月に恋したドン・キホーテ
-scherzando-




 魔王への対抗手段を模索しつつ、イレブンのかつての仲間を探し求める旅。当初は辛く長い旅路になるかと思われたが、やはり天は勇者に味方しているらしい。
 デルカダール王の助言に従いソルティアナ海岸へと抜け、雪山を臨むドゥーランダ山にあるという勇者ゆかりの地を目指す。その中腹に郷を構えるのは、代々のユグノア王家の王子が修行に訪れていたというドゥルダ郷。そこで再会したのはイレブンの祖父、ロウであった。彼は世界崩壊の折に郷を守ってそのまま帰らぬ人となったニマ大師に再び師事すべく、大胆にも生と死のはざまの世界たる冥府へと飛び込み、そこで修行に明け暮れていたらしい。ドゥーランダ山山頂にある聖域の御堂で即身仏と成り果てたロウの姿には肝が冷えたものの、イレブンは危険を冒して祖父の魂を連れ戻すべく冥府へと向かい、そして二人揃って無事帰還した。それもちゃっかりドゥルダ郷に伝わる奥義を習得して。
 魂が肉体から長時間離れていたためか、二人とも極度に疲弊していた。郷に戻って一晩世話になり、目覚めたイレブンとロウの生還を祝って郷の者たちがささやかな宴を開いてくれた。前日もイレブンの訪れを歓迎して盛大な宴を開いてくれたばかりだというのに……。とはいえこういうものは遠慮をするものでもなく、もてなしをありがたく受け取ることにした。


 火鉢の中で燻された香木の紫煙がふわりと浮かんで、小さな採光窓から差してくる光を柔らかに拡散している。天井から垂れさがる祈祷旗が風に揺らめき、床や壁を覆うのは動物や植物などの色彩豊かな模様が織り込まれた毛織物。ドゥルダ郷はその寒冷な気候から身を守るため山の一部をくり抜いたところに堂が建てられ、いわば洞窟住居のような造りとなっているためか内部は思ったより暖かく、湿度もよく保たれている。奥の住居スペースへ進めば、それこそ半袖でも過ごせる程度の快適さだ。
 郷の人々の宴席スタイルは独特で、敷物を敷いた床の上に食事を並べ、それを囲んで車座になって食事を頂く。テーブルと椅子の文化で育ったグレイグにとっては慣れないスタイルだが、大皿に盛られた料理を好きなだけ取り分けて食べるのは意外と楽しいものだった。敷物の上に直接置かれた料理から香るスパイスは嗅いだことのないものだ。ひよこ豆と羊肉の焼き飯に肉汁したたる焼豚、青菜、骨付き肉と麺のスープ。ほかほかに蒸した饅頭。いずれもこの上なく食欲をそそる。食事の共には高原で採れた茶葉の燻製茶か、アニスに似た匂いの香草で香りづけされたきつい穀物の蒸留酒。ストレートで飲むと、喉が焼けるようにぴりぴりとした。

 共に食事を取る人々の輪に交じりながら、グレイグは丁度真向かいで祖父と孫が仲良く酒を酌み交わしている様子を眺めていた。なんとも心動かされる光景か。やはり家族はともにあるべきなのだ。少年の常にない笑顔を眺めながら、ロウが生きてイレブンの元に戻ってきてくれて良かったと心から安堵を覚える。と同時に思うのは、消息不明のマルティナ姫のことだ。必ずや見つけ出し、今度こそ王の元へとお連れせねばと強く誓う。
 ロウが目覚めた際、これまでの数々の非礼はきっちり詫びてある。彼は流石大国の元王らしく鷹揚に赦しを与え、グレイグの肩の荷がまた一つ降りた。さてこれからどうすべきかと思案しているところにロウがもたらした情報により、旅の目的も定まった。仲間の消息を辿りつつ、神の乗り物とやらを探す旅だ。あてのない旅に当面の目標を見つけられたという安堵感から、杯を空にするペースが徐々に上がっていく。
「ほんとよかったね、おじいちゃん無事で」
