Chapter.3






 逃げた野盗が戻ってくる気配はない。
 周囲を一度確認すると、死後数日経ったと思われる見覚えのない半裸の毀損遺体を見つけた。
 おそらく野盗に襲われた冒険者かなにかだろう。特に収穫なし、と見切りをつけ、今度は倒した野盗から目ぼしいものを漁った。
 武器、コンパス、地図、上等な服。酒、麻薬スクゥーマが少々。おそらく犠牲となった冒険者の持ち物だろう。セプティム硬貨が一七六枚あったので、遠慮するタシャに半分を無理やり押し付けた。
 水辺の近くには馬が留められていた。おそらくこの馬も冒険者の相棒だったのだろうか。
 ちょうど馬がもう一頭必要だったのだ。有難くこの馬ももらっていこう。
 口笛でナマエの愛馬を呼び戻し、水辺近くの木の幹に手綱を括りつける。

 
 タシャは焚き火の近くに佇み、ぼうっとした様子で火の粉が散るのを眺めていた。多分、疲れが溜まっているのだろう。無理もない、異世界で慣れないことだらけなのだ。
 焚き火の近くには雨が凌げるだけの簡易テントが張られており、側には今にも壊れそうな木製の低い椅子、それとテーブルの上には飲みかけのエールが入ったブリキのカップとハエのたかる何かの肉が置かれている。
 あの犠牲者の肉じゃないといいけど……。
 想像してウエッとなりながら、テントが張れる平らな地面がないか探す。あまりいい候補がなかったので、唯一マシそうな地面を占拠している野盗たちの住処を壊し始めた。
ナマエ、何をしている」
「あいつらのテントを撤去して、ここにテントを張る」
「ここで……?」
 少し離れたところには死体が四体。ちらりとそちらの方を見てタシャは微妙な顔をしたが、そのことには言及せず黙って頷いた。
「……承知した。手伝おう」
「大丈夫、魔法のテントだから一瞬で終わる」
「魔法のテント?」
「うん、そう。見てて」
 雑に野盗のテントを撤去しスペースを確保したところで、ポーチからミニチュアサイズのテントを取り出し、地面に置いた。文字通り魔法のテントは微量のマジカを注ぐと、見る間にするすると胸元あたりの高さまで伸びていく。
「な……、これは、どういう仕組みだ……?」
「タシャの魔力マジカを登録するから、この魔石を持って」
 あんぐりと口を開けるタシャを促し、テントの入り口に取り付けられた飾り紐の先にぶら下がる青く輝く魔石を握ってもらう。
「æˈksept」
 彼の手の上からナマエが手を添えて認証用の魔法を唱えると、ふわりと薄紫色の靄が生じてタシャの手の甲に吸い込まれていった。
 このテントは防犯面でも優秀で、マジカの登録のない人間は入れないようになっている。耐水耐火衝撃耐性も備えており外からの攻撃は受け付けず、緊急の避難場所にも使える優れもので、まさしく冒険者憧れのアイテムだ。……まあ製作者が非常に気難しいエルフで、気に入った人間にしか売らずかつ値段も相応なので、実際この魔法のテントを持っている人間は少ないだろう。

「よしこれでオッケー。テントに入る時は、この飾り紐を下に引っ張ると入り口が開くようになってるから」
「ああ、わかった。だが、これは一人用のテントか? 少し狭そうだが……」
 登録が終わって説明を終えると、タシャは不思議そうに首を傾げた。その疑問は最もなものだった。目の前のテントはワンポールテント型で背丈は胸のあたり、横幅も広げた両手より満たないくらいだ。
 だけど、見た目に騙されてはいけない。ナマエは悪戯っぽく笑って中へと促した。
「って思うだろ? 中を覗いてみて。もっと驚くよ」
 タシャが素直に頷き、紐を引っ張り開いた隙間から屈むようにして頭を潜らせる。一歩侵入し、そこで彼は目の前の光景にびくりと体を揺らしてその場に立ち尽くした。どうやら驚きすぎて言葉もないらしい。タシャが驚愕の表情を張り付けたままこちらを振り返る。その予想通りの反応にナマエはにこにこと上機嫌に笑った。
「……言葉が出ない。いったいどうなっているんだ」
「便利だろ。高かったんだ~これ。ちまちま貯金して、ついこの間ようやく買えたんだ。さあほら入って入って。後ろがつっかえてるよ」
「あ、ああ、すまない」
 言って、入口で立ち尽くすタシャを無理やり押し込んでナマエが続く。一歩中へと進めば、そこには外観からは思いつかぬほど広い空間が広がっていた。一人暮らしには十分と言えるほどの広さで、両手前の右手には収納用の背の高いクローゼット、反対側には書斎デスク、その奥にセミダブルのベッドがある。テント中央のあたりの床には石で囲まれた焚き火台があり、それを囲うように絨毯とクッションが置かれていた。右手奥にはキッチンスペース、左奥はカーテンに覆われていて、水回りに続いている。まるで平屋のワンルーム住宅そのものだが、四方は厚手の生地に覆われていて、ここがテントの中であるという設定をかろうじて思い出させてくれた。

