Chapter.02
洞窟を抜けると、青空の下に太陽がまぶしく輝いていた。
目の前には、城下町へと続く街道が伸びている。
洞窟の薄暗さに慣れた目には、太陽の光が眩しい。
あの後、迷宮のような通路を彷徨い、一晩かけて元の遺跡に戻り、ようやくエルザと合流して脱出した。
まさか出口を見つけるのに一晩もかかるとは思わず、一同すっかり疲労困憊だ。
「シラフで貫徹だぜー。あーりーえーなーいー」
「やっと街道に出た……」
ぼやくセイレンに、ユーリスがうんざりしたように続く。
ぐったりする二人を横目に、久方ぶりに感じる外の空気を胸いっぱいに吸い込む。
太陽が眩しい。柔らかな風に、草花の香りが混じる。
何もかもが懐かしく、なぜかわからないがふいに目の奥が熱くなった。
――グウ。
静寂を破る自分の腹の音に、感傷があっけなく吹き飛ぶ。
「おなかすいたな……」
あいにくユーリスにもらったビスケットは、この一晩で皆と分け合って食べてしまった。
腹を押さえながらなんとなく少年の方を見ると、彼は露骨に顔をしかめた。
「なに? もう分けてあげられる食料は持ってないよ」
「あ、いや。そういう意味で見たわけじゃ……」
慌てて言い繕うも、ふん、とそっぽを向かれてしまった。
そんな二人のやり取りに気づいたクォークが、入れ替わるように近づいてくる。
「――で、外には出たが、これからお前はどうするつもりだ?」
そう問われても、特に計画もないし、答えはすぐに出ない。うーんと唸りながら腕を組み、ようやく口を開いた。
「とりあえず街までは行きたいけど……ここから遠いのか?」
「あれ? 俺たちと一緒に来るんじゃないのか?」
エルザがきょとんとこちらを見る。
そうしたいのは山々だが、リーダーの許可がまだだ。肩を竦める。
「クォークの許可があればね」
「おい、俺の許可なんざ必要ないだろう。着いてきたきゃ、お前の好きにすればいい」
クォークが苦々しく言い捨てた――その時だった。
「――誰か助けて! 子供たちが!」
長閑な空気を裂く悲鳴。全員の動きが止まる。
「なんだ?」
クォークが声のした方へ視線を向けた。
「めんどくせえなぁ……。なんなんだよ今日は!」
「とりあえず急ごう!」
エルザの声を合図に、一行は駆け出した。
辿り着いた先にいたのは――美しい白銀の毛並みを持つ巨大な猛獣。
クーガーに似ているが、それより遥かに大きい。体長は二メートル半はあろう。
「なんだぁありゃ!?」
セイレンが崩れた柱の上に佇む猛獣を見上げ、呆気に取られたように声を上げる。
「魔物……?」
というより、神獣と言った方が似つかわしい。青白い燐光をまとい、不可侵の存在のごとく神秘的な印象を与える。
「まずいよ! 子供達が逃げ遅れている!」
ユーリスが叫ぶ。柱の陰には、取り残された小さな影が怯えた顔を覗かせていた。
普段は子供達の遊び場になっているであろうこの広場は崖に囲まれた袋小路になっており、逃げ道は街道からの小路だけだ。
「あの子たちの保護者はどこだ? まさか子供を置いて逃げたのか?」
周囲を見渡して思わず呟くと、クォークが即座に応じた。
「それを確かめるのは後だ。まずは子供を逃がす。俺達がアレを引き付ける。ユーリス、魔法は子供を逃すまで控えろ。イシュタルもだ、弓はまだ引くな」
「了解。子供は僕が引き受ける」
言い終わるより早く、ユーリスが飛び出した。
「じゃあ私も――」
反対側の柱に隠れる子供に駆け寄ろうとした瞬間、低い唸りが響いた。
「グル……」
「――!」
獣が牙を剥き、こちらへ警戒の視線を向ける。
思わず立ち止まり、剣を構える。足音も立てぬよう動いたつもりだったのに、どうやら刺激してしまったらしい。
