Chapter.1





 
 ――またか。
 ここ数か月の間、何度も目にした例の禍々しい門構えが視界に入った瞬間、ナマエはため息をついた。
 破壊と再生の神が支配する魔界へと通じる地獄オブリビオンの門。
 この忌々しい門を目にするのは、今月に入ってもう八回目だ。
 場所はスキングラードの北西、山奥にある古い古代エルフアイレイドの遺跡へと通じる道の途中。

 さてどうしようか。いつも通りさっさとつぶしていくべきか。
 いや待て、その前に急ぎで依頼されたこの物品を依頼人に届けるべきか。目的地はすぐそこだ。
 ナマエは馬を止めてしばし思案した。
 しかし様子をうかがっているうちに、魔界の門からは地獄の怪物よろしくドラゴンの幼体のような爬虫類生物が姿を現した。クランフィア。すばしっこく獰猛で狂暴な性質かつ物理攻撃に対して反射の魔法を持つ厄介な生き物。二、三体いれば小さな村ひとつ簡単に滅ぼせるほどの脅威だ。
 この近くに集落は――ひとつ。先ほど休憩に立ち寄った集落に駐屯していた魔術師ギルド員に、遺跡の調査隊あての物品の配達を依頼されたのだ。
 つまり、選択肢はひとつ。被害が出る前に、先に門をつぶさねばならない。
「……よし、ちゃちゃっとやっちゃいますか」
 ふう、と気合を入れるように息をつき、馬から降りて戦闘の準備を始めた。

 
 ――第三紀四三三年暁星の月三十日、シロディール帝国の皇帝ユリエル・セプティム七世が、メエルーンズ・デイゴンを信奉するカルト集団である深遠の暁の手によって暗殺され、ドラゴンファイアの灯が消えた。その瞬間から今日に至るまで、この惑星ニルンは悪しき神々デイドラの王たちの侵略から無防備な状態が続いている。
 悪しき神の一柱である破壊神メエルーンズ・デイゴンはとりわけニルンに執着している。過去数千年の間、何度もニルンへと侵略を試み、そのたびドラゴンファイアに阻まれ、時代の英雄たちの手によって彼の支配領域デッドランドへと追い返された。ドラゴンファイアとは竜の血脈に生まれしもののみが灯せる炎で、善き神々エイドラと悪しき神々デイドラの支配領域を隔てる守護壁のようなものだ。ようはドラゴンファイアが消えぬ限りデイドラの脅威に怯えることはなかったはずなのだが、竜の血脈を代々受け継ぐセプティム家の皇帝が死んだことにより、その守護を失った。オブリビオンの門が各地に現れはじめたのは、皇帝の死後と同時だった。
 つまりメエルーンズ・デイゴンがオブリビオンの門を通じ、再びニルンへと侵略を開始したという訳だ。


 オブリビオンの門を閉じる作業は慣れたものだ。初めはシロディールでは見慣れぬモンスターに戦々恐々としながら対峙していたものだったが、何度も戦ううちに彼らの弱点はほぼ把握できた。
 とはいえ魔界で戦うための準備は怠らない。装備や武器の状態、回復ポーションと毒、そして矢の数が十分か確認する。
「毒のポーションが七本、オークの矢が百八本……。毒薬が少し心もとないな。中の素材で適当に錬金するか」
 ポーションをポーチにしまいながら呟く。薬や毒を精製するための錬金器具は常備しているし、なにより門の向こうでは毒薬の素材となる生き物がわんさか生息している。一見ただの草木に見えても、うかつに近づくとこちらを攻撃してくるものだから、魔界では常に油断はできない。
 さて、準備は整った。
 門をくぐる前に、クランフィアの餌食にならないようにと愛馬の尻を叩いて安全な場所へと逃した。賢い子だから口笛で呼べばまた戻ってくるはずだ。
 愛馬の背を見送った後、背中に背負った矢を何本か抜き、鏃に手製の毒を塗布する。クランフィア一体なら余裕で倒せるはずだ。一本を番えながら敵の元へと忍び寄る。木の影から覗き込み、クランフィアが明後日の方を向いた瞬間を狙って、放つ――!
「ギャアアアッ!」
 悲鳴が上がる。
 矢は見事に片目を打ち抜いたが、これだけでは倒せない。殺気立ったクランフィアが襲撃犯を探すしぐさを見せ、そしてもう一方の目がナマエを捉えた。木陰に隠れていても無駄なことは知っていた。クランフィアは熱で生き物の存在を感知する。
 怒り狂ったクランフィアが奇声を上げてこちらに突進してくると同時に、覚えたばかりの召喚術を魔物の目の前に放った。
『シャアアッ!』
 そっくり同じ形のモンスターが二体、にらみ合って威嚇しながら対峙する。クランフィア召喚。前回オブリビオンの門を潜った際、倒したクランフィアの魂を魂石に閉じ込め、それを帝都のアルケイン大学に持ち込みクランフィア召喚の術を編み出したのだ。
「よし、行けクランフィア!」
 自作の召喚術の初お披露目だ。威嚇しあっていた二体のクランフィアは、ナマエの発破をきっかけに取っ組み合いを開始した。鋭い鉤爪で互いの皮膚を裂き、丸太のように太く強靭な尾が互いを打つ。ダメージ反射魔法によって派手に血飛沫をあげつつ、地面を転がりながら噛みつく――。
 と、一体のクランフィアが風に飛ぶ砂くずのようにするりと消えた。召喚魔法の持続時間が切れたのだ。
「あ~あ、一分で退場か……。もうちょっと召喚時間を延ばしたいところだけど。まあでも、時間は稼げた」
 残されたクランフィアが起き上がってこちらを威嚇するのを眺めながら、のんびりと矢を構える。そろそろ矢に塗布した毒が全身を回っているころだ。
 クランフィアが突進してくる。お得意の頭突きの構え。あれは食らうと痛い。
 が、あと数歩のところでその上体がぐらりと横に傾げ、そしてドウッと地面に倒れた。クランフィアの強烈なダメージ反射魔法のギリギリ有効範囲手前といったところか。あと一本矢を放っていたら、痛い目にあっていたかもしれない。
「さすが私、計算通り」
 番えていた矢を下ろす。泡を吹いて絶命したクランフィアを見下ろし、ふふん、と自画自賛の笑みを浮かべた。


