わっ!?」
「っ、悪い。――ユーリス?」
 反射的に謝ると、昨日早々に引きこもってしまった少年が尻餅をついていた。
「ごめん、大丈夫か?」
「……自分で立てる」
 手を差し伸べたが素気なく断られた。
 仕方なく周りに散らばっていた数冊の本を拾い上げ、汚れを落として差し出す。
 ユーリスはそれを受け取りながら、尋ねてきた。
「今まで街に出てたの? 何してたのさ?」
「うっ……」
 答えに詰まる。正直に答えると、きっとこの少年から冷たい視線をもらうに違いない。
 思わず顔をそらしたナマエに、ユーリスが不審げな視線を寄こす。
 ちくちく刺さる視線に耐え切れなくなって、口を開いた。
「……闘技場で賭けを、ちょっと」
「闘技場で? ……勝ったの?」
「いや、負けた」
「ふぅん」
 ユーリスの胡乱げな目線に居た堪れなくなり、ナマエは頭をかいた。
「……やっぱりギャンブルなんてやるもんじゃないな。働くのが一番だ」
「馬鹿らしい。ギャンブルなんて至上もっとも堕落した大人の遊びだろ」
 まさしく正論だ。賢しげな様子のユーリスに、苦笑を禁じえない。
「君はギャンブル嫌い?」
「酒もギャンブルも嫌いだね」
 嫌悪を隠さない様子のユーリスに、ナマエは肩をすくめるしかなかった。
「辛辣だなぁ」



 そろそろ日が暮れてきた。
 ユーリスが酒場に戻るというので、そのまま同行させてもらうことにした。一人で歩くにはまだルリの城下街には不案内だ。
 気になるのは、昼と比べて、ずいぶんとあちこちに衛兵の姿が目立っていることだ。
 まさか石をぶつけた犯人を追っている……訳ではないだろうが。

 道すがら、ナマエは隣を歩くユーリスに声をかけた。
「君はいつから傭兵やってるんだ?」
「ずいぶん前だよ」
 思わずユーリスの横顔を見る。その横顔は大人と言えるほど、まだ成熟していない。それなのに”ずいぶん前”とは。
「どうして傭兵なんだ? 危険じゃない?」
「危険なことは百も承知だし、この仕事は割り切ってやっているから」
 ずいぶんと達観しているものだ。
 いや、逆にそのくらいじゃないと、その歳で傭兵なんかやっていけないのか。

 急に少年が立ち止まり、振り返った。その表情には苛立ちが見え隠れしている。
「ねえ、それよりも、そのいかにもな態度やめてくれない?」
 意味が分からず、首をかしげた。
「なに?」
「だから、いかにも子供に接してます、みたいな態度」
 え、とナマエは目を見開いた。指摘されて、ようやく自覚する。確かにそういう態度を取っていたかもしれない。
「別にそんなつもりは――いや、ごめん」
「……はぁ」
 ユーリスは呆れたように息を吐き、また歩き始めた。

 その背を見つめ、やってしまったと反省した。年下だからと軽んじているつもりはない。ただ、気難しいと評判の少年相手に距離感がつかめず、その迷いが言葉に出てしまうのだろう。
 思えば初対面から、ユーリスは露骨に警戒していた。リーダーであるクォークはともかく、彼の仲間はナマエを割とあっさりと受け入れてくれたのに、少年だけは明確に棘を向けてくる。人見知りというより、理由の分からない拒絶がある――そんな印象だ。
 ……それでも時おり、ふとした気遣いを見せるところがある。本当は優しい性格なのだろう。ただ、素直になりきれない年頃ゆえに、その優しさは分かりにくいこともある。
 どう接するべきか分からないまま、ナマエはその背を静かに追った。


 橋を渡ったところで、ユーリスが急に辺りをきょろきょろとしだした。
「どうした?」
「……なんだか街がざわついている」
「そういえば衛兵が誰かを探しているみたいだったな」
 その時だった。
 
 ――ドンッ。

 空が爆ぜ、色とりどりの光が散った。
「うわっ、なんだ!?」
 反射的に身構え、空を見上げた。
「空に火花が……あれも魔法か? どこからの襲撃だ?」
「……何言ってるの。あれは花火だよ」
「花火?」
「もしかして、知らない? 花火」
 頷くと、ユーリスが面倒そうに空を見上げ、おもむろに口を開いた。
「あれは火薬を詰めた玉を打ち上げて、空で爆ぜさせてるだけ。ほら、火花が散って花が咲いているように見えるだろ。それを、こうやって遠くから見上げて楽しむんだ。観賞用だよ。襲撃じゃない」
「へえ、そんなものがあるんだな……」
 再び花弁のような火の粉が広がる。周囲の人々は歓声をあげ、光に見入っていた。なるほど言われてみれば、確かに花のように見えなくもない、が。
「何にせよ音が煩すぎる。早く宿に戻ろう」
 
「まったく……ロマンもへったくれもないね」
 アリエルの酒場に逃げ込むナマエの背に向かって、ユーリスがぼやいた。




 酒場に帰ると、セイレンがテーブルに突っ伏して管を巻いていた。手元のジョッキは珍しく空だ。
 と思ったら、どうやら呑みすぎて店の在庫を空にしてしまったらしく、今まさにエルザが追加の仕入れに走っているところだった。
 後から入ってきたユーリスはさっさと隅のテーブルに一人座り、食事も取らずにそのまま借りてきた本を広げはじめた。

 ナマエはまずクォークのもとへ向かい、結局めぼしい宿が見つからなかったことを伝えた。
「ということで、今日もここに世話になっていいか?」
「ああ、もちろんだ」
 あっさりと快諾される。
「飯は食ったのか?」
「いや、まだ」
「じゃあ適当に注文してやるから、テーブルに座っとけ」
 礼を言い、マナミアが座るテーブルへと向かう。

