Would you date me?・後




「あのう、ところでどこに向かっているんですか?」
「そろそろアフタヌーンティーの時間だ。この先に贔屓にしている店がある。君も付き合え。先程の礼をせねばな」
 すたすたと先を行くホメロスさんの背を小走りで追いかけながら尋ねると、返ってきたのは素っ気ない返答。整った横顔はつんとしていて、先程の発言をまだ根に持っているぞ、なんて心の声が聞こえてきそうだ。どうやら私に拒否権はないらしい。

 目的のお店は街の少し奥まったところにあった。外観は普通のお店と変わらない。だけど扉を開けると一変して格調高い店内が広がっていた。壁にはいくつもの絵画が飾られ、磨き抜かれた調度はつやつやと輝いている。ベルベットの重厚なカーテンに、天井にはキラキラとシャンデリアが輝いている。
 ぽかんとして店の中を見回していると、黒の給仕服を着たお店の人が出てきてホメロスさんに向かってうやうやしく頭を下げた。
「これはこれは、ホメロス将軍ではありませんか。いつもご贔屓にしてくださってありがとうございます」
「もう将軍の座は引退したがな。今日は連れがいる。いつもの席は空いているか?」
「すぐにご用意いたします」
 常連なのだろう、ホメロスさんもお店の人も慣れた様子だ。それぞれのコートを渡した後、お店の人に案内されたのは一階のホールの席ではなく二階の衝立で仕切られた半個室のようなところだ。ふかふかのソファにローテーブル、可愛らしい花まで飾られている。
 緊張しながらソファに座り、オーダーを通す。紅茶の種類は良く分からなかったから全てホメロスさんにお任せした。
「こんなお洒落なお店に来るんだったらもう少し良い服に着替えれば良かった……」
「大して変わらんだろう」
 店員さんが下がっていってからようやく一息つくと、ホメロスさんが私の独り言にふっと鼻を鳴らした。小馬鹿にしたような一言がぐさっと胸に刺さる。
「あ、ひどい。どうせ何を着たってこの田舎臭さは誤魔化せませんよー」
「待て、田舎臭いとは一言も言ってないぞ。私はただ……ありのままの君が気に入っているだけだ」
 若干ふてくされた気分で頬杖をつくと、珍しくホメロスさんが焦った様子でそうフォローを入れてくる。いや、フォローなのかそれ? ありのままの私って言われても、こういう場合なんて返せばいいんだろう……。
「え、と……、あ、ありがとうございます……?」
 しどろもどろになりながらなんとかそう返すと、ホメロスさんはハッとしたような顔になり、「いや」と呟いてどこか気まずそうに目線を伏せてしまった。


 それから幾分もしないうちに店員さんがやってきて、テーブルの上にアフタヌーンティーのセットを並べて下がっていった。鮮やかな色に染められた陶器のティーカップに銀製ティースタンド、美しく盛られた色とりどりのお菓子と軽食。こんな贅沢なティータイムは初めてなので、まさしくお貴族様の優雅な午後のひと時にワクワクしてしまう。
「うわぁ可愛い、素敵!」
 私が興奮している傍ら、ホメロスさんはさっそくふわふわのフルーツサンドに手を伸ばしている。あれ、こういうのって先に軽食から食べるんじゃなかったっけ? 疑問に思いつつ首を傾げていると、「細かいことは気にするな」とホメロスさんが上機嫌に笑った。どうやらルールは気にしなくていいらしい、なら私も好きなものから頂こう。
 ティータイムに夢中になることしばし、小腹が落ち着いてきたところで少しペースを緩めた。ポットに紅茶のお代わりを貰って一息ついてから、私はふと気になっていたことを思い出して口を開いた。
「……ねえホメロスさん、イレブンは何を悩んでいるんだと思います?」
「さあな。興味がない」
 返ってきたのは素っ気ない反応。
「もう、冷たい反応。全然気にならないです? このまま試練を乗り越えられずにイレブンが自信喪失しちゃったらどうしよう、とか」
 カップに紅茶を注ぎ足していたホメロスさんが、ティーポットを静かに置いておもむろに顔を上げた。切れ長の瞳には興味深そうな光が宿っている。
「ほう? ならば君はあいつがここで終わるような男だと思っている、ということか?」
「まさか! イレブンはここまでいろんな困難を乗り越えて頑張ってきたんだもの。今回だって絶対乗り越えてくれるって信じてます」
「私もだ」
 喰い気味な私の力説に、ふっと顔を綻ばせたホメロスさんが同意する。肩透かしを食らった私の脳裏に過るのは、今朝の言い争う二人の姿だ。
「今朝イレブンに突っかかっていたのは……」
「あれはあの馬鹿が周りが見えていないようだったからな。言っただろう? アレはもうあいつの敵ではないと。あの魔神を倒せない原因は我々の実力不足ではなく、アレを倒すことに躊躇する理由がイレブンにあるからだ。それに薄々気付いていながらも原因を正そうとしない馬鹿に付き合うほど私はお人よしではない。いずれ誰かがイレブンに指摘してやらねばならないことだった」
 ホメロスさんはあえてその嫌な役を引き受けてくれたという訳だ。

