一緒にご馳走を食べる話
※一緒にトリスタカレーを作る話の続き。
ナマエは城門広場の噴水の縁に腰掛け、落ち着かない心地で視線を巡らせていた。
午前九時過ぎ。任務も依頼もなく、丸一日を自由に使える貴重な休み――のはずなのに、胸の奥はそわそわと騒がしい。自分でも落ち着きがなくて、何度も膝の上で指を組み直してしまう。
やがて城の通用門から白い影が現れた。ふわりと揺れる柔らかそうな白髪。白いチュニックに軽装の鎧を重ね、腰には剣。若草色の飾り紐が垂れる純白の外套を纏った、ひときわ目を引く騎士――タシャだった。
彼は広場を行き交う人々を眺めながら歩き出した。きりりとした眉がわずかに寄り、何かを探すように鋭い視線を巡らせている。
噴水の縁にいるナマエにはまだ気づいていないらしい。
手を振ろうか迷ったものの、妙に気恥ずかしくて、結局声をかけることにした。
「タシャ、こっち」
呼びかけにタシャが振り返り、驚いたように目を瞬く。すぐに表情を緩め、安堵の笑みを浮かべた。
「ナマエ、そんなところにいたか。待たせてすまない」
「待ってない。さっき来たところだ」
駆け寄ってくる姿を見て、思わず苦笑がこぼれそうになる。そんなに慌てなくてもいいのに。立ち上がろうとしたところに大きな手が差し出され、反射的に面食らう。
……エスコートなんて、貴族のお嬢様じゃあるまいし。
そう思いつつも、差し出された手を無視する勇気もなく、そっと預ける。ほとんど彼の助けは借りずに立ち上がったが、それでも一瞬感じた温もりに胸が跳ね、ナマエは慌てて礼を言って手を引っ込めた。
ちらりと見上げれば、タシャが微笑んでいる。視線が合った途端、気後れして目を逸らしてしまう。
「どうした?」
「……なんでもない」
小首を傾げるタシャは、ナマエの葛藤に気づいているのかいないのか。分からないのが余計にやっかいだ。
彼は挙動不審なナマエの様子を気に留めた様子もなく、満足げに口角を上げて言った。
「では、行こうか」
ゆっくりと足を進め、城門広場を抜けて目的地へと歩き出した。
隣に並ぶタシャはナマエの歩調に合わせながら、ふと口を開いた。
「このまま酒場へ向かうのか?」
「ううん、食材を買いにマルシェに行く」
「買い物か。荷物持ちは任せろ」
「頼もしいね」
よろしくね、と軽く声をかけると、タシャは、ああ、と破顔した。いかにも嬉しそうなその笑みにうっと言葉に詰まる。目が合っただけで、なぜだかくすぐったい。視線を逸らすように前を向き直した。
――マルシェで偶然出会ったタシャに誘われ、トリスタ将軍のカレーをご馳走になったのはつい先週のことだ。
あの日、帰り際にナマエがうっかり約束してしまったことを果たすため、今日はこうしてタシャと顔を合わせている。
今度はタシャの好きなものを作る、という約束を。
しかも最終的に、なぜかナマエがタシャに手料理をご馳走をする、という形に落ち着いてしまった。
……どうしてあんなことを口走ってしまったのだろう。
マルシェへの道を進みながら、悶々とする。
もし過去に戻ることができるなら、あの日の自分の口を全力で塞ぎたい。
よりによって舌の肥えたお貴族様に手料理を振舞うなんて、馬鹿げた約束もいいところだ。
もし微妙な出来の料理を出して万が一がっかりされたら――、流石のナマエでも少しばかりへこんでしまうだろう。
思い直して一度は断ろうかと思ったが、翌日にはわざわざ酒場に足を運んで予定を確認しに来たタシャを前に、『やっぱり止めだ』などと言いだせるはずもなく……そのまま今日に至る。
しかも野次馬根性を出した仲間が、タシャがナマエを尋ねに来た理由を根掘り葉掘り探ってくれたおかげで今日のことも早々にバレた。面白がった一部の仲間(主にジャッカルとセイレン)と、なぜか不機嫌になった一部の仲間(これはユーリス)が自分たちも参加すると騒ぎ出し、収拾がつかなくなった結果、自棄になってまとめて仲間たちも誘うことになってしまった。
……ちなみに、そのことはまだタシャには伝えていない。
早いうちに言っておいた方がいいのは分かっている。だが、どのタイミングで切り出すべきか悩ましい。
『実は今日、二人きりじゃないんだ』――なんて言えば、あたかも自分が「二人きり」を望んでいたみたいに聞こえてしまいそうで、口が重い。
なるべくさらっと、『そういえば今日、仲間も一緒だから』と告げたいのに……タイミングが掴めなくて、どうにも言い出せない。
自分でも意識しすぎだと思う。だが、落ち着こうとするほど空回りしてしまう。
