遥か故郷を望む
※11主がS&11主×エマ
『勇者の星』の愛称で長年人々に親しまれてきた赤き星は、実は遥か昔賢者セニカによって封印された邪神の器で、邪神復活をもくろむ悪しき者の手に届かぬようにと遠く空の彼方へと打ち上げられたものであった。勇者の星などとんでもない。あれこそが先代の勇者ローシュが打ち倒せなかったもの、そして今の時代にイレブンが誕生した真の理由である。
イレブンが倒すべきもの、その名は邪神ニズゼルファ。
デルカダール王による平和宣言も束の間、永き眠りから目覚めたニズゼルファの魔力の影響を受けてか各地の魔物たちは狂暴化し、各国は再び防衛を余儀なくされた。
まさかウルノーガはただの前座に過ぎず、真打ちが登場するとは思うまい。
イレブンたちは再び旅立った。南の大陸、サマディー王国の上空を悠々と陣取る邪神へと対抗する手段を探し、西へ東へ奔走する。勇者の旅には当然のように勇ましき戦姫マルティナと、そして今こそ世界を守るため立ち上がる時とばかりに使命に燃えるグレイグも旅の同行を申し出た。
つまり、デルカダール国軍の司令塔が不在の状態となったのである。世界のため邪神に立ち向かわんとするグレイグを引き留めるわけにもいかず、彼が抜けた穴は自然と役職を返上したばかりのホメロスが埋めることとなった。なんといっても世界の危機だ、今は皆が一丸となって立ち向かわねばならない。
ホメロスもホメロスでまんざらでもない様子でお役目を拝命したようだ。
イレブンが旅立ってから、彼は多忙を極めた。各国と密に連携を取り、狂暴化した魔物へと対処する。魔物に襲撃されている村があればすぐに救援に向かわせ、要所には駐屯軍を派遣し、主要街道には日に何度も分隊を巡回させる。イレブンが持ち込んだ、神の民の里にある太陽の神殿に祀られていたという聖なる種火。これを使って魔物を退けられないかという勇者の提案にヒントを得て、種火で灯した篝火を等間隔に配置し、昼も夜も関係なく街道を明るく照らす。するとすぐに効果は現れた。聖なる力が宿る篝火の周囲には魔物が寄りつかなくなり、これを街の防壁にも用いることで、じき人々の安全は確保されるようになった。
陸の方は対処を間違わなければなんとかなる。問題は海の方だった。
海は常に荒れており、荒波に乗じて何艘もの商船や軍船が大型の魔物に沈められたのは手痛い損失だ。外海、中でも北海の方が厄介で、クレイモラン王国のシャール女王から救援要請が届き、ホメロスはとうとう自ら剣を取り陣頭指揮を執った。幸いにも海上戦は彼が最も得意とする戦場だ。あらゆるところからかき集めた襲撃情報を事細かに分析し、やがて襲撃の事前予測が可能となるまでに至り、まもなく海上でも人間側が優勢となりつつあった。
当初デルカダールの兵士たちのなかには、裏切り者の元将軍の指揮に従うことに難色を示すものも少なからずいた。だがホメロスの的確かつ効率的な指揮により一月後には彼に不満を漏らすものは殆どいなくなり、二ヶ月も過ぎれば彼をまた元のように信頼できる上司として慕う兵士が現れはじめていた。
そして勇者の星が落ちてより約三ヶ月が経ったとある日。
その日、癒し手としてデルカダール国内の各地の駐屯地を巡回していたナマエは、絶え間なく運ばれてくる傷病兵の手当にようやく一段落つき、少し休憩しようと天幕の外に向かった。ふと空を見上げると、ここ数ヶ月の間ずっと南の空に君臨していた黒い太陽が、一瞬カッと内側から明滅したように見えた。見間違いか。すぐに元の闇色に戻った太陽の様子に首を傾げた瞬間、それは起きた。
今度は見間違えようはずもない、闇を払拭するすさまじい閃光が内側から溢れ出し、黒き太陽の殻を打ち破らんとしている。ゴゴゴゴゴ、と海鳴りのような轟音。空気が振動している。そして、サマディー細工の繊細な色ガラスが砂粒のように微粉砕されるが如く、一瞬にして南の空から禍々しい暗黒の太陽の姿が霧散した。
邪神は倒されたのだ。異変に気付いて天幕から出てきた人々が晴れ渡った空の様子に歓喜の声を上げている様子を眺めながら、ナマエは天へと感謝の祈りをささげた。これでようやく、世界に本当の平和が訪れたのだ。
