熱情を呑み下す





 蒼天の空を、ビュ、とにび色の軌跡が斬りさいた。
 訓練用に刃を潰した剣同士が鋭い音を立ててかち合う。訓練用とは言え、あれを諸に食らうと怪我も負う。
 訓練場の広場で打ち合うルリ騎士達を真剣に見つめていると、つばぜり合いの末、若い騎士が押し負けて地に沈んだ。だが、まだ若い騎士は降参の意志を示さない。対峙する騎士はその若い騎士の鼻っ柱をへし折ろうと追撃をかけようとした。明らかに若い騎士の不利な体勢だ。このままでは怪我人が出かねない。
「やめ!」
 素早く号令をかけて、騎士の追撃を阻止する。優勢だった騎士がぴたりと止まり、私の号令に僅かながら非難の眼差しを向ける。それを流し、私は周囲で一騎打ちを見ていたルリ騎士達に命じた。
「少し早いが昼休憩に入る」
 騎士の顔を見回す。
「各自しっかり休息し、午後の訓練に備えよ」
「はっ!」
 騎士達が一斉に敬礼した。
「ご指導ありがとうございました、タシャ様!」
 うむ、と鷹揚に頷くと、私は踵を返して額の汗を流すべく水場へと向かった。


 トリスタ将軍とこのルリ島にやってきてからしばらく経つ。トリスタ様はルリ騎士団の改革を試みており、私もその一端を担っていた。まず手を着けたのが騎士達の訓練の態度だ。とはいえ最初は賓客扱いを受けており、禄に訓練にも参加できなかった。が、尊大な態度の大隊長の鼻っ柱を折ってからというもの、現在私は訓練の指導役まで任されるまでに至った。
 訓練の指導を初めて数日、最初はひどかった騎士達の態度も徐々に改まってきている。
 水場に向かった私は、冷たい水で顔を洗ってさっぱりと汗を流した。用意されていた清潔なタオルで顔を拭く。顔を洗った際に一緒に濡れた髪の毛から滴が垂れ、ぽたぽたと落ちる。
 その様子を見て、つい先日大雨に打たれた時のことを思い出す。


 トリスタ様と私が、ルリ島へ来てからすでに様々な出来事が起きていた。グルグ族の襲来、グルグ基地への侵攻、奇妙な傭兵団との出会い。奇妙な、と称したのは、ほかにあんな素朴な連中が集まった傭兵達を見たことがなかったからだ。今まで傭兵といえば、金に意地汚く何でもやる連中しか見たことがなかったからだ。
 彼らに出会って、自分の中で傭兵を見る目が変わり始めた気がする。
 特に、ナマエ。彼女のことを思うと、自然と笑みがこぼれた。
 あの大雨の日。街中で偶然出会い、なんとかお茶に誘ったは良いが、突然の大雨に降られて私はほとんど何も考えずに彼女を私の部屋へと避難させた。あの時ずぶ濡れだった私を、彼女は魔法で乾かしてくれたのだ。彼女を部屋へと招き入れたのは、下心がなかったとは言い切れない。だが、概ね紳士的に振る舞えたと思う。


 兵舎の食堂へと向かう。午後の訓練に備えて、しっかりと昼食を取る。量はあまり食べ過ぎても体に悪いため、ほどほどの量に抑えている。味は兵舎の食堂らしく、質より量、といった感じだ。だが別段不満はない。
 席に着くと、この頃ではなじみの騎士もできたため、主にグルグ大陸遠征について会話をしながら食事を取った。あまり楽しい話題ではないが、やはり関心があるのか周囲にいる騎士達も集まってきて白熱した議論が繰り広げられた。
 食事が終わると、まだ時間があるため腹ごなしに書架で本でも借りようと思い、回廊を通って城の中央棟へと向かった。
 その光景が目に入ったのは、丁字路になった回廊の曲がり角が遠くに見えた時だった。



