狼さんはこわくない・中篇




 いよいよ私たち三人の旅が始まった――。
 ……なんて言ったそばから、なんと次の町で仲間が増えた。それも女の子二人。やったね。
 勇者を導く使命を背負って聖地ラムダからやってきた美人姉妹のベロニカとセーニャ。二人は双子らしいんだけど、ベロニカは魔物に魔力を吸い取られた際に年齢までも吸われ、今はどう見ても十歳くらいの幼じょ……おしゃまな女の子にしか見えない。花も盛りの年頃の女の子が幼い体に閉じ込められて可哀想に……なんて同情もなんのその、かえって若返っていいわと当人はケロッとしている。見た目がいたいけな幼女のせいか、カミュが世話焼き根性を発揮させて若干鬱陶しそうだ。しっかり者のベロニカが姉、のんびりおっとりのセーニャは妹。絶妙なコンビである。
 仲間が増え、旅の目的も定まった。次なる目的地は灼熱の砂漠が広がるサマディー王国。ホムラの里を南下し、西へずっと進むと関所につきあたるらしい。
 新天地へと足を踏み入れる前に、私達はここホムスビ山地で数日間キャンプを繰り返した。一人戦闘に不慣れな私が特訓したいと申し出たためだ。旅の資金が少ないため、そうそう宿は使えない。自然と野宿が多くなってしまいがちなのに、文句も言わず付き合ってくれるベロニカとセーニャは優しい。中でも戦闘の特訓にまで黙々と付き合ってくれるカミュには頭が上がらない。……ちなみにイレブンはアホみたいに鍛治にハマってる。
 イレブンやカミュは勿論、ラムダの姉妹はここまで二人旅をこなしてきたのもあって旅慣れている。私はなんとか皆に遅れないよう必死についていっているけど、こんなに長期間村を出るのも初めてなのでやっぱりお荷物感が否めない。なのでとにかく経験を積むべく、ひたすらスライムベスやぬすっとウサギを倒しまくった。
 夕暮れ時、陽が落ちるとこのあたりは本当に真っ赤に染まる。陽が傾きはじめたのを見計らって、今日の特訓は終わりとした。先にホムラの里の蒸し風呂で汗を流し、いつものキャンプ地へと戻る。