このまま襲いかかってくるのであれば、子供の避難はユーリスに任せ、自分は猛獣を押さえ込むしかない。
「イシュタル、動くな。今暴れられたらマズい。――エルザ、さっきの光で奴の気を引け!」
「ああ!」
咄嗟に状況を判断したクォークが指示を飛ばす。エルザが光を発動させ、青白い光が猛獣と彼を繋いだ。
が、しかし獣はチラとエルザの方を見て――。
「なんで……!? ダメだ、俺の力じゃあいつの注意を逸らせない!」
彼女を見据えたまま微動だにしない猛獣にエルザが焦りを見せる。
どことなく知性を感じられる振る舞いに戸惑いを覚えながらジリジリと対峙していると、猛獣の、魔物とは思えぬほど澄んだ瞳がジッとこちらを見透してくる。
もしかして、人間の言葉を理解していたり……。
そんな突拍子もない考えが不意に浮かび、まさかな……と思いながらも、そっと口を開く。
「……ここは、あんたの縄張りなのか? だとしたら怒るのも無理はない。でも、ここには子供がいる。怪我をさせるわけにはいかない。避難が終わるまで、少しだけ待ってくれないか」
静かな口調で語りかけるように獣に向かって話しかける。
「おい、魔物が言葉を理解するわけ――」
苛立った様子のクォークの声が途切れる。猛獣が警戒姿勢を解き、静かに座り直したのを目撃したからだ。
まるで彼女の言葉を理解したかのような振る舞い。
知能が高い証拠だ。
「魔物が……言うことを聞いた?」
その頃、ちょうどユーリスも子供のもとに辿り着いたようだった。
「――さあ、お兄ちゃんについておいで! もう怖くないよ」
「うん、お兄ちゃん!」
子供が怯えないようにとの配慮を感じる優しい口調は、傭兵仲間達に見せる素っ気ない態度とは正反対だ。どうやら子供の扱いは手慣れているらしい。
「あいつ子供相手だと別人だな」
「聞こえてるよ、セイレン」
セイレンの独り言に、即座に返る棘のある声。大人への態度は手厳しい。
逃げ遅れた子供は三人。
ユーリスが二人を安全圏まで送り届け、すぐさま戻ってくる。
そして最後の一人を抱えて走り抜けた瞬間――悠々と毛繕いをしていた獣が、まるで待っていたかのようにおもむろに立ち上がった。
唸り声。
「来るぞ、気をつけろ!」
クォークの警告と同時に、獣が跳ねた。
「――くッ!」
咄嗟に地面を転がって初撃をかわす。立ち上がる間もなく、次の一撃。
そこへエルザが割り込み、剣で受け流した。
「来い! こっちだ!」
エルザの拙い挑発に獣が低く唸る。
ようやく自分への注意が逸れた隙に体勢を整えた。
さっきまで立っていた足元をチラと見る。爪の一撃で地面は深く抉れていた。先ほどの攻撃を受け止めていたら、多分派手に吹き飛んでいただろう。
猛獣はこちらの動きを見極めるかのように、一定の距離を保ってゆったりと歩き回る。
と思ったら、一瞬の隙を狙って飛び掛かってくる。一撃一撃が重く、受け流すのも一苦労だ。タンク役を務めるエルザは何度か吹き飛ばされ、鋭い爪に引っ掻かれてあちこちに傷を作っていた。
「何なんだこいつ、斬っても全然手ごたえを感じねえ……!」
セイレンが苛立ちながら剣を振るう。
「隙がないな。何か怯ませる方法がないものか……おいイシュタル、あの魔法を使えるか」
「ダメだ。あんたたちも巻き込む。あれは混戦じゃ使えない」
剣を構えながらクォークの言葉に首を振る。橋でアンデッドに向けて放った雷撃の魔法は範囲魔法で、敵味方関係なく術者以外の周囲にいるものすべてが攻撃対象となってしまう。味方が近くにいる状況で使える魔法ではない。
「くそ、ユーリスが戻るまで持たせるぞ!」
とはいえ、どうも不思議と獣から殺気が感じられない。まるでこちらの実力を試しているような様子だ。