心身ともにぼろぼろになりながらも帰還した勇者一行をデルカダール王は国を挙げて歓迎した。三日間にもわたる大祝宴会が催され、飲めや歌えやのお祭り騒ぎ。シルビア率いるパレード隊がそれに花を添えた。
そしてイレブンの帰還から十日後の朝、ホメロスとナマエ、ロウの三人はユグノア地方に向けて出発するため、親しい人たちと別れの挨拶を交わした。イレブンは復興途中のイシの村に金髪の幼馴染を送りがてら、ちょいと野暮用のようである。邪神との闘いで絆を深めた兵士たちの中にはホメロスの出立を惜しむものもいた。そのうちの幾人かは、早々に彼に付いてユグノアへの移住を決意したものもいるようだ。すぐにホメロス様の後を追いかけますから、と部下の名残惜しそうな声を背に、デルカダール国を出国して一路ユグノア城跡を目指す。
そして、そこからさらに一か月が経ち。
――カン、カン、と今日も今日とて鋼鉄を叩いて均す音が響く。ここはユグノア城跡、城下町の奥の方にある城前広場……、だったところだ。今は広場の瓦礫を撤去し、壊れた飾りタイルを一度全部剥ぎ取って基礎からの修復作業に着手している。別のところでは同時作業で、炉を作り鉄を溶かして、ユグノア城再建に必要な建築部材を大急ぎで鋳造していた。
ホメロスが作業の進行状況を確認すべくその作業場を訪れた時、丁度キセルを咥えた職人たちが掘り出した土を台車に積んで、設計図を脇に抱えた彼の目の前を通り過ぎて外へと運び出していくところだった。青空の下の作業場は、昼前ののんびりとした空気が漂っている。彼らがどこか上の空なのは、きっと間もなく女たちが美味しそうな匂いを漂わせながら男たちに昼飯を運んでくるのを心待ちにしているからなのだろう。各国から復興支援に集まってきた人々が交代で料理番をするため、昼食時には日毎に様々な国の料理が並び、一昨日はドゥルダ郷風、昨日はホムラ風ととても国際色豊かである。
昼時ともなると、ユグノアの一日も早い復興を目指し汗を流す人々が一堂に集まって仲良く車座になり、旨い料理に舌鼓を打ちわいわいとお喋りを交わす。それはいつも繰り広げられる、平和でのどかな光景だ。
このひと月で、ここユグノアの領地もだいぶ賑やかとなった。生き残ったユグノア王家の人間が王国復興を目指すという噂を聞きつけ、一番に駆けつけてくれたグロッタの住人達(中には元ユグノアの難民もいるようだ)。デルカダール王は約束通り復興支援のための軍を送ってくれ、その他の国からも沢山の支援物資やさまざまな専門家が派遣されてきた。中には一攫千金を目指してやってきたあまり行儀の良くなさそうな傭兵たちや、旅の途中でイレブンに改心させられた元盗賊たちもいたりと、色々事情がある人々も紛れこんでいるようだ。ユグノアに集った沢山の人々が寝食を共にしているが、城下町は思ったよりも手狭で城壁内にはすべての人々の寝床を確保できなかったため、城壁の外に彼らの住まう場所として天幕を張ってそこで寝起きしてもらっている。天幕はデルカダール軍が提供してくれたものを使用し、窃盗などの犯罪が起きないように兵士たちに定期的に見回りをさせた。治安はまあ、よく保たれている方だと思う。
ホメロス自身は、恐らく現在一番忙しい立場にいる。というか面倒な仕事を全て一手に引き受け……押し付けられている、といった方が正しいか。押し付けてくる相手は当然、あいつだ。あの聖人面をした悪魔の子、もといロトゼタシアの危機を救った勇者様。
「仕事量が多すぎないかって? やだなぁそんなのわざとだよ。僕の代わりにせいぜい馬車馬のごとく働いてくれよ」
領内の治安維持、土木、建築設計に関する指揮、治水や財政の管理、商人との取引などを一挙に押し付けられ、あまりの仕事量にうっかり恨み言を漏らしてしまったホメロスに対し、とてもいい笑顔でそう宣ったイレブンには流石に少しばかり空恐ろしさを覚えた。かつての自分は、こんな恐ろしいやつを敵に回していたのか。
「簡単に許してもらえると思った? 残念だったな。僕はまだあなたのこと完全に信頼したわけじゃないし、あなたにされた数々の仕打ち、絶対に忘れないから」
「……その節は本当にすまなかったと思っている」
