将軍は可愛いものがお好き・前篇
――高嶺の花、という言葉をご存じだろうか。
一般的には、凡人がおいそれと手の届かないような美しく高貴な方のことを指す。ごく一部の限られた人だけが、独占していい花のことだ。その意味の通り、そうそう濫発していい言葉ではない。
しかしおそれ多いことに、ここ魏の将兵の中では、私ことナマエもその高嶺の花として見られることが多い。それもそのはず、私は元は甄姫様の親衛隊隊員にして現在は一個隊を預かる将軍なのだ。残念ながらまだ副がつく方だが。つい先日、念願の昇進を果たしたのだ。
甄姫様の親衛隊、といえば顔はもちろんスタイルも芸術も武術も秀でてなければ採用されないと言う、女子兵卒にとってはまさしく難関中の難関。私は親衛隊になれただけで満足だったのだが、しかし当の主人に「あなたは人を導く素質がありますわ……将校の位を目指してみたらいかが?」と持ち上げられ、おだてに弱い私は一念発起し、鍛錬と猛勉強を重ね、念願叶ってつい先日昇進したのだ。
今日はそのお祝いにと元親衛隊仲間が集ってくれ、仲良く女子会だ。ここに集まるはそんな高嶺の花と評価される女性たちばかりだ。正直、絵面は最高に煌びやかだ。
しかし、本音を云えば年齢的にはそろそろ”元”とついてもいい頃だ。言っちゃあ悪いが、全員ほとんど嫁き遅れに近い状態だ。一般的に見ればだいたい十代後半が適齢期と考えられているのだから、もちろんそれは過ぎている。兵士なんて職業だったら、なおさら婚期なんて逃しやすい。もちろん私もその一員なわけで。
……だが本当の原因はそこじゃないのだ。顔はいいのに、姫様の親衛隊は性格がアレな方々ばかりで敬遠されがちなのが実態だった。部下は主人に良く似るとは云ったもので、戦時におけるサドっぷりはまさしく主人そっくりだ。
いやいや、彼女たちのためにフォローしておくと、根は素直で優しい方々ばかりだ。
……いや、だからこそその豹変ぶりにはっきり言ってまわりはどん引きしてると思う。確実に。
「でも本当おめでとうナマエ! これであなたもようやく甄姫様に一歩近づけたのね」
いえいえ滅相もない。私は元同僚のお世辞に笑顔で応えた。と、元同僚其のニが好奇心に満ちた目を私に向ける。
「ところで誰の方の副将になるの? もう決まったのかしら?」
恐らく一番気になっていた話題なのだろう、他の方々も勢いこんで耳を傾けるのが分かった。
「いえ、まだなのです。正式な決定は春の除目を待たなくては」
期待はずれの回答に、あらそうなの、とつまらなさそうな声が返ってきて私は苦笑した。
しかし、
「ねえ、なるんだったら誰の副将がいいかしら。私は司馬の若様方がいいわぁ」
「私は断然曹丕様ね!」
と、主人に聞かれたらただじゃすまないことを言い出す猛者もいる。しかし所詮は妄想で終わる話題だし、想像するくらいならば罪にはならないだろう。
「鍾会様とか?」
「いやねえ、あれは論外よ。残念すぎるわ主に性格が」
「鄧艾様とか素敵よね!」
「あーわかるわかるぅ! あの筋肉! ぎゅっとされたーい!」
きゃー、と、女子会らしく黄色い声が飛び交う。平和だなぁとしみじみ思ったその時。
「で、ナマエは誰の副将希望なの?」
急に思い出したように振られ、それで私はここぞとばかりに張り切って、
「それはもちろん、甄姫様に決まってます!」
と言ったら、急に場が白けた。
「あー、そう……」
あああもう、この人たちは!