 隣に座るナマエがぽつりと呟いた。彼女はクッションを抱き枕代わりに抱きしめ、その視線はグレイグと同じ方向を向いている。甕を持ち上げ手酌で空にした茶器に再び酒を満たしつつ、「うむ」と彼女の言葉に同意した。ここの酒はキツいが、癖になる味だ。まだ酩酊するほど飲んではいないが、そろそろ気をつけた方がいいだろうと頭の隅に留めつつ、ちろりと茶器に満たした液体を舐める。
 爆弾が落とされたのはその時だった。
「でも、グレイグってああいうのが好きだったんだ。なんか、あんたも普通の男なんだね。……まあいいけど」
 ごふっ、と思わず咽こんだ。まさかそれをこの場で持ち出されるとは思っていなかったため、完全に油断していた。ナマエが口にしたのは、聖域の御堂でロウの傍らに置かれた本のことだ。肌を露出した女性が数多く描かれた扇情的な本――数多の男たちがお世話になってきたいわゆるムフフ本というヤツで、青年兵時代あまり女性とお近づきになれなかったグレイグにとっても青春の思い出であり、そして今も尚たまにお世話になることがある。ロウが所蔵していた本は希少性が高くほとんど市場に出回らなかったもので、それを目にした喜びに思わず我を忘れてしまったのだ。
『むっ……! これは数あるムフフ本の中でも最高と名高い「ピチピチ★バニー」ではないか!』
 まごうことなく、魂の叫びだった。だがそれまで硬派なキャラを貫いてきたグレイグにとって、これは大いなる痛手だった。あの時の微妙な空気と同行者から向けられる生ぬるい目線が今でも忘れられない。
「いやっ、あれは、その……!」
 ろくな言い訳も思い浮かばぬくせに、反射的に取り繕おうとして隣を振り返る。慌てて茶器を床に置いたため、中身が少し零れてしまった。顔をしかめて濡れた指先を払っていると、ナマエが少し呆れたように苦笑いを浮かべた。
「別に責めているわけじゃないよ。男にはああいうのが必要なのは分かってるし。……でも読む時はこっそりやってね」
「こ、心得ている」
 要望に小さく諾と頷くと、ナマエは再び視線を祖父と孫へと移した。
 イレブンよりも一歩早く目を覚ましたロウはまず『腹が減ったのう』と呟き、それからずっと底なしの食欲を見せている。皮と骨だけだった体はあっという間にふくよかな体形へと変化し、昨日までの人物とはまるで別人のようだ。
「人間の生命力って底知れないねえ。それとも、あのおじいちゃんが特別なのかな?」
 椀いっぱいの粥を掻き込むロウの様子に笑いを零し、ふとナマエは抱えていたクッションを手放し立ち上がった。
「どこへ行く?」
「ちょっとおじいちゃんに挨拶してくる。あと最高って言われているムフフ本の中身も見せてもらってくる」
「お、おい! アレはご婦人が目にするようなものでは――」
 止める暇もない。グレイグの警告をひらひらと片手で流しつつ、ナマエはするりと人の輪を抜けて祖父と孫の元へと向かってしまった。

 まったく……。責めてはいないと言いつつも、あれは自分への当てつけか。再び茶器を持ち、じとりと半目になりながらナマエの動向を見守る。ムフフ本に関しては一ミリも言い訳できない立場なので、これをネタにこれからもからかわれるだろうことは容易に想像がついた。
 本当にへまをしてしまった。自分に憧れて剣を取ったというナマエの尊敬を失ってしまった事実が、胃に重くのしかかってくる。果たしてこの先、挽回する機会はあるのだろうか……。
 視線の先では、急に顔を出したナマエをロウとイレブンが快く歓迎している光景が繰り広げられている。べっぴんじゃのう、とスケベじじいよろしく相好を崩すロウに向かって、澄まし顔で微笑むナマエは容易に手の届かぬ高嶺の花のようだった。
