猫かぶり
リージョン・スクラップ、そこはどこか廃れた雰囲気が漂う。
だがスクラップに唯一つある酒場は毎夜人が集い、今日も賑わいをみせていた。
ブルー率いる一行は、スクラップに降り立った。
シュン、と音を立てて現れた自称ブルーの護衛ナマエは、目の前に現れたスクラップの光景にはぁと感嘆のため息をつく。
毎度ながらブルーの魔術・ゲートは本当に便利だと思う。だって、普通リージョンを移動するのであれば、シップで数時間も掛かるところなのに、ゲートを使えば僅か瞬きをする間に目的地に到着してしまうのだ。面倒くささと時間の無駄を嫌うナマエにとっては、まさに求めていたものだと言えよう。ゲートを使用する際の、光と空気に押し包まれるあの一瞬の感覚も、最初はおっかなびっくりであったが、慣れてしまってはどうってことはなかった。
一人さっさと宿屋の部屋を取りに向かうブルーの後をのんびり追いながら、ナマエは伸びをしながらその背に向かってにこにこと言う。
「いやあ、ゲートって便利ですよね~。本当、どこでもド●以上……いえいえ、なんでもありませんよ」
言いかけて、ブルーがじろりと睨んできたのでナマエは慌てて頭をふる。
一度ゲートのことを、まるで”どこでも●ア”のようだといったら、「そんな下等なものと俺の術を比べるな」ときつい拳骨を喰らったのを思い出したのだろう。とかく、無駄にプライドが高い男なのだ。そんな高慢ブルーに、あの国民的アニメであるドラ●もんを知っているんだ、とツッコめないナマエであった。
「で、こんな所に何のようなんだ? ブルー」
「無論、術の情報を得に」
ヌサカーンが問うと、愛想なく答えるブルー。ナマエは、ああ、と頷いた。
「ここの酒場は、色んな人が集まりますから、術の情報も集まるかも知れませんね。早速行ってみましょう」
「何故お前が仕切る――って、おい待たんか」
うきうきとした表情で酒場へと向かうナマエに、ブルーのつっこみは届かなかった。
酒場の扉を開くと、「いらっしゃいませ」と合成ボイスが一行を迎えた。カウンターの奥には人型のマシンが一台。この店のマスターなのだろう。こじゃれたジャズが流れる薄暗い店内には、色々な人、もとい、生き物がいた。
大胆なスリットから覗く美しいおみ足を惜しげもなくさらしている中華系美人、腹巻をした酔いどれ親爺、外れた音程でリュートをかき鳴らす、どこかのほほんとした青年、旧型のロボット、そして人だか動物だか分からない、尻尾が生えた可愛い少年。
旅なれた者達は、なんで子供が酒場に、なんて驚きもしなかった。リージョンが違えば、法も違う、つまりなんでもありなのだ。
ブルー達がナマエに追いついたとき、彼女はさっさとカウンターに陣取って、バーテンダーに注文をしているところだった。
「ジンを一杯。ロックで」
「畏まりました」
合成ボイスが返る。瞬く間に、ジンの入ったロックグラスが、ナマエの手元に届く。ライムを搾って、きゅっと一気に飲み干したところ、
「ナマエ、貴様な……」
ひくついた声に振り返ると、ブルーは米神に青筋を立てていた。怒っている怒っている。ナマエは内心で笑い、暢気に二杯目のジンを注文した。
「ブルー。私、ここで飲んでますんで、適当にどうぞ」
「私も付き合おう、ナマエ」
にこやかにナマエの隣を陣取ったヌサカーンに、ブルーは、お前らっ、と声を荒げようとしたが、直ぐに諦めたように溜息をついた。ナマエのマイペースさは、今に始まったことではない。いちいち煩く言っても、こっちが疲れるだけだ。
「…………まあ、いい。邪魔をするなよ」
ふん、と不機嫌そのものの顔で、ブルーは一人術の情報を集めに掛かった。
しかし、よくよく協調性のないパーティである。致し方あるまい、リーダーが一番協調性に欠けているとあらば。
ブルーは酒場をゆっくりと見渡し、とりあえず奥に座る男に目をつけて近寄ろうとした。
が、途中で、くん、と衣服が引っ張られ、ブルーは思わぬ足止めを喰らった事に苛立って振り向いた。そこにはブルーの殺気溢れる視線をものともせず、にこにこと眩しい笑顔でブルーの服を引っ張る犬ころ、もとい、少年がいた。
「なんだ貴様は?」
「ボク、クーン。君は?」
無邪気に問われ、ブルーはしばし躊躇した。ブルーの絶対零度の視線にびくともしないのは、結構大物だ。
(この動物、役に立つだろうか……)
