第七話
忍び寄る悪意・後篇
孤児院への襲撃からひと月が経った。襲撃はぴたりと止み、結局主犯の魔物は捕まえられずじまいだ。だがホメロスの読みが的中し、事前に襲撃を食い止められた孤児院もあった。救援に向かったグレイグは子供達から感謝状を送られ、彼の英雄としての名声は益々揺るぎないものとなっていく。
デルカダールは現在実りの季節を迎え、農村部は収穫に忙しい時期となった。
グレイグは相変わらず調練に精を出し、志願してくる新兵も徐々に増えてきたところだ。ホメロスは先の孤児院の件の襲撃地点予測を評価され、参謀の部下として動くことが多くなった。
さて、この時期になると、必ず収穫物を狙って魔物が里に降りてくる。そろそろちらほらと魔物の襲撃の報告が上がっているが、その数は例年より早いペースで増えているようなのが気がかりだった。ホメロスは恐らくこのために参謀に引き立てられたのだろう。魔物の出現場所や襲撃地点などから、彼らの住処を予測するようにと参謀から課題を出され、実際に現地に赴いて時には魔物退治をしたりと忙しい。ほぼ毎日どこかの農村部が襲われているとの報告が上がり、その度に出撃せざるを得ない状況だ。結果、負傷兵が毎日出て衛生兵やらシスターやらが忙しく立ち回っている。
ホメロスがナマエの噂を聞いたのば、救護室から戻ってきた兵士からだった。業務が忙しく、ナマエとはここ半月ほど顔を合わせていない。
どうやら先の一件以来、ナマエは吹っ切れたのか少し活動的になったようだ。いい兆候だと思う。
なにやら兵士の話によると、シスターの手伝いを率先して行なっているようだ。ナマエの優しい看護は概ね好評のようで、語る兵士の顔がにやけている。
「シスターの見習いの子、君もう見たかい? 塩対応のシスターと違ってすごい優しくていいよね~。僕ちょっと惚れちゃったかも」
「ああ、ナマエ様だろ? ユグノアのお姫様の」
「えっ、ああ、あの子だったのか! そうかぁお姫様かぁ。どうりで仕草が上品な訳だ。なら、僕にはちょっと高嶺の花だなぁ」
「というかシスターの塩対応全然アリだろ。俺は逆にあのクールさがたまらん」
「君結構マゾなところあるよね……」
いい歳した男が二人揃って、場もわきまえず雑談に興じている。しかも話題も随分浮かれたものだ。それだけでも十分苛だたしいのに、加えて話題の人物がナマエであることが、妙に癪に触った。
他の男の口から、ナマエの名前を聞くのが我慢ならない。
溜まりに溜まった資料の整理をしていたホメロスは、バン、と執務机を叩いて、男たちの談笑を強制的に終わらせた。
「おまえたち、無駄口を叩いてないでさっさと仕事に戻れ」
驚いて振り返った二人の兵士をねめつける。彼らはばつの悪い顔になり、謝罪してきた。
「うるさくしてごめんねホメロス殿」
「すまんすまん。あいかわらず真面目だなぁ。あまり根を詰めるのも良くないぞ」
その言葉を無視し、ホメロスは纏めた資料を隣室の資料室にしまうため立ち上がった。
「……そういえばお前知っているか? グレイグ将軍とナマエ姫の噂」
部屋を出る際、また語り出した男の言葉が亡霊の手のようにホメロスの背を引き止める。思わず引き返して、彼女に関する根も葉もない噂を流すのはやめろ、と首を掴んで忠告してやりたくなった。
だが自分はあくまで第三者。グレイグとナマエの噂に関して、首を突っ込める立場ではない。
ホメロスは亡霊を振り払って、足を進めた。
遠くで昼時を告げる鐘が鳴っている。
乱雑に突っ込まれていた資料も含めて、整理しながら棚に全て収納し終えると、気がつけば昼時になっていた。
ちょうど今の時間帯が、食堂が一番混んでいるころだ。ホメロスは混雑が苦手なため、いつもなら早い時間帯に昼食を取るのだが、今日は時間を失念していた。少し時間をずらしていけば空いているが、そうすると残り物にしかありつけない。どうするか、と悩みながら資料室を出ると、執務室を訪れていたらしいグレイグとばったり廊下で出くわした。
