朝焼けまで、あと一時間



 船着場に到着すると、目の前に不気味な城がそびえたっていた。
「うわあ……」
 朽ち果てた城郭は、いかにもここに何かいますよといったおどろおどろしい雰囲気を漂わせている。自称腕の立つ護衛ナマエは声をあげ、朽ち果てた城壁を見上げた。ついで好奇心半分恐怖半分の表情で隣で硬直している雇い主の男を振り返り、ふふふと不気味な笑い声を漏らす。
「ここは多分、出ますよブルー」
 ――ヤツらが。
「ば、莫迦を云うな。ふん、そんな非科学的なもの、恐るるに足りん!」
 何が、とは皆まで云わずとも伝わった。ナマエの言葉にブルーは青い顔をさらに蒼くしたが、しかしプライドの高い彼は健気にも強がってみせた。何処となく口元が引き攣っているのはご愛嬌だ。
「声、震えてますよブルー」
 ナマエの突っ込みに、ブルーは無言で彼女の頭を引っ叩く。
「いだっ!? ちょ、暴力反対ですー」
「時間が惜しい、早く行くぞ。ここで、剣のカードが手に入るはずだ」
 ブルーはナマエの抗議をあっさりと無視し、一人城門にむかって歩き出す。
「ちょっとブルー」
 冷たいなあもう、とぶつぶつ云っていると、その横を通り過ぎる二つの影があった。一人はクーロンの藪医者妖魔ヌサカーンと、もう一人はワカツの剣豪ゲンだ。
「……ゲンさん?」
 常に酔っていてちゃらんぽらんな(ナマエ視点)ゲンの様子が何となくおかしい。そう感じてナマエは首を傾げたが、呼ばれたゲンはちらと彼女の方を一瞥したがそれだけだった。
「なんかピリピリしてるなあ……」
 なんか、あれじゃ普通にカッコいいオヤジみたいだ。そんな失礼な感想を浮かべていると、隣に立っていたヌサカーンがナマエを促がした。
「さ、私たちも行こう。ブルーが癇癪を起こす前に」
「はい先生」
 頷いて、彼女は門の前で苛立たしげに待っているブルーの元へ歩き出した。


 マジックキングダムの鬼畜もとい天才術士ブルーは、現在リージョン・ワカツを訪れていた。
 以前ブルーが一人旅の時、ここで秘術の資質取得に必要な剣のカードが手に入るとの情報を得て訪れた際、忌々しくもシップの受付にて「危険だからワカツ出身の奴同伴でないとダメよーん」とあっさり門前払いを喰らったという。
 その情報のもと、ブルーは術の情報を収集しがてらワカツ出身者を捜していたのだが、先日訪れたリージョン・スクラップにてとうとう目的の人物を発見したのだった。それがナマエの暴走のおかげだということが今一ブルーにとっては気に食わないらしいが、まあどうであれワカツ出身であるゲンを仲間にすることが出来た。
 ということで、早速ワカツを訪れた一行である。
「ふ、お望みどおりワカツ出身の奴を連れてきたぞ。さあ早く俺を中に通せ!」
「ブルー、そんな偉ぶらなくても」
 妙に胸を張るブルーにナマエが呆れる。
 骸骨の門番は「どうぞどうぞ。四名様ごあんなーい」と門を開け、けけけと顎を鳴らして中へと入る一行を見送った。
 ギギギ、と重々しい音を立て、古びた門が目の前で開かれる。
「お、お邪魔しまーす……」
 誰にともなく断ってから、ナマエは恐る恐る中へと一歩足を踏み入れた。途端、目の前に影がよぎった。
「ひっ」
 バッチリそれを目撃してしまったブルーの口から、押し殺しきれなかった悲鳴が漏れる。その隣で立ち止まったナマエは、呆然と影のよぎったほうを眺めてつぶやいた。
「今、なんか目の前を通過したような……」
 しばしの嫌な沈黙。
 と、うわーん! と半泣きになったナマエは、頭を抱えてその場でしゃがみこんだ。