「魔法のテントって名前だけど、変性魔法で異空間につなげているだけなんだ。まあ言うなればテントの形をした入口みたいなもんかな」
 言いながらデスクに弓矢とポーチと置き、奥のキッチンスペースへ向かう。ケトルに水を汲み、焚き火台に火を熾してトライポッドにかけ、そこでふと客人が入口付近で突っ立ったままなことに気づいて首を傾げた。
「いつまでそこに突っ立っているの? 好きなところ座ってていいよ。今お茶入れるからさ」
「ベッドが一つだけ……」
 タシャが唸るように呟く。気難しい顔をしていると思ったら、寝床の心配をしていたらしい。
「来客用の寝袋があるよ」
 幸いにも大の大人二~三くらいは寝転べるスペースもある。そう告げたところで、もしかして騎士様にとっては寝袋はご満足いただけないかもしれないなと内心思った。かといってベッドを譲るかと言えば迷うところだが……、これからしばらく行動を共にするならずっと寝袋はかわいそうだから、交代でベッドを使う程度ならば譲歩してあげよう。
 だが、タシャの懸念はどうやら別のところにあったらしい。相変わらず気難しそうに眉根を寄せ、その場から中へと入ってこようとしない。
「……しかしナマエ、お前にとって私は初対面の男だろう。一つのテントを共にしていいのか?」
「うん?」
 質問の意図がよく理解できなかった。いいのか? と尋ねられれば、じゃあ外で寝る? と返さざるを得ない。タシャは悪い人間ではないと判断したから招いたのであって、もし彼の本心が別のところにあるとすれば、それはナマエの人を見る目がなかったということになる。今から悪いことをします、とご親切に宣言してくれる悪人はいない。だからタシャの質問は単純に『もっと他人に警戒しろ』という意味を含んでいるのだろうが、現状行くところも頼るあてもない状況の彼が、それを言って何の得になるのかは疑問だ。
 少なくともナマエがタシャと同じ立場なら、家主のご機嫌伺いくらいはするだろう。
 居直り、腕を組んでタシャを見定めるように目を眇める。
「……ふーん、私にあんたを警戒しろって言っているの? もしかして寝首を掻く気?」
「違う! そうではない。だが私以外の男にもこんな風に接しているのか? 私が言えた立場ではないが、初対面の人間にはもっと警戒をした方がいい。お前は特にうら若く美しい女性だ」
 その言い方に思わずイラッとした。未熟な女だからと舐められているんだろうか。
「だからなに? 不届き者を撃退する方法はいくらでもある。私が対策していないとでも?」
 例えば生物の精神に影響を与える幻惑魔法で一時的に眠らせることも麻痺させることもできるし、敵対心を向けられているかどうかを感知することもできる。……ちなみにタシャは今のところクリーンだ。
 まあ、とはいえ『いくらでもある』と言ったのは誇張しすぎたかもしれない。さすがに熟睡中に忍び寄られたらさっくり一撃死、となる可能性もないわけでもない。でも、少しくらい脅しておく分には越したことはないだろう。不愉快なことを言う方が悪いのだ。
「変な気を起こすなよ。寝首を掻こうとして痛い目をみるのはそっちだから」
「だから誓ってそんなことはしない! 私が言いたいのは……」
「あーもうわかったわかった。あんまりうるさいと外で寝てもらうよ。あ、寝袋は渡してあげるよ、もちろん」
 いい加減しつこい男だ。タシャが強い口調でなおも言い募ろうとしたので、呆れて両手を挙げて強引に会話を切り上げ、納得のいかない顔をしている彼にテントの入口の方を指さす。ナマエとしては、このテントに文句があるなら出ていってもらっても構わないのだ。
「さ、どうする?」
 外で死体と仲良く星空の下で寝るか、もしくは安全で暖かい屋根付きの場所で寝るか。突きつけられた究極の二択に、タシャは「ぬぐぐ……」と唸った後、ようやく口を噤む気になったようだ。
「……一晩世話になる」
「よろしい」
 ふん、と鼻を鳴らし、踵を返してキッチンスペースへと戻る。ごちゃごちゃと説教を垂れて、未熟な若い女なんかに言い負かされるくらいなら最初から大人しく親切を受け取ればいいものを。

