初夜にて
丸々と太った猪がむごたらしく串刺しにされ、目の前で火に炙られている。料理人の男がその巨体を満遍なく炙るべく、額に汗を浮かべながら握った取っ手を懸命にぐるぐると回していた。じゅう、と焚火に向かってしたたり落ちた肉汁が蒸発し、香ばしい匂いが辺りに漂う。
……ああ、腹立たしい。
その悩ましい光景をじっと見つめていたホメロスは、思わず口の中に溢れた唾液をごくりと喉を鳴らして飲みこんだ。本日は早朝から支度に追われ儀式からの祝宴と長時間労働に体は既に疲労を訴えており、食事に至っては朝食以降まともに食べていない。かろうじてまだ体裁は保っているものの、顔に張り付けた外向き用の笑顔はそろそろ限界を迎え引きつりそうだ。
ぐう、と鳴る腹の虫を宥めるべく腹のあたりに手を当てる。目の前には豪勢な料理の乗った皿の数々が提供されど、その皿に手を伸ばす暇はない。ひっきりなしにやってくる今夜の祝宴に招かれた招待客の相手をしなければならないためだ。彼らは自分たちを祝うために遠い地からはるばるユグノアまでやってきた。その賓客たちからの祝辞をまさか代理の者に託すわけにもいくまい。
サマディーからやってきた招待客との挨拶が終わり、ホメロスは次の招待客が彼らのテーブルに進み出る一瞬の隙を縫ってちらりと隣に立つ人を窺った。首元までレースに覆われた上品なクラシカルスタイルのドレスを纏う人は先程神前で夫婦になると誓った女性だ。緩く編み込んだ髪の上にはティアラの代わりに色とりどりの美しい花冠が乗せられている。この国の未来の王妃エマからのプレゼントだ。
もともと忍耐強い性格の彼女は続く招待客の挨拶に笑顔を崩すことなく、新たにやってきた賓客ににこやかに対応している。だが肉体労働は自分の方が慣れているが、彼女はそうでもない。ホメロスはナマエの横顔に疲労の色が表れていないかを注意深く観察し、まだ大丈夫そうだと判断し再び視線を招待客の方へと戻した。
夜を迎えたユグノア城前広場は軽快な音楽と人々の喧騒とが入り混じり、やや混沌の様相を呈している。夜空が良く見渡せる広場は花と緑と無数の灯りで美しく飾り立てられ、幻想的な光景が広がっていた。
満天の星々がちりばめられた夜空の下で、人々は陽気に乾杯を交わし、持ち寄ったご馳走を食べ、古い民謡を歌い、踊り、皆ホメロスとナマエを祝福してくれている。
この良き日、晴れてめでたく一組の夫婦が誕生したのだ。
そう、つまり結婚式。
紆余曲折を経て、とうとうナマエを妻に迎え入れたのだ。だが素直に喜ばしいと思う反面、その事実をまだ心のどこかで受け入れきれていない自分がいるのも確かだ。
式が始まる前、ホメロスは別室で支度をする彼女の元を尋ね、こう問うた。本当に相手が自分でいいのかと。つまりは直前になって臆病風に吹かれたのだが、そんな情けない自分に向かってナマエはにっこりと笑って宣言した。
『もう一度同じことを言ったら許しませんからね』
思い切り頬をつねりながら向けられた笑顔は有無を言わせぬ迫力があった。きっと相当怒っていたに違いない。だがその頬の痛みと彼女の怒りにホメロスは逆に安堵を覚え、ようやく覚悟ができたのだ。
きっと彼女の揺るがない想いを確認し、背を押して欲しかったのだろうと思う。我ながら情けない男だとは思うが、完璧主義たるゆえに失敗を恐れ慎重になってしまうこの癖は中々治りそうにない。
神前の誓いは滞りなく無事済んだ。書類へのサインも済ませた。つまりこれで名実ともに夫婦となったのだが、堅苦しい場からすぐに解放されるわけではない。陽が落ちるとともに始まった披露宴は各国からの招待客のほか、ユグノア復興に集まってくれた大勢の人々が参加した。祝宴に使える予算は限られているため、ご馳走や飲み物は持ち寄り式だ。これほど大規模なポットラックパーティーは類を見ないが、皆それぞれ腕によりをかけた料理を持ち込み、各家庭の味を楽しんでいるようだ。中には狩った獲物を直接持ち込んで調理する猛者もいて、出来上がってきた猪の丸焼きに一部の食欲旺盛なものたちは歓声を上げている。とはいえ肝心の主役二人はホスト役に忙しく、ほとんど料理は味わえていない。これが俗に言う新郎新婦は食べられない問題か。
