朴念仁
とある長閑な午後の一時、回廊ではルリ城メイド達がにぎやかなおしゃべりに花を咲かせていた。
「そういえば知ってる? この前ジル様が、中庭でこそこそカナン様の散歩の後を付けていたらしいのよ」
長い回廊のモップがけをしていた一人がそう口を開くと、飾り窓を拭いていた二人が勢いよく振り返って食いついてきた。
「ええ?」
「それホント?」
「ほんとほんと。お嬢様に気をつけていただくよう申し上げなくっちゃ」
はあ、とメイドの一人が雑巾を握りしめ、ため息をついた。
「ほーんとジル様って、顔は悪くないのに中身が残念よね」
「そうよね~」
きゃはは、と笑いながら他の二人も同意する。
と、モップを杖代わりにしていたメイドが、柄を持ち変えた際に手元を誤って取り落としてしまった。
「あっ」
慌ててそれを掴もうとするも、既に遅し。カターン、と回廊に音が響いた。
と、柄の軌跡を目で追ったメイドの視界に、別の人物の足が入り込んだ。
驚いて慌てて顔を上げると、そこに厳しい表情で佇む白騎士の姿があった。
「タシャ様!」
メイドは言葉を失って、青くなった。
なにせ仕事中に私語に夢中になっているところを見られてしまったのだ。彼は見るからに真面目で厳しそうだし、また実際そうだと聞く。端正な顔立ちに見惚れている暇はない。いったいどんなお咎めの言葉が飛んでくることやら。
メイドが慌ててモップの柄を拾おうとすると、それより早く革手袋に包まれた手が、それを拾った。
タシャは拾い上げた柄を無言でメイドへと差し出す。
「も、申し訳ありませんタシャ様」
「構わん」
メイドが大いに恐縮しながらモップの柄を受け取ると、タシャは短く告げた。
ありがとうございました、とメイドが頭を下げる。
タシャはそんなメイドをまっすぐ見ながら、表情を変えぬまま口を開いた。
「だが仕事中は私語を慎んだ方がいい。職務は忠実に遂行するのが望ましい」
静かな説教に、メイドたちが反射的に首を竦めたのは言うまでもない。
背筋をまっすぐ伸ばしながら遠ざかっていく白騎士の後ろ姿を見送りながら、なんとか虎口を逃れたメイドが安堵のため息をついた。
「タシャ様ってかっこいいけど、ちょっと怖いのよね~」
わかるわ、それ、と別のメイドが同意した。
「遠くから眺めてる方がいい人って、いるわよね」
はあ、とメイドたちのため息が重なった。
また別の日の午前。
ルリ城の中庭で暇を持て余していた婦人が、軍事棟から颯爽と出てきた若き白騎士の姿を見て、目を輝かせた。
扇で口元を隠し、中庭の通路を行くタシャの進路をふさぐように前へと出る。
「ごきげんよう、タシャ様」
艶然と微笑むと、足を止めたタシャが「ごきげんよう、ご婦人」と、にこりともせず会釈してきた。
「なにかご用ですか」
「今日は天気がいいですわね」
タシャの言葉を無視し、婦人は得意の流し目を向けながら、ゆっくりと彼に近づいた。
「こんな天気のいい日はどなたか素敵な殿方とカフェテラスでお茶でも頂きたいですわね」
「そうですか」
タシャの返事は素っ気ない。婦人はめげずに続けた。
「わたくしとご一緒してくださる方、いないかしら。どなたか知りません?」
つまりはお茶のお誘いだ。なんとも婉曲的な言い回しだったが、紳士ならばこの意味合いを何なく理解できるはずだ。
が、タシャはやはり表情を崩さず、婦人の言葉を一刀両断した。
「あいにく私は貴方のような方にご紹介できるような者を存じません」
これには流石の婦人も鼻白んだ。一気に興が削がれたように笑みを失い、口元を覆い隠してた扇を乱暴に閉じた。
「……あら、そう。残念だわ」
「では、失礼します」
挨拶もせずに、つん、とそっぽを向いた婦人を気にも止めず、タシャは城の大広間に続く扉の奥に姿を消した。
きつく握りしめた扇が、ギリ、と音を立てた。
「なんなのあの朴念仁」
誘いを無碍に断られ、恥をかかされた婦人は歯ぎしりせんばかりに口元を歪めて、タシャの去っていった方向を睨みつけた。
「顔はいいけど淑女に対しての気配りというものが全くなってないわ」
紳士ならば、淑女に恥をかかせないように断り方も工夫するのが普通だ。だがそれすらなく、タシャの断り方は婦人にとっては無礼そのものだった。
「まったく失礼しちゃう!」
この後ルリの貴婦人方の間に、タシャの朴念仁っぷりの噂が広まったのは言うまでもない。
「――この頃城でちらほらあんたの噂を聞くんだけど」
城の中庭で偶然居合わせたタシャに、ナマエは開口一番そう告げた。
