夜が明ける
緑の蔦に守られるようにして鎮座する球体の中を、柔らかな木漏れ日を集めたような淡く優しい光が満ちている。するり、するりと、まるで妖精が楽しげに舞っているかのような燐光が軌跡を描く中、その球体の中心に一振りのつるぎが心地好さそうに揺蕩っていた。
蒼緑の神殿、あるいは空位の神座。時の流れから隔離されたような神秘的なこの空間はまるで御伽噺の世界か、はたまたは妖精の国か。目の前の幻想的な光景を実際に目にするのは、しかしこれで二度目だった。
イレブンは、大樹の魂の前に立っていた。
決死の時間旅行は無事成功し、イレブンは過去へと舞い戻った。命の大樹へと登る前の聖地ラムダ。あの世界では失われたはずのベロニカと再会し、少しだけ泣いてしまった。
いったいどうしたの? そんな泣きそうなカオで、と訝るベロニカに苦笑で誤魔化すと、しっかりしてよね勇者さま! とありがたい激励とともにひまわりのような笑顔をくれた。二度とこの笑顔を失いたくはない。
決意を新たに命の大樹を目指す。途中何度か来た道を振り返ってみたが、イレブンたちを尾行しているはずのホメロスの気配はまったく感知することは出来なかった。姿を消してでもいるのだろうか。始祖の森の山頂、天空の祭壇で集めたオーブを捧げ、虹の橋を渡る。迷いのない足取りで深緑に包まれた大樹の幹のうねった道をひたすら進み、そしてとうとう大樹の魂と対面した。
この神秘的な光景を見るのも二度目だ。脳裏に蘇るのはあの時の、蒼緑の葉が舞い散る思い出したくもない光景。世界が闇に覆われる決定的な瞬間。あの光景を二度とは見たくない。失われたはずの大勢の命を救うために、イレブンはここに立っているのだ。
――失敗は許されない。
ベロニカを救う。ナマエを救う。ウルノーガの犠牲となったすべての人々を、救う。そうでなければイレブンは赦されない。自分を過去へと快く送り出してくれた仲間たちは絶対にイレブンが世界を救うことを信じて疑わないだろう。
過去の……、いや目の前にいる仲間たちは、不思議な光景に夢見心地で魅入っている。その様子を遠巻きに眺めながら、胸に覚えるのはどうしようもなく持て余している痛みだった。胸の奥があの時の絶望を、喪失の痛みを覚えている。
背中に背負う禍々しい剣の重みをずっしりと感じる。魔王の剣だ。内に封じ込めていた大樹の魂を失っても、なお闇の力で塗り固められた剣はその絶大なる威力を失わない。
ここにたどり着くまで、頭の中で何度もシミュレーションを繰り返した。過去、勇者のつるぎを手に入れる瞬間を狙ってホメロスはやってきた。あの時、彼の持っていた闇の宝珠による結界のせいでこちらの攻撃は一切通じなかった。
だが今度は違う。
イレブンは背中に背負った大剣をゆっくりと引き抜き、柄をぎゅっと握りしめた。
ホメロスを守る闇の結界は、恐らくこの魔王の剣で対抗できる。目には目を、歯には歯を、闇には闇を、だ。魔物と化したホメロスにこそ苦戦を強いられたが、未だ人間の肉体のままであるあの男に負ける可能性は低いと見ていいだろう。もちろん油断はできないが。
その重さを確かめるように、禍々しい大剣をぶんぶん振る。道中の魔物にもこの剣で問題なく対処できた。耐久性には若干難がありそうだが、ホメロスの闇の結界を破るくらいは出来るだろう。
問題は、勇者のつるぎを入手するタイミングだ。ホメロスを無力化できたとしても、すぐにデルカダール王に化けたウルノーガとグレイグがやってくる筈だ。ホメロスが敗れたことを知ってウルノーガがどう動くか。ホメロスを庇うか、または切り捨てるか。王に化けたウルノーガの正体を暴くタイミングはどうか。仲間はまだ王が偽物であることを知らない。
……来ないなぁ。
イレブンは内心でぼやいた。
後方の緑の小径を睨め付けつつ、思考を巡らせながらしばらくホメロスがやってくるのを待っていたが、一向に現れる気配はない。先手必勝を狙う作戦だったがどうやらそれは難しいようだ。おそらくどこかでイレブンのことを見張っているのだろう。
「……さあイレブンよ、大樹の魂の中にある勇者のつるぎを手に入れるのじゃ」
祖父に促され、イレブンはいよいよ諦めをつけて大樹の魂の前へと進んだ。勇者の紋章が刻まれた手を差し出した瞬間、近づいてくる闇の力に共鳴してか、利き手に握った魔王の剣が不気味に反応をし始めた。