グレイグはホメロスに気づくと気安い笑みを浮かべ、よう、と片手をあげた。
「ホメロス、もう昼飯は食ったか?」
「いや、まだだ」
「なら、昼食がてら一緒に城下町の教会に行かないか?」
「……教会? 構わないが、なんの用で」
「なに、ちょっとナマエ様の様子を見にな」
親友の思いがけない提案に、ホメロスは目を丸くした。
城下町へ降りがてら、グレイグはここ半月ほどのナマエの様子を聞かせてくれた。ナマエはシスターから魔法を習い始め、元々の素質がいいのかあっと言う間にシスター顔負けの癒し手になってしまったらしい。もとよりユグノア王家は魔法に強い血筋だ、それも当然かもしれない。そういう訳で一躍兵舎の救護室で人気者になったナマエは、この頃活動範囲を広めて、城下の教会が主催する慈善イベントにも手伝いに来ているらしい。無論護衛付きではあるが。
まずは腹ごしらえと、露店で適当に昼飯を買う。グレイグは炭火焼の肉汁滴り落ちるビッグハット串、ホメロスはガルーダ肉を挟んだパン。
ある程度腹が満たされると、目的地へと向かう。
教会の入り口に、暇そうな兵士がひとり座り込んでいた。恐らくナマエの護衛の兵なのだろうが、いくら街中とはいえ随分とたるんだ態度にホメロスは眉をひそめた。
兵士はグレイグとホメロスがこちらに向かってくるのに気づいて、慌てふためいたように立ち上がって敬礼する。グレイグがその兵士の肩をトンと叩いて、「しっかりな」と言外に威圧的なものを匂わせながら中へと入っていった。
幼いころは好きだった筈の教会が、なんとなく居心地が悪く感じる。美しいステンドグラスに描かれた神の目が、間違いなく自分を見張っている。そんな落ち着かない心地にさせた。
入り口から奥へと進むと、なにやら子供達が集まって騒がしい。どうやら昼食を兼ねた本の朗読会を行なっていたようだ。今はイベントも終盤で、子供達に甘いお菓子を配っているところのようだ。
「あっ、グレイグしょうぐんだ!」
子供のひとりが、目ざとくグレイグに気づいて嬉しそうに声をあげた。焼き菓子の入った籠を腕に下げたナマエはその声に振り返り、二人を認めてぱっと花が咲いたように明るく微笑んだ。
「まあ、今日はホメロス様もご一緒なのですね。ほら皆さんご挨拶して、お二人ともごきげんよう」
ナマエに促され、ごきげんよー! と子供達が口々に挨拶を寄越す。その元気さに多少押されながら手を振ると、ナマエが籠の中の焼き菓子を「よかったらどうぞ」と嬉しそうに手渡してきた。かぼちゃのマフィン。礼を言う間も無く、ナマエは子供達に呼ばれてしまった。
思った以上にナマエは明るくなった。自惚れる訳ではないが、あの日大泣きしたおかげだろう。よかったと思う反面、もうあまり頼られることもないだろうと思うと少しだけ寂しく感じる。
しかし、なぜ友は自分をここに連れてきたのだろう。ナマエの先ほどの口調からするに、グレイグはすでに何度かこうして城下町まで彼女の様子を見にきているらしい。自分の知らないところで二人が会っていたという事実にホメロスは多少ショックを受けたが、考えてみればそれは当然のことである。二人はきっとこうして忙しい合間を縫って、逢瀬を重ねていたのだろう。
ならば自分は邪魔者ではないのだろうか? ホメロスは隣でさっそくマフィンを貪っているグレイグを、ちらりと横目で見た。
「……おいグレイグ」
「なんだ?」
「オレもついてきてよかったのか? 二人の邪魔にならないか?」
「……? なんのことだ?」
「だから、逢瀬の邪魔じゃないかと言っているんだ」
ごふっ、とグレイグの喉元から辛そうな音が聞こえた。どうやら菓子を気管に詰まらせたらしい。涙目になりながら慌ててどんどんと胸を叩く親友を、なんとなく面白くない気分のホメロスは醒めた目で眺める。なんとか菓子を飲み込んだグレイグは、友を非難がましい目で睨んだ。
