優雅な午後のティータイム




 ――麗らかな午後。
 今日も帝都アバロンは、平和に満ち溢れていた。

 その、一角にて。
 いつも通り、慎ましやかに日々を送っているはずのナマエ(薬師・♀)は、何故か身を縮こませながら、このところ良く訪れる客人と一緒に、優雅なティータイムを送っていた。
 にこにこと上機嫌でナマエ特製ハーブティを味わう客人はこの上なく見目麗しいが、しかし彼に見つめられれば見つめられるほど小さくなるこの家の主ナマエは、何故この方がここにいるのだとか、一体自分に何の用だとか、彼が抜け出して城の方は騒ぎになりはすまいかとか、色々な不安を抱えつつ、小心者の気質ゆえ、深くつっこめずに毎度冷汗をたらしつつ彼を迎えている。
 だが、今日こそは。
 ある種の硬い決意を誓い、庶民派ナマエはこの最大の難敵に挑んだのだった。
「あ、あのう、陛下……」
「ん、なんだい?」
 ナマエの声に、その人は優雅にティーカップをソーサーに置いて、にこりと微笑んだ。それだけで、大抵の乙女はころりと絆されてしまう――それほどの威力をもった微笑みを前に、ナマエはしかし別の意味で緊張を隠せない様子で、慎重に慎重にその人、現バレンヌ皇帝ジェラールに問うた。
「へ、陛下は、一体、毎日、ここに何をしにいらっしゃっているんでしょうか?」
 バレンヌ皇帝、といえば、ナマエにとっては全く雲の上の人である、といっても過言ではない。だが、縁は奇なりといったところか、はたまたは世間は狭いというところか、とあるきっかけで彼の人と知り合ってしまって以来、何故か毎日のように顔をあわせているのである。
「何を、と言われても……、さしずめ、休憩かな?」
 ナマエの緊張もどこふく風か、ジェラールは余裕の笑みを浮かべた。ちょっとした仕草でも様になる姿は、さすがと云おうか。
「ああ、それともナマエ殿の顔を見に来たと云った方がいいだろうか」
 思い直したように云った彼の人に、ナマエは思わず『執務のほうは大丈夫なのかっ!?』と突っ込みたくなってしまった。
 だがそこは庶民派ナマエ、権力にはどこまでも弱い一面を持つ彼女は、それをさりげなく問うことしかできなかった。
「あ、あの、大丈夫なのでしょうか?」
「何がだい?」
 ジェラールは、ふっと微笑む。何故か、その微笑みに威圧感を感じ、ナマエは背筋に冷汗が流れた。
「お、お仕事の方、とか……」
 と、しどろもどろに云うと、今度は酷く落ち込んだ風に見つめられ、彼女の理性は既に切れんばかりだった。たとえそれが迫真の演技だったとて、やはりころりと騙されたであろう。
ナマエ殿は、私がここに来たら、お邪魔かい?」
「い、いいえ、滅相もないです!」
 はっとし、慌てて頭をふるナマエジェラールはそれに気をよくしたように、ころりと魅惑的な笑みを浮かべた。
「ああ、良かった。それならいいんだ。私の方は、優秀な者が沢山いるから、気にしなくとも構わない」
 それって単に押し付けているんじゃん。内心でつっこんだが、気の弱いナマエは、口に出してズバリとつっこめない。あははと乾いた笑みを浮かべるのみだ。
「それに、ナマエ殿、そんなにかしこまらなくとも構わない。私のことはジェラールと」
 気兼ねなく呼んでくれ、と何故かこの上なく熱心にせがまれ、ナマエは再び引き攣った笑みを浮かべた。

