狼さんはこわくない・前篇




 目の前に立つ人をまじまじと眺める。
 カミュ。彼の名前。
 綺麗な海色の髪と瞳を持つ、まだ少年の面影が残る男の人。身のこなしはキラーパンサーのようにしなやかで、鋭利なナイフで敵の急所を的確に突く姿は鮮やかだ。ついでとばかりに敵の懐深くに隠されたお宝をくすねているのだからちゃっかりしている。とにかくカミュは何につけても手先が器用だ。それもそのはず、大胆不敵にもあの大国デルカダールの財宝を盗もうと城に忍び込んだ天下の大盗賊というのは、どうやら彼のことらしい。
 とはいえ城の厳重な警備の前にあえなく御用となり、長らく地下牢に収監されていたみたいだけど。成人男性にしては痩せっぽちのやや不健康な体つきなのは、きっと牢にいる間ろくな食事にありつけなかったせいだろう。
 どうしてそんな危険を冒してまで城に忍び込んだのかは知らない。カミュは身上をあまり語りたがらない。
 それでもせっせと牢屋の床を掘り、イレブンを巻き込んで見事に脱獄してみせたっていうんだからすごい。……命知らずなんだかただのバカなんだか。ともあれ、実際の彼の言動は決して考えなしのそれではない。むしろよく周りの変化に気がつくし、アドバイスも的確だし、仲間に対するさりげない気配りも欠かさない。なにを取っても平々凡々な私なぞと比べてずっと頭は切れる方なんだろう。
 イレブンと並ぶと少し猫背なのが悪目立ちするけど、顔だって決して悪い方ではない。むしろ街中を歩けば女の子達の目を引くほどにはカッコイイ。山猫みたいな用心深い瞳はガラス玉のように海の色を映して、薄い唇には皮肉気な笑みがいつも貼り付いている。中性的なイケメンとでもいえばいいのだろうか。イレブンと並んで歩けば注目度は倍増だ。本人は無意識なんだろうけど、腕を組む仕草とかアンニュイな流し目とか器用にコイントスする指先とか、私に言わせれば『カッコつけてる』。いちいち斜に構えた態度が鼻につくかと言えばそうでもなく、要するサマになっているのだ。
 カミュはかっこよくて、仲間思いのイイ奴。そんな認識のはずだった。

『だって自分のせいで大切なヤツをいつまでもひとりぼっちにさせるなんて、……オレなら自分を許せねえよ』

 ――このカミュの台詞を耳にするまでは。
 迷い込んだ白の入り江で出会った人魚のロミアさん。私たちはひょんなことから彼女の恋路のお手伝いをすることになったのだけど、私含む女子勢がノリノリでロミアさんの恋路を応援する一方、対してカミュは最初からあまり乗り気じゃなかった。人の色恋に首を突っ込むとろくなことが起きない、などとぼやきつつ、終始面倒そうな態度を崩さなかった。
 けれど、それは単なるフリだったらしい。あくまで目的のためというドライな態度を保ちつつも、将来を誓った仲にも関わらず長らく迎えに来てくれない薄情な恋人を健気に待ち続けるロミアさんの横顔を眺めながらカミュが辛そうに呟いた台詞を、私は聞き逃さなかった。
 大切なヤツ。
 ……まるで自分のことを言っているようだった。
 それで、気付いたのだ。きっと、カミュにも誰か大切な人がいたんだって。そしてそれは、私じゃない誰かだ。
 人の色恋に無関心を装ってはいるけど、彼にもきっとロミアさんみたいに恋い焦がれる誰かがいたんだろう。興味ない振りをしたのは、ロミアさんの姿にその誰かの面影を重ねて見るのが辛かったから。きっと、そうなんだろう。
 そんなことに気づいて、ちくりと胸を指す痛みに私は密かに眉をひそめた。
 カミュには想い人がいる。
 イレブンの気のいい兄貴分でしかなかったカミュのことを初めて、私とは生まれも育ちも性別も、何もかもが違う男の人なのだと気づいた瞬間だった。