***

 皇帝の暗殺事件が起きる前、ナマエはただ弓矢と短剣の扱いが少し得意なだけの一小市民に過ぎなかった。そのうえ成人したてで、育った帝都の孤児院を出て職を探している最中だった。
 職の目星はつけていた。シロディール全土に支部がある黒馬新聞社かハイロー配達社。生まれてこのかた北の要塞都市ブルーマと帝都でしか過ごしたことがなかったナマエはとにかく各地を回ることが夢だったのだ。
 この時代、城壁内で生まれ育った人間の大半は死ぬまで一度も城壁から出ることはない――つまり大抵の市民は戦いとは縁遠い。とはいえ郊外では知能の低い狂暴な亜人種や野生動物が出没するシロディールでは剣を生業にする者も少なくない。
 巡回の旅に出るには多少の剣の腕はいるが、ナマエにとってそこは心配なかった。
 弓矢は北のブルーマで過ごしていた幼少期の頃、元ノルドの戦士であったという父に教わった。兎に鹿、時には猪を狩っては短剣で捌き方を教わり、鞣した獲物の皮で作った小道具を店に卸したりもしていた。
 そんな幼少期から一変、両親を失ったナマエはブルーマから帝都の孤児院へと預け入れられ、窮屈な青春を送った。
 そして今は、戦士ギルドと魔術師ギルドを掛け持ちしつつ、なぜかこうして全国を放浪してオブリビオンの門を閉じて回っている。
 元々適性があったのか、戦いの技術はここ数か月でめきめきと伸び、今では冒険者として十分な生計を立てられている。

「さて、素材を回収しちゃわないと」
 横たわるクランフィアの脚元に膝をついて、腰に差した短剣を抜き、その鋭い鉤爪を採取すべく爪の根本へと慎重に刃を差し込んでいく。
 クランフィアの爪もまた良い錬金の素材となる。自分で使わなくても魔術師ギルド内のショップに卸せば良い小遣い稼ぎにも。オブリビオンで採れる素材もしかり。

 無事にクランフィアの爪を採取した後、その足でオブリビオンの門へと向かった。
 一歩足を踏み入れた先は文字通りの別世界。不快感と恐怖を一気に集めたような地獄の風景が広がっている。
 だが何の感慨も抱かない。もはや見慣れた風景だ。まるで作業をこなすように黙々と目につく魔物そざいを片っ端から狩り、剥いでいく。
 デイドラに対する恐怖は既にない。何度も見慣れた魔界の魔物は、その倒し方も弱点も何もかも把握済みだ。うかつに突っ込んで囲まれないようにさえ気を付ければ、どうということはない。
 デイドラ王の支配する領域は時間の概念がない。デイドラ自体が不老不死であり、永遠なるものだからだ。だからいくら長く門の中で過ごそうと、シロディールでは一切時間は進んでいない。それを良いことに魔界の生き物をじっくり観察し、攻略していくのは案外良い経験になった。
 とはいえ幾度となく繰り返せば飽きが来る。雷鳴とどろく不気味な赤黒い空、奇怪な建造物、数々の罠、肉が焦げたような不快な匂い、そしてまったく友好的でない住人……。心を和ませるものが全くない殺伐とした世界に、正直うんざりし始めているころだった。
 しかし門の存在を放置するわけにもいかず、こうして見つけ次第片っ端から閉じて回っているのが現状だ。
 そもそも現在、オブリビオンの門を閉じることができるのはシロディールに数人しかいない。クヴァッチの英雄たるナマエと、所属する戦士ギルドのベテラン勢だけ。それは一重に門を閉じる方法が難しいからではなく、単に地獄の門をくぐることに怖気づいてしまう者が大半だからだ。