目の前のご馳走が夜の冷気で次第に冷えていくのを手をこまねきながら眺めていると、近くのテーブルに座っていたイレブンがおもむろにすっと立ち上がり、手に持ったグラスをスプーンでチンチンッと鳴らして人々の注意を引いた。
「えー皆様。宴もたけなわではございますが、そろそろ夜も更け、新郎新婦の退場のお時間となりました。お手元のグラスをお持ちいただいて今一度乾杯ののち、二人を見送りましょう」
まさしく鶴の一声。勇者様のありがたいお言葉に皆一斉に立ち上がり、夜空に向かってグラスを掲げる。大勢の人からの祝辞の大合唱にナマエは(とホメロスも一応)笑顔で応え、ようやく宴席を辞すことができた。
なぜ勇者が進行役を務めているのかは謎だが、イレブンの機転によりようやく長時間労働から解放されたのは確かだ。ホメロスは脇で突っ立っていた元部下のデルカダール兵に耳打ちし、心の中でイレブンへの感謝を述べてナマエとともに祝宴の広場を離れた。
「あーあと、まだお時間に猶予がある方は、この後特別ステージにて旅芸人シルビアとその仲間たちによるショー、それと今を時めく英雄グレイグの火潜り芸を披露するので是非お立ち寄りくださいませ~。僕とおじいちゃんによるドゥルダの奥義も見せちゃうよ」
「イレブン、酔っぱらっているな……」
広場を離れ際背後から聞こえてきた声に背後を振り返ると、「聞いとらんぞ!」というグレイグの野太い抗議の声が夜空に響き渡ってきた。中々興味をそそられるラインナップだったが傍らのナマエの表情が曇りがちなのが気になったので、無理はせずそのまままっすぐに二人の住居を目指した。
ようやく愛しの住まいへと帰宅すると、まずはバスルームへと直行した。堅苦しい衣装を脱ぎ捨て身一つになり、暖かい湯を浴びてようやく人心地つく。ちなみに共に入るかとナマエを誘ったが、色々と支度に時間がかかるのでお一人でどうぞとすげなく断られてしまった。落ち込んではいない。とはいえ次がつかえているため烏の行水のごとく身を清めたらさっと上がり、バスルームを解放した。
ゆっくり浸かってくれと言い残し、ホメロスはナマエが湯に浸かっている間、軽食の準備をし始めた。腹が減って仕方がなかったためだ。ストックしてあったパンと生ハムをスライスし、ほかにも軽くつまめるものを用意する。飲み物に酒か紅茶かと迷っている間に、二度来客があって都度玄関へと向かった。一人目は先程宴席を離れる際、適当にいくつか料理を持って来てくれと頼んだ元部下。そして二人目は贈り物を携えたロウの使いだ。
ホメロスが寝室に軽食の準備を終えたころ、丁度ナマエも湯から上がったようだった。水で喉を潤していたところに響いたノックの音に返事をすると、扉からおずおずと入ってきた彼女の恰好を目にして思わず喉を詰まらせた。
「んぐ」
ぴゅ、と僅かに口の端から水が零れる。むしろ、吹き出さなかった自分を褒めてやりたい。
「お、お待たせしました……」
そう恥ずかしげに告げる彼女の恰好は端的に言って、……かなりスケスケだった。大事なところをうまく隠したデザインはひらひらと揺れるレースの隙間からへそが見え隠れし、太腿の半ばほどまでを覆う白の布地は肌色がうっすらと滲んでいる。なんとも煽情的だ。いや、とはいえ花嫁の清楚さを際立たせるような上品な透け具合はなんとも……待て待て上品な透け具合ってなんだ冷静になれホメロスよ。
