今宵、月の下で




 ブルー一行は、ただいま京に来ていた。
 京、といえば異国情緒溢れるリージョンで有名だった。和を感じさせる建物が其処かしこにあり、風情溢れる庭園が中でも一番の人気だった。若い娘の間で、プチ旅行としてこの京を訪れるのが、近頃流行りらしい。
 だがしかし、我等がブルーがそんなプチセレブな気分を味わう目的のために訪れるわけがない。
 つまり、術マニアブルーは今日も今日とて術のために奔走する日々を送る――。


「うわあ、京ってやっぱり雰囲気良いですよね~」
 京に降り立ったナマエは、早速いつもの如くはしゃぎながら庭園に駆け出した。その後にヒューズが続き、ゲンが続いて(中略)……、ブルーが最後に降り立った。
 ブルーはあきれたように、浮かれるナマエに声を張り上げた。
「おい、遊びに来たわけではないんだぞ」
 するとナマエはくるりと振り返って、相変わらず頭の固いブルーに肩を竦めた。全く、少しくらい羽目を外すのは見逃して欲しい。
「はいはい分ってますよ、ここで術の情報を探しゃいいんでしょ?」
「何だその口の利き方は」
 ナマエの不真面目な態度にブルーがむっと口を曲げる。ナマエは、そのいつもの如くブルーの高慢な態度にこそ「アンタこそ何でそんな偉そうなんだ」と思ったが、思うだけで止めといた。言ったら言ったで、またいつもの如く子供のような喧嘩が始まるだろうから。
 だが、そう思って「はいはい」と適当にあしらったナマエの態度すらもどうやらブルーの反感を買ったらしく、ますます彼の眉間には深い皺が刻まれた。つまりどっちにしてもナマエはブルーと喧嘩になるらしい。毎度毎度のことながら、ブルーとの相性はもしかしたら凶どころか最凶なのかもしれない、とつくづく思うナマエであった。であるにも関わらず、ブルーとの縁がこれまた一向に切れないのも不思議なことで、もしかしたら二人は深い深い絆で(それも恨みとか辛みとかいう余り嬉しくない類の)結ばれている故に離れられないのかもしれない。はあ、いやだ、それは流石にいやだ。
 と、ナマエの妄想は知らぬ内にヒートアップして(本人は至って本気で悩んでいるらしいが)、一人どんよりとした空気をそこに作り出しているが、本人は一向に気付かない。というか、マイペースな仲間達にいたっては彼女の様子に気付きすらしない。
「いいねぇ京。京といえば着物美人だ」
「君は煩悩に素直だな、ヒューズ君」
「…………(まあそう言う奴だから仕方ない)」
「いやいや、やっぱり京といえば”サケ”だぜ、”サケ”!」
「ゲン様、体内のアルコール濃度上昇中、これ以上の飲酒は危険です」
 ……なんとも薄情なやつらである。と、ナマエはじと目で盛り上がる仲間達を見詰めていた。ちなみに上から、ヒューズ、ヌサカーン、サイレンス、ゲン、T260G、の順である。

 だがそこはリーダー、ブルーの出番である。仲間たちの緊張感のない会話に、彼はとうとうぶち切れた。
「ええいお前等、少しは真面目にせんか!」
 一喝に仲間たちの会話は止まり、渋々とした様子で術について話し始める。
「術って言ってもなぁ……、おい蝶々! お前、パトロールだろ、何か知ってねぇか?」
「……(そんな都合よくパトロールを持ち出すな)」
 ゲンがめんどくさそうに言えば、サイレンスはふるふると頭を振る。
「……(ナマエは何か知らないか?)」
「え、私ですか? いや、残念ながら、京はあんまり来た事がなくて。あ、先生なら何か知っているんじゃないですか?」
 と、ナマエがヌサカーンに振ったその時、突然ヒューズが何かを思い出したように声をあげた。
「あ~そういえば、俺、前に京で術の修行したっけなぁ」
「術?」
 ヒューズの一言に、一同は声をそろえた。そして、ブルーを振り返ると。
「行くぞ」
 不遜気な笑みでブルーは頷く。果たして、目的地は決まったのだった。