優秀な人材もまたブルーの好物だ。ブルーはこの未知の少年を前に、忙しく頭を回転させた。そして達した結論は。
「ボクはブルー。大事な務めを任されて、故郷を旅立ってきたんだ。君は、何か術について知らないか?」
それまでの不機嫌きわまる表情もころりと一転、胡散臭いまでの優しいお兄さんな笑顔を浮かべてブルーはクーンと名乗った少年に話し掛ける。いつの間にか一人称まで変えているところ、彼の猫かぶりは相当なものだ。
「わあ、ボクとおんなじだ! ねぇ、お兄ちゃんと……」
一緒に行っていい? とクーンが言いかけたとき。
「――いいぞねぇちゃん!」
どっ、と隣が沸いた。忌々しく思ってブルーがそちらを見て、ぎょっとする。野次馬に囲まれているのは、ハチマキを巻いた男と、ナマエではないか。何故か勝負ごとになっているらしく、ナマエは男らしく腕まくりをして息巻いている。ジンを片手に、ドカリと椅子に座った彼女を、ハチマキ男は赤い顔でにやりと笑って迎えた。
「お嬢ちゃん、中々やるじゃねえか。このゲン様に挑もうなんざよ」
ナマエも負けずに挑戦的な目でゲンと名乗った男を見る。
「それより、私が勝ったら、本当にさっきの約束守ってくれますね?」
「あったりめぇよ。男に二言はない!」
ドン、と胸を叩いたゲンは、ナマエの手をがっちりホールドした。どうやら、勝負は腕相撲らしい。
それを傍で見ていたブルーは、米神に青筋が立つのを隠せなかった。さっとヌサカーンをみればみたで、優雅にウィスキーを傾けている。どうやらナマエを止める気は更々ないらしい。
「レディ……ゴー!」
のジャッジの声とともに、わぁ、とギャラリーの歓声。ブルーは必死で気にするな、気にするな、と自分を抑えつつ、本来の目的である術の情報の収集を再開した。
次にブルーが目を付けたのは、カウンターで一人グラスを傾ける、中華系の女性だった。ブルーが近付くと、妖艶な流し目を向けられた。しかしそこは堅物ブルー、まったく効力はない。
「私は術を学ぶ者です。あなたは術について何かご存知ですか?」
あら、と女性は微笑んだ。紳士然とした美貌の術士を前に、気をよくしたようだった。勿論、女性はこれがブルーの猫かぶりである事など分るわけもなく。
「酒場の会話じゃないわね。でも、そういう話は好きよ。わたし、陽術が少し使えるの」
「それは素晴らしい。私は――」
と、名乗ろうとした時。
――ガシャーン、と何かが割れる音がした。
急いで振り返ると、白熱のバトルが繰り広げられているのを目の当たりにし、ブルーは己の自称護衛をもの凄い勢いでにらみつけた。が、当然ナマエが気付く筈もなく。
「うりゃ、姑息な手段!」
「だーっはっはっ、甘いぜ! 姑息な手段返し!」
「ぎゃあ、ちょ、ゲンさんストップ!」
ぴくり、ブルーの米神に新たな青筋が浮かぶ。
だが、「術士さん?」と傍らから声がかかり、はっと我に返ったブルーは、誤魔化すようにこほんと息をついた。
「……失礼、私はブルー、キングダムの術士です」
「メイレンよ」
メイレンと名乗った女性は、にこやかに片手を差し出した。
――この女、術も使えるし役に立つかもしれない。
などという黒い腹の中はさてあれ、ブルーは完璧に爽やかに微笑んでその手を取った。
わあっ、と湧くギャラリー。
「よっし勝ったぁあ!」
「あっちゃ~、俺としたことが負けちまった」
ナマエは立ち上がって拳を振り上げている。どうやら勝ったらしい。
「じゃあ、約束ですからね!」
「しゃぁねえなぁ。分ったよ」
ナマエがブルーの視線に気付いて笑顔でVサインをしてきたけれど、ブルーはもう綺麗さっぱり無視してメイレンと術の話をした。
ナマエの騒ぐ声を無視しつつ、しばし話を続けたブルーは、メイレンを仲間に引き込むことにした。すっと真面目な表情を浮かべ、「メイレンさん」と名を呼んで真摯に見つめる。予想通り、メイレンは頬を染めた。こういう時、自分の容貌は役に立つことをブルーはよく知っていた。
「なにかしら?」
「私は術の資質を手に入れて、多くの術を身に付けねばならないのです。それで、ぜひご一緒願え……っ!?」
ませんか、と続けようとしたブルーは、しかし思わぬ妨害にあってそれを果たせなった。
ぐぐぐ、と急に背中に体重が掛かり、急な事でそれを支えられなかったブルーはカウンターに突っ伏した。それでも何とか必死に起き上がろうとした時。
「こぉら猫かぶり鬼畜術士っ!」