 ――クヴァッチの英雄、と呼ばれるようになった経緯は、半年ほど前まで遡る。
 クヴァッチとはシロディール帝国の西に位置する城塞都市で、皇帝が暗殺された後、最初にオブリビオンの門が現れた都市でもある。そのクヴァッチで居合わせたナマエが門を閉じることができたのは単に偶然が重なっただけの幸運な出来事だった。だが恐ろしい未知の勢力からの襲撃を初めて退けた人間として、噂が噂を呼び、いつの間にか英雄にまで持ち上げられていた。
 クヴァッチの英雄、と知らない人間から親しげに声をかけられるのは居心地が悪かった。
 だってそもそもあの日、牢屋にいなければ……。もっと言えばあの最低クソ野郎のマーシアスのいつもの嫌がらせに反撃しなければ――いやそれは無理だ。
 皇帝が暗殺されたあの日、ナマエは冤罪(いや衛兵ガードの端くれとは言え、あいつマーシアスを殴ってしまったからには冤罪とは言えないが、衛兵という立場をかさに来て先に手を出してきたのはあいつの方であって――だから罰金を支払うのは納得がいかないと抵抗した挙句、牢屋にぶち込まれたのだ)で牢屋に収監されていた。その牢屋がたまたま皇室用の秘密の脱出経路に繋がっていたらしく、暗殺者の手から逃れるべく白金の塔から逃げてきた皇帝と護衛の一行に、成り行きで首都脱出の旅の供をしたのだ。だが待ち構えていた暗殺者の凶刃により、暗くじめじめとした首都の下水道でユリエル皇帝は斃れた。
 その直前に死期を察した皇帝に、王者のアミュレットと、クヴァッチにいる彼の隠し子であるマーティン(唯一の正当たる竜の血脈を受け継ぎしものがまだ生き残っていたとは! 彼が皇帝に即位すれば再びドラゴンファイアが灯り、デイドラの侵略も回避できる)のことを――つまりシロディールの生死を託されたのだ。その場に託せる人間が自分以外誰一人いなかったとは言え、ただの一帝都市民であるナマエに、だ。
 その日からナマエの運命は劇的に変化した。
 ……けれど、それもすべて竜の血脈の祖であるアカトシュ神の導きによるものかもしれない。
 ユリエル皇帝は先見の力を持つといわれていた。だから牢屋で初めて会ったとき、不思議なことを言っていたのだ。「夢で見たのはそなただったか」と。


 物思いに浸っているうち、目の前に第一の尖塔が現れた。
 オブリビオンの門の内部はほとんど同じ構造をしている。門を背にして、ちょうど直線上の最奥に大塔があり、その左右どちらかに小塔。
 オブリビオンの門の攻略法は簡単だ。大塔の最上階に設置されている要石シジルストーンを奪えばいいだけ。シジルストーンはこの亜空間をニルンの世界へと繋げる役割を果たしている魔石だ。
 問題はそこまでたどり着くまでの、そこらにうようよいるデイドラたちの存在だ。魔物たちは侵入者――つまり果敢にもオブリビオンの門を閉じようと亜空間へと自ら足を踏み入れた人間か、あるいは門ができた周辺にたまたま運悪くうろついていた人間か――を見つけ次第排除しようと攻撃をけしかけ、時には捕らえて捕虜とする。捕虜となった人間はたいてい手前の小塔の最上階にある鉄檻に監禁しているようだが、過激な拷問によりどのオブリビオン内でも鉄檻の中には死体となって横たわっていることがほとんどだった。
 本来ならば大塔にまっすぐ突撃してさっさとシジルストーンを奪って門を閉じるのが効率的だ。だが一度この亜空間が閉じられれば、二度と自力ではシロディールに戻ることは叶わないだろう。生きている人間が囚われている可能性はごく僅かだが、亜空間に囚われるという悲惨な事故を未然に防ぐべく小塔は必ず見回るようにしている。
 さて今回は鬼が出るか蛇が出るか……。