 お湯が沸いたので戸棚にある茶葉を取り出し香草茶を淹れる。それを差し出すと、タシャはようやく腰を落ち着ける気になったようだ。
 腰に挿していた剣を外し、籠手を外してデスクに置き、お茶を一口飲んで深いため息を吐いている。
 ナマエはその間、夕飯をどうすべきか考えていた。食材に関してはタシャの世界のものと類似点があるようだが、一応口にする物は確認してもらった方がいいだろう。メニューは簡単に鹿肉と野菜の煮込みシチューにした。野菜はキャベツ、ジャガイモ、リーキ、トマト、ニンニク、それとハーブと塩。食材に問題なさそうな事を確認してもらい調理に取り掛かる。切って煮込むだけだからすぐにできるはずだ。

 一番面倒なジャガイモの皮の擦り洗いを終えて、ほかの野菜もざっと洗う。
 途中、こちらの様子を窺うようにしてタシャが近寄ってきたので、手を止めて振り返った。
「どうしたの? 何か用?」
ナマエ、すまないが顔を洗わせてもらえないだろうか」
 料理の邪魔をしたことを申し訳なく思っているのか、タシャが遠慮気に口を開く。そういえばまだ水回りの設備を案内してなかったな、と気づいて、すぐに頷いた。
「あ、いいよ。そっちの奥に水場があるからそこ使って。ああそれとも汗を流したいんならお風呂入れば? 浴室もあるよ」
「風呂もあるのか。至れり尽くせりだな」
「便利でいいだろ。野宿とか御免だからさ、すごく助かってる。使い方説明するよ、こっち」
 言いながら、カーテンで仕切られた奥へとタシャを案内する。手前から洗面、個室トイレ、衝立を隔てて浴室と続いており、銅製浴槽の脇に設置された蛇口を捻ってお湯を貯めながら使い方を説明した。脱衣用の籠、石鹸や桶の場所、タオル等々。ちなみにお湯はブルーマ郊外の温泉源から引っ張ってきているため、好きなだけ贅沢に使える。本当に魔法様様だ。
 あとは音が漏れないように防音の魔法を水回り設備全部にかけておいた方がいいだろう。生活音を聞かれるのは少し気まずい。