「やややっぱりここ出るんだー! ドゥヴァンの神社でお守り買ってくれば良かった~。ブルー、今からでもいいから行きましょうよ。お守りでも無いよりかはあるほうがマシでしょうしっ」
 ナマエはブルーの法衣の裾をツンツンと引っ張りながら懇願した。
 しかし相手はあのブルーである、いくら怖かろうが目の前に術の資質がぶら下がっているのでは、ナマエの提案を承諾しようはずもない。
「ふざけるな、時間がもったいないだろう! 第一、あそこのお守りはいつ行っても売り切れだろうが。というかお前その前に、信仰心の欠片も持たんヤツが、なに都合の良い時だけ神頼みしようとしているんだ」
「信じますよっ! なんなら今からだって!」
 ホラ、とばかりに天を拝んで、ナマエは呪文のようなお経のようなわけのわからない言霊を唱えだした。怪しさ満点のそれは、逆によからぬものを呼び寄せそうなくらいである。
「やめんか!」
 ぞっとしたブルーが慌ててそれを止めにかかった。
 と、一人無言で城郭を見上げていたゲンが冷ややかな表情で振り返り、冷静に一言。
「騒ぐな莫迦ども。奴らが寄ってくるだろうよ」
 絶対零度のまなざしに、莫迦呼ばわりされた二人は揃って身を凍らせた。その声からは明らかに、怒気だかなんだかわからぬ緊迫した空気がひしひしと伝わってくる。元ワカツの剣豪の気迫は、あのブルーが莫迦呼ばわりされてもなお一言も返せずにいるほどだ。
 ただの酔っ払いから怖そうな酔っ払いへと変貌したゲンは、ちっ、と舌打ちして固まる二人を促した。
「ほらこっちだ、ついて来い」
 怪しげな影が飛び交う中、一人前へと進むゲンをナマエは慌てて駆け足で追った。その両側のしっくいの壁に、彼女を追うように忍の影が写っては消える。クスクスとどこからともなく恐ろしげな笑い声が聞こえきて、ナマエは半泣きになった。
「な、なんでゲンさんはあんなに平気そうなのかなあ?」
 追いながら、ゲンの平然とした様子にぶつぶつと小声で疑問を口にする。しかし悠長に考え込む暇などなかった。
「ていうかゲンさん足はやっ。待って待って~」
 考え込んでいる間にもゲンと距離が開いていたことに気がついて、ナマエはお留守になっていた足元を急がせる。
 と、その後ろからブルーの裏返った声が。
「おいコラ、俺を置いてくな!」
「早くしてください、ブルー!」
 この状況で、待てと言われて待ってやるようなナマエではない。彼女は駆け足のまま振り返り、彼を急かして再びゲンの背を追った。当然のように背中に罵声がぶつかったが、無視した。
 と、前を見ると、ゲンの目の前に落ち武者姿の影が立ちふさがっているではないか。
「あっ、ゲンさん危ない!」
 ナマエは急いでゲンの元へ飛んでいった。しかし、当のゲンはといえば刀を抜くでもなく冷静に見つめており、落ち武者も微動だにしない。
「あれ……、襲ってこない? どうして?」
 一向に襲ってくる気配のないモンスターの様子にナマエが首をかしげる。ゲンが無言のまま立っていると、モンスターはそのまま踵を返し去っていった。
「……いっちゃった」
「それにしても、奴らはなんなんだ一体」
 そこにようやく追いついたらしいブルーが肩で息をしながら、疑問を口にした。いつのまにか傷を負っているところを見ると、どうやらナマエが知らぬ間に一戦したらしい。
 と、そのブルーの背後に影がゆらりと現れた。
「彼らは怨霊だよ、くくくく……」
「ぎゃあ!」
 影の正体はヌサカーン。ブルーを存分に驚かせた胡散臭い白衣の妖魔は怪しげな笑みを浮かべながら、すぐ後ろに立っていた。
 ブルーは耳を押さえながら慌てて振り返り、闇医者と距離をとった。どうやら耳に息を吹きかけられたらしい。
