色白
今朝登朝すると、朝一番になんだか妙に血色の良い賈充殿と出会った。
「おはようございます。賈充殿、今日は何だか顔色が良さそうですね」
「ああ、そうだな」
挨拶をすると、なんだか返事が素気ない。というか微妙に会話がかみ合ってない。
まあ賈充殿でもそんなこともあるかもしれない。なんてあまり気にせず、すれ違い様の挨拶を交わし、私は自分の執務室へと向かった。半分くらい進んだところで、はっとして来た道を慌てて引き返した。
顔色のいい賈充殿なんてありえない。あるとすれば、それはつまり。
賈充殿の執務室を訪れると、彼は既に机に向かって墨を磨ろうしているところだった。その顔色は、やはり血色がいいと云えるものだ。
「賈充殿、ちょっと失礼します」
どたばたと入室して、一言断りを入れると、おもむろに賈充殿の額に触れた。その温度は尋常でない熱さで。
やっぱり! と思わず叫んでいた。
「顔色がいいんじゃなくて熱が出てたんじゃないですか!」
「うるさい。頭に響く」
賈充殿が顔をしかめる。しかし額にかかる私の手を払いのけないあたり、やはりいつもの賈充殿じゃない。
「じゃなくて、なに普通に執務やろうとしてるんですか!? ちゃんと休んでくださいよ」
墨を磨ろうとする彼の手を押し止め、椅子から引っ張り上げ隣の寝台がある休憩室へと連れて行こうとする。
賈充殿はされるがまま、足を動かした。その様子はぐったりとして、具合が悪そうだ。というか賈充殿、意外と重たい。体重を支えきれずに、私までフラフラと足元がおぼつかない。
と、騒ぎを聞きつけたのか、室にひょこりと顔を出したのは。
「おっ、二人ともなに騒いでんだ?」
「あっ、司馬昭様ちょっと手伝ってください。賈充殿を寝室に連れ込みたいんです」
運よく通りかかった司馬昭様に助けを求めると、彼は訳が分からず目を点にした。
「おいおい、朝っぱらからナマエってば大胆だな」
「冗談言ってる場合じゃないですって」
「え?」
ふと司馬昭様が私に肩を担がれている賈充殿に視線を移した。
「あれ、どうした賈充顔色いいな」
「……ああ、子上か」
ぐったりとした賈充殿が顔を挙げ、漸くのように司馬昭様に気がついたようだった。
その時ふらりと賈充殿の体が揺れ、それを支えきれなかった私ごと司馬昭様が支えてくださった。
司馬昭様は賈充殿に触れてはじめて、その体の熱さに驚いたように声を上げた。
「って、熱があるんじゃないか!」
その後は二人がかりで賈充殿を寝台へと運びこみ、ようやく賈充殿が大人しくなったと思ったら、司馬昭様が「俺典医呼んで来る!」と慌しく出て行かれた。
「まったく、子上もお前も大げさなんだ。この程度どうってことはない」
「何を云われますか。ちゃんと養生しないと辛いのは賈充殿ですよ」
相変わらずの減らず口だ。私の忠告にも、喉の奥で笑って真剣に取り合わない。
私はため息をつき、賈充殿の上掛けを彼の顔のすぐ下まで引き上げた。
「寒くないですか?」
「寒い」
間髪いれずに賈充殿が言う。と、その口元がにやりと歪んだ。
「と云ったら、お前が添い寝でもしてくれるのか?」
なんですと。
予想外の言葉に、息を呑んで絶句する。
口をパクパク動かして返答に詰まっていると、賈充殿が耐え切れずに声を上げた。
「くくっ……、どうした、顔が赤いぞ。俺の熱が移ったか?」
その言葉に、からかわれていたのだと気づく。
「賈充殿」
咎めるようにその名を呼べば、何処吹く風と云った風に賈充殿は目を閉じた。
「……あながち冗談でもないんだがな」
ぼそりと呟かれた一言に、私は息を上手く飲み込めず、咽こんだ。
やはり今日の賈充殿は、おかしい。熱のせいだろうか。
そのうち司馬昭様が呼んでくださった典医が訪れ、賈充殿を診て風邪だと診断した。薬が処方され、それを大人しく飲んだ賈充殿を寝かしつけ、後のことは女官に任せて暇を告げた。
「では賈充殿、ゆっくり寝ててください。今日の分の執務は私が見ておきますから」
「……子上のところにも半分まわしておけ」
「うえっ、俺!?」
司馬昭様が奇声を上げる。私は苦笑しながら、部屋を出ようとした。
「ナマエ」
低く静かな声が、私の背を追ってきた。
「気遣い、感謝する」
振り返る。
賈充殿はそっぽを向いたまま。
「どういたしまして」
面と向かって礼を云い辛いのだろう。私は賈充殿の心情を察し、微笑みながらそう告げて部屋を辞した。
ちっ、と舌打ちが響いた。