 お湯はもう少しで溜まりそうだ。お湯が溜まったらここの蛇口を捻って止めて、と説明し、立ち上がって出ていこうとしたところで、タシャの恰好を見てはたと立ち止まる。美しい装飾の施された鎧は留め具もたくさんついており、いかにも一人で脱ぐのは大変そうだ。
「どうした?」
 まじまじと眺めていたら、その視線に気づいたタシャが不思議そうに尋ねてきた。
「……鎧脱ぐの手伝う?」
「いや! 大丈夫だ」
「そう、分かった」
 驚いたように身を引き遠慮するタシャに頷きながら、そういえば着替えは持っているのだろうかと気づく。身一つで飛ばされたのなら身の回りのものはあまり持ってないだろうから、念のためさっきくすねた服を洗って乾かしておこう。それに汗をかいているなら衣服も洗いたいはずだ。
「洗濯するものがあったらここに入れておいて。後で洗うから」
「いや、それは流石に……自分のものは自分で洗う」
 足元にある木桶を指し示すと、なぜかタシャはたじろいだように首を振ってナマエの提案を断ってきた。身分のお高い人は身の回りのことはてっきり他人に任せるものだと思っていたので、その言葉はかなり意外だった。
「え、マジで? 騎士様はこういうのもお付きの人にやってもらうんじゃないんだ。じゃあ洗ったものは絞ってこの木桶によけておいて。乾かすのは魔法でやるからさ」
 わかった、とタシャが生真面目に頷きながら続けた。
「私自身も従騎士を務めた身だ。できることは何でもやる」
「へえ、じゃあ料理も?」
「得意とは言えないが、まあできる方だろう。カレーなら作り慣れている」
 ……カレー? 聞きなれない料理名にナマエは眉をひそめた。
「カレーってなに? こっちでは聞いたことないけど」
「そうなのか。スパイスをたっぷり使ったシチューのようなものだ。こちらに似たようなスパイスがあれば作れるのだが……」
「スパイスか……、シロディールではあんまり流通してないんだよな。ハンマーフェルあたりの料理に近いのかな? 食べたことないけど」
 ハンマーフェルとの国境が近いコロールの市場ならどこかで取り扱っている店もあるかもしれない。そう思案しながら呟くと、隣でタシャがなぜかがっくりと肩を落としていた。
「どうしたの?」
「また知らない単語が出てきたと思ってな……」
「ああ、ハンマーフェルっていうのはシロディールの西に隣接する国だよ。レッドガードっていう肌が浅黒い人種の故郷で……あ、そろそろお湯が貯まったから話の続きは後でね」
 蛇口を捻ってお湯を止め、「うっかり寝落ちしないよう気をつけて」と言い残してナマエは浴室を出た。


 キッチンへと戻り、料理を再開した。野菜を適当に一口大に切って肉とともに水を張った鉄鍋に入れ、焚き火台の上のトライポッドに吊るす。隠し味にエールを注ぎ、下味として塩を適量入れれば、後は煮込むのを待つだけだ。
 その間に先ほど野盗からせしめた服をさっと洗って魔法で乾かす。魔法と一口で言っても、先に衣服が吸収している水分を念動魔法で移動させ、仕上げに熱風で温める、という二段階の魔法が必要だ。魔法操作が少し複雑でちょっと面倒だが、ずっと熱風で乾かし続ける方法と比べれば、ほぼ一瞬で乾くし生地が傷まない。この方法は魔術師ギルドの同僚から教えてもらって以来重宝している。
 乾いた服を広げて検分する。灰色のウールのズボンと麻のチュニックは寝巻きに丁度良さそうだが、上着がいかにも成金風の金の刺繡が施された黒の毛皮のローブで、これを着たタシャの姿が全然想像出来なくて頭を悩ませた。
 あんまり似合わなさそうな気がする……。まあ、ちゃんとした服は明日寄るコロールで買えばいいか。


 そうこうしているうち、水場の仕切りカーテンの奥から声がかかった。
 乾かし終えた服を抱えて向かうと、カーテンの隙間から困ったような様子のタシャが顔を覗かせていた。ふわふわのくせ毛の髪がしっとりと濡れており、濡れた長い髪は無造作に後ろに撫でつけられている。まるで水に濡れた猫みたいな変わりようだな、と思いながら不躾にならないように目の前の男を盗み見た。露わになった左目の上の額に、白い雷のような形の不思議な模様が三本刻まれているが、あれは何だろう? カーテンの隙間からちらりと鍛えた上半身が見え、ほのかに赤くなった肌から湯気が上がっていた。
 むっちりとして白パンみたいな肩だなぁ……。美味しそう。
「……ん?」
 美味しそうってなんだ。無意識に浮かんだ感想に自分でも驚いて瞬く。
ナマエ?」
 頭に浮かんだ実にくだらない感想は、きっとお腹がすいているせいだろう。変な妄想は咳払いで振り払って、怪訝そうな様子のタシャへと向き直る。
「あ、ごめん。着替え?」
「ああ。すまない、着替えのことを失念していた」
「だと思ってさっき拾ったこれを洗っておいた。ローブは……、気に食わなかったら羽織らなくていい」
 助かる、と言ってカーテンの隙間から差し出された手に、服を押し付けた。