結局、私は徐晃様の副将に決まったという内示をいただいた。徐晃様……ご本人はとても良い方なのだが、なんというか、部下に癖があるのだ。
そう、例えば。
「そこっ! さぼらない!」
訓練中にだらけている兵士を見つけて激を飛ばすと、
「ありがとうございます!」
と輝く笑顔が返ってきて。
武器の鞭を振りかざすと、
「我々の業界ではご褒美です!」
何それ怖い。
――という感じでマゾっ気気質な人がいやに多いので、毎回鳥肌を押さえるのが大変で仕方ない。やっぱり武の頂きを目指す人の部下はさすが一味も二味以上違う。
……というか、もしかして武器が悪いのかしら。
という訳で、本日の調練には使い慣れない剣を携帯してみた。結果はあからさまに残念な反応が返ってきて、それはそれでなんだかムッとしてしまった。
もう私にどうしろと。
そんな日が数日も続けば人間嫌になるのも当然だ。
私はぐったりとしながら中庭をゾンビのごとくふらついていた。
「はー、今日も一日乗り切ったわぁ……」
と、その時だ。
キャン、と足元から甲高い声が聞こえて、視線を落とした。そこには。
「こっ、」
(子犬ぅうう!)
少し薄汚れた小金色の子犬がちょこんとお座りしていて、つぶらな瞳が私を見上げていた。一気にテンションがあがる。
「かっ、可愛いぃいいい! なにこの子どこの子? あなたどこから来たの?」
膝をついて手を差し出すと、子犬は尻尾を千切れんばかりに振り寄ってくる。子犬はくんくんと鼻先で匂いを嗅ぎ、また私を見上げてくる。私はすっかりデレデレになったみっともない顔を気にすることなく、太ももに前足を乗せて私の顔を覗き込んでくる子犬に頬を摺り寄せた。キャラ崩壊? そんなの気にしない! 可愛いものは可愛いと云って何が悪い!
「ああん癒される。よしよし、よしよしよし」
わしわしと心の荒ぶるまま子犬のもこもこした毛皮を撫でまくる。思いもよらぬ至福の時だった。
「――誰かそこにいるのか?」
「ひっ」
いきなり背後から声がした。
バッと背後を振り返ると、回廊の角からこちらを覗いている人がいた。
その顔を見て、私は内心叫んだ。その人はこの魏国の実力者のご子息で、ご本人も素晴らしい実力をお持ちで、性格もとても謙虚で、かつ可愛らしいお顔をなさっており、つまり。
「か、夏侯覇さま」
震える声で名を口にすると、名を呼ばれた当人が少しばつの悪い表情を浮かべながら「よっ」と手を上げた。
慌てた私は咄嗟に子犬を背中に隠して、会釈した。顔がかなり熱い。きっと顔が真っ赤になってしまってるんだろう。夏侯覇殿の表情を見る限りどうやら一部始終を見られた後のようで、今更背中に子犬を隠しても無駄だったろうが、兎に角私の心情的に隠したかった。
――夏侯覇殿は、夏侯淵将軍のご子息にして魏国の将軍だ。まだお若いのに次々と戦場で功績を挙げておられるとても優秀な方だ。お顔立ちはとても可愛らしく、その人柄は老若男女から好かれている。
よりによってそんな方に、
(あああ、もうどうして夏侯覇殿に見られちゃうかなー!?)
何せ私は魏軍では『高嶺の花』キャラなのだ。自分で言っちゃおしまいだが。
キャラ崩壊なんて気にしない! と思った瞬間から、実に数拍後の出来事だった。
夏侯覇殿がこちらに近づいてくる。本来なら立ち上がって挨拶をしなければならないところだが、背中の子犬の存在がために膝立ち状態から立ち上がれない。おまけに背後でもぞもぞと動いてくれて、落ち着かない。
「ここで何してたんだ?」
夏侯覇殿が尋ねる。本日は礼服を着込んでいらっしゃって、とてもお似合いだった。
「こ、こんばんは夏侯覇様。ほ、本日はお日柄も良く……」
「まだ昼間だけど」
「はっ」
しどろもどろで挨拶をすると、まだ頭が混乱中のためか訳のわからないことを口走ってしまう。夏侯覇殿はそれが可笑しいのか、ぷっと噴出した。笑うと一層少年らしい雰囲気になり、全身から爽やかさがあふれ出している。
ちなみに夏侯覇殿とは戦場で顔を合わせるくらいで、殆ど会話らしい会話をしたことがない。というか夏侯覇殿が私のこと自体を知っているのか怪しいくらいだ。
――と思っていると。
「ナマエさん、今調練終わったの?」
あ、名前知っていたのか、と意外に思いながら「はい」と返事をする。