チリ、とうなじに走る殺気。背後を確かめる間もなく、矢のように飛んでくる殺気を振り上げた大剣で真っ二つにする。
闇の魔法の禍々しい靄は霧散した。振り下ろした剣の先、大樹の神域の入口に"彼"は立っていた。その切れ長の瞳に驚愕の色を浮かべてイレブンを見つめている。
「貴様……、今いったい何をした」
「ホメロスてめえ、いつの間に!」
「カミュ、僕に任せて。マルティナも、下がっていて」
思わぬ人物の登場にカミュが気色ばむ。今にも飛び出そうとするマルティナを制し、静かに構えを解いたイレブンは一歩前へと進み出た。
「遅かったじゃないか。待っていたよ、あなたのことを」
「なに……?」
不意打ちに失敗し苛立つホメロスの瞳の奥に、一瞬イレブンのことを正体不明の生き物でも見たかのような動揺が走った。しかしすぐにそれを悟られまいと、虚勢じみた笑みを浮かべ怪気炎をあげる。
「ハッ、まさか私の尾行に気づいていたとはな。ドブネズミにしてはなかなかやるではないか。褒めてやってもよい。――だがそんなことはどうでもいい。私の狙いはイレブンただひとり! さあ、目的を果たさせてもらおうか……!」
宙へと掲げた闇の宝珠が妖しく光り、禍々しいオーラがホメロスを中心に広がる。それが仲間たちへと波及するより前に、躍り出たイレブンの大剣によって一刀両断された。
「バカなっ……! 闇のオーラを切り裂いただと……!? その剣はいったい……!」
二度も攻撃を防がれたホメロスの整った相貌に、今度こそはっきりと動揺が走る。
「あなたでは僕には勝てない。大人しく投降して」
「ほざけ!! くっ、おのれ……! そんな剣ひとつで私に勝てると思うたか! このホメロスを侮辱したことを後悔させてやる……!!」
イレブンの言葉に逆上し、もはや全身に纏う闇の禍々しいオーラを隠すこともせずホメロスは抜いた剣の切っ先をこちらへと向けて声高に宣告した。
「悪魔の子イレブンよ! 悪魔の子と手を結びし者どもよ! この命の大樹を、貴様らの墓標にしてくれよう!」
無駄なあがきを。イレブンは立ち向かってくる男を苦々しげに見つめ、再び大剣を構えた。
「ぐぅっ……!」
ドサリ、と白銀の膝当てが地につく。崩れ落ちる体を支えきれずに地面へと手をつき、ホメロスは苦悶の表情を浮かべて呻いた。
結論から言うと、ホメロスはイレブンを前に早々に膝を屈した。魔王ウルノーガを倒したイレブンとただの人間の器しか持たぬ彼とでは、端から勝負にもならなかったのだ。
「バカな……この私が、この私が破れるなど……! ――くっ、こんな所で果ててはあの方へ申し訳が立たぬ!」
己の負けを受け入れられず、最後の悪あがきのように気力を振りしぼったホメロスの一撃も難なく斬り伏せてみせると、双頭の鷲が刻まれた白銀の鎧が今度こそゆっくりと倒れていく。
勝った……。
イレブンは大剣を振りかぶった姿勢のまま、今目の前で起きたことを夢でも見ているような気分で眺めていた。
今この瞬間、はっきりと未来が変わった。ホメロスの凶行を止められたのだ。これは現実だ。過去、この場で叩きのめされたのはイレブンたちのほうだった。だが今、仲間たちの代わりにホメロスがそこに倒れている。
しかし彼の凶行を止められた代償としてか、未来から持ってきた魔王の剣はホメロスの最後の一撃を弾いた瞬間にこなごなに砕け散ってしまった。これでこの先登場するウルノーガに対抗する方法は、大樹の魂に守られている勇者のつるぎを入手するしかなくなったのだ。
「あの禍々しい闇の力……、まさかホメロスさまが魔物の手先だったなんて」
「あいつはウルノーガの配下よ。間違いないわ」
「チッ、つまり最初から仕組まれてたってわけか。……ん? でも待てよ。こいつがウルノーガの手先だとしたら、その親玉は……、まさかな」
「イレブンちゃん、よくホメロスちゃんの尾行に気付いたわね。お手柄よん」
シルビアがウィンクを寄越すのをあいまいな笑みでごまかして、イレブンは倒れたままぴくりとも動かないホメロスへと近寄った。まさか死んではいないだろうが、この後やってくるウルノーガに彼を奪われては敵わない。癪だったが、叔母のナマエの居場所を聞き出すため先にホメロスの身の回りの安全を確保しようと思ってのことだった。