 きゃ、と小さな悲鳴が聞こえ、花びらのようなドレスの裾が目の前で揺れた。見ると、数歩先の回廊の角で、貴族の令嬢二人が一人の女を目の前にして、驚いたように立ち止まっている。
 その令嬢達に相対する女を見て、驚く。先ほど脳裏に思い浮かべたナマエその人だった。
 なにかトラブルだろうか。そう思い足を早めると、令嬢二人は口元を隠し、ナマエをつま先から頭まで舐めるように眺めると、クスクスとさざめき笑いを始めた。
「あらいやだ、傭兵」
「ふふふ」
 そう、はっきりと聞こえ、私は思わず足を止めた。
 ちょうど令嬢達の視界に入らない位置にいたため、彼女たちは私には気づかなかったようだ。彼女たちはそれ以上なにを言うでもなく、ドレスの裾を揺らしながらナマエの横を素通りしていった。
 回廊には彼女たちの密やかな笑い声が尾びれを引いている。ナマエはその場に佇んで、ぼんやりと令嬢達が去っていった方向を見つめていた。その横顔が傷ついているように見えたのは、気のせいだろうか。
 おそらく、彼女達にはそれほどはっきりとした悪気はないのだろう。彼女達の中にある、尊卑貴賤による各々の価値観が取らせた無意識の言動だ。無意識の差別が、誰かを傷つける。私にだって覚えがあることだ。
 だが、それでナマエが傷ついているのならば、無視できない。歩を進めて彼女に近寄ると、そっと大切な友人に声をかけた。
「何かあったのか?」
「タシャ」
 ハッとしたように振り返った彼女は、私の登場に驚いたようだった。なんでもない、と彼女は告げた。
「ぶつかりそうになって、驚かれた」
「そうか……。あまり気にすることはない」
 ナマエはきょとんとした表情を浮かべた。意味が通じなかったのかと思って、言葉を続けた。
「彼女たちも本気で嫌がっている訳ではない。態度は褒められたものではないが」
 ああ、とナマエが私が言いたいことを納得したように頷いて、首を振った。
「いや、別に気にしてる訳じゃないけど」
 ばつが悪そうな、複雑な表情。口では否定しているが、その内情はわからない。
「そうか、少し落ち込んでいるように見えたから」
「そう見える?」
 困ったように眉尻を下げながら、ナマエが見上げてきた。いつもの堂々とした様子と違い、その表情は頼りなげだ。
「ああ」
 頷いてやると、彼女は再び令嬢の去っていった方角を眺めて、ぽつりと呟いた。
「……華やかだな、と思って」
 横顔に、憧憬が垣間見える。
 なるほどそういうことか。私はナマエの視線を辿って、回廊の先を見つめた。既に令嬢の姿はない。
「お前でもああいう格好に憧れるか?」
 ん、とナマエが小さく首を傾げる。
「どうだろうな、貴族は華やかだけど大変そうだから」
「華やかなのは見せかけだけだ。実際の貴族社会はもっとドロドロしている」
 貴族の世界ですら上下関係がはっきりしている。むしろ貴族社会の方がその傾向がきわめて強いだろう。陰で囁かれる根も葉もない噂も、陰湿ないじめもうんざりだ。私はナマエにそういう世界を体験してほしくはなかった。
「お前もわざわざ深淵を覗きたくもあるまい」
 唾棄するように言い捨てれば、ナマエはこちらを見上げて苦笑を浮かべた。
「あんたも色々見てきたみたいだな」
「まあな」
 ナマエがまっすぐ私を見つめたかと思うと、ふいにふっと笑った。
「タシャはすごいな。そんな世界に居てもまっすぐだ」
 ストレートな言葉に、私は言葉に詰まらないようにするのが精一杯だった。
 彼女の言葉は飾り気がない分だけ、まっすぐ心に届く。たまの皮肉もウィットが利いていて、私にとっては好ましいものだった。
 照れ隠しに咳払いをし、私は緩みかけた表情を引き締めた。
「そんなことはない、すべてはトリスタ様のおかげだ。くすぶっていた私を掬い上げて下さった」
「でも、元からの性格もあるだろ」
「まあ、それもあるだろうな」
 なにせ師匠にも生真面目と言われるくらいだ。せめて融通は利く男でありたいと気をつけてはいる。
 ふと回廊を見渡す。昼時のせいか、回廊には誰も通らず、私とナマエの二人きりだ。
 心惹かれる女性と二人きりという空間はあまり健常な心にはよくない。だがここで彼女と別れるには惜しい。まだ午後の訓練が始まるまで時間がある。場所を変えることにしよう。
 ナマエ、と名を呼ぶと、彼女は顔をあげて嬉しそうに口元を緩める。いつもいつも、あれは無意識でやっているのだろうか。
 ざわつく心を静めて、私は尋ねた。
「この後時間があるか? 少し、中庭を散歩しないか」
「うん」
 いいよ、と今度こそ嬉しそうに彼女は笑った。