 彼女が座るテーブルには、既に皿が五枚以上積み上がっていた。さらにマナミアはパエリアの大皿から、ゆっくりとだが休むことなく機械的にスプーンを掬って口元へと運んでいく。
 間違いない、彼女は大食漢だ。
 やはり、昨日見た皿の山は幻じゃなかったのか。ナマエは呆気に取られながら、その食事風景を眺めた。
「なんですの?」
「いや、どこに入るんだろうと思って」
「あげませんわよ?」
「取らないって」
 どうやら食のことになると保守的になるようだ。ナマエは苦笑して両手を挙げた。

 しかし良く食べる。食べる。まだ食べる。
 ナマエが食事を取り終えても、マナミアの動きは一切止まらなかった。
 
 ふと隅のテーブルを見ると、相変わらずユーリスが本に没頭している。
 帰ってきてから何も食べていないようだ。もう完全に夕食時だというのに。
 ……もしかして没頭すると寝食を疎かにするタイプだろうか。だとすると誰かが気にかけてやらないと。
 そう思って彼の仲間を見回すも、皆思い思いに過ごしており、誰一人としてユーリスを気にかけている様子はない。基本的に個人主義なのだろう。自分の面倒は自分で見る、ユーリスだってそれを承知のはずだ。
 だから放っておくのが正解――のはず。余計な干渉は、また彼を怒らせてしまうだけだ。
 ……そうは思うものの、視界の隅に映る彼のことが何となく気になってしまう。
 ――そうだ、何か手軽につまめるものだったら、片手間に食べやすいんじゃないだろうか。
 テーブルには先ほど食べたピエロギの空皿が残っている。これならば手軽に食べられるし、バランスよく栄養も取れる。
 思い立って、アリエルに追加を頼んだ。
 
 茹でたてのピエロギの深皿を受け取って、ユーリスのテーブルへ向かう。具材に野菜と肉がぎっしり詰まったそれはフォーク一本でも食べられる料理だ。
「ユーリス」
 声をかけて皿を置くと、ユーリスはゆっくりと顔を上げ、わずかに眉をひそめた。
「……なに?」
「本ばかり読んでないで、そろそろ何か食べた方がいいんじゃないか。ほら、これ食べないか? 魔導士っていっても、傭兵は体が資本だろ。もっとちゃんと食べて体力つけたほうが――」
 ユーリスの頬がさっと赤くなった。
 瞬間、また彼の地雷を踏んだのだと悟ったが、既に時遅し。
「だから――放っといてよっ! おせっかいなんだよ、いちいち……っ」
 噛み付くように言い返したユーリスの声は、しかしすぐに尻すぼみに勢いを失った。まるで声を荒げたことを後悔するように、少年の視線が惑い、やがて逃げるように再び本に戻ってしまった。
 突き返された皿を持ち直し、ナマエは半ば諦めながらも、まだ未練がましく口を開いた。
「そっか。……でも、ちゃんと食べろよ」
 口にした瞬間、やってしまったと思う。
 子供扱いされるのを一番嫌う彼に、また余計な一言を重ねてしまった。
 ユーリスは、俯いたまま小さく吐き捨てた。
「……だから、それがいらないって言ってるんだけど」
 完全な捨て台詞だ。
 ため息をつき、皿を抱えて踵を返す。
 ユーリスに拒否されたピエロギは、結局ほとんどがマナミアの胃袋に収まった。


 マナミアが料理を次々胃に収めていく様を、クォークがどこか遠い目で見ている。ナマエは二階へ上がりがてら、彼に声をかけた。
「ユーリスとマナミア、二人を足して二で割ったら……丁度良く、はないか」
「ああ、せめて十くらいで割れたらいいんだがな……。おいマナミア! 今日はもうその辺にしておけ」
 クォークがこちらへ答えつつ、追加注文をしようとしたマナミアに遠慮のない声で注意を飛ばす。
「苦労してんだな」
 大酒呑みに大食漢、なかなかユニークな仲間を抱えて大変そうだ。




 部屋へと戻ると、浴室へ向かい汗を流した。
 小ざっぱりとして部屋へと戻り、ベッドの上でのんびりしていると、ふいに扉が開いた。入ってきたのは、セイレンだ。面白いことでもあったのか、なんだかニヤニヤしている。
「お、ナマエ、なんだ風呂入ってたのか。なあ、部屋の外見てみろよ。エルザの彼女がいるぜ? これから一緒に風呂入るんだ」
「彼女?」
 首を傾げると、ナンパってヤツだよ、とセイレンはきししと笑った。へえ、と頷いて、好奇心から扉の外を覗いた。
「おかえりエルザ」
「あ、ナマエ
 エルザが声に振り返る。隣には、いかにもお嬢様風な可憐な雰囲気の少女が楽しげに微笑んでいた。
「聞いたよ、ナンパだって? やるね」
ナマエまで……、だから違うって!」
 エルザが頭を抱えた。
 その横で、お嬢様が好奇心たっぷりの目を向けた。
「こんばんは。私、アルっていうの。あなたもエルザの仲間の人?」
「うーん、正式には仲間じゃないかな。居候、的な?」
「あら、そうなの?」
 首を傾げる仕草が妙に愛らしい。
 ナマエは軽く笑い、扉を広げた。
「セイレンと風呂入るんだろ? どうぞ」
「ありがとう!」
 アルは礼を言うと、嬉しそうに部屋の奥へと消えていった。
 エルザがその背を、若干未練がましく見送っている。

「……覗く時は、バレないようにしろよ?」
「し、しないって!」
 念押しすると、エルザは慌てふためいて否定した。









2025/11/21改稿