「全くもって申し訳なさのかけらも感じさせない謝罪だね。もう少し申し訳なさそうにしたらどう? ほらまたそのむかつく澄まし顔。いつも思うんだけどホメロスってちょっとカッコつけすぎじゃない?」
「……くっ、仕方がないだろう。この顔は生まれつきだ」
「うわ開き直った。大人としてどうなのそれ」
いったいどうしろというのだ。
というわけでホメロスは自身の贖罪という名目のもと、毎日イレブンにこき使われている日々である。ちなみにナマエにはこの実情は一切伝わっていない。というか必死に隠し通している。甥に苛められているなどと知れれば、流石に彼の沽券に関わるからである。
デルカダールでの一切の地位を返上したホメロスは、これまで貯えてきた財産のほとんどをデルカダールの国庫へと返還した。彼の双頭の鷲の鎧は今はグレイグが預かっている(手渡すときめちゃくちゃ泣かれた)。彼がデルカダールから持ち出したのは愛用の双剣、おそろいのペンダントと何冊かの愛読書、そして数枚の上等な絹の衣服のみである。
今となっては後の祭りだが、ナマエがデルカダール王へとユグノア復興を奏上する前、本当ならばクレイモランの古代図書館の司書を勤めながら静かな常冬を彼女とともに過ごすのも良いかと想像を膨らませていた。だが聖人面した悪魔の子が、自分の目の届かない場所に行くのは許さない、とばかりにホメロスの行く先々に目を光らせてくる。よもや妻の甥が小舅だとは思うまい。まだ義父であるロウの方が優しいとは。イレブンにこき使われるおかげで、ようやく一緒になれたナマエとはほとんど夜しか顔を合わせない日々がしばらく続いた。ストレスは溜まる一方だ。
そんな状態にも関わらず、イレブンはさらに死人に鞭打つがごとくホメロスを追い立てる。長い間離れ離れだったんだから二人きりで旅行でもしてくれば、と手始めに親孝行の旅と称してロウとナマエ二人きりの旅を勝手にプレゼントしてくれやがった。それも五日間も。長い。まあ途中で寂しくなったのか、三日で旅行を切り上げて急いでホメロスのもとに帰ってきてくれたナマエのことはベッドの中で存分に可愛がっておいた。七日に一度の休息日として設けた貴重な休みの日も諮ったようにイレブンがどでかい犬っころと元幼馴染の奥方をつれてナマエを尋ねて遊びに来る。本当に悪魔か。なおイレブンに妻として紹介されたエマという少女は最初ホメロスを見てヤマアラシのように警戒していたが、まあ彼が少女の村を焼き払った経緯からしてそれは仕方のないことだった。端から懐柔は諦めている。代わりにナマエの方にはよく懐いているようだ。犬っころの方はすぐにホメロスに腹を見せて服従のポーズを示してきたので、存分にモフっておいた。頭のいい畜生は嫌いじゃない。
この目の回るようなせわしない日々が、ただの苦行かと問われれば無論否である。復興に携わること自体には文句はない。ナマエが故国の復興を望むのならば、元々無私無欲で手を貸すつもりではあった。己の能力が何かの役に立つのならばなにより喜ばしいことだ。今まで詰め込んできた豊富な知識を目いっぱい生かせる機会がようやくやってきたのだ。正直に言おう。今、とても充実している。
実のところ、イレブンがホメロスばかりに仕事を押し付ける本当の理由も理解していた。復興を目指してユグノアに集まった人々の中に、実際に国政に携わった経験のある人間はほんの一握りしかいない。すなわちロウと、そしてホメロスの二人のみ。自然彼が受け持つ仕事量が多くなるのは当然のことだった。目下人材の育成が喫緊の課題だ。
ナマエは主に資金集めと人材確保に奔走している。それと日々の帳簿付け。収支を管理するのは重要な役割だ。とはいえ彼女自身の財務知識は、残念ながら修士に毛が生えた程度のものなので、お勉強をしつつのゆっくりとした日進月歩である。彼女の師は無論ホメロスが務めてはいるが、まあ教える相手が相手なので、大抵最後まで勉強にならないことが多い。自室で二人きりというシチュエーションが悪い。
そんなこんなでユグノアの復興に着手してから、気が付けばはや三ヶ月が経っていた。相変わらずユグノア城再建は土台の修復が終わりやっと建物本体に着手した程度にしか進んでいなかったが、それでもなんとか城前広場の方は、また元のように美しく復元されるまでに至った。