 彼女はまだムフフ本のことは持ち出していないようだ。和やかに談笑をしつつ、ロウに杯を勧められて三人で乾杯をしている。だが思い切りよく杯を空にする彼女の横顔に若干の不安がよぎった。彼女に限って酒が過ぎることはないだろうが、なるべく目を離さないようにしたほうがいいだろう……。
 そう思いとどめ、しかし不意に目の前に現れた胴着姿の男に意識を奪われる。
「グレイグ殿! 双頭の鷹と名高い貴殿とひと勝負願えませぬか?」
「おお、構わんぞ」
 急に声をかけてきたのは、修行中の身の年若い男だった。先程宴席の端で、参加客に腕相撲での勝負を申し込んでは次々打ち負かしていた姿をちらと見た記憶がある。酔ったもの同士の、宴席での戯れのようなものだ。
 そういう男同士の手荒い遊びは嫌いじゃない。グレイグは申し出に快く応じ、傍にあった長テーブルを勝負台代わりに男の挑戦状を受けとった。そして。
「あ~やっぱり負けたか……! いてて、腕相撲のやりすぎで腕が痛いっ。くうっ、俺としたことが双頭の鷲殿相手にハンデを与えてしまったか? これはもしかしたら、最初にグレイグ殿に勝負を申し込んでいれば結果は違ったかもしれんなぁ!? あ~口惜しや!」
 結果は一瞬で付き、男は負け惜しみを口にしながらごろごろと床に転がっている。
「挑戦はまたいつでも受けてやる。痛めた腕はきちんと養生しろよ」
「く~っその余裕! 次こそ勝つ!」
 苦笑しながらも敗者を労うと、減らず口を叩きながら退場していってしまった。おかしな男だ。呆気にとられながら男の後ろ姿を見送っていると、つい先ほどまで男が座っていた長テーブルの向かい側に人影がさっと座った。その人物の顔を確かめようと振り向いて、思わず二度見した。
ナマエ?」
 呼びかけに応えるように彼女が挑発的に笑う。ナマエは腕まくりをした利き腕を気合い十分な様子で差し出してきた。
「次、私ね」
「は? ……本気か?」
「もちろん」
 真剣に頷く彼女の頬は紅潮しており、その目は若干座っている。その様子から、すぐにとある可能性に思い至った。
「……酔っているのか?」
「ちょっとね」
 ナマエは舌舐めずりしてにやりと笑った。さくらんぼのような健康的な色の唇からちろりと見える赤い舌が妙に煽情的だ。なんたることか、目を離している隙に酒が随分と進んだようだ。酔った彼女はやけに好戦的で、その上厄介にも挑発的だった。酒で体が火照っているのか、いつもはきっちりと締められている襟元がはだけ、うっすら染まった肌が露出している。溢れそうな白い谷間が、視界にちらちらと映って非常に目に毒だ。強力な磁力に惹きつけられるがごとく谷間へと吸い込まれそうになる視線をなんとか逸らし、グレイグは顔を顰めて苦言を呈した。
「だらしないぞ、前をちゃんと閉めろ」
「保護者ヅラしないで。ほらはやく、腕出して」
 しかし気もそぞろな言葉には所詮吹けば飛ぶような重みしかない。苦言は軽くあしらわれ、彼女に急かされてやむなく勝負を受ける。
 差し出された手の指先が触れ合った瞬間、ぴりりと電流が走った気がした。ぎゅうと握りしめた手は熱く、不安になる程細く頼りない。誤って握りつぶしてしまわないだろうか。向かい合う前腕同士の太さがまるで違う。剣に生きるものとして彼女もそれなりに鍛えてはいるのだろうが、それでもこれだけ違うのだ。だが彼女は負ける気はさらさらないらしい、挑発的な瞳でグレイグを見つめている。
 合図とともに、ぐっと力が込められる。彼女の渾身の力は、まもなくグレイグの腕を圧倒しはじめた。「手加減してるの? 余裕だね」 このまま押し返しても良いものかと思案していたグレイグはナマエの声にハッと我に返り、むしろ彼女相手に遠慮は無礼と思い直してぐっと腕に力を込めた。ぱたん、と先にテーブルに手の甲が着いたのは勿論。
「ううーん、やっぱり力では敵わないかあ」