 ピー、と甲高い音が夕焼け空に響いた。
 キャンプで荷物整理をしている時に聞こえてきたそれに、音の方を振り返る。すぐに、少し離れた荒れ野の、ごろごろと地面に転がる大きな岩の上のひとつに見知った背中を見つけた。青い髪、若草色のチュニックの彼。
 一足先に蒸し風呂から戻っていた彼は沈む夕陽を眺めながらまったり寛いでいるようだ。
 こちらに向けられた背中へとゆっくりと近づくと、ビィー、と再び音が響く。彼の口元に当てられた一枚の葉っぱから響くそれは、テオじいちゃんがよく手慰みにやっていた草笛というやつだ。
「器用だねえ」
「お前もやってみるか? ほら」
 どうやら私の気配にとっくに気付いていたらしい。背後から声を掛けると、カミュは手近にあった葉っぱを摘み取り私に渡してきた。それを受け取り、隣にお邪魔して草笛にチャレンジしてみる。
 ぷう、ぶう、と何度やっても、空気の抜ける間抜けな音しか出すことができない。そのうち圧に耐えかね、葉っぱに亀裂が生じた。
「あっ、破けちゃった。意外と難しいよね、これ」
 言いながら、もみくちゃにされてしまった哀れな青葉を沈む夕陽に翳してみる。「ま、なにごとも練習だな」 隣でカミュが軽く肩を竦め、また音を響かせた。
 そんなカミュの横顔をそっと窺う。気になるのは、彼の右腕。先程の特訓で、集中力が切れて敵の攻撃を交わしきれなくなった私を咄嗟に庇い、カミュが代わりに怪我を負ってしまった。
 腕の怪我は比較的出血が多く、気が動転する私に代わって冷静なセーニャがすぐに回復魔法を唱えてくれて傷口は見事に塞がった。「ふう、致命傷で済んだぜ」なんて笑えない冗談を飛ばしながら当の本人はけろっとしていたけど、怪我をさせてしまった方としては今もすごく心苦しい。
「……まだ、痛む?」
「もう痛くねぇから気にすんな」
 怪我をしたところが気になって、若草色のチュニックへとそっと指を伸ばす。カミュは微苦笑して私の頭に手を置き、すこし雑な仕草でわしわしと髪を乱した。いつもならその子ども扱いに抗議するところだが、意気消沈した今の私にはそんな気力すらない。
「ごめんね」
「それはもうさっき散々聞いた」
 聞き飽きたと言わんばかりに肩を竦めるカミュに、込み上げてきた弱音はぐっと呑みこんだ。
「――ま、特訓の成果もあって、お前の格闘術もなかなかサマになってきたんじゃねえか? 最初はどうなることかと思ったが、これならそろそろ背中を預けてやってもいいかもな」
「ほんと? 嬉しいな」
 ぽんぽんと私の頭を撫でながら、カミュが口の端を吊り上げてニヤッと笑う。おどけたような口調は、きっと落ち込んでいる私を気遣ってくれてのことだろう。
 気遣いがじんわり胸に沁みて、涙腺が緩む。涙目を笑みでごまかそうとした時、ふいに「そうだ」とカミュが声を上げた。
「なあ、今日の夕飯だが、なにか食べたいものねえか? 今日はオレが料理当番だから、丁度献立に迷ってたんだ。昨日はおチビちゃんの特製激辛カレーだったろ? だから今日はなにか胃に優しいやつにしようかとも思ってるんだが、せっかくだからリクエスト聞いてやる」
 わあ、と思わず歓声を上げる。カミュのご飯と聞いただけで、口の中がじゅわりと唾液で溢れた。すっかり餌付けされてしまっている。どこのパブロフの犬か。
「い、いいの? リクエストしていいの?」
「おう、今日は特別頑張ってたからな。なんでも言ってみろ。ま、できるかできないかは別だが」
「じゃ、じゃあホムラの里の酒場で出てきたカラアゲってやつ食べたい!」
「は? またお前は難易度高いものをリクエストしやがって……。悪いが、あれは大量の油が必要だからキャンプ料理には不向きだ」
 はしゃぎながらリクエストするもすげなく却下され、がっくりと肩を落とす。まあカミュの言う通り、確かにあれはちゃんと下準備しないと難しいだろう。盛り上がったテンションは一気に下がったが、ともあれ今夜はカミュのご飯だ。味はお墨付きだ。
「えー、そっかぁ。じゃあいつものワイルド煮込みでいいよ」
「おい、『いいよ』とは何だ。お前はもう少し料理番に敬意を払え」
「ウッすみません。ワイルド煮込み料理が食べとうございますカミュ様」
「またワザとらしい……。まあ良しとするか。仰せのままに、お嬢さん」
 岩の上に立ちあがったカミュはおどけたようにひとつお辞儀をした。元盗賊の見せる優雅な仕草が見た目とミスマッチで、なんだかおかしい。彼は時折こうやって、私の笑いを誘おうとする。
 夕陽の作る影がぐんと伸びてきた。
「ふふふ、カミュのごはん楽しみだなぁ」
「そうかよ」
 一緒にキャンプ地までの短い道のりを戻りながら夕ご飯への期待に胸を膨らませていると、カミュがぶっきらぼうにそう呟く。
 これはすぐにわかった。カミュは結構照れ屋さんらしい。

 期待通り、用意されたご飯は素朴だが優しい味付けで、ほっぺたが落ちそうなほどだった。皆で焚火を囲みながら、わいわいと賑やかなご飯タイム。お腹も心も満たされて、気が付けば落ち込んだ気分はすっかり晴れていた。
 これもカミュのおかげだろうか。
 ――カミュなりの励まし方はあったかくて、とてもおいしい。