「お、ここだぜ! 懐かしいなぁ此処の修行場」
 と、一行がとある建物の前に到着した時、ヒューズが声をあげた。成る程確かに見てみれば古めかしい建物の扉の看板には”修行場”と綴られており、ヒューズの記憶が正しい事を示していた。成る程、クレイジーな頭の持ち主でも偶には役に立つらしい。
 ナマエは、早速一番乗りで道場の中に乗り込んだ。中には受付に老婆が番台の向こうに一人いて、この修行場と術の説明をしてくれた。
「へえ、心術かぁ」
 術自体はヒューマンしか獲得できないらしいが、しかし聞いてみれば意外と便利なものが揃っているらしい。それに、術は術だ。ナマエは、リーダーを振り返ってにっと笑った。
「じゃあ早速行っときましょうか、ブルー」
「無論だ」
 ブルーは厳めしい表情で、頷いて見せた。

 修行の内容の説明を一通り聞き、受付を済ませ、いざ修行場に向かおうとした時だった。ナマエ、ゲンと続いて、ブルーが扉を潜ろうとした時、「これこれ」としゃがれた声が彼を呼び止めた。
「これ、そこな若いの、待ちなさい」
 呼び止められ、ブルーは「何だ?」と苛立たしげに振り返った。
「残念ながらお主には資質が備わっておらん。修行を受けても、心術は獲得できんじゃろ」
「――なんだと?」
 唐突な言葉に、ブルーの目が不機嫌そうにすっと細められた。
 先に修行場に入っていたナマエは、何事かとひょっこりと顔を出し、事態を理解して「ご愁傷様」と言った様にひらひらとブルーに手を振った。
「あらまぁブルー、残念。というわけで、私達はちょちょいと修行してきますので、ちょっと待っててくださいね」
 その態度に、ブルーの不機嫌さはぐんぐん上昇する。
「解せん。何で貴様が習得できて俺が出来ないんだ」
「そりゃあ心術なだけあって、心が素直じゃないと習得できないんでしょう。冷酷で鬼畜で人使い荒い何処かの誰かさんじゃあねぇ」
 へらへらと小ばかにするように笑いながら言うナマエに、ブルーは舌打ちし、おもむろに老婆に詰め寄った。
「ち、言いたい放題言いやがって……。おい老婆、俺が取得できないのは、どうしてだ」
「……それは、お主が一番分っているじゃろうて」
「それが分らないから聞いているのだ」
 苛立たしげに言うと、老婆は皺だらけの目をすっと細めた。
「それは――」
 少し、間があった。
「――お主の心が割れておるからだ」
 瞬間、すう、とブルーの顔から色が抜けたのを、ナマエは不思議な面持で見詰めていた。





 ――ちりちりと鈴虫が鳴っている。
 京に唯一ある宿の縁側に立ったナマエは、夜の朧な光にしっとりと沈む庭園をぼんやりと眺めていた。いや、正しくは、先ほどからずっと庭に佇む男の背を、見詰めていたのだ。

