はじめまして
「はじめまして、カンバーランドの密偵殿」
呆気に取られる私の前で、プラチナブロンドの麗人は、煌びやかに微笑んだ。
「私が、ジェラールだ」
又の名を、バレンヌ帝国第二十七代皇帝ジェラール。
――まさしく、その人であった。
長い長い歴史を誇る強大なバレンヌ帝国に、また新たな皇帝が誕生した。なんでも、その方は、彼の伝説のレオン皇帝その人の血筋を受け継ぐ者だとか。噂によると、たいそう眉目秀麗らしい。その上、文武両道、とくれば、完璧であろう。その男が、この帝国の皇位を名実共に受け継いだ。帝国開祖より、第二十七代目、であった。
それはもう遡れば化石にでもたどり着きそうなくらい(それは流石に言い過ぎだが)古い歴史を持つこの帝国は、大陸の一部からはじまり、徐々に勢力を拡大、今では大陸全土にまで及ぶほどの強大な領地を有している。前人未到の僻地を除くあらゆる地において、この国の権力が届かぬところは無いのではないだろうか。それほどに、強大な権力を有していた。
そして、バレンヌ帝国といえば、の第二の有名な特徴がある。それは皇位継承権。大抵の国では、皇位又は王位継承権は、時代の権力者の子息が継ぐ事が一般とされているが、しかしこの帝国においてはさにあらず。つまり、世襲制ではない。時代の皇帝が、次の継承者を自由に決められるのである。そして継承者は、その昔皇帝レオンが、今は伝説の古代人から受け継いだ伝承法という術により、歴代皇帝の力と共に皇位を継ぐのである。
それは一重に、歴代皇帝達の悲願である七英雄を倒すために。度重なる戦の末、今はとうとう残り三人を残すところまで来ている。
と、まあ前書きはこれくらいにして。
帝都アバロンに入ると、まず旅人の目に入るのが、アバロンの壮麗な宮殿であろう。堅牢な門をくぐると、一直線に伸びる道の終着点に、白を基調とした大きな大きな建物がある。それが、皇帝の住まい。
市街は綺麗に整備されており、中央には市民の憩いの場である広場が、西に進めば大学や研究所などの施設が、東に行けば貴族街に突き当たる。身分差は確固としてあったが、それでも帝国の自由を愛する風潮ゆえか、一般民が上へ登ろうとすれば幾らでも道があった。それこそ、皇帝に拝謁するチャンスがあれば、千が一、万が一でも次代の帝位を継承することさえ不可能ではなかった。
――そんな帝都にて。
中央路の道なりに面した一角に、小さな小さな建物があった。左右の建物に押しつぶされたように建つそれは、二階建てになっており、日当たりはあまりよく無さそうだ。
しかし、早朝から夕方まで、そこに人が途絶える事は無かった。何故なら、そこは、診療所であった。丁寧な診察と、適切な処置、そして良心的な診療費と、三拍子揃って訪れる患者も様々だ。
そんなこともあり、この小さな診療所は、この帝都でそこそこ有名であった。
――大聖堂の、鐘が鳴っている。
いつものように帝都に鳴り響く鐘の音を耳に、私――ナマエは、ふと薬草を片していた手を止めた。開けっ放しになっている戸から伺う帝都は、黄昏時の美しい色に染まっていた。もう少しすれば、あたり一体に夜の帳が訪れるだろう。
出口に向かい、外に身を乗り出してみると、どこからか香る美味しそうなシチューの匂いがした。うん、良い匂い。ああそうだ、今晩はうちもシチューにしよう。唯のシチューではつまらないから、故郷のように鹿肉と豆をたくさん入れて。
今日の献立を考えつつ、うんと伸びをする。戸にかけられた”OPEN”の小さな看板を、”CLOSED”にひっくり返した。鐘の音は、店じまいの合図だった。
直ぐ目の前にある広場では、吟遊詩人が噴水に腰掛けて、美しい音色と歌声を響かせていた。その内容は、先日誕生した新たな皇帝と、古の皇帝達を讃えるような唄だ。
(そういえば、貨幣が一新したんだっけ)
風習により、新しい皇帝がたつ度に、貨幣は一新していた。全ての種類ではないが、貨幣には、新しい皇帝の横顔が掘り込まれている。今回は、銀貨が新しく生まれ変わる事になり、表には皇帝、裏にはアバロンの紋章が刻み込まれていた。その彼の人の横顔は、たいそう端麗なもので、年頃の娘たちが色めき立っていたのを思い出す。
それほどの経済力を有するこの国、私は故郷を思い出し、少し羨ましくなった。さて新皇帝は、いかほどの器量か、どういう政策をとるのか、ここからでもはっきりと見えるアバロン宮殿を眺めつつ、その未来に思いを馳せる。前皇帝は、諸国とは友好策をとってきたが、もし、今の皇帝がその態度を崩すなら、すぐさま何らかの対処を取らなければいけない。友好を保ってきた国への態度が、皇帝が変わった途端に、掌を反されたことは、数ある歴史の中で少なくはなかった。逆もまた、しかり。
――私は、薬師だ。だが、ただの、ではなかった。
「……っと、こんなことをしている場合じゃない。早く片付けて買出しにいかないと」
急がないと、売れ残りしか手に入らなくなっちゃう。そう呟いて、私は後片付けを早く終らせるべく、家の中へと戻る。
薬草を棚に戻し、使った器具を消毒し、汚れた布は洗濯籠へ。全て片付け終わったところで、テーブルに無造作に置かれた綺麗な藍色の石に気付き、私は苦笑した。不思議な石で、光によって色彩が変化する。藍から青、碧、紫へと。