ちなみにマルシェの後はアリエルの酒場に行き、厨房を借りて料理をする予定だ。
舌の肥えた相手にどんな料理を出すべきか迷い、アリエルに相談したところ、酒場のマスター……つまりアリエルの父親が気を利かせて、店を夕方まで貸し切りで使えるようにしてくれた。
もともとお客の少ない安息の日に合わせて、週に一度は午後からの営業にしているらしく、その日を今日に合わせてくれたらしい。
ということで、アリエル一家は揃って午後まで家族で外出だ。酒場の滞在客であるクォークら一行は各々朝食と昼食を確保せねばならなかった。
マルシェが近づくにつれて、人通りが目に見えて増えてきた。
混雑の中で広がって歩くのは邪魔になりそうだと、ナマエは一人分空いていた距離をさっと詰める。ちょうど同じことを考えていたのか、寄ってきたタシャと肩がぶつかって跳ね返った。
「わっ」
よろけたナマエを、反射的にタシャの手が支える。
「ご、ごめん」
「いや、私こそ」
慌てて謝り合い、顔を見合わせた瞬間、なんだか可笑しくなって互いに笑いあった。
グルグの前線基地で共闘した時にも似たような状況になったことを思い出す。あの時は口うるさい騎士様に反発して随分な口をきいてしまった。あの時と比べたら、今の空気はまるで別物だ。
妙に親密で、くすぐったくて。居心地がいいのか悪いのか、自分でも判断がつかない。
話題を変えたくなって視線をさまよわせると、ふとタシャの装いが目に入った。
いつもの全身白の鎧ではない。これが白騎士様の休日スタイルなんだろうか。ラフな装いでもどこか気品が滲み出ているところは流石だ。
「そういえば、今日のその恰好はどうしたんだ?」
「ん? ああ、せっかくの休日にあの装備は少し堅苦しいかと思ってな」
「そうなんだ。……そっちも似合ってるよ」
まるで良家のお坊ちゃんみたいだ、なんていつもの皮肉はなぜか喉が凍りついたように出てこない。ナマエの感想にタシャは少し恥ずかしそうにはにかみ、「そうか」と頷いた。
ナマエの肩に留まっていた彼の手が、名残惜しげに離れていったのはそれから少し後だった。
マルシェは相変わらずの賑わいだ。
目的の露天はもう少し奥にある。人の流れに乗って進んでいくと、隣のタシャが周囲を眺めながら感心したように呟いた。
「マルシェはいつ訪れても活気に満ち溢れているな」
その一言に、ふとナマエが振り返る。そういえば、前回タシャと出会ったのもマルシェだった。
「よく来るの?」
「いや、ほとんど来ない。だから新鮮だ」
籠に積まれた色とりどりの野菜や果実。ショーケースに並ぶ巨大なホールチーズやドライフルーツ、香り立つハーブにスパイス。並ぶ食材を物珍しげに眺めるタシャの横顔に、思わず笑みが零れる。
「気になるところがあるなら、見て回ったら? 付き合うよ」
そう提案すると、タシャは「あ」と気づいたように振り返り、気まずそうに咳払いをした。
「これは失礼した。……いや、今日はおまえの買い物のほうを優先してくれ。マルシェ巡りはまた次の機会に頼む」
思わぬ言葉に、ナマエは立ち止まりかける。
「つ、次の機会って」
「楽しみにしているぞ」
動揺しながら隣の男を睨みつけても、余裕の笑みで口の端を釣り上げるばかり。愉快犯に違いない。多分悪気はないのだろうが、からかわれているようで落ち着かない。
タシャに振り回されている自覚があるのに、反発しきれない自分がもどかしい。
「あんたって……意外と強引だよな」
「嫌だったか? すまない、不快であれば遠慮なく教えてくれ。善処する」
こちらの機嫌を伺って一歩引いたかと思わせておいて、妙な食いつきを見せてくる。見るからにプライドの高そうな騎士がこんなにも素直で柔軟だと、正直調子が狂う。
「いや、……嫌じゃないけど」
そして何より、『嫌だ』とははっきり言えない自分がもどかしい。当たり前だ。あからさまな好意を見せつけられ、実際嫌な気は全くしないのだから。
「そうか、ならばいい」
ナマエの反応に、タシャもまんざらでもない様子で頷いた。
……ただ、相手のペースに巻き込まれるのはやっぱり苦手だ。
改めて仕切り直し、目的の店へと足を向けた。ルリ島近海で獲れた魚介を扱う鮮魚店だ。
今朝揚がったばかりの鮮魚が山のように並ぶ棚を眺めていたタシャが、ふと口を開いた。
「ところで、今日は何を作るんだ?」
「シーフードパエリアを作る予定。アリエルの十八番のレシピ、教えてもらったんだ。せっかく新鮮な海鮮が獲れるからさ。……タシャは海鮮、苦手じゃない?」