 あれから修行を終らせ無事に心術を獲得したナマエたちだったが、顔色の優れないブルーの様子からその後は遊びまわりもせずにすぐさま宿を取ったのだった。その宿がこれまた趣きあるところで、温泉もわいているということでナマエとゲンとヒューズが大喜びした(だがヒューズあたりは混浴を期待していたらしいが、別々だとわかって少し肩を落としていた)。
 出された食事も美味しく、温泉につかってほっこりとなったナマエがさあ部屋に戻ろうとしたときに、見てしまったのだ。
 ブルーが、一人庭園に降りる姿を。
 彼もまた温泉につかったのか、髪はさらりと後ろに下ろされており、ナマエと同じように藍色の浴衣を纏っていた。その姿は普段の彼からかけ離れていて、まるで別人に見えてしまう。
 どこか寂しげな、頼りない姿であった。
 それは声を掛けるのに躊躇ってしまうほどで、しかしといってこのまま放っておく事も出来ないような、そんなあやうげな空気を纏っている。ブルーにこんな繊細な一面があったなんて、とナマエは実に不思議なものでも見ているかのような気分になった。あの高慢ちきブルーでも物思いに耽ることなんてあるんだ、ナマエは己の考えに苦笑した。彼とて人間だ、悲しみもすれば、喜びもする。
 ナマエは思い立って、庭に降り立った。じゃり、と砂が擦れる音がたって、ブルーがこちらに気付いたようだった。
「……寝付けないんですか?」
 声をかけると、ブルーが振り返ってナマエを認めた。だが、無表情のまま一言も発しない。不機嫌と言うわけではないようだが。
「どうしたんです? こんなところで」
 ブルーの隣に来たナマエは、構わず彼の顔を覗き込んだ。すると、ブルーはその視線を避けるように横を向く。
 ――ちりちり、と虫が鳴く。
 彼の顔が、少し色を失っている事に気付いて、ナマエは昼間の彼の様子を思い出した。心が割れている、と言われたときの、彼の様子を。
「昼間の事を気にしているのですか? だったら、気にしなくてもいいと思いますよ。貴方の心が、割れている筈ないじゃないですか」
 少し軽い調子でそう云うと、ブルーは初めて重い口を開いた。
「……いや、あの老婆の言葉は正しい。俺の心は、――割れている」
 ナマエの目が見開かれる。
 ―― 一瞬、全ての音が遠ざかったような気がした。


