バレンタインSS




「お菓子を作るわよ!」
 酒場の娘が唐突に告げたのは、その日の午前のことだった。

 いきなりの提案に驚いたものの、半ば強制参加で酒場のキッチンに集められたのは、私含めて女ばかりだった。セイレンとマナミア、そして何故かカナンまでいる。
 傭兵団の男たちは、外に締め出しを食らっているようで誰一人いない。

「皆集まったわね! じゃあ早速作り始めるわよ」
 と、卵や砂糖、チョコレートなど山と積まれた大量の材料を前に意気込んで腕まくりをするアリエルに、私は訳がわからず口を開いた。
「なあアリエル、なんでいきなりお菓子作りなんだ?」
 問いに答えたのは、レースのエプロンを締めたカナンだった。
「なぜって、バレンタインだからよ」
 バレンタイン? 首を傾げると、マナミアが笑顔で告げる。
「チョコレートがたくさん食べられる日ですわ」
「そうなのか」
 アリエルが苦笑する。
「マナミアらしいというか……。まあ、ちょっと違うんだけど、大体合ってるわ」
「んん?」
 要するに、チョコレート菓子を作って楽しむ日なのか。そう漠然と解釈しながらも、けれどよく分からず唸っていると、急かすようにアリエルがパン! と手を鳴らした。
「さあ、皆何作るか決めた!? さっさと取り掛からないと、時間なくなるわよー」
 その言葉を合図に、皆が一斉に動き始める。驚きなのは、あのセイレンまでもが楽しげにお菓子作りに参加していることだ。……いや、別に変な意味ではないが。
「あー、何作ろうかなぁ」
「セイレンなら、トリュフなんていいんじゃない? お酒たっぷり使って大人の味に仕上げてみたら?」
 お、それいいなぁ! とアリエルの提案にセイレンが明るく頷き、いそいそと材料を揃える。チョコレートに生クリーム、蜂蜜、ウィスキー。……と、なぜかカラシにアンチョビ、チリソースなども手に取っている。
「……セイレン、ダークマターでも作るつもりか?」
 セイレンが嬉々として答えた。
「これ? もちろんあの洟垂れデグの棒用だよ」
 どうやらジャッカル用らしい。……彼には同情する。

「私はチョコマフィンにしようかしら。マナミアさん、一緒にどう?」
「ええ、もちろんお手伝いいたしますわ」
 カナンの提案に、マナミアが頷く。
 用意された小麦の量は、ゆうに五キロはありそうだ。……一体どれだけ作るつもりなのか。
「マナミアさん、その量……」
「たぁっくさん作りましょうね!」
 カナンの引き攣った表情に、マナミアが意気込んだ。
「カナンさんは勿論エルザさんに渡すんですの?」
「ええ。あとは伯父様の分と……」
「うわ、カナンってば優しいなぁ。あんなクソオヤジにも用意するなんて」
 セイレンが大仰に涙を拭う振りをした。
「婚約者の方にも、渡すのですか?」
「あ、それはもう買ってあるわ」
 
「そういやマナミアさんは誰に渡すんですかぁ?」
「え? モチロン自分用ですわ」
 セイレンのからかい混じりの問いにも、マナミアはぶれない。あっそ、と予想通りの答えにセイレンが肩を落とした。