「そっか、お疲れ様。徐晃殿の軍はなんか大変そうだね」
「え、そうですか……あはは」
あらやだ顔に出ていたかしら、今日は美容液盛らなきゃ、と後ろに回していた手を思わず頬に当てる。
と、その時だ。突然太ももの裏に生暖かい湿った何かがあたった。
「ひゃんっ」
「おっ」
咄嗟に悲鳴を上げると、夏侯覇殿がびっくりして一歩後しざる。
私はというと夏侯覇殿にフォローする間もなく、両の太ももの隙間からぐいぐいと押してくる力に負け、片膝を一歩前へとずらした。
ぼふっと股の下から顔を出したのは。
「――もう、何処から出てくるのよ君は!」
きゃん! と返事をするように子犬が鳴く。
……ダメだこの子可愛すぎる。
私は思わず両手で顔を覆った。
「……な、なんだ、犬っころか」
夏侯覇殿が自らの胸に手を当て、ほっとため息をついた。
が、すぐにすっぱい顔になり、顎に手を当てて唸った。
「っていうか、けしからん場所にいる犬っころだなー」
それもそうだ。その台詞にはっとした私は、慌てて股の下でくつろいでいる子犬を引っ張り出し、抱き上げた。
夏侯覇殿と並ぶように立つと、ヒールのせいもあってか、私の背丈の方が若干高い。まあ夏侯覇殿はまだまだ成長期だから、きっとこれからもっと伸びていくのだろうが。
「そいつ、ナマエさんの子犬?」
「え? いいえ、違います。たまたま通りかかったら、ここに居て。どなたが飼い主なんでしょうね?」
「野良かもしれないな。首輪ついてないし」
あら、と彼の言葉に私は子犬をまじまじと観察した。確かに飼い主の証になるものがどこにもない。
と、ある一点を見つけて思わず呟く。
「……雄ですね」
「やめてってば」
夏侯覇殿が横で顔を赤くしている。あらやだ可愛い。
「ナマエさんってそういう性格してたんだ」
ニヤニヤしていたのがバレたのか、夏侯覇殿がジト目でこちらに視線を送る。
「あら、そういう性格ってなんでしょうか?」
「……そういうところを云ってんの!」
夏侯覇殿は照れたようにがしがしと頭を掻く。あらやだその反応楽しい。私は顔がこれ以上みっともなくならない様に、頬を手で押さえた。子犬がまたキャンと鳴いて、鼻を擦り付けてきた。
夏侯覇殿は諦めたようにため息をつき、肩をすくめた。
「……でも、ナマエさんってほんと動物好きなんだな」
「え?」
暴れだした子犬を地面に降ろしていた私は、その言葉に顔を上げた。
「なんていうか、意外っていうか。普通子犬一匹であそこまでテンションあがる人もいないよなぁ」
ハッとして満面の笑みの夏侯覇殿を見る。彼の顔は、私のあのキャラ豹変の瞬間から一部始終を見たと物語っている。私は先ほどの醜態を思い出し、一気に顔に血が上った。
「お、お恥ずかしいところを失礼しました」
若干片言交じりでそう云い顔を伏せると、今度は慌てたような声がかかる。
「い、いやいや、全然! 俺のほうこそ邪魔してごめんな?」
顔を上げる。夏侯覇殿が困ったように眉尻を下げている。その顔が、何かに似ている。キャン、と足元で子犬が鳴く。
(あ、そうか)
子犬の瞳に似ているんだ――。
いいえとんでもない、と私は微笑んで、クスクス笑った。私が楽しげに笑っているのを見て、夏侯覇殿は首をかしげた。
ようやく笑いを収めると、一息ついて私は夏侯覇殿に向き合った。
「あの、夏侯覇様」
「ん?」
「このことは、どうかご内密にしてくださいませんか?」
私が実は動物大好きで赤面症で意外とさもしい性格だと知れたら、とりわけ自軍の士気にかかわるような気がする。そんな思いからのお願いに、夏侯覇殿は驚いたように目をぱちくりとさせていた。
「え、あ」
と、ハッと我に返ったようだ。私の視線から慌てて逃れるようにくるりと背を向けると、わざとらしく声を上げる。
「あ、あー、そうだな。どうしよかなー?」
え、何その反応。
思っていた反応と大分違い、私は若干不安になって無言で夏侯覇殿の背中を見守った。
と、黙り込んだ私を不審に思ったのか、夏侯覇殿が振り返ってぎょっとする。
「じょ、冗談だって。誰にも云わないよ絶対!」
慌ててそう告げられる。私はほっとして、約束ですよ、と笑った。こくこく、と夏侯覇殿が頷く。
それにしても、と、私は自分の顔に触れた。ぎょっとされるような怖い顔でもしていたかしら。