 中庭に出ると、二人きりを回避しようという私の密かな目論見は外れたことに気づいた。中庭もまた、昼時のせいで人の姿はほとんどない。軍事棟へと続く扉の前に、暇そうに見張りの騎士が立っているくらいだ。
 隣のナマエをちらとみる。彼女は私の緊張などまるで気づかず、のんきに隣を歩いている。
 緊張を悟られるべきではない。私は身の内の緊張を飲み下し、自然な調子で口を開いた。
「最近調子はどうだ」
「まあまあかな。タシャは、どう?」
「ああ、悪くない」
 そっか、と呟いて、ナマエは俯いた。
 私は彼女のつむじを見つめて、そのまま黙り込む。
 話したいことも聞きたいことも沢山あった。だが彼女を前にすると、うまく言葉にできない。
 なぜだろうか。不思議で仕方がない。
 ふいにナマエが顔を上げた。
「そういえば、タシャっていつも何してるの? 城の中ぶらぶらしてるの?」
 突拍子もない言葉に、私は呆れた。ため息をついて、彼女の言葉を両断する。
「人を暇人みたいに言うな」
「冗談だよ」
「分かってる」
 冗談だとは端から分かっていた。彼女の瞳が楽しげにきらきら輝いていたから。彼女の冗談に付き合うのも好きだが、うまく付き合えているのかは分からない。
 ふと吐息をつく。
「何をしているのかと聞かれれば、そうだな、大抵はルリ騎士達の訓練の指導に当たっている」
「わぁ、スパルタそうだな」
 ナマエが顔をしかめた。
「今までが弛みきっていたからな、やりがいがあるぞ」
「ルリ騎士に同情するよ」
 哀れみの表情を浮かべて肩をすくめたナマエに、私はふっと不敵に笑う。
「あとはトリスタ様に付き従って軍事会議に出たり、空いている時間があれば一人訓練所で体を動かしているな」
 あれ? とナマエは意外そうな表情を浮かべた。
「意外と忙しい?」
 どうやら半分は本気で暇人だと思われていたようだ。不本意だったが、そこは表情に出すのは堪えた。
「まあな」
「そっか」
 言って、俯いたナマエは一歩空を蹴るように大きく足を踏み出した。トン、と軽やかな着地の音がする。
 ナマエがこちらを振り向いて、笑った。
「責務がある身は大変だ。やっぱり私には傭兵暮らしがあっているな」
 思わず、立ち止まる。
 彼女の言葉に、何か見えない線引きをされたような気分になった。彼女はあまり騎士というものに幻想を抱いていないように見えた。
 私は騎士に誇りを抱いている。だがルリ騎士の醜態を目にして、それでもなお憧れうる対象となれるのかは、甚だ疑問だ。
「お前は騎士にはなりたくないのか」
 問いかけに、ナマエは少しばつが悪そうに首を竦めた。
「騎士様本人の前で言うのはなんだけど、あまり、ね。自由に動けなくなるのが嫌いなんだ」
「なるほどな」
 ナマエの視線の先には、だらけた姿勢で立つ見張りの騎士の姿があった。後で叱るべきだろうかと考えたが、ああいうのは性根を直さないとどうにもならないだろう。
「クォークは仲間の皆を騎士にするために頑張ってくれているけど、正直私は出世には興味がないんだ」
 ひたむきな視線。彼女もやはりそこいらの俗物とは違うのだ。
「欲がないんだな」
 ううん、とナマエは首を振った。
「欲はあるよ。お金は欲しい。真っ当な仕事をして得た真っ当な報酬がね。仕事に労は惜しまない。人のために働くことは好きなんだ」
 まったく彼女には驚かされる。だが、悪くない驚きだった。彼女の言葉は、労働の尊さを知ってこその言葉だろう。まるで自分のことのように嬉しさがこみ上げてきて、私は微笑んだ。
「良いことだ。傭兵が皆、お前のように高潔であればいいのだが」
 惚れた欲目だ、とは分かっているが、彼女の横顔は毅然としていて美しい。
 ナマエの頬が紅潮し、困ったように眉尻が下がった。私の褒め言葉が、気に食わなかったのだろうか。
「言い過ぎだ。あんたみたいな人のことを言うんだよ、高潔ってのは」
 いきなり自分の事を振られ、面を食らう。
「私は、」
 自分では高潔などとは一度も思ったことはない。ただ曲がったことを見過ごせないだけで、それ以外はほかの男と何ら変わりないと思っている。
 返答にまごついていると、ふいにナマエが例の楽しげな表情を浮かべた。
「ね、意地悪な質問していい?」
 そう尋ねる彼女の瞳は、きらきら輝いていてとても魅力的だ。
「なんだ」
 今度はどんな冗談が飛び出してくるのか。身構えながら尋ねる。
「あの、さ……、もし」
 もし、と言いかけた彼女の顔が、ふと真顔になった。その視線が考えあぐねるように上を向き、そして下を向く。
「どうした」
「やっぱりやめた、流石に意地悪すぎる」
 あっさり掌を返され、拍子抜けする。
 私はくるりと前を向き歩きだしたナマエの背に、声をかけた。
「なんだ、気になるだろう」
 するとナマエは立ち止まって振り返り、いたずら気に微笑んだ。
「ふふ、ごめん。でも、そんな大したことじゃないんだ」
 その笑みに目を奪われる。