「い、いや、それほど待ってはいないが。……ところでその恰好は?」
濡れた顎先を拭いながら冷静を装って尋ねると、ナマエは恥ずかしそうに両手を前に組み、やや俯きがちにホメロスを見上げながら口を開いた。
「マルティナ様からの贈り物です。なんでもデルカダールで有名なデザイナーが手掛けたネグリジェ? だとかで……」
おお姫よ、グッジョブ、じゃなくてなんと嘆かわしい。頬をうっすらと染めながら心もとない格好にもじもじとするナマエに、ホメロスは思わず内心で頭を抱えた。抑えきれない煩悩が今にも全身の穴から垂れ流れていきそうだ。
「でも、流石にこれはちょっと……。丈が短いし、色々と透けすぎ、ですよね? やっぱりいつものネグリジェに着替えてきます」
ホメロスがあまりに無反応だったため少し不安になったらしい、ナマエが踵を返そうとするところを慌てて引き留め、どうにかして彼女の羞恥心を紛らわせようと苦心する。
「いや待て、せっかくの贈り物だ。すぐに脱いでしまうのも姫に申し訳ないだろう。今夜くらいは着ていたらどうだ?」
「それは、でも……。みっともなくないです?」
「大丈夫だ、よく似合っている。もしどうしても気になるなら、これを羽織っているといい」
ホメロスは羽織っていたガウンを脱ぎ、むき出しの華奢な肩を包んだ。ナマエは知らないようだが、彼女が身につけているのはベビードールという煽情的な下着の一種だ。デザインからして恐らくはブライダル用か。まったくあの姫はなんというものを贈ってきたのやら。良くやったと言うべきか、姫の未来の夫の心労を憂慮すべきか。
しかもホメロスのガウンに袖を通したナマエの恰好が、予想外に目に余るものとなってしまっている。当然男物のサイズのそれは彼女には袖が余り、余計に華奢さを引き立てていた。これでは更に男の欲を煽っているも同然、失敗だったかもしれない。いや、初夜にヤることといえば決まっているのだ。なので、まあ結果オーライか。
「ふふ、やっぱり私には大きいですね」
「ああ、そうだな」
「あ、このガウンからあなたの香りがする。……なんだか落ち着くわ」
「それは重畳。ところでナマエ、今日は疲れただろう。こんなところでいつまでも突っ立ってないでそろそろベッドに――」
サイズの合わないガウンに包まれ無防備な様子で目の前に立つ新妻に手を伸ばそうとした時、キュウ、とどこからともなく可愛らしい音が鳴った。「あっ」とナマエの慌てた声。どうやら彼女の腹の虫の音らしい。
「うふふ、鳴っちゃいましたね……。ホメロス、あなたはお食事をちゃんと頂けました?」
ナマエはお腹を抑え、恥ずかしそうに笑った。多少興は醒めたものの、可愛らしい反応に頬が緩む。彼女の腹の訴えにホメロスもまた己の空腹を思い出し、肩を竦めつつ口を開く。
「まあ小鳥の餌程度には啄んださ」
「やっぱりそうですよね。目の前にあんなに沢山ごちそうがあったのに、ほとんど食べられないなんて……ちょっと不公平だと思いません? せめてジーナさんが作ってくれた木苺のパイは一口だけでも頂きたかった。ジーナさんの焼くパイはとっても美味しいんですよ。……あっ、あなたはご存知でしたね」
不服そうに唇を少し尖らせる彼女にホメロスはくくっと喉奥で笑い、ベッド脇のサイドテーブルの上を指し示した。
「そう言うだろうと思って、取り分けておいてもらった。他にも軽食をいくつか用意してある」
「わっ、嬉しい。さすがは私の……旦那さま、ですね」
うふ、と気恥ずかしそうに微笑みを浮かべたその一言は、ホメロスに膝を屈させるほどには十分なほどの威力がある。だが夫の威厳にかけてその場にしゃがみ込んで頭を抱えたい衝動は何とか耐えた。
「ン゛ッ! ……い、いやまあ大したことではない。だがもう夜も遅い。あまり食べ過ぎないように気を付けねばな」