 カミュとの出会いは半年ほど前に遡る。
 成人の儀式を終えたイレブンが、なにやら世界を救う勇者様という途方もない使命を背負って北の大国デルカダールを目指してイシの村を出発したその数日後のこと。突然、何の宣戦布告もなく私達の村はどこかの軍の襲撃を受けた。ちょうど村はずれの川べりで釣り竿と格闘していた私は運よく襲撃に巻き込まれることもなく、村の中を物色する兵の目から逃れるように川の少し上流の方にある狭い洞穴へと身を潜めた。
 夜、あたりが静かになって、村の方へと戻った私は愕然とした。なにもかも破壊されていた。そのうえ村にはひとっこひとりおらず、私を除いた村のみんなは全員どこかへ連行されてしまったようだった。
「みんな、どこ……? 父さん、母さん……」
 廃墟となった村の中をさ迷うも私の問いに答えてくれる人なんておらず、焼失を逃れた教会の一室で絶望の夜を過ごした。
 怪しい風体の二人組が村に姿を現したのは、その二日後のことだ。こそこそと村の中を嗅ぎまわるフードを被った二人組に気付いて陰から様子を窺っていたのだが、気配に気づいた不審者の一人が私を物陰から引きずりだして押し倒したのだ。勢いをつけすぎたせいか、村の中を流れる小川に運悪く二人揃ってどぼんと落ちて、何が起きたのかを理解した時にはもうそいつの獲物が首元に迫っていた。「おまえ、さっきからこそこそとこっちを嗅ぎまわって、一体何者だ?」 ずぶ濡れの女一人に殺気を隠そうともせず、海色の瞳を光らせ獣のように低く唸る彼こそがカミュその人だった。
「ひえっナイフ!? え、まっ、あの、私……」
 絶体絶命。声は震え、言葉は意味を成さない。頭が真っ白になってしまえば、テオじいちゃん仕込みの格闘術も全くもって役立たず。
「――待ってカミュ! その人は僕の知っている人だ!」
 正直言って殺されるかと思うくらい怖かった。だって知らない男にナイフ突きつけられるなんて、なかなかお目にかかれないシチュエーションだ。幸いにももう一人の不審者――まあ正体はイレブンだったのだけど、彼の制止によって私の命と貞操は事なきを得た。
イレブン? どうして……」
「なんだお前の知り合いか、イレブン
「うん、僕の幼馴染のいとこなんだ。ナマエ、立って。急に襲いかかってごめんね。事情があって、少し気が立ってたんだ」
 差し出されたイレブンの手を握ると、力強く小川から引っ張りあげられた。
「悪かったな」
「い、いいえ」
 バツの悪そうな顔で謝ってくる青髪の彼。一度抱いた警戒心をそう簡単に解けるはずもなく、私は硬い表情で首を振った。
「……でも、事情って? イレブン、君はデルカダールの王さまに会いに行ったんじゃ」
「それが……」
 イレブンは顔を強張らせ、「落ち着いて聞いてくれるかい?」と続けた。彼の口から語られたのは、俄かには信じられない事実だった。
 王様曰く、勇者とは災いをもたらす悪魔の子であるということ。その罪を糾弾され、城の地下に囚われたが死に物狂いで脱獄してきたこと。追撃の手をかいくぐり、やっとここまで辿り着いたけど時既に遅く村が襲撃を受けた後だったこと。
 村長は勇者を育てたちょっとしたお礼をデルカダールの王様に期待していたみたいだけど、その結果がこれだ。イレブンを育てたこのイシの村の住人は邪悪なものと認定され、排除されてしまった。襲撃者の正体が、まさかデルカダール国軍だったとは。
「だから全部僕のせいなんだ。ごめん。でもナマエ、君だけでも無事で良かったよ」
「そんな馬鹿なことって……」
 言葉を失う私にイレブンは力なく肩を落とす。一方、私は腹の底から沸いてくる怒りを堪えられなかった。
「村をこんなふうにめちゃくちゃにして、みんなを連れていったのはあのデルカダールだっていうの!? ……許せない、許せないわ。いったい私たちが何をしたっていうのよ!」
「ごめん……」
「謝らないで、イレブンのせいじゃない! 君は絶対悪魔の子なんかじゃないし、悪いとこなんて一つもない。きっと王さまがなにか勘違いしているんだよ」
「そうだといいけど……」
 力なく微笑むイレブンの憔悴した様子が痛々しい。
 だけど襲撃者の正体がデルカダールなら、連行された皆の足取りを探ろうにも、城下町に足を踏み入れること自体が自殺行為だ。