 しばらくのち、タシャはローブには袖を通さず、肩に羽織るようにして出てきた。思っていたより変じゃない。着る人の素材がいいからだろうか。
「温まった?」
「ああ、おかげでさっぱりした。それにしても、本当に魔法ですぐに服が乾くのだな。便利なものだ」
 何か手伝おうか? とキッチンの作業台を覗き込みながらタシャが尋ねてくるものの、特にすることはない。
「いいよ、あとは煮込むだけだから。それよりも髪を乾かすからそこ座って」
 ナマエはタシャの濡れた髪から滴る水滴をちらと見て、焚き火台の近くの絨毯を指した。せっかく体を温めたのに、頭が濡れたままだと体が冷えてしまう。純粋に親切心からの申し出だったが、タシャは一瞬ぴたりと固まった後、なぜか苦虫を嚙みつぶしたような表情を浮かべながら、それでも大人しく示した場所にのろのろと向かって腰を下ろした。
 ナマエはタシャの後ろに膝立ちになり、ブラシで濡れた白髪を梳き始めた。大体のタオルドライは済んでいるようなので、肩にかけてあったタオルで毛先に溜まる水滴を吸っていく。
 しかし、『座って』と命令した以来、こちらに背を向け無言でされるがままの男の纏う空気がなんとなくじめじめとしているのが気になる。
「……ごめん、なんか気に障った?」
 何か変なことを言ったかな……? と心配になってそろりと尋ねると、タシャは火の方を見つめたまま静かに首を振った。
「いや、そうではない。だが、何もかも世話を焼かれると、無力な子供にでもなった気分でな……」
 ああ、なるほどそういうことか。責任感の強い大人の男が小娘に細々と世話を焼かれている現状が情けなく感じたのだろう。
 こちとら孤児院育ちで小さい子の世話には慣れているせいか、無意識に世話を焼きすぎてしまったようだ。
 ごめんごめん、と軽く謝って、内心で肩を竦める。大人って難しいなぁ。
「まあでも最初のうちは仕方がないだろ。心配しなくてもタシャだったらすぐ独り立ちできちゃうって。髪を乾かすのだって魔法を覚えて練習したらすぐできると思うよ」
 慰めを込めた言葉に、タシャは「独り立ちか……」とどこか物寂しげに呟く。
「これに一度慣れてしまったら、それはそれで寂しいものがあるな」
 そう笑って、それきりタシャは口をつぐんだ。
 難しいお年頃だ。まあ気持ちはわかるけど。
 タシャの複雑な心境が反映されたそのセリフに、ナマエは初めて一人暮らしを始めた時のことを思い出した。成人し職を得れば、孤児院は卒業しなければならない。ナマエもその規則に従い数年お世話になった孤児院を出て、ずっとお小遣いを貯めていた貯金で帝都の貧民街でもあるウォーターフロント地区に一軒家……もといあばら家を買い、一人暮らしを始めた。初めての一人暮らしは失敗の連続で、よく孤児院の家族が恋しくなったものだ。
 とはいえ孤児院は同じ地区にあり、寂しくなったらちょくちょく顔を出しに行っていたが。
 くすりと思い出し笑いを浮かべながら、水気を拭き取った柔らかな白髪を手に取る。タオルドライはほぼ終わったので、ここから熱風をあてて乾かしていくのだ。熱風のみで乾かすため時間は多少かかるが、なにせ生体が相手なので、服を乾かすときのように水分を移動させる魔法は御法度だ。調整を間違ったら誤って血液を抜いてしまって惨事になるし、うっかり水分を抜きすぎて髪がパサパサになってしまう。
 タシャの背ににじり寄り、手のひらに調整した魔法を纏わせ、髪を指で梳きながら乾かしていく。ブラシのレンジがない分、タオルドライの時より互いの距離を詰める必要があった。
 指先が頭皮に触れてくすぐったいのか、時折タシャが体を微かに震わせる。髪の隙間からちらりと見える耳朶が赤くなっていて、もうそろそろ文句を言われるかな、と思ったタイミングで、憮然とした声が届いた。
「……少し距離が近いのではないか?」
 思わず込み上げる笑いを噛み殺す。大分この男のことが読めてきたな、と思いながら、髪の乾き具合を確認した。うん、もうほとんど渇いてる。ふわふわになった後頭部をぺしっと軽く叩いて解放した。
「髪を乾かしてるんだし仕方ないだろ、お小言多いぞあんた。ほら、もう終わったぞ」
「乱暴……」
「お尻を叩いた方が良かったか?」
 叩かれた頭を抑えて不服そうな表情で振り向いたタシャに、にやにやと意地の悪い笑みを向けて尋ねる。
 タシャは、とんでもないものを見た、とでも言いたげにそそくさとその場を離れたのだった。