「ここだけの話だが――」
 ふとホメロスさんが長い脚を組んでソファに背もたれ、遠くを見るような眼差しになる。
「……恐らく、あの魔神は私に関係するものなのかもしれん。もしやと思ってはいたが、イレブンの反応を見てそう確信した。ウルノーガの呪縛が解けてよりこのかた、時折奇妙な――不愉快なと言った方が正しいか、夢を何度か見ることがあってな、その夢にあの魔神とそっくりなヤツが出てくるのだ」
「えっ? そ、それって大丈夫なんですか?」
「さあな」
 思いがけない告白に青くなる私とは対照的に、ホメロスさんは至って冷静だ。
「さあなって他人事みたいに……。まさかあの魔神に呪われてたりしませんよね? お祓いとかした方がいいのかな……戻ってからロウさまとセーニャに相談した方が良くないですか?」
「いや、それには及ばない」
「でも……」
 ホメロスさんは私の顔を一瞥して、問題ない、と淡く微笑む。
「夢の中でのアレはいたって大人しく無害だ。不思議なことに、夢の中の私はあの存在を受け入れているようなのだ。懐かしささえ覚える。あのでかい図体を小さく丸めてじっと動かずにいるアレを眺めていると、いっそ哀れみすら感じる。アレから感じるのは行き場のない嫉妬と後悔と無力感だけ……闇に落ちた愚か者の末路だ。魂の救済すら望めず、奈落の底で消滅するその時を待つだけの存在。……一歩道を違えていたら、あれは私の成れの果てだったのかもしれん」
「そんな」
 あの魔神がホメロスさんだなんて。突拍子もない仮説に反論しようとして言葉に詰まる。思い返せば魔神の長い髪とか、闇に紛れて良く見えないけど意外と整っていそうな顔つきとか共通する部分は確かにある……ような気もする。
イレブンはもしかしたら、あの姿のオレを知っているのかもしれんな。おおかた、あの魔神を倒すことで私に影響が及ぶことを懸念しているといったところか。……まあ、私があのような醜い魔物に成り果てるなどそもそもあり得ない話だが」
 考え込むように思案していたホメロスさんがそこでふっと視線を上げ、私の顔を見て破顔した。
「なんて顔をしている。これは単なる私の憶測だ、真に受けることはない。なに、心配せずとも私は正気だ。もう二度と悪しきものに付け入る隙を与えるつもりはない」
「あ、当たり前ですっ。万が一そうなったら、シルビアさんも真っ青になるくらいにホメロスさんの頬っぺたを思いきりひっぱたいて正気に返らせてあげますから!」
「……なかなか効きそうだな。手加減は望めないか?」
「ないです」
 散々心配させるようなことを聞かされた仕返しとばかりに強い口調で反論すると、ホメロスさんが渋い顔で頬を摩りながら呻く。
「あ、それともニマ大師のお尻叩き棒を借りてきて、ほっぺたをひっぱたいた方が効果あるかな?」
 もちろん半分嫌味だ。ホメロスさんが思いっきり顔をしかめ、難色を示した。
「せめて道具は正しい用途で使ってくれ」
「えっ、じゃあホメロスさんのお尻引っ叩いてもいいんですか?」
「生憎そういった趣味はない」
 素っ気ない言葉に、なぁんだ残念、とおどけて肩を竦める。
 ホメロスさんが再び闇に魅入られるかもしれない、なんてそんな未来は誰も望んでいない。そんなことになったら今度こそみんなで絶対に阻止してみせるし、一人になんてさせない。……まあホメロスさんは実際強いし、そんな心配は無用なんだろうけど。