ナマエだ――。ブルーは、自分の上に憑依しているものの正体に気付き、グラスをぎしりと握り締めた。
「美人のおねぇさん、この人の綺麗な面に騙されちゃだめですよー。この人、すっごい猫かぶりなんですから~」
少し舌ったらずな口調は、酔っているせいだろう。あらそうなの、と隣のメイレンが、ナマエの台詞に気を変えたようだった。
やばい、このままナマエを喋らせておいたら、貴重な人材をゲットできなくなる。
「――ナマエっ!」
危機を感じたブルーは、ナマエの体重をがばりと跳ね除けた。だが、ナマエは子泣き爺よろしくブルーの首をがっちりホールドしていて、予想通り後ろに転げはしなかった。
「この人、今はいい顔してるけど、仲間になった途端に、ころっと性格変わりますよ」
「まあ」
「黙れ! 貴様、さては酔っているな! ええい、離れろ!」
ぐいぐい首を締め上げるナマエの腕を、必死で外そうとするブルー。
「酔ってないですよ、失礼なっ」
「大胆だな、ナマエ」
と、益々ブルーにしがみ付くナマエの隣に登場したのは、ヌサカーンであった。
「ぬ、ヌサカーン、笑ってないでコイツをどうにかしろっ」
喘ぎながらそう云うと、ヌサカーンは笑ってナマエのホールドを後ろから解除した。
「いや、すまないなブルー、ついついジンを勧めすぎたようだ」
その言葉に、ブルーの米神にぴくりと青筋が立った。
「貴様か……」
「楽しいお仲間じゃない。飽きなさそうだわ」
実に楽しそうに笑うメイレンと、対照的に頭を抱えるブルー。それをとろんとした目で見ていたナマエは、さりげなく口を開けた。
「ブルーは、そういう大人の女性が、好みなんですか?」
「は?」
「確かに、私には、女性らしさの欠片もないですけれど、でも、でも、あからさまに見せ付けなくたって良いじゃないですかあ~!」
は、ちょっと待て、とブルーがその台詞を理解する前に、ナマエはその場から飛び出そうとした。だが、ヌサカーンにホールドされていた事を忘れていたのか、くるりと反転したまでは良いが、駆け出した途端に彼の胸にどすんと勢い良くタックルしていた。
「おっと」
うしろにバウンドするナマエをしっかりと支えると、彼女はヌサカーンに初めて気がついたかのように、ころりと笑みを浮かべた。
「あら、素敵な御医者様、今夜は私とご一緒にどう?」
「おや、嬉しいお誘いだ。それは是非お受けしようじゃないか」
すかさずノリで返したヌサカーンに、ナマエは気を良くした。一人展開についていけないのはブルーだ。
「本当? じゃあ早速これから……」
ナマエが腕を組んで意気揚揚と酒場から出ようとしたとき。
「――待て莫迦女」
ごつ、と痛そうな音がして、その音を耳にしたものは一斉に振り返った。
ヌサカーンの腕を組むナマエの笑顔は硬直し、……そのままゆっくりと前のめりに倒れこんだ。
倒れゆくナマエをヌサカーンが抱き上げる前に、もう一つの手がその体を救い上げる。
「ブルー」
ヌサカーンは、ナマエを抱える男にくつりと笑った。ナマエの気を失わせたのが彼ならば、またそれを介抱するのも彼の望むところ。ぐったりとブルーに寄りかかるナマエはどことなく幸せそうだ。いい夢でも見てるのだろうかと彼女の顔を一瞥したヌサカーンは、大人しく引き下がる事にした。
ブルーはナマエの体を乱暴に肩に担いだ。ナマエに散々に鍛えられたブルーの肉体は、しっかりと彼女の全体重を支えていた。それにふと笑みを漏らすのは、ヌサカーンだった。まるでナマエのために彼は強くなったようではないか。
「随分手荒い守り方だ」
皮肉を漏らすと、ぎろりと睨まれる。さながら子猫を守る親猫のような威嚇。
両手を挙げて降参の意を示したヌサカーンを無視し、ブルーはそのまま酒場を後にしようとした。
「送り狼にならなければ良いがな」
「なんだそれは」
ヌサカーンの揶揄に、至って真面目な表情で首をかしげるブルー。
傍で眺めてたメイレンが、とうとう可笑しそうに噴出した。
「からかい甲斐のある坊やね。素敵だわ」
「あれで無自覚だから、救えないよ全く。――ところでレディ、今度は私がお相手しよう」
「喜んで」
ヌサカーンの魅惑的な笑みに、メイレンは微笑んで答えた。
こうして、スクラップの夜は過ぎていくのであった。
ちゅん、ちゅん、と窓の外で小鳥がないている。ああ、朝だ。今日も爽やかな朝が来た。
……って、いつの間に!?