「お、驚かすなヌサカーン! お前はただでさえ幽霊じみているのだから!」
 しかし当の本人は、おや、ひどいなあ、と大して懲りてない。
「でも、怨霊って本当ですか? 先生」
 ブルーのわめきを無視してナマエが問うと、ヌサカーンはふと意味深に微笑んでゲンを振り返った。
「ゲン、どうしてこうなったか説明してやったらどうだ? かつてトリニティに滅ぼされたワカツの生き残り殿?」
 ゲンがちらと妖魔の白い貌を見る。と、ふい、とその視線が外され。
「お前等には関係ないことだ」
 くるりと踵を返し、再び歩き出した。
 心なしか、その背中が厳しい。
「ゲンさん」
 呟くように彼の名を呼んだナマエは、満月を背にしてそびえたつ不気味な城郭を見上げた。
 ――目指すは天守閣、そこにブルーの求めているものがある。



 ワカツ城は、想像以上にひどい有様だった。瓦礫の城といって良いほどにかつての面影をとどめておらず、そこかしこに魑魅魍魎が跋扈していた。しかし不思議なことにモンスターは、ゲンといるかぎりでは襲ってはこなかった。やはりヌサカーンの言うとおり彼らはワカツの人々の怨霊で、ワカツ人であるゲンの存在を認めているのかもしれない。だとしたら、ゲンの心情も複雑なものだろう。
(ゲンさんにとっては故郷なんだもんね)
 ここでのおふざけはやめにしよう、と密かに胸に誓ったナマエだった。守れるかどうかはわからないが。
 目的への天守閣への入り口は、荒れ果てた道の末にあった。ほとんど崩れそうな門をくぐり、一行は城内へと入っていく。
 城の中は、外見とは裏腹に狭いものだった。さらに灯りに乏しく、回廊に至ってはほとんど暗闇の中を歩くようなもので、ブルーが陽術で生みだした火の灯りのもとおしあいへしあいしながら先へと進む。
 そしてたどり着いた頂上には。
「ここだ」
 血糊のついた障子紙の前で一言告げたゲンが、スパンとふすまを開け放って中へと入っていく。奥にがらんとした空間が広がっていて、中央にぽつりと三つの灯篭が置かれている。
 ゲンが灯篭に火をともすと、暗闇が少し退いていき中の惨状が露になった。至る所に血糊が飛び散り、年月を経て黒い染みと化している。
 恐る恐ると入ってきたナマエが、中の様子を眺めてぽつりと感想を述べた。
「うわー、ここでいかにも何か惨劇がありましたって感じですね……。いてっ」
 余計なことを言うな、とばかりに、後に続いて入ってきたブルーが無言でナマエを殴った。
「もー……、なにするんですか。あ、すいません」
 頭を抑えながらじろりと犯人を睨むと、さらに上をいく眼力でぎろりと睨み返され、彼女はしおしおと体をちぢこませたのだった。
 ゲンがおもむろにブルーに振り返り、三つの灯篭に囲まれた一点を指し示した。そこに立て、ということらしい。ブルーは無言でうなずいて、それに従った。
「いいか、今から三つの影が目の前に現れる。お前はその中から剣の影を探し当て、三つ同時に揃う時を狙って影を斬るんだ」
 中央に立ったブルーが静かに目を閉じ、深く息を吸った。
「これは己の精神力を問われる試練だ。集中せねば危険が降りかかるから、気をつけろ。準備はいいか?」
「ああ」
 ブルーが頷く。と、そこに不釣合いな声援の声が。
「頑張って、ブルー!」
「お前は黙れ!」
 青筋を浮かべたブルーに一喝され、ナマエは口を尖らせた。
「あ、酷い」
 とはいえ雇い主の邪魔をするつもりは毛頭ないので、おとなしく引っ込んだナマエだった。

 ゲンが灯篭の側を離れると、ふいに目の前にぼわりと影が現れた。どういう仕掛けになっているのかわからぬが、キインと刃が交わるような音を合図に、影は揺らめき次々と形を変えていく。