 ――結論から言うと、捕虜はいた。
 しかも今回は奇跡的にまだ生きていたようだ。

 小塔へと侵入した後、らせん状となった階段を忍び足で上りながら、油断しているデイドラに奇襲をかけ階下へと叩き落す。小塔の最下階には上から落ちてきた獲物を確実に絶命させるべく鋭い剣山の罠が仕掛けられていることを知っている。対侵入者用の罠だが、こちらも大いに有効活用させてもらっている。
 最上階へとたどり着くと、階段から顔を半分だけ出して様子をうかがった。見張りのデイドラが一体。そして天井から宙づりになった鉄檻の中には一人の人間が力なく座り込んでいる。
(なんだかずいぶん目立つ格好のやつだな……。女……? いや男か? 動かない……死んでいるのか?)
 捕虜の見た目をさっと観察する。立派な鎧。純白の甲冑は高級そうな見た目だった。売れば結構な値段になるかもしれない。それに腰に差している細身の長剣は柄の装飾がまるでユリの花のように繊細で美しい。芸術品のような見た目だが、あれで戦えるのだろうか。
 おおかた、どこか良いところの世間知らずのお坊ちゃん(ガタイが良いので多分男だ)が度胸試しかなにかで門に侵入し、返り討ちにあったのだろうか。
 眉根をひそめ、俯くその人物の顔を眺める。相貌はよく見えないが、癖のあるふわふわとした白髪は一つの三つ編みで結われ、腰のあたりできちんとリボンで結ばれている。白髪、となれば老齢の人間だろうかとも思ったが、ちらりと見える口元と顎先は青年のそれのようだ。何より髭がない。
 ……まあ捕虜の見た目なんてどうだっていい。死んでいたら装備を回収してうっぱらうし、生きていれば助けて謝礼をぶんどる。金持ちそうな見た目だし、謝礼をはずんでもらえるかもしれない。
 ひとまず鉄檻の周辺をうろうろするデイドラを何とかしなければ。
 おもむろに矢を構える。矢じりに毒は塗布済みだ。見張りのデイドラがこちらに背を向けた瞬間を狙って、引き絞った矢を放った。鎧の隙間を狙って放った一本。首筋に命中。
「っ、何事だ!?」
 ギャアッとデイドラのあげた悲鳴に驚いてか、鉄檻の中の捕虜が顔を上げた。彼は突然の異変に困惑しながら立ち上がって剣を抜き、臨戦態勢で檻の周囲を見回している。
「あ、生きてた」
 捕虜が生存していることには正直驚いた。人間の道理が通じないこの魔界で、捕虜として生き延びるのは滅多にないことだ。だが悠長にその幸運な生存者のご尊顔を拝する余裕もなく、ナマエは身を潜めていた階段から飛び出して、襲い掛かってくるデイドラを軽くいなす。振り下ろされる剣を弓で受け流し、敵がよろけた隙にさらに追い打ちをかけるように足蹴にして距離を取った。とにかく弓矢は間合いが命だ。逆に言えば、間合いを詰められればあっという間に致命傷を負う。特にナマエは動きやすさ重視の戦略を取っているため、あまり重い防具をつけてないから余計に。
「……っ!? おまえは――っ! 待て、顔を見せてほしい!」
「ちょっと待ってて今忙しい!」
 捕虜の男がこちらに向かって何かをわめいている。大方早く助けろだなんだと言っているのだろう。だが今は構っている暇はない。
 この手負いのデイドラは上位のデイドラ兵なのだろう、毒矢一発ではなかなか倒れてくれない。最上階の中央にある鉄檻の周りをぐるぐる追いかけっこをしつつ、距離を保って二射目、三射目と打ち込めば、ようやくデイドラが地に伏した。
 動かなくなったデイドラを前に、ふう、と息をつく。そして鉄檻へと視線を向けた時。
「お待た――」
「っ、ナマエ! ナマエ、お前なのか!?」
 面を食らう。いきなり呼び捨て? 食い気味に名を呼ばれ、眉をひそめて捕虜の顔を見た瞬間、息をのんだ。
 若草色の美しい瞳。理知的な切れ長の瞳に、男らしく整ったまっすぐな眉。面長の顔立ちに形の良い顎先と鼻。唇は少し薄め。白皙の端正な顔立ちの、まさしく彫刻のような凛々しい男だ。薄い色素、北方人ノルドだろうか。ゆるくカールした前髪は左目を覆い、どこもかしこも真っ白な印象の男は、神の御使いのように人外めいた雰囲気があった。
ナマエ……? 違うのか? お前ではないのか……?」
 そんな正体不明の男が瞳に焦燥の色を浮かべ、鉄檻から覗き込むようにしてこちらを食い入るように見つめている。知らず男に見惚れていたナマエは、そこでハッと我に返った。
「――確かに私はナマエだけど……」
 あんた誰?
 心の中でそう疑問を投げかけ、様子をうかがいながら一歩ずつ捕虜の囚われている檻へと近づく。もしかしたら自分が忘れているだけで、前に一度どこかで会ったことがあるかもしれない。もう少し近くで顔を見てみたら、あるいは。
 内心警戒しながら無言で捕虜の男に近づく。すると男がこちらの顔をまじまじと見つめ、ほっとしたように微笑んだ。緊迫して堅苦しい男の表情が一気にふっと緩み、気安い笑みになぜかうっと息が詰まった。
「よかった……無事なのだな。お前を追って門をくぐったは良いが、妙なところに飛ばされてしまったようだ。しばらくさ迷ったあげく、ようやく人を見かけて――いや、人だと思っていたらそこの魔物だったのだが、それに声を掛けたら振り向きざまにいきなり殴られて、気が付けばこの檻に囚われてしまっていた……。ここは一体どこなのだ?」
 いかにも気位の高そうな見た目の男が、既知の仲のような親しい口調で話しかけてくる。まるで友人のような接し方。混乱した。多分、恰好からして男は貴族階級か騎士なのだろう。が、あいにくそういった友人は少ない。
 ――どこだ? どこでこの男に会った? 困った……、全然覚えがない。
 眉根を寄せて黙り込んだまま男の顔を見つめ、ぐるぐると記憶をフル回転させる。
 すると男も怪訝に思ったのだろう。小首をかしげ、口を開いた。
ナマエ、どうしたんだ? なぜ黙ったままなのだ」
「……あんたと私、知り合いだっけ?」
 馴れ馴れしく呼び捨てにしてくる男の顔をじっと見つめながら、慎重に問いかける。いくらその整った白皙の顔を見つめても、見覚えがない。やっぱり初対面だ。
 その言葉がどうやら予想外だったらしい。捕虜の男は驚いたように大きく目を見開き、ひゅっと喉を鳴らした。動揺する男の白い顔が、少し青ざめたようだった。
「は、……ああ、またいつもの冗談か? 悪いが今はその冗談に付き合っている余裕はない。ひとまずここを脱出したい。手伝ってくれないか」
 少し間があって、男がぎこちなく笑う。どうやら行き違いがあることを認めたくないらしい。
「脱出は手伝うけど、私のこと誰かと勘違いしていない?」