「ああ、あまり口にする機会はないが、海鮮は好物だ」
「そう。……よかった」
返ってきた答えに、ひそかに胸をなでおろす。
料理上手のアリエルに相談した結果、「大勢で楽しめて、失敗しにくくて、しかも万人受けする」――そういう条件にぴったり合うのがパエリアだった。副菜に教わったいくつかの料理も含め、昨夜は練習がてら基本の食材で一通り作ってみた。自分ではまあまあの出来だと思ったが、味見役のエルザの感想はといえば、「いいんじゃないか。うまいよコレ」だ。
……嗅覚音痴に言われても説得力は薄い。
まあ、それでもマナミアが綺麗に食べ尽くしてくれていたので、食べられないほどひどい出来ではなかったはずだ――たぶん。
五分ほど悩んだ末、海老とイカ、砂抜き済みの貝をざっと二十人分ほど買い込んだ。
この量で足りるかどうか。悩みの種はもちろん、マナミアの底なしの胃袋だ。
タシャは店主から受け取った包みの重さに少し目を丸くしている。
「随分大量に買ったな」
「うん、たくさん食べる人がいるからね」
ナマエの言葉に、タシャが「……ん?」と一瞬考え込むように固まった。
「私の他にも、誰か誘ったのか?」
問いかけにぎくりとする。やましいことは何もないはずなのに、まるで隠し事を責められているような気持ちになる。
とはいえ、『あのこと』を言うなら、今しかない。
「……先に言ってなくてごめん。今日は仲間も一緒なんだ。……構わない、よね?」
おずおずと尋ねれば、タシャは虚を突かれたように瞬く。ほんの一瞬だけ浮かんだ残念そうな眼差しは、すぐに取り繕われた笑みによって幻のように掻き消えた。
「そう、か……。いや、当然彼らも一緒か。それはそれで賑やかで楽しそうだな」
なら良かった、と続けながら、ナマエはこっそりタシャの顔色を伺う。
内心を読ませない笑みに、落ち着いた受け答え。今日、他に参加者がいることをナマエが今まで黙っていたことを気にしている素振りはない。
……もしかして、気にしすぎだったろうか。
二人きりじゃなくて残念だと思っていたのは、ナマエだけだったのかもしれない。そう考えた瞬間、胸の奥に小さな棘のような痛みが走る。
一体自分は、タシャになんと言われたかったのだろう。
苦言を呈されれば面倒だと思ったはずなのに、あっさり受け入れられるとそれはそれで物足りなく感じる――我ながら、なんて天邪鬼なんだろう。
……ほんとうに、感情というのは厄介だ。
「ただいま」
食材を抱えて酒場に戻ると、一階で本を読んでいたユーリスが顔を上げた。
「おかえり。……タシャも、いらっしゃい」
「ああ、邪魔をする」
タシャに素っ気ない挨拶をした後、ユーリスはすぐにナマエの手元へ視線を移す。
「随分買い込んだね」
「マナミアがどれくらい食べるかわからないからね。用心するに越したことはない」
「まあ、そうだね」
気だるそうに同意し、本を閉じて立ち上がったかと思うと、ユーリスは無言でナマエの手から荷物を奪い取り、そのまま厨房へ入っていく。
「ありがとう、ユーリス」
素っ気ない態度とは裏腹な行為に礼を言えば、「別に」とお決まりの照れ隠しの台詞が返ってきてナマエは苦笑した。素直じゃないその態度が、また可愛がられる所以なのに、本人はきっと自覚していないのだろう。
タシャが抱えていた荷物も受け取って厨房へと運び入れ、すぐに準備に取り掛かる。時刻は十時半を少し過ぎた頃。米を炊く時間も含めると、昼まであまり猶予はない。
エプロンをつけて下ごしらえを進めていると、カウンター越しにタシャがユーリスへ声をかけていた。
「貴殿も今日は非番か?」
「うん、今日はみんな一日フリーの日」
「時折貴殿を城で見かけるが、いつも何をしているのだ?」
「あれは魔導士見習いの子供達に魔法を教えにいってるんだ」
「ほう、感心だな」
……どうやら今度はタシャがユーリスを弟扱いし始めたようだ。内心笑いをかみ殺しながらやりとりを見守っていると、あからさまに不愉快な表情で睨むユーリスにタシャも自分の失言に気づいたようで、「失礼」と気まずそうに咳払いをした。
いいけど、と素っ気なく言い捨てたユーリスが、本を抱えてそそくさと二階に消える。
あわよくば手伝ってくれないかな……なんて少年に対して抱いていた淡い期待が儚く散った瞬間だった。
さて、と気分を切り替えて手元に視線を戻す。
まずは魚介の下処理だ。それから野菜を切って、副菜の準備もしないと……。