 影を斬れ――、ブルーは精神を集中させながら、ゲンの言葉を思い出して静かにその時を待った。
 と、ちり、と灯篭の火がゆれた。影が一瞬重なる。
「今だっ!」
 一瞬を見極めたブルーが、思い切り良く剣を振りかぶった。
 しかしその切っ先は影を掠め、霧散した。と思ったら、おもむろに一点に集まって何か不気味なものを形作り始めた。――不吉な予感がする。
「げ」
「あ」
 それは果たして当たった。集まった影がモンスターへと生まれ変わると、ブルーが口元をひくつかせ、ナマエはぎょっとした。
 途端に牙をむくモンスターに慌てて体制を整える。そんな中、胡坐をかいていたゲンがゆったりと立ち上がり、さも面倒くさそうに刀を抜いた。ヌサカーンが笑みを浮かべたまま、メスを取り出す。
「残念、失敗だな」
「失敗したらモンスターなんて聞いてないですよー!」
「言っただろ、危険だと」
 と、ナマエの泣き言にゲンは鼻で笑い、余裕の表情でモンスターを一刀両断したのだった。

 予想外の戦闘を強いられた一行だったが、なんとか敵を撃退することに成功した。それでも一人モンスターの集中砲火を食らった哀れなナマエはほうほうのていで立ち上がり、己の雇い主に切に懇願した。
「ブルー、お願いだから集中してくださいよう」
「煩い言われなくとも分っているっ」
 ブルーは癇癪をおこしながも、再び現れた影にむかって集中しはじめた。彼とて言われなくとも、二度はごめんこうむりたいのだ。だがそうと分かっていても、先ほどの戦闘のせいでなかなか気が立って集中できない。
「焦るんじゃない、心の目で見るんだ」
 苛立ちの募るブルーに気づいてゲンが静かに声をかける。わかっている、とばかりに、ブルーは深呼吸をし、そして。
「そこだ!」
 ――が、しかし。
「あ」
「ま、またですかーっ!」
 再び繰り返される悪夢。襲いかかってくる敵を前に、ひーっとナマエが半泣きになる。
「来るぞ!」
 ゲンが注意を促し、地を蹴った。

「つ、疲れた……」
 再びモンスターを撃退し終え、ナマエが肩で息をしながら床に膝をついた。連戦はさすがにきつい。
 ナマエとしてはこのまま休息を取りたいくらいであったが、中央に一人立つ男がそれを許すまい。げっそりとした表情のブルーは、再び容赦なく現れはじめた影と対峙しはじめている。
 ということで、テイクスリー。
「くそ、なぜ揃わん」
「目で見るな。目を閉じて、耳を澄ませ」
「……っ、わかった」
 バラバラに動く影をあくまで目で見極めようとするブルーにそうゲンが忠告する。しかしそれもむなしく。
「今度こそ!」
 気合一閃、ブルーが剣を振り下ろす。斬ったのは、モンスターの影である。
 うわああっ、とナマエは頭を抱えた。
「ブルーのばかーっ!」
「残念、はずれだ」
「やれやれ」
 ヌサカーンが肩を竦め、ゲンが重い腰をあげてモンスターをみたび出迎えた。
 がむしゃらに敵を打ち据え影を断ち切る。
 慣れない剣を振り回すブルーは、すでに疲労でふらふらだった。だがそんなふらつく足元を押さえ込み、ぎりりと歯噛みして目の前で揺れる影を見上げた。
「くそっ、もう一度だ!」
 悪態をつきながらも、額に浮かんだ汗をぬぐって剣を構えなおす。焦っては失敗すると学んだのか、今度は深く瞑想をはじめたようだ。
 静かな闇のなか、キン、キン、と規則的に音が続く。
 傍でおとなしく待機のナマエは、体を休めながらブルーの姿をぼんやりと眺めている。とはいえ、じっと待つだけでは流石に飽きてくる。ブルーの試練が成功しない限り、待つしかない身としては甚だ暇でしかない。
「暇だ、暇だああ」