 最初あれだけつんけんしていた筈なのに、気が付けばカミュに胃袋を掴まれ、パーティーの兄貴分としてすっかり頼りきりになっている。イレブンのことを悪い狼から守らなきゃ! とか気張っていたはずなのに、何か困ったことがあれば「カミュどうしよう」とイレブンと二人そろって真っ先に彼に助けを求める始末だ。しまいには、まるで親鳥の後をついて回る雛みたいねあんたたち、などとベロニカにからかわれ、流石に顔が熱くなった。
 カミュが私たちを甘やかすからいけないのだ。……なんて言い訳にもならない。カミュもカミュで頼られて悪い気がしないらしく、何だかんだ我儘を聞き入れてしまう彼はきっと生来苦労性なのだろう。
 でも一度だけ、私の行動に良い顔をしなかったことがある。それはサマディー王国の城下町で、防具屋に飾られていたおどりこの服のエキゾチックで挑発的なデザインに魅了され、セーニャとお揃いで着たいとイレブンに直訴した時のことだ。女の子は皆可愛いくて綺麗なものが大好きだ。その上キラキラしていて涼しいとあれば物欲も爆発しようというもの。
 おどりこの服を着たいという主張に対し、カミュは真向から反対した。曰く、あんなぺらぺらの服のどこに防御力があると思っているんだ、とか、布面積が少なすぎる、とか、腹が出過ぎだ、とか。だが、それなりの値は張ったがどういう訳か防具としても性能は良いため、イレブンは熟考の末、購入を許可してくれたのだ。「マジでか!?」 イレブンが財布を取りだした瞬間のカミュの驚きようったらない。
 露出度の高いそれは流石砂漠の国仕様で、身につけるととても涼しい。歩くたびに足首に巻き付けたアンクレットと裾の飾り鈴がしゃらしゃらと涼しげな音を奏でる。気分はすっかり南国の踊り子かはたまたは砂漠の国のお姫様か。
「ふたりとも、すごく似合ってるわよ! いいなあ、あたしもこんな小さな体じゃなきゃ……。こればっかりは悔やまれるわね」
 着せ替えごっこに混ざれなかったベロニカが珍しく地団駄踏んでる。まあ流石に子供用サイズは置いてないだろうし、ベロニカを慰めつつもはしゃぐ私たちを横目に、渋い顔の奴がひとり。
「……おい、本気でそんな恰好で街中うろつく気か? 襲われてもしらねえぞ」
「なによ、人が楽しんでるのにケチつけないでよね。ねえセーニャ?」
 女子が盛り上がっているところに水を差してくるこいつはまったくデリカシーというものを知らない。憤慨する私を尻目に、セーニャが目を瞬かせながら小首を傾げた。
「まあ、この恰好だと襲われてしまうんですか? そう言われれば、キラキラしたものが大好きな鳥さん達もいらっしゃるから、つっつかれてしまいそうですね。でも、私達にはお姉さまやイレブン様やカミュ様がいらっしゃるから、きっと襲われても返り討ちにしてしまいそうですわ」
「……お、おう」
 無垢なセーニャの天使すぎる笑みにカミュが顔を赤くしている。面白くない。ほんと単純なんだから。