 二人はどうやらこれから、まずはデルカダールの国宝レッドオーブを奪取して、とっとと国内から脱出するつもりらしい。その後はあてのない旅だ。逃亡者である限り、イレブンはどのみちこの国にはいられない。今も、もうすぐそこまで追手が迫ってきているかもしれないのだ。
「おいイレブン
 そんな懸念が浮かんだ時、青髪の彼がなにかをイレブンに耳打ちした。イレブンはそれにこくりと頷いて、こちらを振り向く。
「ごめんナマエ。僕たちもう行かなきゃ」
 えっ、と思わず声が出た。
「ちょっと待って! お、置いていくつもり!? こんな廃墟に、私一人置いてくつもり!?」
「え、でも僕たちといると危ないよ。それよりもここにいた方が……」
「そんな無理だよ、私一人じゃここで暮らしていけない! ねえ私も旅に連れていってよ、私もイレブンの力になりたい!」
「おまえ、イレブンの話を聞いていたのか? オレ達はデルカダールのお尋ね者だぜ? 一緒にいる方が危険だ。恐ろしい兵隊どもに追われる覚悟はあるのか? 辛い旅になるぞ。そんな危険を冒すよりも、このままここに身を潜めているか、顔の割れてないお前ならいくらでもデルカダールの下層に紛れ込めるだろ」
 青髪の彼の主張は冷静かつ合理的だ。反論が浮かばず「むむむ」と唸っていると、イレブンが救いの手を差し伸べてくれた。
「でもカミュ、イシの村出身だってバレたらどのみちナマエも危ないよ。それにナマエの言う通り、女の子一人でこんなところで暮らせっていうのもかわいそうだ」
「そ、そーだそーだ! だいたいあんた誰よ!? さっきからイレブンの相棒ヅラして。まさかイレブンの新しい仲間だっていうんじゃないんでしょうね?」
「おっと自己紹介が遅れたな。オレはカミュ。城の牢屋に捕まって処刑を待つだけだったこいつをちょちょいと脱獄させて、勇者サマの命を救ってやっただけのただのしがない盗賊でさ」
「ぬ、ぬぐぐ……」
 つまりはイレブンの命の恩人か。それにしても言い方がいちいち厭味ったらしい。
「んで、そっちは?」
 顎をしゃくりながらの高慢な態度で名を尋ねられても、正直名乗る気なんて一ミリも起きなかった。
 第一印象はめちゃくちゃ嫌な奴。
 目つきが悪くて餓えたオオカミみたいな、ちょっとキケンな匂いがする知らない男の人。今までずっと村の中で暮らしてきて、村の外の人間となんてほとんど接する機会もなかったのだ。警戒するなっていう方がおかしい。
 第一盗賊なんて危ない人と一緒に旅するなんて冗談じゃない。イレブンはすっかりカミュのことを信用しているみたいだけど、イレブンは少しぽやっとしているところがあるから二人きりにさせるのも心配だ。イレブンの姉がわりとして、彼を魔の手から守らねば。
 先程急に襲い掛かられたのもあってか、この時、私はひどくカミュを警戒していた。
 だけどなにより、怖気づいているのを悟られたくなかった。髪型同様ツンケンした態度に次第に向っ腹が立ってきて、噛みつくように名乗った。
「……ナマエよ!」
 よろしくな、とカミュがふっと笑った。余裕の笑みが小憎らしい。
 それに引きつった笑みを返し、隣で成り行きをはらはらとした様子で窺っていたイレブンの方へと振り向く。
イレブン、友達はもう少し慎重に選んだ方がいいと思うわよ」
「お前こそ、足手まといにならなきゃいいがな」
 後ろから小ばかにしたような笑い声。
「誰が足手まといですって? 誰が何と言おうと、私はイレブンについていくから! イレブンが悪魔の子なんて馬鹿げた主張を信じる王さまの目を覚まさせてやらないと。それで、村をめちゃくちゃにしてくれたお礼をいつか必ずしてやるのよ!」
「ハッ、その言葉忘れんなよ」
「あの、ふたりとも落ち着いて……」
「あんたこそ、私をバカにしたこと後悔させてやるんだから、――くしゅっ!」
「……とりあえず着替えないと風邪ひくよ、ナマエ。カミュも」
 イレブンの困惑した声にはっと我に返った。気が付けば、ずぶ濡れ状態の男女が二人にらみ合うという変な状況が出来上がっている。
イレブンの言う通り、先に服を乾かした方がいいな」
「そ、そうね」
 一旦冷静になってしまえば、顔の近さを妙に意識してしまう。カミュもそれは同じだったようで、目が合った瞬間、気まずさから同時にふいっと明後日の方を向く。嬉しくないシンクロだ。そんなこんなでひとまずは一時休戦とし、火を起こして暖を取ることにした。