 生来大人しくしていられないナマエは耐え切れず立ち上がり、影を揃えられず苦戦している雇い主へと声援ならぬ野次を飛ばした。
「早くしてくださいよー。こーんな簡単な試練ひとつに手間取るなんて、キングダムの術士が聞いて呆れちゃうわー」
 へらへらと笑いながら、いつものストレス発散とばかりに思う存分飛ばしまくる。今ならブルーの手が放せないから言いたい放題だ――との目論見だったがしかし、
「――ナマエ、あとで覚えていろ」
 ぎろり、とすさまじい形相でねめつけられる。まるで般若のような表情に流石に己の身の危険を感じ、ナマエは反射的にへこへこと頭を下げた。
「うわっ、ごめんなさいごめんなさい」
「いいか、今度邪魔をしたら、永遠にその口を開けなくなるようにしてやるからな」
 そう忠告し、ブルーは鼻を鳴らして再び構えを取る。
「それと忘れているようだが、お前が俺の邪魔をしつづける限り、お前は永遠にここを出られないんだからな」
「げっ、それ嫌だなあ」
「だから邪魔をするなと言っているだろうが!」
 それに「へいへーい」と気の抜けた返事で応えつつも、まじめに試練に挑む雇い主を前に、さすがに調子に乗りすぎたかとナマエは内心で少し反省した。が、どうせ自分は不真面目な性質である。反省するだけ無駄と思い、またのんびり構えて試練が成功する時を待つことにした。
 それにしても、と彼女は影と対峙するブルーの必死な姿を眺めながら思う。
 先ほどから、いくら失敗しようとお構いなしに容赦なく現れる試練の影。どうやらこの試練は、途中で止められない仕組みになっているらしい。
 これを止めるには、試練を成功させるか、あるいは挑戦者が力尽きるときか。想像して、少しぞっとした。


 ――そして、それから。
「……ブ、ブルー」
 今にも閉じそうな目でシパシパ瞬きながら、ナマエは雇い主の名を呼んだ。
 それに応えるように、中央に立っていた男がげっそりとした顔をこちらに向ける。その目の下には、くっきりとした隈が。
「も、もう明け方近いんですけ、ど」
 ナマエは半蔀から見える外を指示した。振り絞るように喉から出した声はもはや瀕死に近い。
 言われるまでも無く夜明けが近いことを薄々感じとっていたブルーは、外が薄っすらとしらじんできているのを改めて確認し、発狂したように頭を掻き毟った。
「ああ言われなくとも分かっている! くそ、なんでこの試練は途中で止められないんだ! よもや呪いか、怨霊の呪いだなこれは!」
 叫んで、眠気で血走った目を空中に向ける。あいも変わらず、そこには三体の影が浮かんでいた。
 言うまでもないと思うが、ブルーは見事に失敗しつづけたのだった。
 これまでに倒したモンスターの数は数え切れない。もちろん体力はもう底をついている。しかしカ●ビークオリティ並に、やめられない、とまらない。さらに続ければ続くほど、集中力はがた落ちだ。つまり、負のループにすっかりハマりきっていたのだった。
 一番初めに離脱したのが、ゲンだった。彼は壁際に寄りかかり、今はすっかり高いびきで寝入っている。ヌサカーンは善戦してはいたものの、ついには戦いに飽きてしまい、「そのまま続けたまえ」とかなんとか言い残して薄情にもどこかへ行ってしまった。というわけで、今現在生き残っているのがブルーとナマエである。
 立っているがやっとなナマエは、ヨレヨレのぼろ雑巾状態だ。彼女は落ちそうになる瞼をなんとか保ってはいるものの、ふと一瞬でも気を抜いたら眠気に負けそうである。
 と、ふいに力が抜けたのか、がくりと膝をつく。
「……うー、眠い、眠いぃい。寝たい、私寝ます、ということでお休みなさいブルー」