『困った事があれば、ナマエ先生のところへ行け、と言われたんです』
店も終わりごろになって訪れ、非常に困った瞳でそう告げた少女の顔を思い浮かべる。綺麗な服を着ていたから、おそらくはどこかの貴族の娘だろう。
「だからといって、流石の私でも、恋煩いは治せないよねぇ」
動悸が止まらない、と聞いて、最初はやっかいな心臓の病かとも思ったが、話を聞いていくうちに、それが恋煩いだと気付いた。だけどあえて話を全て聞き、少女には、それは少女自身にしか治せないもので自分ではどうしようも出来ない、と告げ、鎮静効果のあるハーブティを渡した。そして、故郷に伝わる恋のおまじないを伝える。
少女は、明るい顔で帰っていった。お代に、この石を置いて。
「今度、占やでも開業しようかしら」
つぶやいて、私はぷっと吹き出した。一人住まいが長いから、独り言なんて日常茶飯事だ。
石を棚に飾り、私はショールを肩に羽織った。そして、籠をもって買出しに行こうとした時、その人は突然訪れた。
「――邪魔をする」
カタン、と戸口の方で音がしたと思ったら、そんな台詞と共に人が立っていた。
「ごめんなさい、今日はもう店じまいなんで……す」
綺麗な声の人だなあと思いつつ、振り返ると、私はそれこそ言葉を失った。
なんか。
なんか、もの凄い綺麗で美しくて麗しくって、それでいてすごい威圧感がある人が、立っている。ブロンド、いや、プラチナブロンドの長い綺麗な髪が、ごく緩くウェーブを作っている。均整のとれた体、男の人だ。まるで、有名な芸術家が丹精込めて彫った軍神が、そのまま動き出したような。
「そうなのか、それは残念だ。街で噂の、腕の立つ薬師殿に、是非逢いたかったんだが」
呆気に取られていると、軍神がそう告げてきた。
「あ、それなら私のことですけれど」
慌ててそう返すと、不意打ちに微笑まれて、硬直した。
「そうなのか、君が」
彼は一歩中に入ろうとして、ふと思い返したように立ち止まった。
「入っても良いかい? あまり、時間は取らせない。少しで良いから、君の時間を私にくれ」
正直、そんな言い様をされた経験は少なかったので、ぽかんとした。聞き様によっては、なんとも尊大な台詞。まるで何処かの王侯からの命令のようだったが、不思議と目の前の人の口から発せられると不自然じゃなかった。
身なりは立派だし、腰に剣を差しているから、もしかして、貴族の方かもしれない。あるいは、それ以上。
「診療が目的ではないのですね?」
「ああ」
「どうぞ、狭いですが」
促がすと、彼は礼を言って戸をくぐって入ってきた。
近くで見ると、やはり彼がとても綺麗な顔をしているのが分る。中でも、彼の瞳には特に惹かれた。美しい蒼、いや、碧? まるで、あの少女のくれた石のようだ。
「ジェラールだ」
手を出され、彼に見入っていた私は、慌てて返事を返した。
「あ、ナマエです」
出された手に応えるべく、私は自分も手を出そうとしたが、知らず掌に汗が浮かんでいることに気付き、慌てて衣服で拭った。
「素敵な家だね」
ソファに座った麗人は、家の中を見回してそう云った。ああ、なんかソファが見劣りして見える。気に入っていただけに、内心少しがっくりしながら、私はお茶の準備をする。
「あはは、汚い家ですけれど、でもこの手狭さが気に入っているんですよ」
分る様な気がする、と麗人は言った。
「私の住んでいるところは、無駄に広くて困る」
すごい厭味だ、私は内心つっこみながら、麗人に紅茶と、昨日焼いたクッキーを出す。彼は、ありがとう、とそれを受け取る。私も、椅子を引っ張ってきて、彼の斜め向かいに座った。
「家は近いんですか?」
「うん、まあ、近いといえば近いかな」
近い? では、貴族街ではないのか。商家か、あるいは高級宿の上室を借り切っているのだろうか。
「美味しいな。この紅茶は、良い香りだ」
そう言って、彼は微笑む。魅惑的だ。
「あ、ありがとうございます」
私は、自慢じゃないが、こんなに綺麗な人を相手にしたことが無い。故に、今、すごく緊張しているのが、自分でも嫌というほどよく分かった。だから、私が正体不明の客人に、故郷の家庭ではよく焼かれる掌ほどもあるクッキーをだしてしまったのは迂闊だったし、そして故郷で御茶する時にいつもやるようにクッキーを紅茶のカップを覆うようにのせてしまったのも、全くもって迂闊だった。彼が、私の動作に無言で注目していたことにも気付かない。
「……カンバーランドでは、そういうお茶の風習があると聞いていたが、本当のようだな」
「え?」
ややあって、薄く微笑んだ彼の口から出てきた故郷の名前に、私は心臓が止まる思いだった。
――カンバーランド、ここアバロンからオレオン海を隔てて東に渡ったところにある国、帝国の統治下にはあるが独自の自治権を認められており、事実上はカンバーランド王家の人間が政治を行っている。それゆえひとつの国として認知されている訳で、帝国とはかなり昔より国交があったが、しかし皇帝によっては国交が途絶えた時期もあった。今現在、いや、前皇帝の時代までは帝国とは友好国であり、そして私の故郷だ。
それを、何でこの人が知っているんだ。ぐるぐると廻る思考の中、私は彼の横顔を見詰める。見れば見るほど端整な横顔だ。まるであの硬貨に描かれたあの人のように――。
(あ、れ?)