 テーブルに突っ伏したナマエが悔しげに呻く。圧倒的な体格差を目にしてもなお勝機を伺っていたのなら感心する。
「腕相撲はシンプルな腕力勝負だからな。別の勝負ならば俺に勝てる可能性もあるのだろうが」
 彼女が気落ちせぬよう慰めるつもりで掛けた言葉だった。だがちらと顔を上げてこちらに流し目をくれたナマエがふと意味深に微笑みを浮かべたものだから、嫌な予感に脳内で警告音が鳴り響く。
「んー、でもグレイグはずるいよね。こんなにふとくてたくましくて、りっぱなものをもっててさ」
「ンッ!? ――ん、う、うむ」
 つう、と伸ばされたしなやかな指先が、長テーブルの上に置かれた腕の表皮を這っていく。前腕に走る太い血管の上をさわさわと刺激され、ぞわ、と鳥肌が立った。扇情的な仕草に挑発的な台詞は恐らく例の本仕込みか。まさしくムフフ本でしかお目にかかれないような言葉を彼女が口にしたのは自分の動揺を誘うためだろう。つまりこれは罠だ。危うく心臓が口から飛び出しそうになるのを堪え、なんとか平静を装うことに成功した。
 が、ほっと安堵する間もなく、容赦なく次の追撃が迫る。
「やっぱりこれくらいじゃ動じないかぁ。じゃあ、こんなのはどう?」
「――はうあっ!」
 急に前腕が柔らかく暖かいものに包まれ、思わず奇声を上げて硬直した。ふにゅん、とスライムのごとく柔らかなものの正体は先程視線を釘付けにされた魅惑の谷間だ。片手では勝てぬと悟ったか、ナマエはグレイグの利き腕を両手で絡めとり、胸に抱きよせるようにして自重を掛けてきたのだ。天晴れな程の卑怯な力技に流石のグレイグも敵わず、ぐぐぐっと徐々に押され始めた。
 いや、この際勝負などどうでもよい。この状況は一体なんなのだ? 腕が至福に包まれている。我が腕ながらなんともうらやま、いやけしからん。しかし悲しいかな腕を振り払うこともできない。どうすればよい? 一体どうしたらこの難関を切り抜けられるのか。あまりの混乱に思考回路がめちゃくちゃになっていることすら気づかずに、ひたすら情けない声を上げながら首をぶんぶん振り回すことしか出来ない。
「お、おま、ま、待て……! あたって、あたってる!」
「あててんの、よっ!」
「ぬおっ!?」
 気合いとともにのしかかってきたナマエを止める手立ては最早ない。ぐぎっとテーブルに着いた肘が嫌な音を立て、どん、と己の腕と彼女の上半身が沈んだ衝撃に少しばかり揺れが走る。
 しん、と一瞬空気が静まった。グレイグの腕を抱いたままテーブルの上に伏せたナマエとふと目が合って、彼女はその勝気な目をきょとりと瞬かせる。
「……勝った! 英雄グレイグに勝ったわ!」
 次の瞬間、己の勝利を確信して喜色満面で両手を天に突き上げた。
 卑怯な手段で得た勝利でもやはり嬉しいものなのか。きゃっきゃとはしゃぐ彼女の様子を呆れ半ばで眺めつつ、グレイグはぐったりとしたままかける言葉も思い浮かばない。まったく振り回されている。ようやく解放された腕を摩りつつ、喜びを周囲に振りまいているナマエを横目に眺めていると、急に彼女の前に新たな挑戦者が現れた。
「ほお、グレイグを打ち負かしたとはあっぱれじゃ。ナマエよ、次はワシと勝負せんか?」
「僕も」
「だ、だめだ! 絶対にだめだ!」
 はいはい、と食い気味に挙手してきた元国王と王子の暴走の予感を察知し、あわててナマエを後ろへと隠すように身を乗り出して悪ふざけを阻止する。この祖父と孫が油断がならないことはとっくにお見通しなのだ。ロウは自分と趣味趣向が合致するが故のあえての警戒だが、イレブンに至っては彼を悪魔の子として追跡していた際、訪れた街で聞き込みをすると必ずといっていいほどぱふぱふガールからサラサラヘアーの少年の存在を耳にしたためだ。あの少年の無垢で純真そうな顔に騙されてはいけない。奴もまた自分と同じ男という生き物なのである。