フィッシュストックは今朝のうちに仕込んであるとはいえ、一人で二十人分のランチを作るのはなかなかの重労働だ。これを毎日こなしているアリエルとマスターには、改めて頭が下がる。
あわただしく動き回るナマエに気を遣ったのか、タシャが声をかけてきた。
「何か手伝うことはあるか?」
「いいからそこに座っててよ。あんたは今日お客さんなんだから」
そう言うと、タシャは素直にカウンターへ腰を下ろした。……しかも、調理台が丸見えの席。なにもそんな真正面で見張るみたいに座らなくても……。妙なプレッシャーを感じつつ、とりあえずコーヒーとお茶請けを差し出す。
そこへ、さきほど二階に消えたはずのユーリスが厨房内に戻ってきた。どうやら本を部屋に置いてきただけらしい。
「ナマエ、そこの包丁取って。下処理手伝うよ」
「い……いいのか?」
思いがけない助っ人の参戦に声が弾む。
「仕方がないだろ。君一人じゃ手に余りそうだし」
「ありがとう、助かる。じゃあ頼むよ」
ユーリスは相変わらずつんけんとした態度だったが、ナマエにはまるで後光の差す天使のように見えた。笑顔で礼を言えば、やはり「別に」とお決まりの台詞が返ってくる。思わず形のいい頭を撫で回したくなる衝動に駆られたが、なんとか堪えた。
助っ人のおかげで食材の下処理を済ませ、香ばしく焼き付け終わる。並行して煮込んでいたスープも、ニンニクとトマトの香りを放ちながら良い具合に仕上がってきた。
ここに今朝仕込んだフィッシュストックとスパイスを加えて煮立てれば、あとは米を投入するだけだ。
よし、なんとか昨日の練習通りに進んでいる。
安堵した瞬間、黙って眺めていたタシャが不意に声をかけてきた。
「手際が良いな」
心を見透かされたようで、ドキッと心臓が跳ねる。
「そ、そう?」
笑みで誤魔化そうとした時、後ろの作業台に寄りかかっていたユーリスがぼそりと呟いた。
「……昨日せっせと練習してたもんね」
「ちょっ……ユーリス!」
――この裏切り者!
小声で毒づき、少年を睨みつける。ペロリと舌を出して顔を逸らすその横顔が小憎らしい。
「今、なんと言ったんだ?」
タシャが追い打ちをかけるように問いかける。どうやらユーリスの呟きは聞き取れていなかったらしい。
慌てて笑顔を作り、何事もなかったかのように取り繕う。
「あ、いや、なんでもないよ。あと少しで出来るから、もうちょっと待ってて」
「ああ。急かしている訳ではないから、ゆっくりやってくれ」
どうやらうまく話題を逸らすことに成功したようだ。内心ほっとしつつ、タシャの気遣いに礼を言って、肩を竦めた。
「ありがと。でも、そうゆっくりもしていられないんだ。もうそろそろ、うちの食欲魔神がおなかを空かせて帰ってくる頃だから」
「ああ……マナミア殿のことか。人は見かけによらないとは彼女のことを言うのだろうな」
「まったくだ」
苦笑しながら頷く。
ちなみに先週タシャに運んでもらった大袋四つ分のバナナは、ほとんどマナミアの胃袋に消えた。
米を投入する前に、一度スープの味を確かめる。……自分では美味しいと思うが、いまひとつ自信がない。
「ユーリス」
「……なに」
「これ、ちょっと味見して」
スプーンを差し出すと、ユーリスは「あ」と雛鳥のように口を開けてみせた。まさか、食べさせろってこと? 子供じゃあるまいし……。文句を飲み込んでスプーンを口元まで持っていくと、少年はぱくりと食いつき、こくりと喉を動かした。
蒼い目が流し目のようにナマエを見つめたまま、沈黙した。不意に、すい、とその瞳が横へ流れ、ナマエではない何かにじっと視線を定める。……やけに刺々しい目つきだ。一体何を見てるんだ?
「……味、どうかな?」
「ちょうどいいんじゃない? 美味しいよ」
不思議に思いつつ感想を促すと、返ってきた一言に胸を撫で下ろす。
直後、がたり、と椅子を引く重い音が響いた。振り返ると、タシャが立ち上がっていた。もの言いたげな顔でこちらを見つめている。
「どうしたの?」
「いや……」
若草色の瞳が警戒するようにユーリスとナマエを交互に行き来した後、言葉を飲み込むようにそれだけ言って再び椅子へ腰を下ろす。
――もしかして、スプーンの使いまわしを気にした? 確かに潔癖そうに見えるし……。招かれている立場上、指摘しずらかったのかもしれない。
「スプーンはちゃんと分けているから大丈夫だよ。これは味見用」
「は? ……ああ、いや」
そうか、と言いながらも、タシャはどこか疲れたように目線を伏せた。
どうやら見当違いだったようだ。
なら……何を言いかけたんだ?