むにーっと自分の頬をつねっていると、夏侯覇殿が急に思い出したように云った。
「そうだ、副将に昇進したんだったな。おめでとう」
「あ、はい! ありがとうございます!」
素直に礼を言う。
夏侯覇殿はなんだかほっとしたように息をついた。
「――ナマエさんってもっと堅いやつかと思ってたよ。全然違ったけど」
去り際に、彼はそんなことを言い残していった。
「少しだけど、今日は話せてよかったよ」
満面の笑みでそう告げられて。ああやだもう、この人可愛い。
私が顔を覆って悶絶していると、夏侯覇殿が去ってしまって寂しいのか、くうん、と足元の子犬が鳴いた。
***
私はそれから暇を見つけては中庭の子犬のところに通った。毎回尻尾を振って歓迎してくれるので、可愛くて仕方がない。
どうやらこの子犬は門番やら女官やらいろんな人に可愛がられているらしく、いわゆる宮廷の常連さんだった。子犬ながらも、処世術に長けている子らしい。うーむ、誰にでも愛想がいいのは、是非とも見習いたいところだ。
夏侯覇殿とはあれ以来中庭で一度も会っていなかったが、先日軍の演習でご一緒したところだ。
ただ演習では部下の前なのでいつものペースを崩せず、夏侯覇殿にはドン引きされていたような気がする。始終こちらを伺っていたようなご様子だったが、最後まで声は掛けてはいただけなかった。
まあ口を開けば『ひれ伏しなさい!』『下がりなさい下郎!』などと甄姫様譲りの掛け声(え? 罵声じゃないかって?)は飛び出すわ、自分なりに引かれるポイントというのは分かっているつもりだ。分かっちゃいるが、やっぱりなんというか、長年の癖みたいなもので、武器を持つとコロっと性格が変わっちゃうというか強気になってしまうというか……。
うーん、やっぱり私って元々そっち系なのかしら。
ちなみにそんなドSな罵声も、一部には受けがいいのだ。一部には。
『ナマエどのが来られてから徐晃殿の軍の士気が段違いにあがっているようだな、我らも精進せねば』
とは、演習を共にした張遼様のお言葉だ。
張遼様、それきっと士気違います。
――そんなことがあってから数日後のことだった。
「おっ、やっと会えた」
執務の合間をぬって子犬の元でリフレッシュしていた私に声がかかる。聞き覚えのある声に振り返ると、爽やかな笑みを浮かべた夏侯覇殿が立っていらした。久しぶりの笑顔が眩しい。
「夏侯覇様! ご機嫌よう」
私は慌てて立ち上がって、挨拶をした。久しぶり、と気さくな返事が返ってくる。
「先日の演習はお疲れ様でした」
「うん、ナマエさんも」
にこにこと笑顔で云う夏侯覇殿。その笑顔を見る限り、先日演習で引かれていた様子は、今日はないようだ。
と、まじまじお顔を眺めていると、首を傾げられる。その仕草がたまらなく私は思わず顔を覆いたくなったが、耐えて笑顔でごまかした。
「はい、犬っころにお土産」
「わあ、首輪ですか。素敵です」
と、おもむろに手渡された袋を開けると、そこには革製の犬の首輪が無造作に入っていた。シンプルなデザインだ。けれど首輪をつけることにより、この子犬が野良ではなく誰かの飼い犬ということになるので、万が一犬嫌いな衛兵さんに見つかってもおいそれとは追い出せなくなるだろう。
「よかったねえ」
夏侯覇殿から貰った首輪をつけた子犬は、首元に違和感があるのか後ろ脚で器用にカシカシ掻いている。
「なあ、俺も撫でていい?」
「もちろんです! どうぞ」
と、夏侯覇殿の申し出にずずいと子犬を突き出した。
夏侯覇殿は嬉しげに満面の笑みで子犬をあやしはじめる。子犬も子犬で、全力で夏侯覇殿になついている。あらやだこの絵、たまんない。
「それにしても良かったよ今日会えて。こいつの首輪ナマエさんに渡したくて、何度かここに通ってみたけど、中々会えなったからさ」
「あら、まあ」
わざわざ私に(子犬の首輪を渡しに)会いに! 何度か来てくださったのにすれ違いになっていたようで、なんだか勿体無いことをした気分だ。
「わざわざすみませんでした」
「いやいやいいんだ。こいつもナマエさんに首輪つけてもらった方が嬉しいだろうし」
な! と夏侯覇殿が同意を求めるように子犬に声をかける。子犬は彼の言葉が分かった様に、きゃん、と鳴いた。
(か、かわいい……! どっちもかわいい!)