不意に意識が覚醒し、ナマエはがばりと飛び起きた。途端に襲ってくる頭の痛みに、うっと頭を抑えた。後頭部がいやに痛む。何でだ。というか、昨日の記憶が途中から途切れている。
一体昨日なにが起こったんだと辺りを見回してみると、何故かベッドの端に突っ伏している男が一人。ナマエはその男の正体に気付いて仰天した。
「ぶ、ブルー? な、なんで私の部屋に」
ゆさゆさ、と問答無用で揺り起こすと、ブルーはがばっと跳ね起きた。ナマエを見て束の間動揺し、苦虫を噛み潰したような表情でふいと目線を逸らす。
「おはようございます」
「……ああ」
歯切れの悪いブルーの口調。ナマエは色々気になる事がありつつも、まず一番気になっている事を質問した。
「なんだか頭が痛いんですけど……、昨日、私どっかにぶつけましたかね?」
びく、とブルーが再び動揺して、ナマエは不審がる。
「あっ、アレだけ飲めばあたり前だ。二日酔いだろう」
「いや、二日酔いの痛みだけじゃないような……。っていうかどうしてここに寝てたんですか」
ナマエがじろりと半目でブルーを見ると、彼は慌てて頭を振った。
「なっ、お前が俺の服を離さなかったからだろう! あらぬ誤解をするな!」
なおも、本当? と疑うナマエに、ブルーは「あたり前だ」と必死で否定する。するとナマエは――。
「私が無理矢理連れ込んだんじゃないんですね、あー良かったぁ。やっぱりこういう事って本人の了承がなきゃねぇ」
暢気に笑ったナマエに、ブルーは朝っぱらからぷちりと血管が切れたのを感じた。
「――貴様はそのいかがわしい口を即刻閉じろ!!」
うわーん何でですか~、とナマエの嘆きが響いた。
「で、昨日はどうでした?」
所変わって朝食時にて。ジャーマンポテトに溶けたクリームチーズを付けたものをぱくりと口に入れながら、ナマエは隣でコーヒーを飲みながら新聞を読むブルーに問い掛けた。
「なにがだ?」
「術の情報。集めてたんでしょう?」
とろとろのチーズオムレツを焼けたパンに乗せ、零れないようぱくつく。二日酔いもなんのその、実に美味しそうに朝食を頂くナマエに、「それはな」とブルーはフォークで指したソーセージを突き出した。
「貴様が酔って暴れたせいで全て台無しだ」
私のせい? と、きょとんとしたナマエは、じっとブルーを見つめ、しかし目の前で揺れるソーセージの誘惑に負けてぱくりと食いついた。
「! 貴様は……っ!」
大事な食料を盗られてブルーがいきり立った時。
「おーい、ナマエちゃん」
「あ、ゲンさん、おはようございます」
突然の闖入者を顧みると、それは昨夜ナマエと白熱のバトルを繰り広げていたゲンがいた。
「体調はどうだぁ? 昨日の賭けだが、すぐに出発するのか?」
「あーう~ん、そうですねぇ」
「何の話だ?」
一人話しが見えないブルーが問うと、ナマエはにっこり笑って説明をはじめた。
「昨日賭けをしたんですよ、私が勝ったらワカツの案内をしてくれるって。ホラ、ワカツで剣のカード入手するには、ワカツ出身者の同伴が必要って言っていたでしょ?」
「……」
ぽとり、とブルーのフォークから、食べかけのソーセージが皿の上に落ちる。
「ゲンさんは、ワカツ出身の剣豪だそうです」
すかさずナマエは落ちたソーセージをぐさりとフォークで刺し、美味しそうに平らげた。
「あ、それとリュートって人はヨークランドに伝わる杯のカードの情報を教えてくれましたよ。ここの宿に泊まっていると思いますから、後で詳しく話を聞きに行きますか?」
一人先に食べ終わったナマエは、ご機嫌そうに立ち上がり、そこで妙に黙り込むブルーに気がついて首をかしげた。
「あれ、ブルー? どうしました? もしかして余計な御世話でした?」
「……知るか!」
ガタン、といきなり立ち上がり、ブルーは足取り荒く部屋へと戻っていった。
ナマエは一人首をかしげて。
「なんだぁ、あれ?」
「まぁ、好きな女の前ではカッコつけてぇ、っていう野郎の心理だな」
「え? ……え!?」
ゲンの苦笑に、ナマエは珍しく顔を真っ赤にしたとか。