 結局出された軽食とお菓子は全て完食してしまった。会計を終え(ホメロスさんのおごりだった)、お店を出ると夕刻までまだ少し時間がある。膨れたお腹のあたりをさすりつつ、私は遅れて店から出てきたホメロスさんに「ご馳走様でした」と頭を下げた。
「それにしてもお腹いっぱいになっちゃいましたね。帰ってからお夕飯入るかなぁ」
 と、私のぼやきにホメロスさんが何気なく続く。
「これから戻るのも面倒だな。ここで一泊するか?」
「そうですね……って、ん??」
 ――待って、今この人なんて言った?
「え……、いっぱく? え、ええっ!?」
 さらっと投下された爆弾発言に一拍遅れて慌て始める私を金色の瞳が涼やかに見下ろし、更に追加の爆弾。
「冗談だ」
「待って」
 流石に呆気に取られて言葉を失う。すっかり忘れていたけど、この人はたまにこういう悪趣味なことをするのだ。心を許してもらえていると思えばあまり悪い気はしないけど、それでもやっぱりきわどい冗談は勘弁してほしい。
「も~~ホメロスさんの冗談心臓に悪いからほんとにやめてください!」
「ふむ、ならば冗談というのは撤回しようか?」
 と、含み笑いを浮かべたホメロスさんが小首を傾げるものだから、更にたちが悪い。なんでだろう、絶対面白がられている。そうと分かっていてもホメロスさんの言葉に動揺してしまう自分が悲しい。
「えっ……。そ、それもちょっと……困る。いや困るというか、ええと、なんて言えばいいんだろう」
「ふっ、君の百面相は見ていて飽きないな」
 そして分かり切っている手の内を暴露され、悔しがるのはやっぱりいつも私の方なのだ。
「ああっ!? もう……また騙された」
 ちょっと自分手の平コロコロされすぎじゃない? 自分の学習能力のなさにとほほと肩を落としていると、ホメロスさんが涼しい顔で私の発言に釘を刺す。
「人聞きの悪い。騙してはいないぞ」
「じゃあ……弄ばれた?」
「君は私の事をなんだと思っているんだ」
 含み笑いを浮かべるホメロスさんは悔しいけどやっぱりカッコイイ。どう頑張ってもこの人に口で勝つなんてことは無理だ。いや最初から勝てるなんて思ってないけど、でも一回くらいは鼻を明かしてみたい。そんな儚い夢を見たっていいじゃないか。