だがその時、背後から声が飛んだ。
「――さあ、もう大丈夫! 急いで逃げるんだ!」
ユーリスだ。どうやら無事に全員子供を脱出させたらしい。
そして間もなく。
「お待たせ! 加勢するよ」
掛け声と同時に、炎の魔法が炸裂した。
獣が一瞬ひるむ。炎を怖がるのは獣の習性だ。
少年の参戦で、戦況がわずかに傾く。
それでも敵はなかなか倒れず、しなやかな脚で跳ね回り、牙を閃かせた。
「ひぃ〜っ、一撃が重てぇな……。こんな魔物初めて見たぜ」
獣の攻撃を双剣で受け流したセイレンが、痺れた手を振りながらどこか楽しげに声を上げる。
「まだ来たばかりだから当たり前だよ」
「うっせーな! この島はワケがわかんないことだらけなんだよ!」
セイレンとユーリスの掛け合いに、緊張の中にも一瞬の軽さが混じる。
確かにこんな魔物が街の近くにゴロゴロ生息しているのであれば大変な話だ。だが獣の出没に慌てて逃げていった人々の反応を見る限り、そういう訳ではないのだろう。
ふと、ユーリスの言葉が気になって口を挟む。
「来たばかり、って? あんた達はもともとこの島の人間じゃないのか?」
「いや、あたしらは最近ここから北にある大陸から来たんだ」
「この島の領主に雇われてね」
セイレンの言葉にユーリスが続く。
「領主は誰なんだ?」
「アルガナン伯爵だ」
クォークが答える。
「アルガナン……?」
どこか聞き覚えのある響きだ。
そう思いながら、その名を口にした瞬間――獣が咆哮を上げた。
「――グァウッ!」
「うわっ!」
跳ねるように襲いかかってくる獣。避けきれず、地面に押し倒される。
荒い息が顔にかかる。熱く、獣臭い。
「イシュタル! っ、この……くらえっ!」
背後から炎が奔り、獣が怯んで跳び退いた。
重みが消え、息を吸い込む。差し伸べられた手を掴む。
「ほら、立って。怪我は?」
「大丈夫だ。……助かった、ユーリス」
「……いいけど、油断するなよ」
立ち上がりつつ礼を述べると、つんけんとした返事が返ってきた。
「おっ」
そうこうするうちに、ついに猛獣の動きが鈍りはじめた。
跳ねるように一旦距離を取り、唸りながらこちらを鋭く見据えている。
「やったか!?」
エルザが明らかに終わってないフラグを立てた。
「――いや、まだ油断するな」
流石にクォークは冷静沈着だ。
次の瞬間――。
「来るぞ!」
クォークの叫びと同時に、獣が地を蹴った。
「おわっとぉ!?」
セイレンの間の抜けた声が響く。
一同が構える中、猛獣は空高く跳躍し――そのまま、崖を駆け上がっていった。
「……逃げられたけど、追いかける?」
獣の姿が森の奥に消えていくのを見届けてから、肩越しに問いかける。
「もう追う気力ない……」
力のない返事に振り返ると、そこには地面にへたり込んだエルザたちの姿があった。
徹夜明けの体には、さすがに限界が近いらしい。
「――お怪我はありませんでしたか?」
「この通り、息子ら共々五体満足のままです。あなた方がいなければどうなっていたか……。本当にありがとうございました、騎士様」
街道に戻ると、待っていた男がクォークに向かって深々と頭を下げた。
先ほど助け出した子供たちが、その傍らに控えている。どうやら彼らの父親のようだ。
「騎士様……?」
手持ち無沙汰にしていたセイレンが、おかしなものを聞いたように男の言葉を繰り返した。
一拍あって、クォークは男の言葉を訂正する。
「……いえ、我々はアルガナン伯爵に雇われた傭兵です」
「よ、傭兵!? そ、それは失礼いたしました! 先を急ぎますので、これで……」
男はみるみる顔色を変え、取ってつけたように礼を言うと、子供たちを連れて逃げるように去っていった。