ちらりと手元のスプーンを見る。まさか、タシャも味見したかった、とか……?
「無自覚ってこわ」
困惑したまま立ち尽くすナマエを横目に、ユーリスがぼそりと呟いた。
「ただいまー!」
米を炊いて蒸らしに入ったタイミングで、外出していた仲間たちが一斉に戻ってきたらしい。扉が開いた瞬間、酒場の空気は一気に活気づいた。
「ワイン買ってきてやったぜ」
「港でお使い手伝ったらお礼にって、採れたてのムール貝貰ったんだ。酒蒸しにしよう!」
ジャッカルはワインの木箱を肩に担ぎ、エルザは麻袋いっぱいの貝を抱えて上機嫌だ。二人はそれぞれタシャと軽く挨拶を交わし、そのままキッチンに飛び込んできた。
「上手そうな匂いだな」
少し遅れて入ってきたクォークは手ぶらだ。
「クォーク、マナミアとセイレンは?」
「さあな。もう少しで戻るだろう」
ジャッカルがワインを保冷室に仕舞って戻ると、蒸らし中の鍋から立ちのぼる香りに鼻を鳴らした。
「ん〜いい匂い。どれ、美味くできてるか味見してやろう……あイテッ!」
「こら! 待ちきれないのはわかるけど、もう少し待つ」
そろりと伸ばされた不埒な手をパシリと叩き落としたのはユーリスだ。
苦労の末、なんとかパエリアが出来上がった。大鍋にたっぷり二十人前。
ムール貝の酒蒸しは言い出した本人に任せ、パエリアを蒸している間に下準備しておいた干し鱈のサラダを手早く仕上げる。ユーリスが切り分けたチーズと生ハムを最後にテーブルへ並べたところで、ちょうどセイレンとマナミアが帰ってきた。時刻は正午を少し過ぎたところだった。
「たっだいまー!」
「まあ、美味しそうな香りですこと」
途端にさらに賑やかになる。
「セイレン、マナミア。お帰り」
「ええ、ただいま。タシャさんもいらっしゃい」
「よお」
「ああ、お邪魔している」
セイレンの雑な挨拶にも、気を悪くした様子もなくタシャが短く返す。セイレンは裏ではタシャのことを、クソ真面目なつまらない奴、などと言って若干苦手意識を持っているようだが、流石に本人の前では大人しくするつもりらしい。
セイレンは気を取り直すように、抱えていた箱を高々と掲げた。
「巷で人気だっていうデザート買ってきたぜ。たまには女子っぽいとこも見せないとな」
はんっ、と鼻で笑ったのはジャッカルだ。
「なーにおっさんが無理してやがる」
「あ¨ぁんっ!? んだとぅジャッカルてめー、喧嘩なら買うぜ?」
定番の夫婦漫才(ちなみにこう言うとセイレンが満面の笑みでヘッドロックを掛けてくるので禁句になっている)が勃発しかけたところで、エルザが慌てて両手を広げて割って入った。
「ちょっと二人ともやめなよ~」
だがこの二人があっさり止まるはずもない。そこへユーリスの冷静な追撃が割り込んだ。
「料理もできあがったから、早く食べよう。お腹空いちゃったよ」
「ユーリスの言う通りですわ。私、待ちきれませんの。さあセイレン、早く早く」
「あ、はい」
とどめとばかりにマナミアが笑顔で威圧すれば、二人は蛇に睨まれた蛙のように大人しくなった。
この光景にナマエは小さく吹き出し、タシャは驚いたように目を瞬かせていた。
冷えた白ワインをグラスになみなみと注ぐ。一番最後に席に着いたセイレンが目の前の料理に目を輝かせた。
「ひゃー! 豪勢だなぁ! こりゃ酒が進むぜ」
「なに言ってんだ。お前は酒が主食だろ……っぐ」
ジャッカルが茶化すと、すかさずセイレンが肘鉄をくらわす。
乱暴なじゃれあいには皆慣れたものだが、タシャだけは目を丸くして呆気に取られているようだ。
「いつもこう……賑やか、なのか?」
「いつもこう」
そっと耳打ちしてきたタシャに小さく頷いてやると、彼は無言で肩をすくめた。
すっとエルザが立ち上がる。テーブルを囲う面々を眺め、グラスを持ってにこりと笑った。
「よし、みんな揃ったな。じゃあ――」
――乾杯!