 酔いのどさくさに紛れてあわよくばいい思いをしようとしていたところを邪魔され、すけべじじいもといロウが自慢の髭をつねってつまらなさそうに口を尖らせる。
「なんじゃグレイグ、お主ばかりずるいのう」
「ま、全くずるくありませぬ! ナマエ! お前も調子に乗りすぎでは……ナマエ?」
 背後を振り返り、思わず言葉を飲み込んだ。彼女そっちのけで騒いでいるうち、なんと騒動の原因がこっくりこっくりと気持ちよさそうに船を漕いでいるではないか。
「うーむ、ぱふぱふの女神はどうやらおねむのようじゃの。致し方あるまい。またの機会を狙うとしようぞ」
「ロウさま……おふざけが過ぎますぞ」
「おお、叱られてしまったわい。しかしわしにはお見通しじゃぞい。グレイグ、お主……硬派な振りをして、実は内心ではナマエのぱふぱふの感触を楽しんでいたじゃろ?」
「なっちがっ!」
「ええのうええのう。わしもぱふぱふしてもらいたかったのう」
 まるで彼女を軽く見るかのようなロウの発言に、思わずカッとなった。
「おやめください! 彼女は大切な恩人、まかり間違ってもそのような疚しい目で見ることはありえませぬぞ! いくらロウさまといえども、彼女をぱふぱふガールと同列に扱うのは許せませぬ!」
 ……が、流石ロウは渾身の怒声に怯む様子も見せず、逆に何故かグレイグに対して呆れる様子を見せた。
「はぁ~頭が固い男じゃのう。どう思う? イレブンよ」
「うーん……、まあ、グレイグさんらしいというか」
 挙句、イレブンからもなぜか残念なものを見るかのような目線を向けられている。解せぬ。別段おかしなことを言ったつもりはないが……。
 自分の言葉を振り返り、不可解な二人の反応に眉をひそめる。ふと背後を振り返ると、グレイグを悩ます渦中の人物が呑気に寝こけている姿が目に入った。その穏やかな寝顔を眺める己の胸中に、言葉にできぬもやもやとしたものが浮かんでは消えた。


 翌朝、ドゥルダ郷を出発した。
 祖父との再会にイレブンは俄然元気が出てきたようだった。世界が崩壊する前にかつての仲間たちと辿った足取りを再び辿るように世界を旅すれば、一人、また一人と再会を果たすことができた。
 プチャラオ村では旅芸人シルビア、そしてシルビア号の船倉ではなんと記憶喪失の盗賊カミュと。かつての大盗賊といえども記憶を失えばただの気弱な青年だ。カミュに対してはそれなりに気遣いを見せたナマエだったが、ムードメーカーたるシルビアの振る舞いに最初忌避感を示していたのが意外だった。男の動きに合わせてひらひらと舞うド派手な衣装の羽飾りを見て、めいっぱいに顔をしかめていた。
「なにあの極楽鳥みたいな男。苦手なタイプの男だわ」
「やだー悲しいっ。ねえそんなこと言わずに、仲良くやりましょうよ」
「近寄らないで、なんかムズムズするから」
 まるで不審者に向かって毛を逆立てる猫のようだ。しかしそこは腐っても夢を売るエンターテイナー、人を誑かすことにかけては相手の方が数段上手だ。シルビアのあの手この手の懐柔策に、まもなく警戒を解いたようだった。
 どうやらナマエは派手な男が苦手らしい。かといってグレイグのような男が好みとは言っていないのに、シルビアのような人を惹きつけるカリスマ性に溢れた男を避けようとするナマエに、なぜか安心する自分がいた。どこに安心する要素があるというのか。自分の感情が理解できなかった。



「ねえ……アタシのイヌにしてあげましょうか? 世界でいちばん幸せなペットにしてあげる」
 グロッタではとうとうマルティナ姫の消息を掴んだものの、その時すでに敵の手に落ちており、再会の余韻に浸る間もなく剣を交える羽目になった。