 檻に手をついて、若草色の瞳を覗き込み、念押しするように問いかける。ごく、と男が固唾を飲んだ。
「……まさか、私のことを覚えてないのか?」
「あんたの名前聞いてもいい?」
「タシャだ」
「タシャ……」
 その名を呟いても、やはり聞き覚えもない。そもそも、こんな目立つ男、否が応にも記憶に残るはずだ。
「うーん、やっぱりあんたとは初対面だ」
「そんな……なぜ」
 男――タシャは絶望したようにずるずると座り込んだ。
 ……そこまでがっかりすることか? タシャの言い分には謎は残るが、あるいはもしかしたら、それはタシャの勘違いということも考えられる。ナマエは一応シロディールの中でも現在一、二を争う有名人だ。一部の想像力が豊かな人間の場合、新聞やら噂やらで聞きかじった情報からたくましく妄想を開花させ、すっかりナマエと知り合いになった気でいる人物も、正直いないとも限らない。……というか実際居た。スキングラードの例の精神拗らせウッドエルフボズマー。ボズマー自体何かとお騒がせの人種なのに、あいつのおかげでますます苦手な人種になってしまった。
 一見まともそうに見えるけど、もしかしたらこのタシャという男も……。
「それとも私のファン? クヴァッチの英雄サマとお知り合いになった気でいた?」
「ク、ヴァッチ?」
 嫌な記憶がよみがえり、少し言葉に刺が出てしまった。けれどタシャはきょとんとしてナマエの言葉を繰り返したので、あれ? と内心首を傾げた。
「それも知らないのか? 半年くらい前、クヴァッチに現れたオブリビオンの門を初めて封じたのが私だよ。黒馬新聞にも載ったんだけどなぁ」
 タシャは反論せず、なぜか困惑したように口をつぐんだ。どことなく様子がおかしい。会話の歯車がかみ合っていないような居心地の悪さを感じつつ、ため息をつく。ここで言い合っていても仕方がない。まずはタシャの救出だ。
「まあいいや。助けるだけは助けてやる。今からそこの操作レバーを引っ張って鉄檻を開ける。だけど鉄檻と一緒に床も開く仕様になっているから、そのまま突っ立っていたら一階まで真っ逆さまだ。一階には趣味の悪い剣山があるから、潰れたトマトになりたくなかったらその上の方の柵にしっかりつかまって。腰はベルトで檻と固定するよ」
 言いながら、手荷物から余ったベルトを取り出し檻の隙間からタシャの腰へとベルトを回した。緩くては意味がない。ぎゅっときつく結んで、動かないことを確認する。だがベルトだけでは心もとない。足元にも何か足がかりが欲しい、と狩猟の罠用の縄を取り出して、タシャの足元あたりの檻にアーチとなるよう結び付けた。タシャのブーツの先が、縄でできた足場をひっかけるようにして踏みつける。
 両手は頭上の柵をつかみ、腰はベルトで固定され、足元は縄の足場。これでおそらく転落は免れるだろう。
「大丈夫そう?」
 タシャは問いかけに神妙にうなずいた。落ち着いている。おそらく非常時に慣れているのだろう。それなりの戦闘の経験がありそうだからパニックになることはないだろうが、レバーを引く前にもう一度念押しした。
「いいか、その手を離すなよ。手を離したらソブンガルデへ直行だ」
「ソブンガルデ?」
 タシャがぎこちなく繰り返す。まただ、と思った。さきほど感じたあの違和感。
 思わずレバーを引く手を止め、檻の中にいる人間をまじまじと見た。
「……あんた北方人ノルドじゃないのか? 見た目ノルドに見えたんだけど、帝国人インペリアル? ソブンガルデっていうのは天国のことだよ。戦士が死んだ後に行くところ」
「……、分からない」
 迷子のような口調でタシャがつぶやく。分からない、とは何が。言外に質問以外のことも含まれているような口調だった。
「わからないって、自分の人種が?」
「人種……。出身は帝国だが、しかし――お前の言う帝国人とは異なっているとは思う……」
 はっと何かに思い至ったようにタシャが息をのんだ。
「――もしや私は、時をさかのぼった……?」
 時をさかのぼった。その独り言のような呟きに引っ掛かりを覚えた時、何者かが階段を登ってくる気配を察知した。小塔の巡回兵か。
 忍び足で死角になるところへと移動し、弓を低く構える。いつだって先手必勝だ。
ナマエ……? なにを」
 ナマエの行動を訝しんだタシャが口を開きかけたのを、目線で咎める。それを汲んでくれたらしい、こくりと頷いたタシャが腰のベルトをいつでも外せるように手を添える。いざというとき、体が檻に固定されたままでは危険だからだ。
 やがて巡回兵の頭が階段の縁からにゅっと現れる。瞬間、ナマエは矢を放った。キンッ、と予想外に高い金属の音が鳴り、矢がはじかれる。巡回兵の頭を狙った矢は、どうやら兜にはじかれてしまったようだ。
「兜! うざっ!」
 重装兵のデイドラだ。奇襲が失敗したことに悪態をつき、二射目を放つべく構える。と同時に、巡回兵が振り返りナマエを認めて襲い掛かってきた。
『グワァッ……! シンニュウシャガ! コロス!』
 相変わらず耳がキンとなるような汚い声だ。人型のデイドラは言語を話すが、もちろんシロディールの共通言語とは異なる。様々な人種が入り混じるシロディールでは翻訳魔法が必須だが、とはいえデイドラの言語相手では格段に翻訳魔法の質が落ちる。かろうじて意味を成す言葉は、まるで耳障りな金属のこすれる音を聴いているようだ。
 重装兵相手に弓矢は少し分が悪い。ぶんぶんと振り回される仰々しい敵の斧からちょこまかと逃げつつ隙を伺っていると、それを見ていたタシャがやきもきしたのか、檻の中から指示を飛ばし始めた。
「……ああもう見ていられん。近すぎる、もっと間合いを取れ! いやもう弓では無理だ! 剣で戦え!」
「気が散る! 黙ってて!」
 思わずカッとなって噛みつく。ナマエは帝都を出て独り立ちしてから今まで、ほとんどが単独行動だった。だから誰かに自分の戦い方にケチを付けられるのは初めてのことだったし、今までこの腕で生き抜いてきたという矜持もあいまって、口を出されることは全く好ましいことではなかった。
 だがナマエの一喝もむなしく、ベルトを外したタシャは剣を構え、ガンガンと檻を叩いてデイドラの注意を引こうと奮戦している。
「おい魔物、こちらだ! 彼女ばかり狙うな、私を狙え!」
「ちょっ、捕虜のくせにいい加減城しろよあんた! おとなしく檻の中で待っていろよ……!」
「関係ない! お前だけ危険な目に合わせられるか!」
「……っ!」
 勇敢だ。だがその勇敢さで身を亡ぼす人間を幾度も見てきた身としては、いつデイドラの斧がタシャに向かうんじゃないかと気が気ではなかった。