私はたまらなくなって、両手で顔を伏せた。
「そういえばさぁ、俺気になっていることがあるんだよね」
ふと、子犬を撫でていた手を止め、夏侯覇殿が問うて来る。子犬はどうやら遊びつかれて眠ってしまったようだった。
「はい、なんでしょうか?」
夏侯覇殿の言葉に首を傾げると、彼は少し言い難げに口先を濁し、そしておもむろに続けた。
「その……、普段の時と戦場でのナマエさんって、雰囲気、違うよな。戦場の時はどっちかっつーと攻撃的というか、あ、いや積極的?」
「……ああ」
すごく控えめな言い方だったが、云いたいことは伝わった。要するに、私のあの過激な掛け声のことを言っているんだろう。
「……あれはその、実は甄姫様のご指導なのです。親衛隊の掛け声は統一されていたので、それ以外の言葉を使うと叱られはしないんですがやんわりと直されてしまって。でも、最初は恥ずかしかったのですが、続けているうちにどんどん、こう自信が湧いてくるといいますか、勇気付けられるといいますか」
「へ、へえ」
夏侯覇殿は私の言葉に最初呆けた様に聞いていたが、無理やり納得したように何度か頷いていた。
「とにかく今は癖になってしまってまして、お恥ずかしい話ですが中々これが直せないんですよね」
照れ笑いを浮かべながら云うと、「色々大変だったんだなー」と夏侯覇殿が半ば感心したように云った。それに私は、そうなんですよねーと応える。
「甄姫様は戦場であっても常に美しく気高くがモットーの方ですし、その分親衛隊に求められるレベルも高くて大変……あ、いえ。ともかく甄姫様自身が意外と負けず嫌いで、男性なんかに負けるんじゃありませんわよ! っていつもおっしゃられてましたから」
「男性”なんか”、にねぇ」
と、夏侯覇殿はなんだか含みのある言い方をする。
「ナマエさんもそう思ってるの?」
「え、ええと、そうですね……半分は思ってます」
急に振られて返答に詰まったが、嘘はつけない性質なので、素直に応える。
「実際戦場ではそう思ってないと、踏ん張れませんから」
ああ、と夏侯覇殿は納得したように頷いて、天を仰いだ。
「そうだよなー、戦場だもんなー。俺なんかいつも逃げ出したい思いで一杯だもん」
「まあ、ご冗談を。夏侯覇様はいつも果敢でいらっしゃるのに」
「買いかぶりすぎだよ」
あはは、と夏侯覇殿が笑った。
楽しい時間は、あっという間に過ぎ去っていく。
短い休憩時間が終わると、あとはそれぞれ仕事に戻らなくてはならない。
「じゃ、またな犬っころ! ナマエさんも」
「はい」
夏侯覇殿は子犬を最後に存分に可愛がった後、立ち上がって踵を返した。
と、その足がすぐに止まる。
「あ、そうだ!」
くるりと振り返ると、笑顔でびっと子犬を指差した。
「今度会うときまでそいつの名前考えておいてよ!」
「へっ?」
いきなりのことに私はその場で固まった。
一方的な課題を押し付けてきた夏侯覇殿はというと、足取り軽く回廊の向こうへと姿を消していった。