 けどそのあとすぐ、カミュの言葉を素直に聞いていれば良かったと後悔した事件が発生した。……事件と言うには大げさだけど。
 それは皆で買い出しを終え、そろそろ空に星が輝き始めた時のことだ。
「おっ、姉ちゃんたちいいケツしてんなぁ!」
「きゃあっ!」「ひゃっ!?」
 宿屋に向かっている途中、背後から下卑た笑い声が聞こえた。と思った途端、ぱちんっ、とお尻に衝撃が走った。びっくりしてその場にへたり込むと、下品な笑い声とともに横を通り過ぎる男が二人。酒臭い……、きっと酔っ払いだ。どうやら見知らぬ酔っ払いにお尻を叩かれたらしい。セーニャも同じ目に遭ったらしく、隣で目をまん丸くして腰を抜かしている。
「び、びっくりしましたわ……。なぜ、私達はあの方達にお尻を叩かれてしまったのでしょう?」
「ちょっとセーニャ、ナマエ、大丈夫!? 信じらんない! あいつら、あたしのセーニャに何してくれるのよ!」
「待ってベロニカ! 一人じゃ危ないって……!」
 怒り心頭なベロニカが飛び出していくのを何とか抑え込んでいると、少し離れて通りを歩いていたイレブンとカミュが騒ぎを聞きつけ、駆け寄ってきた。
「ふたりとも、大丈夫!?」
「おいどうした。何された?」
「お、お尻叩かれた」
「あいつらか」
「う、うん」
 カミュは険しい顔で男二人を確認するや、矢のように飛び出していった。瞬く間に、青の疾風が酔った男達を鮮やかに絡め取る。本気を出したカミュはすごい。抵抗する男二人をあっという間に伸し、そして腰元のナイフをチラつかせながら凄んでみせた。
「おいお客さん、うちの大事なお嬢さん達になぁに勝手に手を出してくれちゃってるんですかねえ? 困るんだよそういうの」
「ひ、ひええすみません。ちょっとした悪戯ゴコロでして……、へい」
「あ? お前ら悪戯で人を傷つけるのか? 理不尽に殴られる方の身にもなってみやがれってんだこのやろう」
 一体どこのゴロツキの元締めか。自分こそが正義だとばかりに凄むカミュの迫力は見事だ。というか、ガラ悪すぎて若干怖い。
「か、カミュもういいよ。謝ってくれたんだから、そのくらいにしてあげて」
「ああっ? よくねえ。きっちり落とし前つけてやる」
 今にも殴り掛かりそうなカミュに慌てて声を掛けるも、ぎろりとひと睨みされて終わった。その後哀れな男たちはきっちり報復されてしまったらしい。これじゃカツアゲとあまり変わらないような……。ずっしりと重くなった財布に、若干顔が引きつるのが否めない。
 カミュは確かに頼りになる兄貴分だ。だけどまだ、彼のことで知らない部分が多すぎる。出身地だって、どうして盗賊やっていたのかだって、なんにも知らない。
 頼もしい反面、カミュのことが少し怖いな……なんて、なんとなくそう感じたとある日の出来事だった。




 そんなこんなで、パーティーはいつの間にやら大所帯になっていった。シルビアさんに、マルティナさん、ロウおじいちゃん。なんとマルティナさんはデルカダールの第一王女様で、ロウおじいちゃんに至ってはイレブンの本当のおじいちゃんらしい。祖父と孫の感動の再会に涙腺崩壊したのは言わずもがな。というかこのパーティー元王族率高くない?
 仲間が増えて賑やかになったのは歓迎すべき事である。けど同時に大変なのは、食事の支度だ。幸いにも皆料理がそれなりにできたので交代制でこなしているが、料理上手なカミュとマルティナさんが当番の日だと皆のテンションの上がり方が違う。どっちが美味しいかと聞かれると正直甲乙つけがたい。マルティナさんのご飯もヘルシーで美味しいけど、でもやっぱり私はカミュ贔屓なのだ。
「あー今日もカミュのご飯がおいしい。毎日食べられたら幸せだなー」
「あら毎日だなんて熱烈ね? 逆プロポーズってやつかしらっ。……なーんてね、うふふ」
 カミュのご飯と一緒に幸せを噛みしめていると、シルビアさんが私の漏らした言葉に乙女のようにはしゃぐ。それに思い切り咽込んでいると、隣でホムラの里名物ももんじゃのカラアゲ~ベロニカ様のメラ仕上げ~をつついていたイレブンがおもむろに口を開いた。
「ほんとカミュってナマエびいきだよね。今日だってナマエの好物ばっかり並んでるし」
「な、ンなわけねーよ! たまたまだよ、たまたま」
 イレブンの指摘に珍しくカミュが焦る。そう言われてみれば、どれもこれも私が美味しい美味しいと食い意地を見せたメニューばかりだ。
「へえ、たまたま、ね……? じゃあ私の好物も作ってもらおうかしら。デルカダール名物の具材たっぷりハーブ入りオムレツがいいわ」
「まあ素敵。私ダーハルーネで頂いた大きなシュークリームが食べたいです」
「僕シチューで」
「じゃああたしサマディー風ピリ辛チキン」
「あーもう、勘弁にしてくれ……」
 仲間たちの暴走にカミュが白旗を揚げる。ほっほっほ、とロウおじいちゃんが愉快そうに笑ってお腹を揺らした。
「カミュや、わしはユグノア風サンドウィッチが食べたいのう」
「じいさんあんたまで……」
 どうやらカミュに味方はいないらしい。