 じゃり、砂を踏む音がして、ブルーが適当な石の上に腰を下ろす。ナマエはその音にはっとし、耳から遠ざかっていた虫の音が戻ってくるのを感じた。
 月の光に照らされたブルーの姿はどこか神秘的で、近寄り難い。銀糸が淡い光を纏って輝き、整った横顔が一層儚く見えた。
「……キングダムが双子の術士に下した宿命の話は知っているか?」
 静かな声で不意に切り出された言葉に、ナマエは戸惑った。
 どう答えるべきか、しばし迷う。古今マジックキングダムがより高度な術を追求させるために、双子の術士を互いに競い合わせるという風習があることは、ナマエも聞き及んでいた。
 そして、競い合う二人が最後に辿り付くところは。
「殺しあう、というのは、本当ですか?」
 ブルーの表情が沈んだ。
「知っていたか」
 ああ、とナマエは目を細めた。
 あれほどがむしゃらに術を求めていた彼の真意が、たったいま、分った。分ってしまった。
「……双子なんですね?」
 確認するように訊ねると、ブルーはつと目を伏せた。
「どうあっても、殺しあわなきゃいけないのですか?」
「ああ」
「それは、キングダムの教えだから?」
「……ああ」
 ブルーの顔が苦しげに歪んだ。
「キングダムは絶対だ。――いや、絶対……だった」
「”だった”?」 ナマエはふと瞬いて、ブルーの横に立った。「今は?」
「今は、……分らない」
 迷うように呟いて、ブルーはナマエを見上げた。アイスブルーの瞳が、揺らめく。
「俺は不完全だ」
「……」
「片割れを殺さなければ、完全にはなれない、未熟な人間なんだ。……あいつを殺さなければ、俺の心は不完全なままだ」
 ブルーはふと自嘲する。昼間、老婆が告げた言葉は実に真実を見抜いており、それゆえにブルーは動揺した。
 心が割れている。つまり、どう足掻いてもブルーは完璧にはなれない。いつでも完璧を目指してきたブルーにとっては耐え難い事実であり、故に片割れの存在を知らさせた時はその男を憎み殺すことだけを考えてきた。ブルーは、果たしてキングダムが望んだとおり、更なる高みを目指すべく奔走する。当初は己の片割れを殺すことに、何の疑問も抱かなかった。
 だが、外の世界に出て色々な人々に触れるうちに、初めての仲間が出来その優しさに触れるたびに、彼の中の常識は音をたてて崩れていった。果たして、これで良いのかと。キングダムの教えは絶対。そう信じてきたことに、俄かに疑問がもたげる。そして疑問は、ブルーの中で苦しみとなった。仲間の優しさに触れるたびに、それはブルーを苦しめた。
 そうだ、ブルーは人知れず苦しんでいたんだ。ナマエは、彼の苦悶にずっと気付けずにいた自分に愕然とした。今までずっと、こんなに彼のそばにいたのに。
 そんなことない、とナマエは微かに震える声でブルーの言葉を否定した。
「ブルーは、ブルーは人間です。怒りもするし泣きもするし、笑いもする。貴方、意外と表情豊かなことに、自分で気付いていないのですか?」
 ふ、とブルーは苦く笑った。
「俺は、お前からすれば冷酷で鬼畜で人使い荒い非道なんだろう?」
「それは……」
 言葉に詰まったナマエを、ブルーは自嘲するように見上げて、つと視線を落とした。
「お前も、馬が合わない奴なんかの護衛なぞ、いつまでも律儀に続けんでいいんだぞ?」
 暗に自分から離れていい、との意味を含んだ言葉に、ナマエはかっとなった。ぐい、とブルーの手を取り、戸惑う彼を睨みつけるように覗き込んだ。
「なに気弱なこと言ってんですか。私は、一度差し出された手を、たとえ気に食わないからといって、容易に離すような人間じゃありません」
 だが、ブルーは戸惑うように視線を惑わせ。
「ブルー」
 ナマエは、あれほど長く傍にいながらも自分が全く彼に信頼されてない事に悔しげに眉宇を寄せた。なぜ、あれほど喧嘩が絶えないながらもナマエがいつまでもブルーの傍に居たがる理由が、どうして彼に伝わらないんだろう。いつもいつも御小言ばっかり聞かされても、どうしてナマエが愛想をつかして離れていかないかを、どうして彼は分かってくれないんだろう。
 ナマエは掴んでいたブルーの手を頬に押し当てた。そして、万感の思いを込めて彼を見上げる。
「一体どう言ったら伝わるんです? 貴方が……、――貴方を、わたしは」
 言葉が続かない。ナマエはもどかしくなって、ブルーを必死に見詰めた。
ナマエ……」
 ブルーはそんなナマエの物言いたげな瞳にすっと目を細めた。どこまでも純粋な思慕の光を浮かべるナマエの瞳は、少々まぶしい。
「お前は本当に物好きだな」
 言って、ブルーは微苦笑した。
 ナマエの頬に押し当てられていた手をゆるりと動かし、彼女の頬を愛しげに撫でた。手の平から伝わるのは、これまでに味わったことのないような温かな感情で、何故だか手放し難いと感じる。
 死ぬ筈がないと思っていた、今までは。自分の死など、考えた事もなかった。だが、今、死にたくないと思っている自分がいる。いや、正確に言えばこの生が惜しいと……。この、直ぐ傍にある温もりを手放すのが、惜しいと感じられる。
 ブルーは、ナマエの瞳をじっと見つめた。
「俺は……」
 次の言葉に、言い淀む。
 それを言って、呆れられはすまいかと。瞬時に不安が過ぎる。
 ブルーは、そんな自分に自嘲して、つと目を伏せた。
「俺は、――怖いんだ」

 瞬間、とん、と軽い衝撃とともに、あたたくて柔らかなものがブルーを包んだ。
 驚いたブルーが瞠目し、その正体を知ってさらにその瞳は見開かれた。
 ナマエが、ブルーを包み込んでいる。いや、これは、しがみ付いているのだろうか。とにかく、ブルーは直ぐ目の前にあるナマエの首筋から仄かに香ってくる甘い体臭に体がかっと熱くなり、思考がくらくらと回るのが分った。
ナマエッ?」
 慌てて声をあげると、ナマエはしがみついて離れない、とでも言いたげに益々強く抱きついてきて、ブルーは尚更慌てた。
 だが、ふいにくぐもったような声が彼の耳に届き、ブルーは硬直した。
 それは、どんな熱烈な告白よりも激しく、どんなに切ない哀願よりも揺さぶられ。

「――いかないで、ください」

 ただそれだけを、希う。


 今宵、月の下で――。