「私もお風呂入っちゃうね。適当にくつろいでて」
 言いながら立ち上がり、ふとそこで気づく。
 許可なく触れるな、とタシャに言っておきながら、自分は許可を得ず半ば無理やり彼の髪に触れてしまった。
 ……あれ、もしかして嫌だったかな?
 今更ながらそのことに気づくもすでに遅く、内心反省しながら浴室へと向かった。
 次に触れる時は一応断りを入れることを忘れないようにしよう。


 浴室でさっと汗を流して洗い物を乾かし終えると、タシャの服を持って部屋へと戻った。服を渡してシチューの様子を見ると丁度良い感じに煮込まれていたので、塩を足して味を整えたら夕飯の完成だ。
 果実水で割った赤ワインをお供に、硬めに焼かれたパンをシチューに浸して食べる。
「うまいな」
 シチューを一口食べたタシャが頬を綻ばせる。
 口に合ったようでほっとした。
「このパンもお前が焼いたのか」
「パンは買った。アンヴィルの屋台で。あ、アンヴィルってのはシロディール南西の土地で、穀倉地帯なんだ」
 ついでに先程半端に終わったハンマーフェルについても説明する。
 ある程度腹が膨れて落ち着いたところで、さて、と一息ついた。これからのことを話し合わねば。
「とりあえず明日だけど、まずはコロールに行って、聖堂で翻訳魔法を習おう。翻訳魔法は多少の寄付をすれば、ほとんどタダ同然で手に入る。あと、戦士ギルドと魔術師ギルドには登録した方がいい」
 ふむ、とタシャが神妙な顔で頷く。
 シロディールの二大ギルドと言えば戦士ギルドと魔術師ギルドの二つだ。この二つに登録すれば、シロディール全国の支部にタダで寝泊まりできるようになるうえ、依頼をこなせばお小遣い稼ぎもできる。駆け出しの冒険者にとっては、それがギルドに加入する最大のメリットだろう。もしタシャが今後一人で行動することになる場合は、少なくともこれで寝床は確保できることになる。
「魔術師ギルドは入会に推薦状がいるけど、それは私が書く。あと、戦士ギルドは年中人員不足だからあんたなら多分顔パスで行ける。まあダメならギルド長に掛け合うよ。ちょうどコロールに本部があるんだ」
 しばし思案していたタシャが、しかし、とそこで口を開く。
「戦士ギルドはともかく、魔術師ギルドは入会できるのだろうか。現状魔法の一つも使えないのだ。果たして私に魔法を扱える素質があるのかどうか……」
「大丈夫、タシャはマジカを持っているよ。マジカのあるなしは触れたらわかるし、完全にゼロの人はほとんどいない。初心者程度の魔法を使えさえすれば、魔術師ギルドの入会には問題ないはずだ。まあ伸び代がどの程度かは分からないけど、もし興味があるならシロディール全土の支部長の推薦状を取ると良い。そうすれば帝都のアルケイン大学に入学できるし、大学の研究所では好きなように魔法を自作できるんだ。そうなれば、マジカのコストを抑えつつ便利な魔法を作ることもできる」
「なるほど……。しかしすべての推薦状を取るのは難しそうだな」
「まあね。でも、アルケイン大学には膨大な書物が収蔵されている図書館があるし、古代魔法や遺物に詳しい研究員だったり、各地の異常現象を研究している人だったり、いろんな頭脳のトップが集まっているからさ。タシャが元の世界に還る方法のヒントにもたどり着けるかもしれないと思って」
 そうだな、とタシャが考え込むように瞼を伏せた。
 ……いや、考え込んでいるというより、これはもしかしてそろそろ眠気が限界なのだろうか。でも、寝る前にこれだけは言っておきたいことがある。
「それとタシャ」
「なんだ?」
「これは私からのお願いなんだけど、これからしばらく一緒に行動する間、遠慮は無しにして。足りてないものがあったら教えてほしいし、分からないこと、知りたいこと、気になることがあったらとりあえず遠慮しないで言って。対応できるかどうかは私次第になるけど……。特に体調悪い時があったら我慢しないですぐに言ってね」
「ああ、わかった。ありがとう、ナマエ。おまえに会えてほんとうによかった……」
 ナマエの念押しに、タシャがまどろむように微笑んだので、あ、これは限界だなと悟る。
 まあいい。もし覚えてなければ明日もう一度言えばいいだけだ。