 そろそろ帰るか、というホメロスさんの言葉に頷いて、キメラのつばさを買うため道具屋へと向かう。そういえば隣に新しくケーキ屋が出来たらしい、と道具屋さんに教えてもらったので帰る前にその店へと寄ることにした。ケーキ屋さんの店内にはお客さんもそこそこいて、中々評判のお店らしい。先程散々美味しいお菓子を頂いたばかりなのに、ショーケースに陳列されているキラキラしたスイーツにすぐにでも目を奪われる。美味しそう。でも流石にもう入らないし……。
「あっそうだ、みんなのお土産用に買って帰りませんか?」
 沢山買って帰れば夕食後にみんなで分けて食べられるかも。なんて下心満載の私の提案にホメロスさんが苦笑した。
「好きにするといい。チョイスは君に任せる、適当に選んでくれ」
「はいっ」
 お許しが出たので張り切って品定めをする。カスタードと生クリームたっぷりのシュークリームはセーニャ用、このつやつやのイチゴケーキはマルティナさん用、シルビアさんには季節のフルーツがふんだんに乗ったタルトを、ベロニカにはあまり甘くないものを……。あぁでもこのかぼちゃのパイも美味しそうだし、ミートパイなんて変わり種もある。このお店、中々いいかも。今度ダーハルーネに来た時にまた寄ろう。
 迷いながらも選んだケーキが詰められた箱はかなりずっしりとしている。会計を終え、店の外へと出れば空が少しずつ夕焼け色に染まっていくのが見えた。
 どうやら結構長い時間遊びまわっていたらしい。今頃みんな何してるだろう。まだ寝てるってことはないだろうけど……いやセーニャあたりは怪しいぞ? イレブンの悩み、解決してればいいなあ。……あ、帰ったら絶対カミュになんか言われそう。
 なんて、今から冷やかしを気にしてソワソワしはじめる。そもそも誘われるままのこのこついてきちゃったけど、ホメロスさんは私が一緒で本当にお邪魔じゃなかったんだろうか。普通にお茶して通りをぶらついて……こういうのって世間一般ではなんていうんだろう。デート? いやいやそんなわけない、これは単なるお出かけだ、気分転換だ。デートなんてないないない。
「急に黙り込んでどうした?」
 考え込むうち、無表情のままぼうっとしていたらしい。ホメロスさんに怪訝そうに覗き込まれ、ハッと我に返った。
「あ……、ええと、黙って出てきちゃったから、戻ったらみんなに何か言われそうだなぁって思って」
「ふん、冷やかしが心配か? それは私に任せておけ」
「さすがホメロスさん、何かうまい言い訳でも考えてくれてるんですか?」
 そうだな……、としばし考え込むようにホメロスさんが目を伏せる。ふいに金の瞳が私をちらりと見て、やがてその奥に悪戯げな光が灯った。
「――いや」
 ふっと形の良い口の端が不敵に吊り上がる。それはまるで、あの日あのステージで私たちを散々追い詰めた時のような、あくどくも魅力的な悪い大人の笑みだった。
「正直に言うさ。君とデートを楽しんできたのだとな」
「えっ」
 まさしく不意打ち。呆気に取られた私はその時手に持っていたケーキの箱が奪われたことにも気づかない。ふわ、と彼の香水が急に濃くなり、視界の端でキメラのつばさが発動する光が映る。
「飛ぶぞ。舌を噛むなよ」
 気が付けば私はホメロスさんの腕の中だ。彼の片手にはお土産の箱が持たれている。ああ、私が箱を落とさないように持ってくれたのか。なんて、遅ればせながら混乱する頭の隅でそう理解した。
「ん、っ」
 ふわ、と体に訪れる浮遊感。片腕が腰へと回ってきて、私は目の前の清潔そうな白いシャツに顔を埋めてきゅっと目を瞑った。呼吸音さえ聞こえてきそうなほどの至近距離。こんなの意識するな、なんて言う方が無理だ。耳が熱い。顔なんて絶対真っ赤になっている。

 ――ダメダメ、本気にしちゃいけない。相手は経験豊富な大人だし、デートなんて言葉に深い意味はない。エスコートだってし慣れてる。貴族社会の人から見たらおままごとみたいなデートだ。だから勘違いしちゃいけない。ダメだってば、静まれ心臓~!

 みんなが待つネルセンの宿に到着するまでの短い時間の中、私は必死にそう自分に言い聞かせ続けた。だけどそんな努力も空しく、この後顔を合わせたベロニカに赤い顔を指摘され、必死になって下手な言い訳を並べたてる羽目になるのである。