「旨ぇー! このパエリア、冷えたワインによく合うぜ! このムール貝の酒蒸しもさいっこーだな」
「ええ。ほんとうに美味しいですね。あと百杯は食べられます」
口元に米粒をつけたマナミアが笑顔で頷く。既に鍋の四分の一は彼女が掻っ攫っていった筈だ。はは、とユーリスが引き気味に笑った。
「マナミアが言うと冗談に聞こえないな……」
「あら、冗談ではありませんよ」
「ひえ……」
どうやら食欲魔神への供物は足りなかったようだ。すっと真顔に戻ったマナミアの一言に、震え上がったユーリスがそっと自分の皿を退避させる。
ナマエは賑やかな仲間のやり取りを呆れ半分で眺めつつ、隣で静かにグラスを傾けて黙々と料理を食べ進めるゲストへ目を向けた。
「タシャ、どう?」
「ああ、とても美味しい。塩加減も丁度良くて、これは酒が進んでしまうな」
「口にあってよかった」
安堵した途端、若草色の瞳がまっすぐに射抜いてくる。思わずグラスを持つ手が止まった。
「なに?」
「……練習を、してくれたのか?」
ごほ、と盛大に咽せた。慌てて口元を拭い、タシャを二度見する。
「ま、まさかさっきの聞こえて……!?」
「いや。彼の口の動きから、そう推測しただけだ」
ナプキンをこちらに差し出しながら確信に満ちた笑みを浮かべるタシャを見て、猛烈な羞恥心に襲われる。
「くそ、ひっかかった……恥ずかしい」
「なぜ恥ずかしがる? 私は、お前が私のために練習をしてくれたことがとても嬉しい」
純粋に喜んでいるのがわかるから、余計に居心地が悪い。ナプキンをひったくるようにして奪い、ふいっと顔を背けた。顔は確実に赤くなっているに違いない。
「あ、あんたのためというか……初めて作る料理だったから、もてなす側なのに失敗したら嫌だったし……。ただそれだけ!」
「そうか」
我ながら下手くそな照れ隠しだ。そんなナマエの意図など、お見通しなのだろう。柔らかに肯定され、慈しむような眼差しを向けるタシャに苦虫を噛み潰す。
――反論したらますますボロが出そうだ。
さわやかな酸味のワインとともにぐっと言葉を飲み込み、仲間の賑やかな掛け合いに逃げ込むよう耳を傾けた。
「ナマエ、そこのパン取って」
「ん」
「このでっかい海老、あたし貰うぜー」
「おいエルザ、そんなにがっつくな」
「むぐ、むぐぐ」
「おいおい子供じゃねーんだぞ」
「おかわりいただきますね」
「ってオイオイ、マナミアさんそれ何杯目!?」
テーブルのあちこちから飛び交う声に、皿とグラスがぶつかり合う小気味よい音が混じる。笑い声や、軽い口喧嘩。肩がぶつかりそうなほどの距離で、遠慮せず食べて、笑って、また次の皿へと手を伸ばす。
こんな雑然とした時間が、どうしようもなく尊いものに感じた。
ふと横を見ると、タシャがそんな賑わいのただ中にありながら、静かにグラスを傾けている。口元には、ほんのわずかに緩んだ笑みが浮かんでいた。
――不意に、若草色の瞳がこちらに向いた。視線が重なった途端、喧噪が遠のく。
秘密めいた目線が交差し、溶けるような微笑みを送られる。その無言のやりとりにむず痒さを覚え、先に視線を逸らしたのはナマエのほうだった。
賑やかな昼食は、やがてアリエル一家が帰ってきたところでお開きとなった。皆で片付けを手分けし、タシャとエルザが並んで皿洗いを担当する。
「タシャが皿洗いとか変な感じだなぁ」
隣で手を泡だらけにする男を見てエルザが気安く笑う。
「そうか? トリスタ様と二人旅の時には野宿もするし、交代で調理も行うが」
「へー、騎士も意外と大変なんだな」
「城勤めとは違い、遍歴の騎士はそんなものだろう。あまり夢見るものではないぞ」
どこまでも真面目な返答にエルザが苦笑する。雑談のつもりが説教めいてしまうのは、タシャの不器用な実直さゆえだろう。
「あ、いや。決して楽する為に騎士目指してる訳じゃないけどさ。タシャってどうも生活臭が似合わないっていうか……」
「そう見えるならば私もまだまだ未熟というわけだ」
「だからそんなんじゃないって」
横目にその光景を見ていたナマエは、胸の奥が妙に落ち着かなく揺れるのを覚えた。タシャが騎士然としていればしているほど、傍らにいる自分が場違いに感じられてしまう。
――そんな自分の心の揺れを振り払うように、テーブルを拭く手に力を込めた。
「今日はご馳走になった。とても美味しかったよ」