わざとらしく視線を逸らしながらそう告げると、ナマエは素直に「そうですね」と頷いた。
ということで、二人きりのささやかな宴が催された。ベッドはナマエに譲り、ホメロスは部屋の隅にあった椅子を引っ張ってきてそこに腰を下ろす。元部下の運んできた料理はホメロスの好みを突いたものばかりで、なかなか有能な男だと心の中で評価を改めた。
「あら、これは?」
生ハムとチーズのカナッペに手を伸ばしたナマエが、ふとテーブル脇に鎮座していたボトルに目を止めた。いつもの愛飲のワインとは違うデザインのボトルだとようやく気付いたのだろう。
「クレイモラン産の蜂蜜酒だそうだ。義父殿からの贈り物だ。飲んでみるか?」
「お父様から? なら、頂きましょうか」
ナマエの同意を得てボトルの封を開ける。グラスに注ぎ入れると、濃い琥珀色の液体がとろりと杯の中を満たした。
乾杯をして、一口含む。
「ん、甘い」
「濃厚だな」
蜂蜜の甘さに紛れてほんのりアルコールの苦さもある。意外と度数は高そうだが、甘みが強いためするすると呑めてしまいそうだ。ホメロスはさっそく一杯目を飲み干してしまったナマエのグラスに蜂蜜酒を注ぎ入れてやりながら、ちらりと意味深に彼女を窺った。
「……クレイモランでは、新婚夫婦への贈り物として昔から蜂蜜酒が人気だそうだ。なぜか分かるか?」
「? いいえ」
きょとんとして首を傾げたナマエにホメロスは微笑む。
「昔から、蜂蜜には強壮効果があると言われている。恐らくはその由来のせいだろう。つまり新郎に栄養価の高い蜂蜜酒をしこたま飲ませ、新居に籠って二人でせっせと“励めよ”、といういらんお節介というやつだ」
「は、はげむ……」
ナマエはどうやら絶句しているようだ。彼女の頬が一気に赤くなったのはアルコールのせいだけではないだろう。
「もうっ、お父様ったら何を考えていらっしゃるのかしら」
赤くなった頬を抑えて憤慨しつつも、ちらりと熱を孕んだ視線がホメロスに向けられる。どうやら今宵が初夜ということを思い出してくれたらしい。
これまで、何度か夜は共にした。彼女は近頃になって誘うことにも誘われることにもようやく慣れてきてくれたようだが、今宵は特別な夜。ナマエはもとより、ホメロスですらも柄にもなく緊張していたのだが、ロウのおかげでうまい具合にことに及べそうだ。内心で義父に感謝をしつつ、ホメロスは椅子から立ち上がってナマエの隣へと腰かけた。
「ふ、まあいいじゃないか。それでは先人達の風習に倣って、オレ達も励むとするか……?」
細い肩に手を回すと、潤んだ瞳がこちらを見上げてくる。ずり、とサイズの合わないガウンが肩から流れ落ちて、むき出しの白い肌が目に飛び込んできた。
ナマエはホメロスの熱い眼差しに耐えきれなくなってか、視線を逸らすようにしてぱっと俯いてしまった。いまだ熱を持った頬を抑えつつ、ぎこちない笑みを浮かべてぽつりと一言。
「な、なんだかいつもより緊張しますね……。どうしてかしら」
「問題ない、オレもだ」
「ホメロスも?」
「ああ、柄にもなくな」
ナマエがこちらを見て意外そうに瞬いたので、肩を竦めつつもそう素直に認める。ホメロスが自認する感情については彼女からあまり信頼がない。長年軍師として活躍した経緯もさることながら、ホメロスには己の感情を誤魔化し取り繕おうとする癖があった。だがその癖は彼女にはとっくにお見通しのようで、疑わしいと思った時にナマエはよくホメロスの目をじっと見つめてくるのだ。目は口程に物を言うというやつか。幸いにも彼女がホメロスを見上げてすぐ本音だと分かってもらえたらしい。ナマエは安心したように笑みを浮かべつつ、やがておずおずと口を開いた。
「あの、お願いがあるのだけど。……いい?」
「なんだ?」