「イレブン、おい何をしている。あぶねえからあんまりそいつに近寄るな。気を失ってる振りをしているだけかも知れねえぞ」
「大丈夫。それよりもこいつに聞きたいことがあるんだ」
カミュの警告に軽く笑み、倒れ伏すホメロスの傍らに膝をついた時、神域の入り口にまた新たな来訪者がやってきたようだった。
「お父様……」
来訪者の姿を認め、いち早く反応したのはマルティナだった。
やってきたのは長身の男二人、すなわちデルカダール王と漆黒の鎧を纏う将軍グレイグ。神域へと足を踏み入れたデルカダール王は足元に転がる折れた大剣の破片を拾い上げ、ここにいる顔ぶれを見回し難しそうな顔で唸った。
「ホメロスを追って来てみれば、これはいったい……」
「この場で何が起こったというのだ……」
イレブンの傍らで倒れ伏す双頭の片割れの姿を目にし、グレイグが茫然とした様子で呟く。
「グレイグよ、この者の姿を見るがよい……。デルカダール王国の将として仮面を被りつつ、裏で魔物に魂を売っていた者の末路じゃ」
「グレイグ、よく聞きなさい! 魔物の手先として暗躍しつづけていたのはイレブンじゃないわ。ホメロスだったのよ!」
かつて大国の王であったロウと幼き頃忠誠を尽くした姫の力強い訴えに、グレイグの中にうっすらとあったであろう親友への疑念は確信へと変わったようだった。漆黒の鎧の男は一瞬言葉を失い、苦しげに呻いて裏切り者を見下ろす。
「やはりそうだったのか。ホメロスよ……、お前ほどの男がなにゆえ魔物に……」
ぴくり、とホメロスの体が反応を示した。どうやら意識を取り戻したようだ。彼はなんとか上半身を起こし、しかし傍らにいるイレブンの姿など目に入らぬように朦朧とした様子で誰かを探しているようだった。
「お、王よ……、お助けくださいませ……」
男の琥珀色の瞳がデルカダール王の姿を認め、縋るように手を伸ばそうとした。その時だった。
「――わしを謀ったかホメロス!!」
デルカダール王の糾弾に、ぎくりとホメロスの表情が強張る。
ホメロスの視線の先には、忠臣に手ひどく裏切られ、怒りに震えるデルカダール王の姿があった。その様子は、誰がどう見ても一国の王としての正しい姿であった。
「思えばわしに勇者が悪魔の子であるなどと、あらぬことを吹き込んだのもお前だったな。今ならわかる。お前こそが悪の手先よ!」
「お、王よ……そんな、なぜ……私はただあなたさまの――」
「黙れ!! 悪の手先の言い訳に貸す耳などないわ! さあそこをどけ、悪魔の子……いや勇者よ。わし自らその罪人を斬り捨ててくれる」
激昂する王はホメロスの訴えを大音声で遮り、激情に駆られるがまま剣を鞘から抜き去りイレブンの傍らに伏せたままのホメロスへと足早に近寄ってくる。やはり切り捨てるつもりか。そうはさせるかとばかりに、イレブンはさっと立ち上がってデルカダール王の前へと立ち塞がった。
「ダメです、斬られるのは困ります。こいつはウルノーガの手先だ。ウルノーガの居場所を知っている唯一の手がかりを失う訳にはいかない」
静かに、しかし頑としてこの場を譲らぬ態度でイレブンは大国の王に食って掛かる。もともと険しかったデルカダール王の相貌が般若のように歪んだ。
さあ鬼が出るか蛇が出るか。じっとりと背に嫌な汗が流れる。イレブンはまだ魔王への切り札である勇者のつるぎを手にしていない。背後には弱っているとはいえ魔王の手先であるホメロスがいる。ここでウルノーガがその正体を現せば、一貫の終わりだ。
と、そこに救いの手が差し伸べられた。
「たしかにそうね。激情に任せて斬ってしまうのは良くないわ。まずはホメロスちゃんの話を聞いてあげるべきよ」
「そうじゃのモーゼフよ。たとえ裏切り者とはいえ、己の配下が起こした不始末じゃ。お主にはその者の主君として、また幼いころから後見を引き受けた者として、その者の犯した罪をしっかりと知る義務がある。そしてなにより義憤による私刑ではなく、法による裁きを受けさせるべきじゃ。なに、どうせもう抵抗する力も残っていまい」
シルビアの冷静な意見に加え、かつての盟友であったロウにそう指摘されればデルカダール王に化けたウルノーガとしても流石にこの場は引かざるを得なかったようだ。長身の王はしばし柄に手を掛けたまま忌々しげに役立たずのしもべを見下ろし、逸る感情を落ち着かせるように長く息を吐きだした。