「……えっ? 謝礼はなし?」
あまりの大胆な逃げ足に、置いてけぼりを食らった気分で呟く。まさか人助けをして、この仕打ちとは。
セイレンが深々とため息をつく。
「やれやれ、ここでも傭兵は嫌われ者みたいだな」
「気にするな。いつものことだ」
クォークの声は淡々としていた。
「でも、謝礼くらい受け取る権利はあるんじゃないか? せっかく体張って人助けをしたのに、これじゃ働き損だ」
クォークが無言で肩を竦める。
「子供たちが無事だった。それで十分だよ」
そう言うユーリスの表情も、どこか不機嫌そうだった。
エルザは黙ったまま、唇を噛んでいる。
どうやら、これがこの世界における“傭兵”の扱いらしい。
理不尽な偏見。彼らが何をしたというのか。
胸の奥がざらつくような不快感を覚えたが、彼らがこの扱いに慣れてしまっている以上、部外者である自分が口を挟む隙はない。
「気にしてもしょうがない、行こう」
クォークの促しに、一行は街道を歩き出した。
通りを行く旅人たちは皆、彼らを見ると露骨に距離を取る。
まるで疫病にかかった病人でも見るような目。正直、いい気分ではなかった。
「あーあ、今日は気分悪いな。早く風呂に入りて」
「さすがに疲れたよ」
セイレンとユーリスがぼやく。
……確かに疲れた。
訳も分からぬまま目覚め、休む間もなく武器を振るい、おまけに空腹はピークに達している。早くどこかで一息つきたい。
「この街に、泊まれそうな宿はあるかな」
「……その前に、お前。金はあるのか?」
クォークの冷静な指摘に、あ、と声を漏らす。
「わからない……ポシェットに少し入ってるかもしれないけど」
いや、それ以前に――ここの貨幣価値すら知らない。
「なら今日のところは、俺たちの宿に泊まるといい」
クォークが提案する。
「上宿とはいかんが、安くて旨い飯が出てくる」
「おうおう、それがいい! 丁度、あたしらの部屋のベッドが一つ空いてるしな。オマケに広い風呂もついてるぜ?」
セイレンが嬉しそうに言う。
旨い飯に、広い風呂――どちらも心惹かれる響きだ。
だが。
「……“あたしら“の部屋?」
思わず聞き返す。
「ありがたいけど、……相部屋なのか?」
「なんだよ、嫌なのかー?」
セイレンが肩に寄りかかり、唇を尖らせた。まるで駄々っ子のような仕草に苦笑が漏れる。
出会ってまだ一日も経っていないのに、相部屋の誘いとは。
……さすがにこれはお人好しが過ぎるんじゃないだろうか。
「そういうわけじゃないけど……。でも、ずいぶんと信頼してくれてるんだな」
少し信頼しすぎでは? そう言外に尋ねるも、セイレンがにかっと笑った。
「そりゃーまあ、お前、ちょっと抜けてそうだし。信頼っつーか、心配?」
その率直さに思わず苦笑し、ため息をひとつ。
「……分かった。じゃあ、今日のところはお言葉に甘えるとするよ」
「そーこなくっちゃ!」
「決まりだな」
セイレンが嬉しそうにはしゃぎ、クォークが静かに頷いた。
「――おっ、城が見えてきたぜ」
セイレンの声につられて顔を上げる。
街道の先に、石造りの街門が見えた。
その奥に広がるのは、白壁と尖塔が並ぶ美しい街並み。
崩れた外壁はひとつもなく、統治が行き届いているのが見て取れる。
おそらく街としても裕福な部類に入るだろう。
「ルリ島の……アルガナン」
小さく呟く。
覚えのないはずの名前なのに、なぜか胸の奥に引っかかる響きがあった。
――どこかで、聞いたことがある。
「うっ」
しかし感傷に浸る間もなく、背後からずし、と肩に重みがかかる。セイレンだ。
「よーしイシュタル、帰ったら一緒に酒飲むぞー!」
「はは……その前にご飯食べたいな」
苦笑しながらも、頷いた。
2025/11/13改稿