タシャはぐっと言葉に詰まり、観念したように目を閉じた。
「大方録な噂ではあるまい」
どうやら噂の内容は本人の耳にも入っているようだ。タシャの反応にナマエは内心面白がりながら、口を開いた。
「まあね、あんたが朴念仁だって」
「……まあ、間違ってはいないな」
はあ、と深いため息とともにタシャが言う。
「否定しないんだ」
意外な反応に、ナマエは眉を上げた。まあな、とタシャが腕を組んだ。
「自分の事はそれなりに分かっているつもりだ」
タシャは隣のにやけ顔を浮かべるナマエをねめつけ、ふと目を伏せる。
「城のメイドには怖がられているし、婦人にはつまらない男だと思われているようだな」
言葉尻がいじけたようにしぼんでいく。どうやら流石のタシャにとっても不本意らしい。
耐えきれず、ナマエは破顔した。
「なんでだろうなぁ、私はあんまりそうは思わないのに」
「愛想がないからな」
「というより、真面目すぎるんじゃないの?」
からかい混じりに上目使いで隣の男を見上げると、タシャが憮然とした表情を浮かべた。
「悪かったな」
「悪いとは言ってない。あんたの美点だと思うよ」
どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。フォローを入れるも、むっとした表情のまま彼は眉を寄せた。
「だが今、からかっただろう」
「少しな」
「やはりな」
声色に険が篭もって、ナマエはどきりとした。
本気で怒らせてしまったのだろうか。いや、これくらいのからかいで怒るような男ではなかったはずだ。
タシャの迫力に内心気圧されながらも、ナマエはあえて一歩彼に近づき、気を紛らわせるようにぽんと腕を叩いた。
「ごめん、怒るなよ。あんた顔が整ってるから、眉間に皺寄せると結構迫力あるんだぞ?」
ハッとタシャが瞬く。自分の形相に気づいて、慌てて口元を手で覆った。
「べ、別に怒ってはおらん。すまなかった」
気恥ずかしげに謝られ、ふと気づく。からかわれて、ただ単に恥ずかしかっただけかもしれない、と。もしそうだとすれば、彼もよくよく損する人だ。
隣の白騎士をじっと見つめながら内心で考察していると、その視線に気づいてタシャが困ったように目線をさまよわせる。
「ナマエ」
ふとタシャがナマエを呼んだ。
「なに?」
「……お前も、気配りの出来る男の方がいいと思うか?」
慎重な問いかけに、ナマエは瞬いた。
この男にしては珍しく意味深な問いかけだった。
「そうだな……。あんまり気を使われるとこっちが気疲れしそうで、やだな」
タシャがこちらを振り返った。ナマエを認めて、ほっとしたように目元を綻ばせる。
「そうか」
安堵したようにそう告げると、彼は急に調子を取り戻したように語調強く口を開いた。
「だいたい、見栄を張って自分をよく見せようとして何になる? 私は回りくどいのは好かん」
「私もそう思うよ」
タシャの言葉に同意すると、彼はまっすぐにナマエを見つめて微笑んだ。
「私には、お前のようにはっきりと言ってくれる者の方が合っている」
ストレートな言葉に、ナマエは一瞬言葉に詰まった。彼にとってはほめ言葉なのだろう。だが単に友人としての言葉の可能性もあり、喜んでいいのか微妙なところだ。
「それって私、女としてどうなの?」
冗談混じりに問いつめると、タシャはきょとんとした。
「無論、おまえの魅力の一つだと思うが」
「み、魅力!?」
言われ慣れない言葉にナマエは顔を赤くした。褒めてもらってこんなことを言うのは何だが、それにしたってもっと他に言いようがあるではないか。
やはり彼は朴念仁だ。女心をわかっていない。飾り気のないストレートな言い方も好きだが、時には回りくどい言い方も必要なのだ。
タシャはナマエがなぜ言葉を失っているのかわからず、頭にハテナを浮かべている。
それでもそんなタシャがなんだか可愛く見えてきて、ナマエは苦笑を浮かべるのだった。
「……うん、ありがと」
礼を告げると、タシャはほっとしたように微笑んだ。
その微笑は、この世の女性全ての心を溶かすほど魅力的だ。
(この性格で逆に良かったのかな……)
その笑みを見つめながら、ナマエは思う。
彼が生真面目で面白みがない、という不名誉な評価は一部の間では事実だ。だがタシャが気配りとユーモアのセンスを持っていなくて良かった。だってもしそうならば、彼はきっとさぞモテたことだろう。そうなればきっと、彼はナマエの手の届かないところにいたに違いない。
そうならないで良かった、と思いながら、ナマエは隣の朴念仁をそっと窺うのだった。