 そんな彼らを横目に、私はひとり静かに食事を進める。下手にカミュに味方して、私まで標的にされては敵わない。うんうん、賢明な判断だ。そう自画自賛しながら四個目のカラアゲ(※一人三個まで)を頬張った瞬間、わき腹に不意打ちを食らった。
「――それにしてもお前食い過ぎじゃね? 太るぞ」
「ひゃっ!?」
 むに、と許可なく無防備なわき腹の脂肪を摘みあげた犯人はもちろんカミュだ。彼にしてはあまりにデリカシーに欠けた行為に驚き、口の中のカラアゲを味わう隙もなく呑みこんで、私は隣に座るカミュに憤然と抗議した。
「ちょっと、乙女のおなか摘まむなんて何考えてるのよ!」
「お、乙女って柄じゃねえだろ」
 カミュは、しまった、とでも言いたげな顔をしつつ、私の怒りようにうろたえている。若干顔が赤い。その慌てっぷりから、珍しくもうっかり他人との距離感を間違えてしまったという感じだ。
「あっひどい。だいたいカミュの料理が美味しすぎるのがいけないんだもん。太ったらカミュに責任取ってもらおうかな! なーんて」
「なっ、ばかお前、なに言って」
「嫌とは言わせないわよ。一緒に付き合ってもらうからね、ワークアウトに!」
 高らかに宣言すると、「……あ?」とカミュの声色が一オクターブ下がったのが見物だった。まあ確信犯な私もあまり褒められたものではないけど。
 ――でも、急にお腹摘ままれて本当にびっくりしたんだもん。これくらい、やり返してもいいよね?




 ところで諸君、元盗賊カミュ様はご存知の通り手先が器用だ。でも、まさか裁縫までできちゃうなんて、一体誰が思っただろうか?
 その事実が発覚するまで、毎度毎度の戦闘で破けた衣服を縫うのは主に私とマルティナさんの役目だった。シルビアさんもたまに手伝ってくれるけど、もれなく可愛いアップリケが付いてくるのでカミュとイレブンからは敬遠されている。
 その日の戦闘は特に激しく、イレブンのチュニックの革部分が裂けてしまうほどだった。さすがに破れた革を繕うのは難しい。なのでその部分を丸ごと新しい物に変えようとしたんだけど、ご存知の通り革は布地に比べて分厚い。つまりなかなか針が通らない。力加減が難しい。そして指を刺す。ぶっすりと。
「いったーい! うう、またやっちゃったよ……」
「ったく見てらんねえな。おら、貸してみろよ」
「へ?」
 誤って自分の指を痛めつけること数回、私の上げる悲鳴に耐えかねて、カミュ様がとうとう重い腰を上げた。私の手から奪うようにして取り上げられたイレブンのチュニックが、瞬く間に彼の手によって綺麗に直されていく。そして。
「ほら、できたぜイレブン
「わあ、ありがとう母さん」
「んはっ!?」
「あ、間違えた。ごめんカミュ」
 天然ボケのイレブンにかいしんの一撃を食い、ノックアウトされたカミュが地に沈んだ。それをにやにやと眺めつつ、ベロニカがさらに死人に鞭打つ。
「ぷぷ、母さんだって。ま、たしかにあんた世話焼きだもんねぇ」
「うっせえ、性分なんだよ」
 カミュはガシガシと頭を掻き、ぶっきらぼうに言い放つ。自他共に認めるほどの世話焼きだ。一見冷たそうな見た目と反して、人情家な彼はきっとこれまでも色々な人から頼りにされてきたんだろう。
 口の達者なベロニカとだって、やいのやいのと口論しながらも、なんだかんだその小さな体に不便がないかをいつも気にかけている。二人で賑やかに言い合っている姿は、まるで本当の兄妹みたいに見えるから微笑ましい。……なんてうっかり漏らしたら、きっとセーニャがやきもち焼くから黙ってるけど。
 今だって、まさに生意気な妹にからかわれる兄の図をほっこりした気分で眺めつつ、私はふふふと笑みを漏らした。
「カミュって弟か妹とかいそうだよね。ふふ、きっといいお兄ちゃんなんだろうなぁ」
 なんの悪気もなく、そんな他愛ない妄想を口にした時だった。