「――ここでナマエの結婚式をやらんか」
某月吉日、見事に復元された広場を眺めながらロウがぽつりと漏らした一言がきっかけとなり、色々な人を巻き込みつつ、ホメロスとナマエの結婚式が美しく甦った城前広場で挙げられた。実はそれまで、復興の妨げになることを恐れてか『結婚式は挙げません』と宣言していたナマエだったが、娘の晴れ姿が見たい一心のロウが様々な策を弄し、それでも首を振らない彼女にとうとう泣き落としにかかった最後の手段がやっと功を奏したのだった。
復興の一区切りとしての、皆が参加できて思いっきり楽しめ、一生の思い出となるようなイベント。それが二人の結婚式だった。
皆が楽しむためという名目を掲げられてはナマエとしても頷かざるを得ない。各国から様々な招待客が招かれ、勇者の仲間たち、そしてグレイグを供にマルティナも招かれデルカダールの代表として祝辞を述べた。
満天の星空の下、沢山の人たちの祝福を浴びながらロウに腕を引かれ、広場へと現れた彼だけの純白の花嫁は夢のように美しかった。生涯忘れるまい。義父には感謝せねば。それと一応イレブンにも。
式の直前、二人きりになった時に相手が自分で本当によいのかと尋ねたところ、怒ったナマエに本気で頬を抓られた。痛かった。まあ我ながら無粋なことを聞いてしまったと後で反省はしたが。
というわけで、名実ともに夫婦となった二人の新居を大急ぎで建築し、新築の香りが残るそこに移った。新居は中心部からやや離れたところにあり、イレブン達の住まいとは少し離れることになったが、小うるさい小舅から遠のいたという心理的安心感にホメロスはとても満足していた。
なおこの頃はようやく街の設計にも手が回るようになり、彼らの家の周りでも建築ラッシュが始まっていた。魔物に滅ぼされたとはいえ、基礎がしっかりと残っている家屋の廃墟は幾つかある。瓦礫を取っ払い、残った部分を補強してやればまだまだ十分使える。グロッタの街から職人を呼び、手始めに周辺の山から石材を切り出して石レンガを大量生産させた。このあたりの山から採掘できる石材は加工しやすく、優しい蜂蜜色をしているのが特徴だ。この蜂蜜色のレンガで統一した街を作れば、さぞ美しい街並みになるに違いない。元の狭かった城壁を一度壊して城下町を拡大し、それを新しい城壁でぐるりと囲む。ホメロスが目指しているのは世界一頑強な城塞都市だ。ユグノアの地形は元々守りやすく攻め入れられにくい。高い崖と山脈の切り立った岩肌に囲まれているからだ。水源も豊富で、新たな工業が栄える余地は十分にある。
新しく作り上げる街は一体どんな都市になるだろうか。開かれた自由な市場、充実した教育機関、夜でも安全に歩ける治安の良さ。無論ユグノア軍の再建も重要課題のうちのひとつだ。
都市計画を頭の中で練るのは楽しかった。剣を掲げて愛馬で戦場を駆け抜ける高揚感もたまらないが、彼はそもそもこういった計算ごとや計画を練るような緻密な作業が好きなのだ。自分だけの世界に没頭できるのは癒される。
「僕たちと一緒に住めばいいのに、ナマエ叔母さま。城にはいっぱい部屋も余ってるし、こっちは広すぎて寂しいよ」
人材も増え、ようやく育ってきた部下に仕事を任せられるようになってきたころ、イレブンが今度はそんなことを宣った。ユグノア城の居住区部分がようやく完成し、イレブンたちは先日一足先にそちらへ移ったのだが、ナマエと住まいが別であることを年甲斐もなく寂しがっているようだ。可愛い甥にそう言われてまんざらでもない様子のナマエに身の危険を感じたが、まあ向こうも新婚の身、お互い気まずい思いをするのも嫌なので、満場一致のもとこのままでよいという結論に落ちついた。
すると、ほっと密かに胸をなでおろすホメロスに向かって、イレブンが器用に彼にだけ分かるようにぺろりと舌を出してみせたので、それでようやく先の発言の意図に気付く。単なる嫌がらせか。瞬きひとつの合間にいたずらっ子の顔を引っ込めたイレブンはにこにことナマエに向かって良い子の笑みを浮かべ、その変わり身の早さにぴきりとホメロスの米神に青筋が浮かぶ。クソガキ。口の中だけで悪態をついた。この口の悪さだけはどうしても治らない。