「ううん、大したもてなしもできなくてごめん」
「いや、楽しいひと時だった。あのような人のぬくもりを感じられる団欒は、久しぶりだった」
時刻は午後三時前。そろそろお暇すると告げたタシャを見送りに一緒に外に出て、別れ際の挨拶を交わす。
「楽しんでもらえたなら良かったよ。でもまあ、騎士様には庶民的すぎたかもな?」
軽い冗談に、タシャは肩を揺らして笑う。だがその笑みの後、ためらいを孕んだ沈黙が流れた。言葉を探すように視線が宙をさまよい、けれど帰ろうとする気配はない。
……なんだ? と訝しんだ瞬間、「ナマエ」と名を呼ばれた。
感情を押し殺したような、若草色の真摯な瞳がじっとこちらを見つめている。心の裡まで見透かされそうな真摯な眼差しに、わずかに気圧された。
「……少し、歩かないか」
「え? ……うん」
誘いを断る理由はない。ナマエはわずかに遅れて頷いた。
歩き出したタシャの背を追い、中央広場まで出る。運河沿いの街並みは午後の陽光に照らされ、穏やかでゆったりとした空気に包まれている。人々の笑い声や商人の掛け声が心地よいざわめきとなって響いていた。
「ルリ島は平和な街だ。活気に満ち溢れている」
じっと街の声に耳を澄ませながら、タシャが口を開く。
「おまえは知らないだろう。帝国本土では荒廃が進み、どこも荒む一方だ」
「そんなに……ひどいのか」
突然語り出した彼に躊躇いながら、尋ねる。
この星は枯れつつある――人伝いにそうと聞き及んではいるものの、記憶喪失のナマエにとっては、ルリ島の外の状況を推し量る術はない。しかし目の前の人は、その荒廃が進んだ場所からやってきた人なのだ。この特別に豊かな島と、外との違いを誰よりも理解しているだろう。
……いや、違う。傭兵団の仲間だってその違いを知っている。知らないのはナマエだけだ。
「ああ。帝都といえど、街には物乞いがあふれている有様だ。……それに比べ、ここは穏やかで、私にとっては少し眩しい」
ふ、と鼻を鳴らし、僅かな自嘲。どこか郷愁を感じさせる口調に、ナマエは少し心がざわつくのを覚えた。彼はいったい何を言うつもりなのだろう。ただ雑談するために散歩に誘った……という雰囲気ではない。
不意に振り返ったタシャの眼差しが、まっすぐにナマエを射抜いた。どこか覚悟を帯びたその瞳に、無意識に肩に力が入る。
「だが、その平和もまもなく終わる」
重い響きに、ぐっと胸が締め付けられる。
今日みたいな楽しい休日を過ごし、これ以上なく平和を享受しているが、決してそのことを忘れてはいない。グルグの前線基地から帰還して以来、伯爵は着々と戦争の準備を進めている。
「もうすぐ戦争が始まる。そうなれば、この街も無事では済むまい。私は帝国に忠誠を誓った騎士として、持てる力のすべてでこのルリ島の民を守り抜くつもりだ」
ぐっと顎を引き、真っ直ぐな声で宣言する。行き交う市井の人々に注がれていた目はやがてナマエに向けられ、その凛々しい目元が少しだけ和らいだ。
「その中には無論、おまえも含まれている」
思わず面を食らう。一体どんなことを言われるのかと身構えていれば――守るだって? 剣や弓を振り回す傭兵を掴まえておいて、一体この騎士様は何を酔狂なことを宣っているのだろう。
反発する気持ちは、しかし微塵も涌かなかった。自分でも不思議なことだが、守ると言われてどこか心の底で嬉しく思う気持ちを自覚していた。けれども武器を振るう人間としては、その感情を素直に表に出せるほどプライドは安くはない。
いや、決してタシャがナマエのことを下に見ている故の台詞ではないことは分かっている。……けど。
複雑な感情が入り乱れて息が詰まる。そのうち面倒になって考えることを放棄した。首筋をさすりながら、ため息を吐く。
「そう言ってくれるのは、嬉しいけど……私は傭兵で、戦をする側の人間だ。守られるだけじゃ性に合わない」
タシャもおそらくナマエのそんな心情を理解したのだろう。ふと微苦笑を浮かべ、ゆっくりと頷く。
「わかっている。だからせめて、その背中を守らせてくれないだろうか」
ナマエは誰かに背中を預けるのが苦手だ。共に闘う仲間が犠牲になるところを見るくらいならば、一人で戦う方が楽だと、確か以前ルリの艦隊で目の前の男に告白したんだったか。
もしかしたら、あの台詞を覚えていた上での『守る』宣言だったのだろうか。またナマエが無茶をするのではないかという心配ゆえに。