 と、そんなナマエに救いの手、になるだろうか分らないが、とにかくいきなりの闖入者が二人の間に割って入ったのだった。
「おいコラ莫迦皇帝!」
 ばぁん、と力の限り扉を押し開いて現れたその人に、ナマエは驚いて声をあげた。バレンヌ皇帝に向かって『莫迦』などと不敬も甚だしい。だが流石というか、ジェラールはいたって落ちついてその人物を見遣った。
「マール」
 ぼそりと、現れた人物に眉宇を細める。
「やぁっと見つけたぞ、いっつも途中で執務放り出しやがって、今日こそは観念しろよ」
 そう云った人物は、立派な鎧で均整の取れた体格を覆い、精悍な顔立ち、そしてその瞳はどこまでも明るかった。その恰好は、見るものが見れば帝国屈指のエリート騎士――インペリアルガードだとすぐに分っただろう。
 その騎士を一瞥し、しかし皇帝ジェラールは、煩いのに見つかったか、と舌打ちをする。
「聞き捨てならない台詞だな。執務はいつも帰ってから終らせているだろう」
「よく言うぜ、お前が仕事一つ滞納したら、どのくらいの執務官が迷惑被るか知ってるか?」
「そんな事を言って、私の唯一の楽しみさえも奪うつもりか」
 ……心なしか、険悪なムードのような気がする。
 一人無言で見守っていたナマエは、おそるおそる睨みあう大の男二人に声をかけた。
「あ、あのぅ……」
 そろそろ、いいでしょうか、とばかりに声をかければ、この国随一の貴人はぱっとこちらを向いてにこやかに微笑みかける。まるで、先ほどの険悪なムードなど存在しなかったかのように。
「ああ、喧しくてすまないな。……彼はマールバラ。私の学友だ」
 紹介された男は、変わり身早く顰め面をにこやかなそれに変える。それはいっそ見事で、ナマエは言葉を失った。
「や、いつもコイツが世話になってるらしいな」
「い、いえそんなことは」
 『コイツ』、曲りなりにも皇帝なのに……、思ったことは、しかしぐっと飲み込んだ。学友ゆえの、気安さがあるのだろうか。
「なあ、コイツ、無自覚に迷惑な性格しているだろう。迷惑だったら遠慮なく言って良いんだぜ。ええと……」
「あ、ナマエです」
 慌てて名乗ると、マールバラと名乗った青年は、驚くほど人好きがする笑みを浮かべた。爽やかな笑み、きっと、万人に好かれる笑みとは、こういうものを云うのだろうと、密かに思う。
「薬師なんだって? 俺も、一度診てもらおうかな」
「あ、はい、喜んで」
 と、差し伸べられた手を何ら疑問に思わず取ったナマエは、傍らで皇帝陛下が冷やかな瞳で己の学友を見ていたことなど気付かず。
 にへらと、気の抜けた笑みで新たな知人に微笑んだ。

 と、その時。
ナマエさん! す、すいません! いま良いですか!?」
 と、酷く慌てた男が小さな子を抱え、バン、と乱暴に戸を開いた。その場にいた大の男二人は、咄嗟の本能で振り返り武器を構える。
 だが、一人冷静を保っていたナマエは、男が抱えていた子の容態にいち早く気付いた様だった。
「あ、急患の方ですか? いいですよ、どうぞ――っと」
 奥へと、云いかけ、そこで客人二人のことを思い出す。
「我々のことは構わなくても良い。ここでは患者が優先だろう?」
 ちろちろと、ナマエの気遣わしげな視線に苦笑したのは、ジェラールだった。すみません、とそれにナマエは頭を下げる。
 子供の様子を見、すぐに薬師の顔になったナマエは、処置を施すべくてきぱきと動き始めた。それを見ていたジェラールは、何を思ったか、自らも手伝いを始める。
「これを」
 汚れた手を洗うべく、ジェラールは自ら汲んだ水の桶を差し出す。
「あ、すいません」
 他でもない皇帝陛下自らが汲んだ水を、ナマエは殊更有難がりもせずに受け取り、黙々と作業に勤しんだ。

 なるほど、人を救うのに、身分もなにも関係ないというところか。
 傍で見ていたマールバラは、そっと見守るジェラールの真剣な表情にくつりと笑った。その彼の人は、今は真剣そのものの表情で、ナマエを見つめている。要は、この貴人は、客人である自分がのけ者にされてまでも、この薬師の傍にいたいのだろう。
「おい、ジェラール
「なんだ」
「お前にしては、随分慎ましやかな楽しみじゃないか。皇帝陛下が、聞いて呆れる」
「そうだろう? 彼女は、素晴らしい薬師だ」
 ジェラールは、ナマエの横顔を真剣に見つめている。皮肉を多分に含んだ言葉も、蕩けた笑みの前では効果は全くといって良い程なかった。マールバラは、戦友の様子に苦笑した。

 一通りナマエの治療が終って、彼女は客人二人に新たなお茶をもてなした。にこにこと笑顔で相槌を打つナマエとの会話は楽しかったが、しかしそろそろ帰らないと城の者が心配して騒ぎ出すだろう。
「さて、ジェラール、もう帰るぞ」
 すっと立ち上がったマールバラは、傍らで未練がましくソファに齧り付く学友をちらと見る。ふう、と溜息を付き、おもむろにその襟をぐいと掴み――。
「マール、離せ。引っ張らなくても自分で歩ける。――ナマエ殿、お茶をご馳走様」
 ずるずると連行されるこの国随一の貴人は、それはもうにこやかな笑みを浮かべていたとか。

「じゃあ、又、お邪魔するよ」

 と、言い残された台詞に、憐れな薬師はかくりと緊張の糸が切れたように、脱力した。見目麗しい方を相手するのは非常に目の保養になる、が、それ以上に。
(つ、疲れるぅう……っ!)
 庶民派の本音は、それであった。願わくば、もう、勘弁して欲しい――。