「ばっ! ホメロスおまえなにをいきなり……!」
そこへ突然、子供達がグレイグに襲いかかってきた。
「ねえねえグレイグしょうぐん、一緒にあそぼー!」
「な、なんだ? 遊べだと? しかしそろそろ私たちは城に戻らねば……」
「グレイグさま肩車してー!」
「あたし高い高いしてほしいな!」
「お、おい引っ張るな! わかったわかったから!」
悲しいかな、猛将グレイグといえど子供の勢いには勝てず、外へと引っ張られていってしまった。
「みんなまってよぉ~」
その様子を半ば呆れて眺めていると、遅れてひとり集団を追いかける小さな子供がホメロスの横を過ぎった。
その時。
タイル敷の床の段差に足を取られたのか、「あっ」と声をあげた子供の体が前方へと倒れこみそうになる。ホメロスは持ち前の瞬発力を生かし、床に激突する寸前でなんとか子供の首根っこを掴むことができた。
事態に気づいたナマエが「大丈夫ですか!?」と慌てて小走りで近寄ってきたので、ひとまず大丈夫だという意味を込めてホメロスは彼女に頷いてみせた。
ホメロスはひとつため息をついて、固まっている子供の目線に合わせるように膝をつく。相手はまだ子供だ。だがどんないたいけな子供であっても、時には厳しいことを言わねばならない時がある。
「いいか、周りをもっとよく見ろ。ここが外の世界だったらお前は不注意でとっくに死んでいるぞ」
「ふえ……」
案の定、ホメロスの説教に泣きそうになった子供に嫌気がさした瞬間、ナマエが隣に膝をついて震える子供を抱き寄せた。
「大丈夫よ、泣かないで。このお兄さんはね、あなたが転んで痛い思いをして欲しくないから、わざと厳しく言っているだけなの。本当はとても優しい方なのよ」
ナマエがあまりに優しくなだめるものだから、途端に涙の引っ込んだ子供が、それでも怯えの拭いきれぬ瞳でナマエとホメロスを交互に窺う。
「……そうなの?」
「ええ、そうよ。ね?」
最後の「ね?」は、ホメロスに向けてだ。思わずうっと言葉に詰まる。そんな風に可愛らしくお膳立てをされてしまえば、ホメロスは頷かざるを得ない。
「……まあ、そうだな」
ぱあ、と子供の顔が輝いた。
「お兄さん、しんぱいしてくれてありがとう」
「礼には及ばない。今度は気をつけろ」
「はぁ~い」
……まったく素直な子供の感謝ほど、居心地の悪いものはない。はあ、とため息をついて子供を送り出した後、小さな背を幸せそうに見つめるナマエにちらと視線をやった。
「……子供がお好きなんですね」
「ええ、あの子達と触れ合うと元気が貰えるような気がして」
予想通りの答えに、ホメロスはきまりが悪いのを誤魔化すように首の後ろを片手で抑えた。
「オレはどうも苦手です。想定外の行動に出られると、どう対処していいかわからなくなる」
お気持ちはすこしわかる気がします、とナマエはクスクス笑った。
「でも、それほどお嫌いではないのでしょう?」
「まあ、デルカダールの未来の納税者だと思えば無碍にする訳にもいきませんからね」
「そ、そういうことではなく」
どうやらホメロスの回答はナマエの望むものではなかったらしい。言いたいことはわかるが、それを口にする気はホメロスには無い。それを察して、彼女は仕方ないといった顔で苦笑した。
「……ふふ、でもホメロス様はきっと優しいお父様になりますよ」
「ナマエ様……話を飛躍させるのはやめてください。その前にまずは結婚相手を見つけるのが先でしょう」
ホメロスは唐突な話題の飛躍についていけず、頭痛を覚えた。しかしナマエもやはり年若くとも女性だ、こういう恋愛の話題は好物らしい。
「あら、そうでしたね。申し訳ありません」
うふふ、と口では謝罪を述べながらも、彼女の表情は如実にこちらに興味を示している。
「でも大丈夫ですよ、きっとホメロス様は素敵な女性と結婚されますから。私がそう保証いたします」
堂々と太鼓判を押され、ホメロスは苦笑するしかない。