だとしたら、随分と律儀な騎士様だ。
そうと分かれば途端に胸の奥がくすぐったくなる。
驚かせてくれたお返しに何かナマエも一言言いたくなって、口を開く。
「――じゃあ私も、あんたの背を守る」
挑むように笑みを向けると、驚いたようにタシャが瞠目する。そうきたか、と声を立てて笑った。どうやら一矢報いたらしい。
「まあ、とはいえ」
挑発的な笑みを引っ込め、ため息をつく。
「あんたにとっちゃ、私の力なんて必要ないんだろうけどな」
冗談で言ったつもりはないが、タシャは強い。ナマエの助力など、あっても邪魔にしかならないだろう。それが分かっているからもどかしい。
「いや、そんなことはない」
すぐにタシャがナマエの言葉を力強く否定した。
「私は……おまえが隣にいてくれるだけで、不思議とどんな困難も越えられる気がする」
――お前は私にとっての幸運の女神だから。
恥ずかしげもなく真顔でそう言い切る目の前の男に絶句する。
何か言い返さないと、と思うのに、言葉が見つからない。
「……こ」
「こ?」
「こ……こういう時、なんて返したらいいんだ?」
タシャが目を見開く。次の瞬間、ふっ、と顔を綻ばせた。
「さあな」
何が面白いのか、彼にしては珍しく締まりのない笑みを隠しきれていない。
先ほどまでの真剣な空気とは一転し、どこか面白がるような空気さえ滲んでいて、思わず眉を顰める。
言いたいことがあれば言えばいいのに。内心でタシャの態度に文句をつけるも、けれどなぜか口に出すのは憚られた。
カラン、カラン、カラン。
午後三時を告げる鐘の音が、青空に澄んで響き渡った。
その余韻に耳を傾けていたタシャが、深く息をつき、仕切りなおすように口を開く。
「名残惜しいが、そろそろ戻らねば。付き合ってくれて感謝する」
「あ、うん」
唐突に現実へ引き戻されたような心地がして、ナマエは慌てて居住まいを正す。
あっという間の休日だった。タシャとはこれでお別れだ。そう思うと、まっすぐ彼の顔を見られなくなり、視線を落とす。胸の奥に小さな穴が開いたような寂しさが広がった。
ス、と音もなく近寄ったタシャの指がナマエの顎に触れ、俯いた顔をぐっと持ち上げた。
「な、なに?」
至近距離で顔を覗き込まれ、思わず息を呑む。ふ、と彼は愛おしむような微笑を浮かべた。若草色の瞳の奥には、かすかな熱が宿っている。
「……そんな顔をするな。離れがたくなる」
「そ、」
そんな顔って、どんな顔だ。勝手に心を読み取って都合よく解釈するなんて、本当に厄介な騎士様だ。
妙な反発を覚えて言い返そうとしたが、声が出ない。
タシャは熱を抑えつけたような低い声で、そっと耳元で囁いた。
「またすぐに会える」
「っ、誰が会いたいって言った!」
全身が熱に煽られ、心臓がうるさく騒めく。ナマエは即座に噛みつき、顎に添えられた手を振り払った。まるで焚きつけられた火を慌てて消すかのように。
心はどうしようもなく浮き立っているのに、裏腹に口は勝手に彼を拒んでしまう。一体どうしてなのか。
その理由は、しかし自分でも良く理解していた。
天邪鬼な態度に、タシャは苦笑して一歩身を引く。
「……そうだな、訂正しよう。私が会いたいのだ」
本気だということは声色でわかる。こういうことを冗談で言える男ではないのも知っている。
そうと分かっていてもナマエが彼の好意を素直に受け取れないのは、立場の違いを自覚しているからだ。騎士と傭兵という、越えられない身分の壁を。
「~~ッ! もうっ! ふざけたこと言ってないで、さっさと行け!」
だから、ナマエは目の前の人を乱暴に送り出すことしかできない。
タシャとはあくまで良い友人の関係でいなければ。
……少なくとも、“今“はまだ。
しかし彼もまた己の心に嘘偽りをつけない男だった。ナマエのつれない態度に愛想を尽かす様子もなく、柔らかく笑って告げる。
「はは……。ではまた、な。……近いうちに必ず」
そっぽを向くナマエに、わざと聞こえるようにそう言い残して、タシャは背を向けて歩き出した。
その背中が人混みに紛れて小さくなっていくのを見送りながら、ナマエは小さく呟く。
「また……、って。まったくもう……」
口ではそう悪態をつきながらも、胸の奥は温かくざわめいている。頬を火照らせたまま、彼女は唇の端に浮かぶ笑みを抑えきれなかった。
2025.09.28