「タシャ様、御機嫌よう」
 ふいに声を掛けられ、ハッとする。顔を上げると、貴族令嬢が通りの向かいに佇み、こちらを見ていた。どうやら先ほどとは別の令嬢のようだ。
 私が軽く会釈をすると、令嬢は側に控えていた付き人に何かを囁き、そしてドレスの裾を翻して去っていった。
「……花みたい」
 隣で、感嘆のため息とともにナマエがそう呟いた。彼女は令嬢が消えた扉の向こうを見つめていた。その眼差しには、今度は憧憬がはっきりと見て取れた。
「あんなにコルセットで締め上げて、きつくないのかな……」
「着てみたいのか?」
 ナマエが、きょとんとした顔になる。慌てたように、目を丸くした。
「まさか、似合わないよ」
「そんなことはない」
 思わず語尾に力が入った。
「きっと、似合うと思う」
 ドレスを着たナマエを想像する。普段草臥れた防具を身に付ける彼女がドレスを身に纏ったら、とても美しいに違いない。
 纏うなら、白がいい。白いレースに縁取られた彼女はさぞかし美しいだろう。
 白いドレスに白いレースを被った彼女をエスコートするのは、もちろん自分だ。その役を誰にも譲る気はない。
 純白のドレスは神聖な誓いの色。花嫁の色だ。
 神の見前で神聖な誓いを立て、口づけを交わす。神明にかけて一生共にいると誓い、私たちは二人で一つとなる。
 私は彼女の、そして彼女は私のものとなる。


 いつしか、想像はもはや妄想に切り替わっていた。脳裏に浮かぶ光景に胸が苦しくなる。動悸がひどく胸を圧迫した。
 想像の中で、彼女が艶かしく笑う。彼女に向かって伸びる手を、押さえられない。
 想像の中の自分が、彼女が身に纏うレースを一枚一枚剥ぐようにめくっていく。最後のレースの下から現れるのは、魅惑的な肉体だ。
 恥じらう彼女をおもいきり抱きしめて、貪るような口づけがしたい。しなやかな彼女の視線を独占して、自分だけを見て欲しい。その柔らかな肢体を堪能し、白い太ももの内側に赤い跡を残してこれは自分のものだと主張したい。


 ――やめろ、何を考えている。勝手な妄想で、これ以上彼女を汚すな。
 隅に追いやられた理性が欲望を糾弾する。
「タシャ?」
 呼びかけに、ハッと我に返った。
 ナマエは不審げにこちらを窺っている。だが、振り返ることはできなかった。
 情欲が下からこみ上げて来ている。それを振り払うようにぎゅっと目を瞑った。熱の固まりを飲み込むように、ごくりと唾を嚥下する。
 隣を見るな。こんな醜い情欲など悟られるな。
「タシャ、どうしたんだ? 怖い顔してるけど」
「……いや、なんでもない」
 表情を繕う余裕もなく、なんとかそれだけを返す。
 すぐにその場を立ち去れ。脳内が警告を出す。これ以上彼女の近くにいては、冷静でいられる自信がない。
「休憩は終わりだ。そろそろ訓練に戻る」
 そう短く告げて、踵を返す。急なよそよそしい態度に、彼女はきっと不審に思っただろう。だが、彼女を気遣う余裕など、正直なかった。
「え? ……あ、うん、頑張って」
「ではな」
 ナマエの戸惑った声を背にし、私は逃げるように彼女の前から立ち去った。
 飲み込めなかった熱情を抱えて。