「ひっ、姫さま……! なんとはしたない……! もしやブギーなる不埒者に操られておられるのか。気高き姫さまには、このような場所はふさわしくない。大事な姫さまに手荒な真似をしたくないが、しかしここはやむを得ぬ……お覚悟召されよ!」
 かつてお仕えした姫があられもないバニー姿で男を挑発する姿は見るに耐えなく、必ずや正気に戻らせ王の元へとお連れすると決意し、剣を握った。
 そして。

 ――パンッ、と軽妙な音がすぐ耳元で鳴り、はっと我に返った。腕の中を見ると、真っ赤な顔のナマエが自分を睨みつけている。どうやらまた魅了の技で我を見失っていたらしい。いったいこれで幾度目か。生来の耐性のなさ故か、それともむっつりが災いしてか、シルビアのツッコミが追いつかないほどにダントツで魅了されまくっていた。仲間には合わせる顔がない。
 今回はナマエの張り手で正気に戻ったようだが、しかし驚くべきはこの体勢だ。なぜ自分は彼女を抱き寄せているのか。
「グレイグ、あんたいい加減にしなさいよ……」
「め、面目ない」
 その上いったいなにをやらかしたのか。記憶のないグレイグは謝ることしかできない。
 慌ててナマエを解放し、再び戦闘へと戻る。機嫌を損ねている彼女に尋ねられる雰囲気ではなく、やむなくイレブンへとこそりと耳打ちした。
「今度は一体何をしたのだ、俺は」
「急にナマエに抱きついて、手にめちゃくちゃスリスリしてた」
「は?」
「あと手にちゅっ、てしてた」
「んなっ」
「『俺の女神』って意味深ね? ウフフ」
「大胆ですねグレイグさん。オレ、見ててちょっと恥ずかしくなってきちゃいました……」
「キザじゃのう」
「――くっ、今すぐ腹を切らせてくれ!」
「……ちょっとそこ! 真面目にやって!」
 自分の所業に頭を抱えていると、さらに怒られてしまった。胃が痛い。


 苦労の末、なんとかマルティナ姫を操っていた悪の親玉ブギーの撃破に成功した。姫も無事正気に戻り、ひとまずはなんとかこれで王に顔向けができると安堵する。
 しかし立派に成長された。幼かった王女は強く美しい女性へと変身し、王位継承者にふさわしい威厳すらも兼ね備えている。しかもあのように立派な……立派なものを胸元に携えて。
 目線が自然と胸部へと吸い込まれていく。魅了の術の影響でも残っているのだろうか。すぐに己が不躾な視線を送っていることに気づいて慌てて顔をそらすと、隣のナマエと目が合った。ここでもまた懲りずに、腕を組んで不機嫌そうな彼女の胸のふくらみに目が行ってしまい、これはまずい、と思った瞬間。
「……なによ」
「い、いや」
 きゅう、と敵意も露わに彼女の眉間に皺が寄る。
「ねえ……いま絶対見比べたでしょ?」
「いっ、いやいやいや! 断じてそのようなことはしていない!」
「へえぇほんとかなぁ? 誓って一ミリも見比べてない? 英雄嘘つかない?」
「ぐっ、誓いを持ち出すとは卑怯な……! 虚偽が許されないと知っての所業か!?」
「うんうんそうかもね。……で?  どうなの?」
「――み、見比べ、ました……っ!」
 追い詰められて己の罪を認めると、よく出来ました、とナマエがにっこり笑う。と、スパンッ、と今度は先程と反対側の頬に彼女の手がクリーンヒットした。
 咄嗟に取り繕おうとする努力は徒労に終わったのだ。疚しい目線というやつはなぜこうもすぐバレてしまうのか。ああ無情。

 両頬に出来た赤い手のひらマークがヒリヒリと痛む。マルティナとの再会に湧く仲間たちの姿を遠巻きにしつつ、憮然とした顔で腕を組んで仁王立ちをしていると、隣にすっと並ぶ人影があった。ちらと脇を見ると、その人物と目が合う。
「男っぷりが上がったのう」
 にしし、と訳知り顔のロウがこちらを見て意味深に笑った。