もしかして。いやまさか。
「うん、うまいな」
固まって動かない私を尻目に、麗人は私がしたように紅茶の湯気で蒸らしたクッキーを口にした。
「あ、あの」
「――そろそろ本題に入ろうか。あまり、手間を取らせても悪い」
彼はうろたえる私を見て、苦笑してカップをソーサーに置いた。
「薄々気付いているんだろう? 分らない振りをしなくてもいい」
私はその言葉に、ごくりと唾を飲み込んだ。
どうしようか、単刀直入に貴方が皇帝ですかと問うか。しばし迷った後、私は無言で真新しい銀貨を取り出し、新皇帝が描かれた表の方を彼の前に突き出した。”これは、貴方か”、という問いを含めて。
すると麗人は頷いて、くすくす笑った。
「よく似ていると思うよ、自分でも」
カシャンと、思わず、硬貨を取り落とす。
「な、な、な、なんで」
最大限に動揺を露にする私に、その人――麗人、いやジェラール……陛下は、嫣然と微笑んだ。
「この国の情報網を、甘く見てはいけないよ」
どこに耳があるかわからない、と耳元で囁かれる。
「はじめまして、カンバーランドの可愛らしい密偵殿」
バレていたのか、最初から。私は、唖然と新皇帝を見詰める。
「改めて、私が、第二十七代皇帝ジェラールだ、一応」
一応って何だ一応って、と極度に混乱していた私には、それにつっこむ余地さえなかった。
「この国の代表として、挨拶をしておこうと思って」
彼は、そう言って居住まいを正した。
「率直に言う。私は、貴国とは今までどおりの交流を望む、一切の戦を仕掛けないと誓おう、とカンバーランド王に、伝えてはくれないか」
落ち着いた力強い視線に、はっとする。これは、政治的な、しかも極めて重要な取引だ。呆けている場合ではない、と己を叱咤する。
「承りました。そのように」
一度椅子から立ち上がり、床に跪くと、神妙に頭を下げた。
「宜しく頼む」と言った彼は、立ち上がり、私の元まで近寄った。不思議に思っていると、陛下自らも床に膝をつき、覗き込んできた。顔が近い。
「それと、もう一つ用件がある」
「な、何でしょう」
赤くなりながらも、問うと。
「私専属の、薬師にならないか?」
媚薬のような笑みで告げられた言葉に、頭が真っ白になった。
「……」
これは、俗に言う、ひきぬきというヤツだろうか? カンバーランド王の部下ではなく、自分の部下になれということか。もしくは、言葉どおり、王宮仕えの薬師になれということか。それとも、まだ深い意味があるのか。
「……それって」
どういう意味ですか? 私が混乱していると、彼はくすりと意地悪そうな笑みを浮かべる。
「まあ、要するに、単なるナンパ、かな」
「な、ナンパ!?」
「考えておいてくれ」
笑いながら、彼は立ち上がった。すっと手を差し出されると、私は恐縮しながらもそれを取って立ち上がった。
「これから宜しく、ナマエ殿」
そして私は、彼のとった次の行動を、一生忘れられないだろう。
未だ彼の片手の中にある私の手をゆっくりと持ち上げ、そしてそれは彼の口元にたどり着いた。そして、ごくごく自然に、まるで令嬢に挨拶するかのように手の甲に口づけたのだ。またこれが随分と様になる。
「……っ!」
「又、来るよ」
真っ赤になって言葉もない私に、彼は爽やかに告げて戸口へ向かう。
とうとう私は、完全に参りましたと、音をあげた。
「も、もう来ないで良いです~~っ!」
情けない声に、この国一番の貴人は、くすくすと楽しそうに笑うだけだった。
なんだか、これから忙しくなりそうな予感たっぷりだ。