 認めるのは悔しいが、結果としてタシャの陽動作戦には大いに助けられた。デイドラの隙ができた瞬間に毒矢を打ち込み、逃げ回っているとようやく倒れてくれたので、一息ついてタシャの救出へと乗り出す。
 もう一度しっかりとベルトで檻とタシャの体を固定し、レバーを引く。宙づりになった鉄檻が足元から天井に向かってガコンッと四方向に割れ、同時に円形状に床が開いた。
 床にぽっかりと開いた穴を覗き込むと、遥か下に剣山の罠が見えた。一度、悪趣味なこのからくりを知らないまま捕虜を助けようとして、悲惨な結果に終わったことがある。……正直、あれはしばらく引きずった。
 その経験のおかげ……とは言いたくないが、今回は無事に助けられそうだ。ほっとしつつ、開いた檻の一か所に縄をかけ、宙づりになった檻ごとこちらへと引き寄せ、レバーの基部にぎゅっと固定する。
「よっ……と。ほら、手をこっちに」
 上方の柵にしっかりと捕まるタシャに手を伸ばすと、若草色の真摯な瞳がこちらを捉え、しっかりと頷いた。差し出した手を、迷いのない大きな手が掴む。
「すまない、助かった」
「こちらこそ」
 無事に檻から解放され、タシャはナマエに向き合って、深々と敬礼した。
「改めて自己紹介しよう。私はタシャ。白騎士のタシャと呼ばれている」
「白騎士……。あはっ、見たまんまだね」
 これほど名と体が一致するあだ名も珍しい。ナマエは目の前の男の頭のてっぺんから足先まで眺め、破顔した。ふわふわとした白髪の長い髪、白皙の相貌、足先までの白を基調とした鎧一式の中で、美しい若草色が彩を添えている。改めて眺めてみると、なんて気品のある騎士だろう、とも思う。シロディールの中に、こんな高潔な騎士がいたとは。いにしえの九大神の騎士が現代にいたら、彼みたいな感じだろうか。
「私はナマエ・リー。去年まではただの帝都市民だったけど、いろいろあって今は冒険者やってる。戦士ギルドやら魔術師ギルドやらいろいろ掛け持ちしてるけど、基本はフリーで動いてる」
「……そうか」
 頷いたタシャが目を細め、口元を綻ばす。まるで何かを懐かしむような微笑みだ。
 けれど、なぜそんな顔をされるのかわからない。
 居心地が悪くなって目線をそらし、先ほど巡回兵が上ってきた階段の方を見る。塔を出るならまずはあそこから降りないと。
「……あー、塔の外まで出るだろ? ついてきて。あ、その前に武器とか道具とか、デイドラに取られたものない?」
 問いかけに、タシャはしばらく身の回りのものを確認し、盾を奪われたようだ、と言った。しかし幸いにも、すぐ近くの道具入れを漁れば、小型の丸い盾が出てきて、ほら、とそれを手渡した。美しい神鳥のような模様が施された盾は白く輝いていて、誰のものか聞かずとも一目で持ち主はすぐわかった。