 ……今ならわかる。カミュの冷たい態度は、わざと突き放そうとしたんだってこと。イレブンの辛い旅路についていく覚悟が、私にはないとわかっていたんだ。
 はっきり言って、私には使命とか目的とかがあって同行を申し出た訳ではない。ただ行くところがなくて、独りが心細くて、半ば成り行きで一緒についていくことを決めただけだ。それを、きっとカミュは分かっていた。
 分かった上で、私を受け入れてくれたのだ。




 イレブンは、いとこのエマの幼馴染だ。二人とも私より少し年下だけど、幾つも違わない三人はまるで姉弟のように育った。弟のように思っていたイレブンが、何の因果か知らないが勇者として旅立ち、そしてお尋ね者として村に戻ってきた。襲撃を逃れた私はひとりぼっちで村に取り残され。イレブンにとっては当然私一人を村に残してなんかおけなかっただろうけど、何か目的があってイレブンに同行していたカミュにとっては、さぞかしやっかいな拾いものをしてしまったと思ったことだろう。
 まあともあれ、私は生まれ育った村を旅立った。

 ……と思ったら案の定、そのあとすぐ風邪を引いた。だって仕方ないじゃないか、兵の目から逃れるため長時間冷たい清流に膝下まで浸かっていたのだから。
 カミュにあんな啖呵を切った手前、弱っている処をさらけ出すのは抵抗があった。だから具合の悪さを隠そうとしたのだけど、私の様子にいち早く気づいたのはカミュだった。不甲斐ない私に何か嫌みのひとつでも言ってくると思ったが、「病人は大人しくしてろ」と意外な甲斐甲斐しさで看病にあたってくれた。世話をする手つきは慣れていて、カミュが作ってくれたほんのり甘い大麦粥が胃に染みてなんだか少し泣きたくなった。
 二人が旅の目的のひとつであるレッドオーブを取りに行っている間、結局私はキャンプ地でひとりお留守番。
 二人は無事だろうか、ちゃんと帰ってくるだろうか。私を置いていってしまわないだろうか。……それにしても、イレブンがユグノアの王子さまだったなんて。心細い思いを抱えつつ一人寂しく星空を眺めながら眠りにつく。
 夜が明け、ひそひそとした話し声が聞こえてきて目を覚ますと、たき火を囲む二人の姿が目に入った。
「よお、起きたか」
「具合はどう? ナマエ
 私が目を覚ましたことに気付き、気遣うように声を掛けてきた二人には出発前にはなかった傷があちこちに増えている。きっと手ごわい敵に出くわしたのだろう。それでも元気そうな姿にほっとし、私は寝ぼけ眼のまま微笑んだ。
「……二人とも、おかえり」