「――やめろ、興味本位で勝手に人のこと探るんじゃねえ」

 冷ややかな声色に、ぴしゃりと頬を打たれた。
「カミュ?」
 驚いて彼の方を見ると、カミュの横顔にははっきりとした苛立ちが現れていた。それまでの和やかな雰囲気はどこへやら、彼の急変した態度に仲間もお喋りを忘れこちらをうかがっている。
 ――なにか、気に食わないことを言ってしまったんだろうか。
 それほど無遠慮な発言だっただろうか。
 ぐるぐると混乱する思考で原因を探ろうにもパニックで頭がうまく回らない。その内カミュがすっと立ち上がって、無言でキャンプの輪から抜け出していった。
「カミュ、どこに行くんだい?」
「わりぃが頭を冷やしてくる。朝までには戻る」
 暗い森に消えていく孤独な背を、追うことは出来なかった。
 カミュがこれほど機嫌を損ねたのは初めてのことだ。
 怒らせてしまったかも……。そう考えるだけで、きゅう、と心臓が竦みあがるような恐ろしい感覚に、私は一人怯えていた。
 彼に嫌われるなんて、考えたくもない。


 ――それからどうなったかって?
 結論から言うと、朝にはすっかりいつも通りのカミュに戻っていた。
 あれから、どうやら一晩中川釣りをしていたらしい。朝早くにはキャンプ地に戻っていたようで、朝食にしては多すぎる量の川魚を焚火で炙りつつ、けろっとした様子で「よっ、おはようさん」なんて爽やかな挨拶を寄越し起きてきた皆を驚かせた。
 昨夜のあれはなんだったのだろう? ただ単に虫の居所が悪かっただけ? 昨日の事なんて綺麗さっぱり忘れてしまったかのように接してくるカミュに、私は惑いを隠せない。私も普通に接すれば良かったんだろうけど、……普通って、なんだっけ? なんとなく、カミュとの距離を気にし始めたのは恐らくこの時からだったと思う。
 いつまでも甘えてばかりじゃ、きっとその内彼に呆れられる。そんな無意識の怖れが、カミュとの微妙なすれ違いを生みはじめていた。




 勇者イレブンの旅は続く。命の大樹を目指すべく、世界に散らばる伝説のオーブを求め西へ東へ、そして海の底まで奔走する。
 そして私たちは小さな南国の村の浜辺にて、ひとつの悲劇的な恋物語の結末を見届けることとなった。
「だから、人の色恋に首を突っ込むのはイヤだって……言ったんだ」
 恋人の死を追うようにして、泡と消えた人魚のロミアさん。これは人間の未知なるものへの怖れと無知とエゴが招いた、ただの悲劇だ。人ひとりを幽閉し狂わんばかりの孤独の最中に置き去りにしたかつての村人たちの身勝手な冷酷さが、誰一人報われることのないこの結末へと導いた。だからだろう、おとぎ話のような幻想的で儚いロミアさんの最期を、美しい恋物語だなんだと美化なんて絶対させてやるものかと心に誓った時、悔やむようにカミュがそう呟いた。
 感情を押し殺したような低い声は、まるで泣いているみたいだった。
 カミュは再三言っていた。人の色恋に首を突っ込むとたいていろくなことが起きないと。つまり、はなから予感していたんだ。この結末を。

 ――大切なヤツをいつまでもひとりぼっちにさせるなんて、オレなら自分を許せねえ。

 白の入り江で、カミュはそう言った。
 もしかしたら、カミュはこんな、身を焦がすような激しい恋をしたことがあるのだろうか。
 あるとしたら、それはいったいどんな恋だったんだろう。
 ……大切なヤツって、誰なんだろう。
 カミュが恋する相手。彼に慈しまれ、大事にされて、愛される人。
 あの少し荒れた指先で優しく触れられたら――、深い海色の目でじっと見つめられたら、一体どんな気分になるんだろう。
(やだ、こんなこと、今考えるつもりじゃないのに)
 こんな時に、不謹慎なことを考えているという自覚は大いにあった。
 けど彼の事をはっきりと異性と意識した途端、胸の奥が酷く騒めいて落ち着かなくなって。そしてすとんと何かが腑に落ちた。

 ――私、カミュのことが、好きだ。

 好き、だったんだと。
 他の仲間たちが黙祷を捧げる中、私はひたすら黙って、俯いた彼の横顔を眺めていた。