 もうそろそろ寝るか、と言って立ち上がり、食器をキッチンシンクの桶に沈める。使った食器は水に浸けておいて明日洗うことにした。
 タシャが洗面室へと行っている間に、寝袋を取り出して炉のそばの床へと広げる。ふかふか新品の大きめの寝袋なので、寝心地は悪くないはずだ。
 明日はどう行動しようか? とりあえずコロールに向かってから、まずは聖堂で翻訳魔法をもらって、次にギルドの入会――買い物は最後の方がいいか……。
 ベッドに腰掛けながらぼんやり考え込んでいると、洗面室から戻ってきたタシャが尋ねてきた。
「明日は何時に起きればいい?」
「明日は……コロールまではそんなにかからないから、昼前までに起きればいいよ」
 そうか、と頷いてタシャが寝袋の中へ滑り込む。

 私もそろそろ寝る支度をしよう。
 立ち上がって洗面室の方へと足を向けた時、背後から声がかかった。
「……ナマエ、ひとつ聞いてもいいか?」
「なに?」
 立ち止まり、振り返る。
 寝袋に腰を下ろしたタシャが、上半身だけこちらに向けてナマエの方を見上げていた。
「私以外にこのテントで一緒に寝泊まりをした者はいるのか?」
「いない。このテントを買ったのも少し前だからね。タシャが初めてだよ」
「そうか……」
 そう言って、タシャは考え込むように押し黙った。
 その様子から、多分また何か言いたいことがあるんだろうと察する。
「何か気になることが?」
「いや……。出来れば、今後は男は招かない方が良いと思うのだが……」
 ……。いったいどういう意味だろう?
 言い辛そうに告げられたその言葉の真意をすぐには理解できなくて、ナマエは顔を顰めた。
「それはタシャのことも? って言うか男だけ? 女ならいいの?」
 そうだ、とタシャは頷いた。そこで、ふい、とまるで目線が合うことを避けるように顔を背けられたので、ナマエは整ったその横顔を眺めることになった。
「――我慢が……効かなくなることが、絶対にないとは言い切れないからな」
「なんの我慢?」
「それは……分からないか?」
 じとり、と今度は目線だけこちらに向いて睨まれる。なぜか恨めしそうなその顔は、少し赤い。
 謎の問いかけにナマエはますます混乱した。
 男が我慢できなくなるもの……? なんだ? 喧嘩? 酒? いや違うか……。
「え、わかんない。なに?」
「とぼけているのか……? もういい。私は寝る、限界だ」
 結局、何だか分からないうちにタシャはため息をつき、そう一人結論づけて横になってこちらに背を向けてしまった。「おやすみ」と告げた後、幾分もしないうちに静かな寝息が聞こえてくる。慣れない環境で疲れていたのだろう。
 ナマエは足音を立てないようにそっと洗面室へと向かって用事を済ませ、夜更かしすることなくベッドに横になった。
 
 炉の火は熾火になっている。じき、消えるだろう。
「おやすみ、タシャ……」
 ろうそくの火を消す前に、すぐそばで静かに上下する寝袋の塊に向かってそっと呟く。
 ふう、と息を吹きかけ火を消すと、暗闇が視界を覆った。
 静寂の中で、自分以外の誰かの寝息が聞こえてくるのは本当に久しぶりのことだった。
 一人じゃない。
 そう思うと、なぜだか胸の奥が暖かくなるような心地がした。



※ 夢主は種別や生い立ちの設定上、まだ男女の機微が理解できないお子さまです。
※ とりあえず書きたいところまで書いた(あとこの後の流れ考えてない)のでいったん〆!
2024/10/31