 とはいえ薬もなく、屋根もベッドもない星空の下で一晩明かしてもすぐに風邪がよくなる訳もなく。相変わらずふらふらになりながらも、私たちは亡きテオじいちゃんの手紙に導かれ旅立ちのほこらを目指す。
 道中のモンスターには全て二人が対処してくれる。せめてホイミくらいはと呪文を唱えようとするも、体力を温存していろと叱られつつ。完全にお荷物になっていることを自覚しつつも、デルカコスタ地方の東へと向かった。
 ――そしてヤツはやってきた。
「見つけたぞ。悪魔の子め……!」
 見た者に恐怖を抱かせる、泣く子も黙るデルカダールの双頭の鷲の片割れ。突然崖上に現れた集団に私は完全に恐怖にすくみ上った。目的地はもうすぐそこに見えている。けど、まだ遠い。
 追手は崖の上だし、走ればなんとかなる……? そんな甘い考えはすぐに粉砕された。なんと彼らは急な斜面を馬で駆けおりてきたのだ。まさに逆落とし。見る間に彼らと私たちとの距離が詰められていく。
「ひ、ひえ……くる、こっちにくるよぉどうしよイレブン! あの黒いひとめちゃくちゃ怒ってない!? こわい!!」
「ちょ、ナマエ首絞めないでくるしい!」
「おいこっちだ! 逃げるぞ二人とも!」
 私がパニックになっている傍らすぐにカミュが機転を利かせ、近くで草を食んでいた馬を指し示した。鞍が乗せられていたからきっと誰かの所有する馬だったのだろうが、そんなことは知ったこっちゃない。こっちは命懸けなのだ。当然のように馬を拝借し、追い立てられながらも懸命に駆け、なんとかほこらへと滑り込む。
 ほこらの中央に入ってすぐ魔法が発動し、私たちは遠く異国の地へと飛ばされた。

 辿り着いた先は、赤い大地だった。腐った卵のような匂いが鼻先を掠める。空を見上げれば、南の方に黒煙を噴きあげる火山の姿。地熱によるものか、むわりとした生暖かい空気が体を押し包む。緑の少ない不毛の大地。
 見知らぬ土地に足を踏み入れ、デルカダール軍が追ってこないことを何度も確認し、やっと安全を実感して安堵のあまりへたりとその場で腰が抜けた。死に物狂いで走ったのでまだ息が苦しい。いつの間にか風邪の具合悪さもどこかへと吹き飛んだ。
「し、しぬかと思った」
 黒くて大きくて足が速い集団に追いかけられ、私の心臓は今や虫の息だ。ボウガンの矢が顔のすぐ横を掠めたときはもう人生終わったと思った。生きているのが奇跡のようだ。
「大丈夫? ナマエ
「あ、あれが噂のグレイグ将軍って人……? めちゃくちゃ巨人じゃなかった? ど、どうしよ、この先また出くわしたら、あんなのに勝てるのかなぁ?」
 思わず弱音を吐いてしまってから、すぐに後悔した。
「おいおい勘弁してくれ、今更泣き言かよ。だから言ったんだ、半端な覚悟じゃついてこれねえって」
 ため息をついたカミュが、がしがしと頭を掻きながら苛立ったように言った。
ナマエ、悪いがやっぱりお前を連れていくのは無理だ。オレたちは自分のことだけで手一杯なんだ、その上お前を守りとおせる自信がねえ。そこにいる神父の話によると、この先に集落があるらしい。そこまでは送っていってやるから、あとは自分でどうにかしろ」
「え、カミュ? 待ってよ、ナマエを置いていくつもり?」
 突然の解雇通知はどうやらカミュの独断のようで、イレブンも困惑している。
 一方の私は茫然とし、黙り込み。
「……ひどい」
 ――そしてキレた。
「ひどいよカミュ! あいつらに村を焼かれたのは私にとってもイレブンと一緒だよ!? 確かに今はこんな情けない状態だし、泣き言も漏らしちゃったけど、あいつらは村のみんなの仇なの! だからここで諦める訳にはいかないの! もちろん私が足手まといなのは自覚しているよ! でも私だってテオじいちゃん仕込みの格闘術があるし、ホイミだって使えるし、伸び代は十分あるはず。この先ずっとカミュにおんぶに抱っこでいる気は全くないし、むしろこれから鍛えまくって私がカミュを抱っこできるようになってやるんだから! ま、まあ実戦はまだだから少し不安だけど。とにかく! 私はイレブンと離れる気はないし、置いていったら地の底までも追いかけてやるからね!! ――うっ」
 支離滅裂なことを叫んでいる自覚はあった。けど置いていかれたくない一心で懸命に叫び、そして力を使い果たしてくたりと脱力してしまった。
「お、おいどうした?」
 焦ったのはカミュだ。だって勢いよく啖呵を切っていた私の様子が急変したのだから。
 ぎゅうう、と誰かの腹の虫が鳴った。……いや、誰かのじゃない。私のだ。
「ん? おいまさかお前――」
「え、えへへ……お、お腹空いたなぁ」
 お腹の音を誤魔化しきれず恥を忍んで空腹を訴えると、カミュは呆れたようにため息をつき、イレブンはクスクスと笑っている。だって仕方がないじゃないか。風邪をひいてからこちとら麦粥しか食べてないのだ。
「……はあ、とりあえず飯にすっか」
 食材集めてくるわ、と言うが早いか、カミュは一人さっさと赤土の荒野の向こうに姿を消した。