「……ふむ、みなの言う通りだな。少し頭に血が上っていたようだ。そこの裏切り者は国を欺いた大罪人として、また悪の親玉ウルノーガへと通じる重要参考人としてひとまずは城の牢獄に投獄することにしよう」
デルカダール王が身を引く瞬間、凍り付くホメロスをひと睨みしたのをイレブンは見逃さなかった。生かしてやる代わりに余計なことを言うな、という言外の脅迫だろう。どうやらウルノーガはこの場をデルカダール王としてやり過ごすことを選んだようだ。恐らく、本来敗れることのない絶大なる闇の力を持つホメロスを、あっさりと打ち負かした未知の力を警戒してのことだろう。魔王の剣は砕けてしまったため、ウルノーガはまだそのからくりに気が付いていない。まさか自身の作り出した剣がホメロスの闇のオーラを破ったものの正体だとは思わないだろう。
ホメロスはというと、まるでかつてダーハルーネで彼が無垢な子供に掛けた呪いが己の身に跳ね返ってしまったように一言も喋らなかった。顔色はすこぶる悪い。その心の内は分からないが、もしかしたら信じた王が己をあっさりと切り捨てようとしたことに、葛藤を覚えているのかもしれない。
「イレブンよ……、今までのわしの行いをどうか許してほしい。わしは今までホメロスから勇者こそが魔物を呼ぶ存在……、悪魔の子なのだと説き伏せられてきたのじゃ」
イレブンがとうにその正体を知っているとも知らずに、大国の王を演ずる狡猾なる魔道士は神妙な表情で頭を下げた。その背後で俯いたまま沈黙していたグレイグがハッとしたように顔を上げ、主君に追随する。
「私からも深くお詫びを、勇者イレブン殿。これまでのこと、すまなかった」
いえ、と言葉少なにイレブンが応えると、デルカダール王は満足した様子で顎髭に触れ、おもむろに大樹の魂へと視線を向けた。
「すべての元凶たるウルノーガは今も世界のどこかで息をひそめているはず。潜伏場所は手先であるその者に尋ねるがよかろう。……その前に、さあ勇者イレブンよ。悪の根源を断ち切るため、大樹の魂に宿る勇者のつるぎを手に入れるのだ」
促され、イレブンは頷いて再び大樹の魂の前へと立つ。背後を突かれないよう警戒しつつ光の珠の中へと入り、揺蕩うつるぎの柄をしっかりと握る。浮遊する光の粒が眩しいほどに明滅し、そして氷が溶けていくかのように柄がすうっと手に馴染んだ。
勇者のつるぎは、イレブンの元へと還ってきた。
背後を振り返る。大樹の魂から出ると、デルカダール王が待ちかねたように一歩前へと踏み出した。
「おぉ……、なんというすばらしい剣だ。イレブンよ、わしにも見せてくれぬか?」
「ええ、どうぞ存分に」
イレブンはにっこりと笑って。
――キィン。
邪悪な気配を感知してか、剣の刃紋が揺れた。
「イレブン……!?」
長身の王へと突きつけられたのは、まごうことなき勇者のつるぎの切っ先だった。大国の王に向かって剣を差し向けるなどというイレブンのとんでもない狼藉に仲間たちはどよめく。だがカミュとラムダの双賢の姉妹だけは、はっと何かに気付いて息を呑んだようだった。
王はしばし突きつけられた切っ先に困惑したように立ち尽くしていたが、次第に表情を険しくさせイレブンを睨みつけた。
「……これは一体なんのつもりか?」
「ウルノーガは今もどこかで息をひそめている。そうあなたは言った。だけどウルノーガに通じているホメロスを斬ろうとした。なぜか。あなたにとってホメロスに生きていられるのは都合が悪いからだ。違うか? ホメロスを斬って、口封じをしようとしたと考えるのが自然だ」
王の頬がぴくりと引きつる。イレブンは続けた。
「なぜ行方不明の自分の娘の捜索をせず、あっさりと死んだものとしたのか。なぜ執拗に悪魔の子を探し出そうとしたのか。賢王と謳われた王さまが、なぜ人が変わったかのように悪政を敷くようになってしまったのか。答えは単純明快。あんたはデルカダール王じゃないからだ」
「そうか……そうだったのね。これで全部繋がったわ! ホメロスがウルノーガの手先であることもね! そうでしょ王さま? いいえ違うわ、このベロニカさまの目は誤魔化せないわよ!」