「寝たら、シメるぞ」
「お、お、横暴ーっ!」
 このやり取りも、もう何度繰り返したことか。
 鬼畜術士の恐ろしい視線に脅され、ナマエは仕方なくのろのろと立ち上がる。その様はまるでゾンビのごとし。
「くそ、目が……かすむ」
 と、今まで意地でも膝をつかなかったブルーが、ついに音をあげた。彼はがくりと床にくず折れると、ぜいぜいと肩で息をしながら瀕死の様相でナマエを振り返った。
「おいナマエ、代われ。もう俺はダメだ」
 えー、とナマエは弱弱しく頭をもたげた。
「無理ですよー、私集中力ないもん」
「ほう、俺の命令が聞けんのか……ならば」
 覚悟しろとばかりに、ブルーが目に陰湿な光をともしながら、ほぼ杖代わりと化している剣の柄を握り締めた。これには流石にナマエは一瞬で眠気が吹き飛び、ぎょっとした。
「な! 脅す気ですか!?」
 警戒もあらわにその場を飛び退り、力を振り絞って剣先をブルーへとつきつけた。
「この陰険術士! ここまで付き合ってやっているんだから、それだけでもありがたく思ったらどうですか!?」
「何を云う、お前に金を払って雇っているのは誰だと思っているんだ、この役立たず護衛が!」
「やっ、やくたたず……!」
 ブルーの攻撃がストレートにナマエの胸に突き刺さる。一瞬自失した彼女は、しかし次の瞬間、ぷち、ととうとう逆ギレを起こした。というか壊れた。
「ていうか、自分術士って言っているけど、けど! もしかして自称だったんじゃないですかあ!? こんな試練一つ乗り越えられないなんて! オホホホホ!」
「な、んだと貴様ー!」
 ぶちり、と。今度はブルーの血管が一本途切れたようだ。
 ――まさしく売り言葉に買い言葉。それまでの疲労やストレスがとたんに爆発し、壮絶な舌戦が勃発した。眠たさもあいまってお互い容赦がないのか、放送禁止コードぎりぎりのきわどい言葉が二人の間を幾度も飛び交った。
「だいたいお前は俺の足を引っ張りすぎるんだ! 自称役に立つ護衛? ――ハッ、それにしては剣よりも口が達者なようだが、もしかして詐欺師の間違いではないのか!?」
「きーっ、誰が詐欺師ですってこの鬼畜術士! というか、その詐欺師風情に何度も助けられてきたのはどこのどいつだったかしらあ!?」
 試練も影もすっかり無視で、ぎゃいぎゃいと取っ組み合って罵りあう。途中でうっかり影に触れてしまってモンスターが現れたような気もしたが、哀れにも二人の戦いの巻き添えを食らってそのまま儚く消滅していった。
 と、洋々その騒ぎにゲンがごそごそと起きだしてきたようだった。
「うるっせえなあ、何の騒ぎだ……ってオイ」
 眠い目をこすりながら絶賛舌戦中の二人のほうに顔を向けたゲンは、おもむろにその目を点にした。”頭上のもの”を放っておいて、いったい何をやっているんだあの二人は。
「おい。……おい、お二人さん」
「「なんだ!?」」
 勢い良く振り返った二人の声が、ステレオ放送のように見事にハモる。その剣幕に多少びびったゲンだったが、何事も無かったかのように飲み込み、おもむろに二人の頭上を顎でしゃくってみせた。
「揃っているぜ、剣」
「え?」
 二人は一瞬ぽかんとした。ついで、ゆっくりと指し示されたほうを見上げる。
 そこには。
「……やっ」
 どちらかの口から、声がもれた。
 ――頭上に輝くのは剣。
 もはや試練の影はどこにもない。どうやら先ほど無我夢中で争っていた際に、どちらかの攻撃で偶然にも影斬りに成功したらしかった。
 先ほどまでの熾烈な争いは一体どこへやら、二人は我を忘れて頭上の輝きに見入った。