「勘違いしないでよ。あなたを助けたのは仕方なくだから」
ふいにイレブンと二人きりになった時に、彼は生意気な顔つきでそう釘を刺してきた。
「僕はあなたを見張っているんだ、ホメロス。うっかり心変わりしてナマエ叔母さんにひどいことをしないようにね」
イレブンは自分に対してだけ猜疑心の塊だ。まるでホメロスが邪悪な悪魔の尻尾を出すのを待っているかのようだ。
「安心しろ。十六年も想い続けたんだ。今更心変わりするわけなかろう」
「あー言われてみればそうだよね。僕がよちよち歩きしてた時からずっと一途にしつこくねちっこく想い続けてたんだ。そりゃ今更そんなことするわけないか」
「言い方に悪意がある。やり直せ」
「……蛇みたいに執念深く付け狙っていた?」
「悪化したぞ!?」
しかし、なぜこれほどまでに警戒されているのか理由が分からない。まさかこの少年が、過去のナマエの死に様がトラウマになっているとはホメロスには知る由もない。
「まったく、やり辛くてたまらんな……」
こいつは本当に悪魔の子だ。
というのは無論冗談だが。
「あーあ、ホメロスの代わりにグレイグさんが来てくれたらよかったのになぁ」
わざとらしく聞こえたぼやきが、らしくなくずんと頭に重くのしかかる。信頼がないのは百も承知だ。だがあの男と比べられるのは流石にまだ傷が疼く。
……と真顔で落ち込んだものの、「そしたら毎日からかって遊べたのに」と続いた言葉にまったく見当違いのことを思い病んでいることに気づき、いちいち少年の言動に振り回されるのが馬鹿らしくなった。
旅の間中、どうやら勇者様はあの真面目なグレイグを相当からかって遊んだようだ。あの男もいちいち馬鹿正直に対応するので、からかいたくなる側の気持ちはよく分かる。グレイグに幸あれ、アーメン。
しかしひとつ解せないことがある。グレイグはさん付けだというのに、
「……なぜ私は呼び捨てなのだ」
「――はぁ?」
怖い。
舌打ちをしながらメンチ切ってくる勇者様の迫力たるや、まるで悪の大魔神の如し。まあウルノーガはおろか邪神までをも倒してしまった怪物……もとい傑物に敵うはずもないか。
「別にホメロスが嫌だってわけではないんだよ。頼りになる落ち着いた大人って感じだし、今も色々とすごく助けられてる。ユグノア復興に手を貸してもらっている事に関しては、とても感謝してるよ。城がどんどん綺麗に蘇っていって、おじいちゃんもすごく喜んでる」
「いや、それは当然のことだ。そのうちお前の両親の霊廟も建てねばな」
「人の感謝は素直に受け取りなよ。……でも、ありがとう」
フォローのつもりなのか、イレブンから珍しくそんな感謝とお褒めの言葉を頂けた。明日は槍が降りそうだ。
「でもさ、やっぱりホメロスはからかい甲斐がないんだよね。僕が何言っても、いつも平然としてるし」
つまらん。などと不名誉な評価ですっぱり切り捨てられる。まさかの上げてから落とすタイプだった。
「あの大男の方がからかい甲斐があるという意味なら、私も同じ意見だが」
「だよねぇ。天然すぎるのも困りものだよ」
イレブンはホメロスの同意に気を良くし、にんまり、と呑気に思い出し笑いを浮かべている。
どうやら偉大な勇者様の素顔は、相当な悪戯好きの少年のようだ。
まったく、こうしてこの少年と肩を並べているのが今でも不思議で仕方がない。かつての敵同士、そして今は家族。数奇なものだ。
懐かしきデルカダールでの日々はすでに遠い。
この頃になって、ホメロスは子供の頃のことをよく思い出すようになっていた。一握りのエリートとして生き残るためにがむしゃらに知識を詰め込んだ少年時代、あの頃は常に追い立てられるような焦燥感と飢餓感を抱えていた。その一方、友と競い合うようにして剣を打ち込んでいるあの時間が唯一の癒しだった。友は貴族育ちのホメロスを様々な野山の遊びに誘いだし、世界の広さを教えてくれた。それはかけがえのないひと時。
きっと、あの輝くような日々が自分の中で美しい過去の思い出として昇華されつつある証なのだろう。
――友よ、今頃お前は、この遠い空の向こうで何をやっているのだろうな。
願うのは友の、あの優しい人たちの息災だ。
ホメロスはここに来て、ようやく精神的充足と安らぎを感じつつあった。