 しかし、どうやら作ったものをプレゼントするのが決まりらしい。単なるお菓子作りの日ではないようだ。と、考えながら作業模様を眺めていると、アリエルがやってきてエプロンを差し出された。……フリフリエプロン。
「ほら、あなたも早くこれつけて!」
「わ、私も作るのか?」
 当たり前じゃない! と叱咤される。それでも戸惑っていると、どうしたの? と尋ねられる。
「……お菓子作りは多分無理だ。作れない」
 先ほどから甘い匂いが鼻について、もうそれだけでお腹が一杯だ。が、そんな言い訳ではアリエルは見逃してくれそうになかった。
「もう、だったら私も手伝ってあげるから! ね、ブラウニーなんてどう? 割と簡単よ」
「……分かったよ」
 キラキラした目で見詰められ、頷くしかなかった。
 ――とはいえ。
「あっ、ちょっと待って! それは粉を篩ってから……ああもう」
「こら、魔法を使わない! チョコが焦げちゃうでしょ!」
 お菓子作りは中々難航を極めた。元々大雑把な性格であるという自覚はあった。料理ならば大体の感覚で作っても大丈夫なのだが、お菓子作りは分量から何から既定どおりの方法を踏まないと、大変な目にあう。ゆえに、
「面倒くさい……」
 はあ、とため息をつくと、大量の材料をすり混ぜていたカナンが口を開いた。あとは焼くだけのようで、中々手際がいい。
「あのね、こういうのは愛情が大事なの。ひと手間かけるのが重要なのよ」
「……カナン、あんたそもそも料理とか苦手なんじゃなかったっけ? なんでそんなに慣れてるの?」
 お城のパティシエに教えてもらったの、とカナンは笑顔で告げた。
「料理は苦手だけど、お菓子作りなら任せて!」
 頼もしいですわ、と顔に粉をつけたマナミアが微笑んだ。

 酒場のキッチンから、焼き菓子の甘い香りが漂ってきた。
 焼きあがった菓子をオーブンから取り出す。カナンとマナミアが作ったマフィンはふっくら焼けていたが、
「ほら、ちゃんとしなかったから膨らまなかったじゃない」
「悪かったって」
 ぺちょりとしぼんだ黒い物体に、苦々しく顔をしかめる。大惨事とまでは行かないが、失敗したのは間違いない。
「味は、……初めてにしてはまあまあね。ちょっとぼそぼそするけど」
「そりゃどうも」
 アリエルのありがたい言葉に肩を竦める。
「さ、さっさとお皿に持ってお茶の準備にしましょう!」
 アリエルが作ったものと一緒に並べられると、余計貧相に見えるのが若干悲しい。


 紅茶とコーヒーが用意される頃には、傭兵団の男達が帰ってきた。ジャッカルが気障ったらしく、抱えていた真っ赤な薔薇の花束をセイレンに渡した。彼女は真っ赤な顔でお決まりの憎まれ文句を言うと、最後に小声で礼を告げていた。
 お返しに、とセイレンが可愛らしくラッピングされた例のダークマターをジャッカルに渡すと、彼は一口それを食べて「意外とうめえじゃねえか」と破顔する。……あれ? おかしいな。ダークマターじゃない? と思ったとき。
「ぐっ、なんだこれは……!」
 突然苦しみだしたクォークが、テーブルに突っ伏した。どうやらあの例のものはリーダーに当たってしまったらしい。とことん運のない。
「クォークさん、大丈夫ですの?」
「あ、ああ。悪いな」
 マナミアが甲斐甲斐しくコーヒーを注いでクォークに差し出した。その傍ら、
「はいエルザ! 受け取ってくれる?」
「ありがとうカナン、美味しそうだな」
 大皿に盛られたチョコマフィンを受け取るエルザの表情は、みっともないほどにでれでれだ。鏡を差し向けてやろうか。内心で呆れながら、アリエルの焼いたブラウニーに手を伸ばす。美味しい。
 と、ふいにユーリスが隣にやってきて、皿に盛られた、しぼんだブラウニーもどきにおもむろに手を伸ばした。
「そっちはやめておけ。まずいぞ」
 思わず忠告すると、振り返ったユーリスが真面目な顔で告げた。
「でもこれ、君が焼いたやつでしょ?」
 思わず動揺する。
「ど、どうして……」
「分かったって? だって君の性格を考えると、一発で分かるよ」
 絶句していると、ブラウニーもどきを一口かじったユーリスが頷いた。
「まあまあいけるね。練習すればもうちょっと何とかなるんじゃないの?」
「うるさい。今度はあんたが作れ」
「一ヶ月後にね」
 くすり、と少年が笑う。

 と、いつの間にかシャンパンを片手にしたセイレンが、上機嫌に宣言した。
「ハッピーバレンタイン!」



 一方。
「トリスタ様、これは?」
「ん? これか? トリスタ特製、チョコ入りカレーだ! たんと食え!」
「……はあ」