 と、ブルーの懐に仕舞われていた白のカードがふわりと何かに引き寄せられるように宙に浮く。光は誘われるようにそのカードにしゅるりと吸収されていき、カードに剣の模様が刻まれる。それはゆっくりと回転しながら降下していき、すんなりと彼の手に収まった。
 その様子を、息を詰めて凝視していたナマエは、感動に声を震わせながらブルーを見上げた。
「や、や、やりましたねブルー」
「あ、ああ……」
「やったやったー! 剣のカードゲットォー!!」
 こらえきれず彼女は歓喜の声をあげ、我を忘れて茫然自失としているブルーに飛びついた。うわっ、と突然のことに彼がよろけ、耐え切れず一緒にしりもちをついてしまった。どすん、と鈍い音が響く。
「い、いきなり抱きつく奴があるかっ。ナマエ、……ナマエ? ――おい!?」
 己の上に乗っかる人間を慌てて除けようとしたが、肝心のナマエはぐったりとして反応がない。いったいどうしたんだ、まさか先ほど頭でも打ってしまったかと少し青くなったブルーは急いで身を起こし、俯いていたナマエの体を上向きにひるがえすと。
「……」
「寝てやがるぜ」
 近くに寄ってきたゲンが、ナマエの顔を覗き込んで呆れたようにつぶやいた。
 何のことはない、無事試練が成功したと安心した途端、眠気に負けてしまったのだろう。
 ナマエはブルーの膝の上で、幸せそうな顔で安らかな寝息を立てている。
「あほ面……」
 心配かけさせやがって、とブルーはほっと息をつく。ふいに、幸せそうに眠る彼女の頬を無性につねりたくなったが、彼女の眠りを妨げたくなかったので我慢した。
 ……呆れたのか安心したのか、自分でも良くわからない。
「なんとも平和な寝顔だねえ」
 ナマエの寝顔を眺めていたゲンがくつくつと笑う。と、彼が指で彼女の頬をつつこうとしたので、ブルーはとっさに自分の法衣の中にナマエをさっと隠した。
「お」
「……あまりじろじろ見るな」
 ブルーは自分の、らしくない行動に頬を赤らめている。自分でも不可解な行動だと思ったのだろう、内心で何かと葛藤しているようだったが、それでもゲンへの威嚇は忘れない。
 なんだ、そういうことか。その様子にゲンは笑いをかみ殺した。
 その時、室内に一条の光が射しこんできた。
 誘われるようにブルーが顔をあげた時、ゲンが立ち上がって半蔀を押し開いた。途端、まぶしい程の光が入り込み、室内を明るく照らし出す。
 あまりのまぶしさにブルーは目を覆う。ゲンは彼に背を向けたまま、その身に暁光を浴びながらワカツをじっと見下ろしていた。
「……朝だな」
 ワカツ城に、朝日が昇る。

 何かを振り切るように、ゲンは向き直った。そして、神妙な顔をしているブルーにニッと笑いかける。
「さあて、帰って一杯やってから、ゆっくり寝るとするかぁ」
 その提案に、ブルーは珍しくも少しぎこちない微笑を浮かべた。
「特に異論はないな。……ところでヌサカーンは?」
「知らん」
 ゲンの素っ気無い返答にブルーは肩を竦める。もとより望んだ答えはあまり期待していない。それにヌサカーンのことだ、放っておいても大丈夫だろう。
 彼は手に持っていたカードに一度目を落とし、そっと懐にしまった。秘術の資質を得るまで、残りはあと二枚。また、情報収集から始めなければ。面倒ではあったが、少なくともまだ仲間とのにぎやかな旅が続くのだと思うと、さほど悪くない心地だ。……とはいえ、賑やか過ぎるのも考え物だが。
 ブルーはナマエの寝顔を見下ろし、起さぬようそっと抱き上げる。そして今一度ワカツの朝日を眺め。
「――クーロンへ」
 おもむろにリージョンゲートを開き、静かに目指す場所の名を告げる。
 しゅん、という音と共に、彼らの姿は眩しい朝の光の中に消えていった。