「出口あっちな。ほら、大きい門が見えるだろ。あそこからシロディールに戻れる。迷子になるなよ」
 小塔の出口までタシャを案内すると、ナマエは振り返ってシロディールへと通じる方向を指さした。ここまでの道のりでだいたいのデイドラはつぶしておいたから、一人でも早々やられることはないはずだ。
 タシャとはここでお別れだ。じゃあな、と別れを告げて最終目的地である大塔の方へと足を向けようとすると、待ってくれ、とさっそく呼び止められた。
ナマエ……殿はどこへ行くのだ?」
 ぎこちない呼び方がおかしくて、苦笑する。
「慣れないなら呼び捨てでいい。私はあの奥の塔に登ってくる」
「何のために」
 ――何のために? もしかして、門の閉じ方を知らないのだろうか。思いがけない問いかけにたじろぎながら説明する。
「なにって、オブリビオンの門を閉じるためだよ。あの塔の最上階にシジルストーンという魔石が設置されていて、それを奪えばこの空間は閉じるって寸法」
「門を、閉じる……」
 タシャが思案するように呟く。オブリビオンの門のことも、まるで何も知らないような素振りだ。内心訝しんでいると、「それは危険ではないのか」と重ねて問われ、「慣れた」と両肩を竦めた。
「それにあいつらあんまり目がよくないんだ。だから目立たないように行動して、デイドラたちの目をかいくぐって塔の頂上まで行くのは意外と簡単だよ」
「デイドラとは、お前が倒した魔物のことか」
「そう」
 頷くと、ふとタシャは何かを決意したように顔を上げた。
「私もついていく」
「……はぁ? え、本気か?」
「ああ」
 この唐突な宣言にぎょっとしたのはナマエだ。
 まさか先ほどまで捕虜になっていた人間が勇ましくも同行を申し出るとは思うまい。けれど気がかりなのは、タシャがこの魔界デッドランドにまったく慣れてないうえ、この薄暗く血の雨が降りそうな曇天の空色に反比例して、彼の光り輝く恰好は端的に言えば……そう、とても目立っているということだ。つまり敵の目を引きやすい。
 隠密行動を主として立ち回るナマエにとって、当然この申し出を受けることはできなかった。
「ダメ、あんたは目立ちすぎる。おとなしく外に戻って」
 言い捨てて、ひらひら、と手を振り踵を返す。が、一歩進んだところでたたらを踏んだ。振り返ると、真摯な顔の男ががっしりと手を掴んでいて、絶対に離さないとでも言いたげな気迫で迫ってきていた。
ナマエ
「な、うっ、顔が近い……!」
 稀にみるほどの美形がドアップで視界を埋めつくす。別に面食いという訳ではないが、美しい顔がすぐ目の前に迫ってくるのはやはり相当な迫力があった。
ナマエ、頼む。お前と離れたくない」
 ――離れたくないってなんだ!?
 追撃とばかりに意味深な発言が直撃する。カッと顔に血が上るのを感じて、完全にパニックになりながら掴まれた手を振り払おうとする。
「なっ、何急に……!? だから私と一緒の方が危険なんだってば!」
「承知の上だ。どうか頼む」
 いくら拒否しても、タシャはどうやら諦めるつもりはないらしい。相当な頑固者だ。
 しばしの押し問答の末、結局折れたのはナマエの方だった。はぁーっと深いため息をつきながら、しぶしぶ降参の旗を揚げる。
「なんで、訳わかんない……。せっかく助けたのに」
「すまない、それは感謝している。だがお前を置いて一人安全な場所に避難せよという命令だけは聞けんのだ。どうしても私の同行を許可できんというなら、勝手についていく」
「あー、わかったわかった。暑っ苦しい騎士道精神とやらの押し売りはもう結構です。自分の身を自分で守れるならどうぞご自由に。あと、私から距離をとって、必ず後ろを歩いて。絶対前には出ないで。うっかり前に突撃して私の矢が刺さっても知らないから」
 熱っぽく説く頑固な騎士の言葉を聞いていられず、両手を突き出してノーモアのポーズを取る。
 ……なぜだかよくわからないけど、タシャの言葉は聞いていて気恥ずかしくなってくる。見た目に反して熱血漢なタイプなのか……? とにかくいちいち暑っ苦しいのは勘弁してほしい。
 パタパタと熱くなった顔を仰いでいると、タシャがふっと苦笑した。
「私の実力を知らぬくせに、随分と侮られたものだ」
 腕を組んで斜に構えたその態度は悔しいがサマになっている。……きっと、こういう男を色男というのだろうか。ナマエはじとりと目の前の男をねめつけてから、軽く肩を竦めた。
「別に侮っているわけじゃない。でもあんたデイドラと正規にやりあったことないんだろ?」
 問いかけに、ああ、とタシャが頷く。
「なら黙ってついてきて。あいつらに対人間の戦い方は通じない。邪魔をしたら置いていくから。あと、素材採取しながら進むから、結構時間かかるよ」
「構わない」
「オッケー。じゃあ行こう」
 ようやく話が落ち着き、目的地へと足先を向けたところ、ふと気になることが浮かんで再び振り返った。
「ところでタシャ、魔法はどの程度使える?」
「……魔法は使えない」
 返ってきた答えにぎょっとしたのはナマエだ。シロディールで魔法の習得は比較的簡単だ。そこらの一般市民だって、下位の治癒魔法くらいは習得している人だっているのに。
「マジで? 騎士なのに? え、治癒魔法も?」
「面目ない……。こちらでは騎士も魔法が使えるのが一般的なのか?」
 こちらでは、ってどういうことだろう。まるでシロディールの常識がない。そもそもこの騎士何者なんだ……?
 申し訳なさそうに尋ねるタシャに内心ちょっと引きながら、浮かんだ疑惑を誤魔化すように口早に答える。
「よくわかんないけど、魔法のスクロールはそこまで高くないし、戦う機会がある職業なら普通は治癒魔法のひとつくらい習得しておくものじゃない? ええとちょっと待って……、あった。これあげる。やばくなったら飲んで」
 言いながらポーチの中身をごそごそと漁り、目的のものを見つけてタシャに押し付けるように渡した。錬金術の練習時に作った大量の体力回復ポーション。味は粉っぽくて、飲んだ人からの評判は良くない。
「ああ、これか……。ありがたく頂こう」
 ポーションを手にしたタシャは、どこか懐かしそうな顔で手元の瓶を眺めている。
 それを見て、ああ……まただ、と思った。またあの表情。初対面のはずなのに、彼はどうしてそう、美しい思い出を懐かしむような表情をするのだろう……。