「……これ毒とか入ってないよね?」
 グツグツと、まるで地獄釜のように鉄鍋の中で様々な具材が煮え立っている。カミュが採ってきた食材のごった煮、色々なエキスがたっぷり混じった汁の色がもう見るからにやばい。茶色……いや泥? とにかく見た目だけなら食欲減退効果は抜群だ。
 カミュが作ってくれたワイルド煮込み料理。いやワイルドってレベルじゃない。これはある種の罰ゲームだ。お玉と食器代わりのブリキのカップを握りしめ、私は大いなる試練の最中にあった。目の前にはカミュが私たちのために作ってくれた毒々しい鍋料理。ここは引くべきか進むべきか。
 とはいえこんな見た目だけど、不思議と匂いだけはいい匂いがした。
「失敬な、入れてねえ」
「な、なに入れたらこんな色になるの?」
「滋養がつくかと思って薬草の根とスパイスを入れてみた。仕上げにそこの樹になってた柑橘っぽいやつを絞ったら一気にこんな色になっちまった」
「食材選びからワイルドすぎるでしょ……」
「正直オレも最初びびったが、味見してみたら意外とイケた。というか、嫌なら食べなくていいんだぞ」
「……どう思う? イレブン
「カミュのご飯は美味しいよ。これもいい匂いしてるし、きっと大丈夫だよ。多分」
 イレブンのお墨付きを頂いてしまっては、食べない訳にもいかない。私は決死の覚悟で鍋の中身を掬って、ほかほか湯気の立つブリキのカップに口をつける。
「うう、仕方ない。イレブンがそう言うなら一口くらいは食べてあげても――ンまっ!?」
 途端、口の中に衝撃が走った。
 急な大声にカミュが「うおっ」と肩を揺らす。けれどそれにも気が付かず、私はひたすら口の中で奏でられる味覚のハーモニーを噛み締めていた。
「お、おいしい。見た目を裏切る奥深い味わい、絶妙な塩加減、ほんの少しの酸味とスパイスがクセになりそう……。な、なにこれ、めちゃくちゃおいしい」
 初めて口にする味だった。あまりの美味しさに夢中でカップの中身を啜る。
「おいしい。……ぐすっ、おいしい、ううっ、ずびっ」
「お、おいどうした」
 暖かなご飯のせいなのか、急に寂しさが込み上げてきてしまい、私の涙腺はとうとう決壊した。
「うう、母さんの手作りご飯が恋しいよう」
「ホームシックかよ」
 急に泣き出した私にうろたえていたカミュは脱力し、胸を撫で下ろす。そしてぐずぐず鼻を啜りながらも食べるのをやめようとしない私に少し呆れたように笑って。
「……ったくしょうがねえな。食べるか泣くかどっちかにしろ。忙しいやつだな。ほら、鼻かめ」
 口調とは反して柔らかな笑みを浮かべつつ、甲斐甲斐しく布を鼻に当ててくれるカミュはまるで保護者だ。でもその布、さっき料理に使ってなかった……? まあ細かいことはいっか。遠慮なくちーんと鼻をかんで、私はまた食べるのを再開した。
「ぐすっ、カミュ、おいしいよ、これ。すごくおいしい」
「そうか良かったな。そんなに気に入ったんならまた作ってやるよ」
 ふにゃりと崩れた笑みを向けると、カミュは少し照れているようだった。
 隣ではイレブンが、仲良いねえ、と呑気に微笑みながら豪快な量を鍋からよそっている。ちょっと待ってそれおかわり何回目? カミュの分残ってる?

 わいわいと賑やかにたき火を囲みつつ、夜は穏やかに過ぎていく。
 ――満天の星空を眺めながら、私達は初めて三人一緒の一夜を明かした。