ウルノーガ! とベロニカの上げた声にデルカダール王がハッとして背後を振り返り、この異常事態にいち早く動くべき男が狼狽したまま動けないでいる様を見て罵声を上げた。
「グレイグ! 何をぼさっとしておる! さっさとわしを守らんか!」
「っ、はっ!! ……いや、待て。あなたは、そもそも我が王なのか?」
王の一喝に半ば条件反射で反応したものの、しかしグレイグの中で生まれた新たな疑惑が彼を大いに揺さぶっているようだった。目の前の忠誠を誓った王の姿をしたものを信じるべきか、イレブンたちの突拍子もない主張を信じるべきか。
『王が勇者を災いを呼ぶものとしたい理由はなんだ……? それとも邪悪なるものは既に復活していて、暗躍している可能性も――』
グレイグの脳裏を過ったのは、国を裏切った友が十六年前に口にした言葉だった。
「――グレイグさん!! あなたは勇者の盾になると僕に誓った! 記憶がなくとも、心が覚えているはずだ!」
「……っ!」
己の真なる敵をひたりと見据えたままイレブンはグレイグに訴えた。かつての世界で、イレブンの盾になると誓った心優しき実直なる英雄。今のグレイグにはその記憶の鱗片すらないが、イレブンは彼に一縷の望みをかけた。
グレイグは剣を鞘から抜けぬまま立ち尽くしていた。その新緑色の瞳には困惑が宿っている。
「勇者の、盾……? ――グッ!?」
「グレイグ!」
急に顔をゆがめたグレイグが苦しげに呻いて膝をついた。屈強な男を襲ったのは、凶悪な闇のオーラによる一撃だ。攻撃手はホメロスではない。彼はいつの間にか後方に下げられ、シルビアの鞭で拘束されている。だとしたら、この一撃を放った主はただ一人。
「この愚鈍が、どこまでも使えぬヤツめ」
地を這うような恐ろしい声は、まごうことなき目の前で対峙するデルカダール王の発したものだった。王はその相貌に憤怒の表情を浮かべ、手に邪悪な闇のオーラを宿しながら膝をつくグレイグを見下ろしていた。
もはや正体を隠す気はないらしい。
「三文芝居はもううんざりだ、ウルノーガ」
「奇遇だな、我もこのおいぼれの王を演ずるのに飽きてきたところだ。時に勇者よ。お主、時を渡ってきたな……?」
「答える義務はない」
「ふむ、それもそうか。まあよい、我の目的はただひとつ。そのつるぎを手に入れ、大樹の魂の力を我がものとせん……!」
「させると思うか?」
イレブンは覚悟を決め、正体を現した邪悪なる魔道士に向かって勇者のつるぎを構えた。
「――さあ来い。ここでなにもかも、決着をつけてやる」
世界を散々ひっかきまわした魔道士ウルノーガは、大樹の魂を手に入れる前にあっけなく散った。地面には長きにわたってその体をウルノーガに操られていたデルカダール王が横たわっている。
「お父様!」
ウルノーガが塵と消えたのを確認してから、長い間離れ離れだった父親の身を案じてマルティナが駆け寄った。それをラムダの姉妹とロウが追う。
傷を負いながらもイレブンに助勢したグレイグは地面に座り込んだまま動けないようだった。カミュとシルビアは油断なく拘束したホメロスを見張っている。その拘束されている当の本人は、盲目的に信じた王が目の前であっけなく敗れ去ったのを受け入れきれない様子で、茫然とウルノーガが倒れたあたりを見つめていた。
「ウルノーガ様、オレは単なる捨て駒だったのですか……? オレは、オレはとくべつだと、そうおっしゃって」
イレブンはすっかり魂が抜けたような様子でぶつぶつと呟く男の首元を容赦なく引っ掴み、その横っ面を勢いよくひっぱたいた。バチン、と乾いた音が上がる。
「ぐっ……!?」
「おいイレブン!?」
容赦のないイレブンの一撃に弱ったホメロスの体が軽く吹き飛ぶ。鞭に捕縛されたまま、無様に地面へと転がったホメロスはなぜ自分がひっぱたかれたのか分からず混乱した様子でイレブンを見上げてきた。
「な、なにを」
「それはみんなからのお土産。本当はグーで殴りたかったけど、テオじいに怒られそうだからやめといた」
「な、なん、だと?」
ますます困惑を深めるホメロスをよそにイレブンは再び男を引っ立て、ぐっと顔を寄せその耳元でこう囁いた。
「――さあ吐け。ナマエ叔母さんをどこに隠した?」
琥珀色の瞳が、驚愕に見開かれた。