***


 大塔にたどり着くまでの間に一波乱も二波乱もありながら、ようやく目的地へと到着した。正攻法を主とする騎士であるタシャはやはり隠密行動は苦手のようで、先手を打つ前に足音を察知したデイドラに気づかれ、同時に複数体相手をしなければならなくなった時は少しタシャを恨んだが、そこはさすがに自らの実力を仄めかすだけの腕前はあったようだ。タシャは機敏な立ち回りで複数体の注意を引き、うまくナマエの隙を作ってくれた。初めての共闘のはずなのに、いやに息がぴったり合う。……いや、合いすぎて、いっそ気味が悪いほどだ。実力者というのはこれほどまでに即興で相手の実力に合わせられるものなのか。なによりナマエの弓捌きの邪魔にならない立ち回りは見事で、タシャの存在を気にせず思う存分矢を放てるのが気持ちよかった。
 とはいえ途中、ナマエの召喚したクランフィアを敵と勘違いしたタシャが斬りかかり、味方同士で乱闘になったのはご愛敬だ。
 タシャの剣捌きも危うげなくデイドラに対応できている。とはいえ近距離の魔法攻撃には慣れていないのか、度々被弾して距離を取っては体制を整えていた。
 これがナマエ一人であれば、複数のデイドラに囲まれた時点で死を覚悟していただろう(もとい、そもそも一人なら絶対にデイドラに気づかれて取り囲まれるヘマはしなかったはず……)
 順調に塔を攻略していき、いよいよ最上階へと踏み込むと、シジルストーンの奏でる地鳴りのような不協和音が近づいてきた。
 塔の中央を貫くようにして、禍々しい豪炎の柱が立ち昇っている。その炎の中央に、拳大ほどの魔石が浮かんでいた。その凄まじい魔力をもってこの場を安定させている要石だ。
 アレを奪取すれば終わりだ。
 敵の数は一、二……十体以上。やはり本陣だけあって敵が多い。ようやく最上階までたどり着いて、更にこの数の敵と戦うのは面倒だ。これなら戦わずに走ってシジルストーンを奪った方が早い。物陰からさっと敵情視察を終え、ナマエは背後を振り返った。
「タシャ、あの石見える? あれがシジルストーン。あれを取ればシロディールに帰れる。でもそれまでの道のりにデイドラがうじゃうじゃいる」
「ああ、見えている。前衛は任せてくれ」
 言うなり今にも飛び出そうとするタシャを、慌てて引き留める。
「待って、あいつらとは真っ向からは戦わない」
「なに? ではどうするのだ」
「戦うのは面倒だから、ここから一気にダッシュしてシジルストーンを奪う。で、タシャにはそこまでの道のりをサポートしてもらいたい。襲ってくる奴らの攻撃を適当に受け流して欲しいんだ」
 シジルストーンまでの道のりはそう遠くない。この物陰から飛び出て、左右対称に伸びる螺旋階段のどちらかを駆け上がり、踊り場へと出る。あとは中央の台座に浮かぶシジルストーンへと一直線。今まで何度か試した方法の中で、一番コスパがいいやり方だ。
「それだけでいいのか?」
「うん。で、合図したらすぐに私の傍に来て。一緒に台座までダッシュして、石を奪ったらあの踊り場から飛び降りる」
 待て、と頭を抱えたタシャが口をはさむ。今にも苦言を呈しそうな渋い表情で、ナマエをじとりとねめつけた。
「……それは、作戦と言えるのか? ずいぶんと無謀に聞こえるが」
「あー、まあ、多少強引だけど、行けるだろ。何度かやったことあるし」
 何度か……、とタシャが小さく繰り返す。その表情は今にも何か言いたげだ。
「……。承知した」
 大丈夫大丈夫、と適当に相槌を打つと、タシャが半目を伏せて重くため息をついた。どうやら説教は諦めてくれたらしい。


 じゃあ行くよ、と宣言して飛び出す。
 開幕、敵の注意を引くため、経路とは反対側に向かって召喚したクランフィアを放った。
 デイドラたちが動揺している隙に、一気に階段を駆け上っていく。
「どいてどいて! 邪魔!」
 道なりにいる敵はナマエが魔法や矢を放って威嚇し、遅れて階段下から追いかけてくる敵の攻撃はタシャがその剣で受け止め薙ぎ払う。キン、ギィンッ、ドンッ、としばし派手な音が続いた。
「のけっ! 落ちろ!」
 タシャが吠え、俊敏な剣戟に合わせて白い三つ編みが優美なレースのように舞う。敵との高低差を利用し、叩きのめすように剣を振り下ろし、よろめかせた隙をぬってデイドラを階段から長い脚でけり落とす。騎士のくせに足技もいける口らしい。追手のデイドラが無様に階段から転げ落ちていくところを横目で見ていたナマエは、ぴゅうっと口笛を鳴らした。
「やるじゃん」
「よそ見するな! 前を見ろ!」
 が、案の定怒られてしまった。冗談が通じないタイプか。

 階段を登り切り、踊り場へと出る。と同時に、反対側の階段から駆け上がってきた二体のデイドラの姿を捉えた。
 シジルストーンまであと二十歩。対向のデイドラが追いつくのが先か、シジルストーンを奪うのが先か。瞬時に距離を測り、ナマエは背後で剣を振るう男に向かって叫んだ。
「タシャ、こっち来て! 早く!」
 タシャは振り向きざま剣の峰で敵を払い、跳躍するようにナマエの元へと駆け付けた。「走るよ!」と促し台座へと向かって並んで走り出す。
「向こうから魔物が!」
「気にしないでっ、このまま突っ走る!」
 目指すは台座の上に浮かぶ魔石。
 ガシャガシャと背後から迫ってくる軍靴が立てる騒々しい音。ビュンッ、と剣が振り回される風圧が耳元をかすめた。
 ――すぐ後ろ!
 少しでもスピードを落とせば背後からバッサリ斬られる。一瞬焦りが浮かんで、息が乱れた。
 だが、目的のものはもう目の前だ。
 氷結の魔法を腕に纏わせ、火柱の中へと手を伸ばす。ジュウッと瞬時に溶ける氷。熱い。が、躊躇する本能は無理やりねじ伏せた。無我夢中で魔石を掴む。シジルストーンの振動を手のひらに感じた。
「取った!」
 叫んだ瞬間、ぐわん、と空間が歪んだ。この空間を支えていた柱が壊れたのだ。
 ――このまま逃げ切る!
 シジルストーンをしっかりと握りしめながら、勢いもそのままに踊り場から空中へと飛び出す。最中、くるりと体を反転させると、ナマエを追って続こうとするタシャと目が合った。
「タシャっ、手を!」
 手を伸ばす。ガシッと力強く重なる手と手。
 地獄の業火が弾け、空間が膨張し――そして急速に収縮していく。
 瞬間、夏の嵐のただ中に放り込まれたような激しく生ぬるい旋風が全身を襲った。


2024/08/20