「ずいぶんと自信満々ですね」
「はい、だってホメロス様はこんなにも素敵な方ですもの。隣に立つ女性も素敵な方に間違いありませんわ」
そう熱い口調で語るナマエの表情があまりにキラキラとして希望に満ちていたので、ホメロスは何も言い返すこともできず、ただ少女の薔薇色に染まった頬を眺めていた。
仕方ない。熱病のようなものだ。ナマエのそれは、結婚というものに夢を見る年頃の少女にありがちな症状だろう。
だから、ひたすらに目を背けた。腹の底から湧き上がるこの衝動を。
ホメロスの理想の相手像を他人事のような口ぶりで語るナマエの柔らかそうな唇をいっそ塞いでしまいたいなどという、この穢れた欲望を認めてはならない。
そのとき、遥か頭上で鐘が鳴り始めた。
ホメロスはハッと我に返り天井を見上げた。刻を告げる教会の鐘。昼休憩が終わる頃だ、そろそろ城に戻らなければまずい。
子供達にめちゃくちゃにされたグレイグが丁度よく戻ってきて、帰城を促した。きりがいいので、とナマエも一緒に帰ることになった。
護衛の兵士を先頭に、一行は城を目指す。グレイグはどこか不機嫌そうなホメロスとご機嫌な様子のナマエを不思議そうに眺め、首をかしげた。
「先ほどはおふたりでなんの話をされてたのです?」
「ホメロス様の未来の花嫁のお話です」
ナマエの爆弾発言にぎょっとしてホメロスが振り返る。案の定盛大に誤解した幼馴染が、青ざめた表情で詰め寄ってきた。
「はっ!? 結婚するのかホメロス! おい俺は何も聞いてないぞ!?」
「し な い。お前はその短絡な思考をなんとかしろ」
ほんとうに暑苦しいやつだ。
忌々しくも頭一つ分上にある親友の顔に容赦無くアイアンクローを仕掛けてやると、グレイグが痛みに情けない声をあげた。
その隣でナマエがおろおろとしてホメロスを止めようとしていたが、そもそもの原因は彼女にある。ナマエへの腹立たしさを紛らわすように、ホメロスは友へと八つ当たりした。
帰城したホメロスは、執務室へと向かうため二人と別れた。グレイグはナマエを部屋まで送っていくようで、二人は和やかに談笑しながら階段を登っていく。それを横目で見送りながら執務室へと向かおうとすると、珍しく兵士を引き連れた王一行が道の向こうからやってきたところだった。王へと道を譲るため廊下の端に寄って敬礼する。
急に、王が目の前で立ち止まった。ホメロス、と名を呼ばれた瞬間、ふいに心臓が冷たい手でギュッと握りつぶされるような感覚に陥った。この感覚の正体をホメロスは知っている。恐怖だ。
――なぜ、オレは王に恐怖を抱いている?
ホメロスは正体不明の恐怖に慄きながらも、決してそれを顔に出さずに耐えた。
「ホメロスよ、あれはいったいなにをしている」
王の質問の意図を理解するのに、数秒かかった。あれ、とは一体なんのことだ。ホメロスの戸惑いを読んだように、王が無言で階段上の左翼棟を顎でしゃくった。それでナマエのことだとようやく理解する。
「は……、ナマエ様でしたら、ささやかながら、市民と交流を図っていらっしゃるようです」
「交流?」
忌々しそうに王の顔が歪む。その威圧感に、息がつまるような気さえした。
「……ふん、健気なことよ」
ややして王は吐き捨てるように嘲笑う。その笑みには、かつての慈愛溢れる王の面影はどこにもない。
ふいに、鈍器で頭をかち割られたような衝撃が襲ってきた。
思考がぐちゃぐちゃにされる。あの悪意に満ちた囁きが、あちこちから響いてきてホメロスをがんじがらめにする。
(”ころせ。ころせ。ころせ”)(”おまえのものにならぬなら、いっそあれをころせ”)(”あのほそい首に手をかけて、いきたえるのを絶望しながらながめるがいい”)
「やめ、やめろ……オレにかまうな」
王は既に去った。
ぬくもりを求めるように外套を手繰り寄せる。すると、恐ろしい声がすこしだけ遠のいた。
ホメロスは暗い廊下でひとり、苦痛から逃れるように身を丸めた。