彼女の願いならば全て叶えてやりたい。遠慮気に切り出してきたナマエにホメロスがそう促すと、彼女は意を決したように顔を寄せてきて、そっと耳打ちした。
――ぎゅっとしてほしいの。
ささやかな願いに目眩を覚える。だが、理性を手放すのはもう少し先だ。ホメロスは期待に満ちた眼差しを向けてくる相手に牙を剥きたくなる衝動をかろうじて堪えた。
「仰せのままに、マイレディ」
昂る欲望の主張から必死に目を逸らし、ベッドに腰かけ身を寄せ合う。ほとんど素肌に近い格好のナマエの腰に腕を回すと、密着した部分からダイレクトに彼女の熱が伝わってきた。そんなホメロスの葛藤などお構いなしに、ナマエは腕の中で安心しきったように身をすり寄せてくる。ホメロスの胴に回された細腕は彼を離すまいとぎゅっと力が入り、片方の耳を胸板に押し付けてくる。鼓動の音にでも耳を澄ませているのだろうか。おそらく今、ホメロスの心臓は通常よりも早い鼓動を刻んでいることだろう。それを聞かれることに多少羞恥心を覚えたものの、しばらくは甘えさせてやるべきかと彼女を抱いたままこの永遠とも思える拷問のひと時を耐え忍んだ。
夜も更け、静かな部屋の中を、穏やかな吐息だけが空間を満たす。やがて腕に抱えていたナマエの重みが僅かにずしりと増した時、ホメロスの限界がピークを迎えた。
「……ナマエ、そろそろいいか?」
妻の安寧を破ることへの僅かな罪悪感から、遠慮がちにそっと声を掛けた。だが無情にも返事は返ってこない。代わりに聞こえてきたのは、すう、すう、と安らかな寝息。まさか。嫌な予感にホメロスは青ざめ、腕の中の彼女を窺う。
「ナマエ?」
返事はない。ホメロスの大事な人は安堵しきったような寝顔を晒しつつ、唯一安心できる腕の中で薄情にもひとり先に夢の世界へと行ってしまったようだ。思わず呆然とする。
――おい嘘だろう。ここで寝るのか。オレを置いて、寝てしまうのか。……もしやアルコールか? アルコールのせいなのか? くそっ、オレとしたことがこの未来を予測できなかったとは……。
ぐぬぬと煩悶しつつも、眠りこけるナマエを起こさないようにベッドに横たえ、脳内では忙しく一人大反省会が繰り広げられている。呑気に眠る妻の寝顔を見下ろしていると、恨み言のひとつやふたつ言ってやりたい気持ちになった。だが、代わりにその口をついで出た言葉は。
「はぁ、またか……」
また。なぜ、そんな台詞が零れたのか。寝落ちされたのは記憶にある限り今回が初めてだったはずだが、このお預けを食らう感覚を懐かしいと思ったのも確かだ。だが一体どこで。別の誰かと混同している……というわけでもないようだが。
……まあいい。
朝から支度に追われ、参列客への挨拶に追われ、きっとナマエも疲れていたのだろう。緊張もしていたはずだ。だからホメロスを放って一人夢の世界に旅立ったとて非難はすまい。だが未練がましくも首をもたげた欲望が諦めきれぬとばかりにホメロスをせっつくので、彼は仕方なくやわい頬をつんつんとつついたり、軽くつねったりしてみる。
けれどホメロスのささやかな悪戯に、彼女が起きる気配はない。元より己の理性は、彼女を起こすべきではないと主張している。
起きてほしいのに、起こしたくない。これはなんというジレンマか。ホメロスはやがて諦め、ナマエの隣で大の字になった。
まあ、急がなくても明日は来る。そう己に言い聞かせつつ目を閉じるも、横から聞こえてくる吐息が気になってなかなか眠気がやってくる気配がない。
「――だが明日は覚悟してもらわねばな」
覚えていろよ、とどこかの三下のようなセリフを吐きつつも、せめてもの意趣返しに彼女のやわらかな体を抱き寄せて抱き枕代わりとした。明日の朝、起きたときに大いに慌てふためくといい。そんな底意地の悪いことを思いつつ、裏腹にあたたかな肌を堪能するのであった。
……まったく、今夜は眠れそうにない。