幸福


※将軍は可愛いものがお好き 微続編


 繕い物をしているとあっという間に時間がすぎる。そろそろ夕餉の支度をしなければいけない頃だ。
 支度をして小さな邸を出、徒歩で市場のほうへと向かうと色々な匂いが漂ってきた。特に香辛料の匂いが鼻につく。
 成都は人種のるつぼだ。様々な少数民族と思わしき人々が通りを行きかっている。
 その中で私は今夜の野菜を買い、途中で豆腐を、最後に精肉屋で豚のひき肉を買った。総合すると意外と重い。こんなことなら馬を引いてくればよかったと夕焼けに染まる成都を背にしながら思う。よいしょ、と荷物を抱え直したその時、かぽかぽと軽快な音階の馬の音が聞こえてきた。
 振り返ると、馬を引きながら夕焼けに照らされて大通りに立っていたのは。
ナマエ
 きりりとした眉が凛々しい、鎧に身を包んだ愛しの旦那様だ。
 仲権殿は兜を小脇に抱えながら、よっと片手で挨拶を寄こしてきた。城でのお勤めが終わって帰り道の途中なのだろう。
 私は片手で荷物を抱え、にこりと笑みをよこした。
「今日のお勤めは終わったんですか?」
「うん。買い物は終わったのか?」
「はい」
「じゃあ運ぶよ」
「ありがとうございます」
 仲権殿は私の荷物の包みを受け取って、愛馬に括りつけた。
 挨拶もそこそこに、私達は邸に向かってのんびりと歩き出す。仲権殿の姿を見て町の人が挨拶を寄こす中、片手を上げて応えつつも道を練り歩いた。


 仲権殿のお父上である夏侯淵殿が定軍山で討たれ、それから間もなくの魏での政変の後、司馬一族による曹一派の粛清がため危機を感じた仲権殿は蜀に亡命した。当時恋人だった私は別れも何も云われないまま仲権殿が出奔したと聞かされしばらくはショックで寝込んでいたものだったが、その後間もなく蜀に亡命した仲権殿から私を迎え入れる準備が整ったと手紙を貰い、時を経ずして家族に別れを告げて私も仲権殿を追って魏を出奔したのだった。
 それから亡命先の蜀であたたかく受け入れられ、今日まで過ごしてきた。亡命して間もなく華燭の典をあげた私達だったが、知り合って間もないというのに蜀の人々は私達を祝福してくれ、郊外に小さな邸を与えてくれたのだった。
 それから今日まで、平和に過ごしている。とは云え、国境ではきな臭くなってきているようだが。
 かぽかぽと仲権殿の愛馬の立てる音がのんびりと響く。夕焼けを追って帰路を目指す中、私は隣の仲権殿を振り返った。
「今日はお勤めどうでした?」
 歩きながら尋ねると、多少げんなりしたような表情が返って来た。どうやらお疲れのようだ。
「いつもどおりだよ。執務続きで毎日疲れる疲れる」
 顔に似合わず年寄り染みた口調に、私は苦笑した。
「まあ、それでお給金貰ってるんですから、頑張ってくださいね」
「へいへい。分かってますよ」
 それにしても、と鎧武者の姿をまじまじと眺める。
「執務続きなら毎日鎧なんか着込んでいかなくてもいいんじゃないですか?」
 私の現実的な指摘に、仲権殿は頬を膨らませた。
「いや、そこは俺の個性というか……譲れないところなの!」
 あはは、と私は笑い飛ばした。
「分かってますよ、云ってみただけです」
ナマエ……」
 がくり、と仲権殿は肩を落とした。

 市場から徒歩四半刻のところに、邸はあった。
 小さな中庭がついている邸は小さく、表門には門番も居ない。表門をくぐり仲権殿は厩に馬をくくり付けに行った。私は運んでもらった荷物を受け取り、厨房兼食卓の間へと向かう。
 荷物を解くと、手を洗い早速調理に入る。
 野菜を洗い、豆腐を切っていると、着替えを終えた仲権殿が食卓へと入ってきた。
「あー、疲れた疲れた。はらもへったー」
 そうぼやきながら卓に着く。
 おなかをすかせた可愛い旦那様に、ふふ、と微笑んで、私は背中越しに声を掛けた。
「すぐにご飯つくりますね」
「うん」
 もぐもぐとなにかを咀嚼する音が聞こえてきた。振り返ると、仲権殿はどうやら食卓に常備してある棗の実を食べているようだった。仲権殿はその頬をリスのように膨らませて、棗の実を口に収めている。私はその姿にまた微笑んだ。
「あまり食べ過ぎないでくださいね」
 うん、と仲権殿が頷いた。

 野菜を切って器に盛る。研いだ米を炊いている間に、ニンニクとひき肉をいためて棚から香辛料の瓶を取り出した。
 背にずしりと重みを感じたのは、その時だ。
 振り返ると背中に甘える旦那様の姿が。
「なぁに、どうしたんですか」
 鍋を返しながら尋ねると、仲権殿は甘えた口調で小首を傾げた。
「邪魔?」
 その仕草に、笑みが漏れる。結婚してから数年は経つが、仲権殿の可愛らしさは未だ健在だ。
 あまりにも仲権殿が可愛いものだから、私は意地悪したくなってしまう。
「そうですね、ちょっとだけ」
「あ、ひどいな」
 私の軽口も冗談と分かっているのだろう。仲権殿が軽く頬を膨らます。
「もうちょっとで出来ますから待っててくださいね」
「はいはーいっと」
 私の言葉に素直に頷きながら、仲権殿は離れていった。
 途端に寂しくなる背中。背中が気になりながらも、私は鍋をふるった。


 今日の夕餉は旬の野菜の盛り合わせと麻婆豆腐、汁物にご飯。仲権殿用にと、晩酌のセット付きだ。
 二人とも、蜀に来てから辛いものをよく取るようになっていた。蜀は湿潤な気候が多いせいだ。
 つるんとした麻婆豆腐は食欲をそそり、ご飯がよく進む。
 仲権殿は余程おなかが空いていたのか、ご飯を掻き込むようにして食べていた。
「うまい。おかわり!」
 元気よく茶碗を差し出した仲権殿に、私はそれを受け取ってご飯をよそってあげる。あ、仲権殿、口元に一粒つけちゃっている。もう仕方のない人、可愛いったら。
「仲権殿、ご飯粒ついてますよ」
 仲権殿の口元についていたご飯粒をとって口に運ぶと、彼が目を白黒させた。ややあってなにか考え込むように箸が進まなくなり、ことりと茶碗を卓においた。
 ナマエ、と思考に沈んだような声が私の名を呼んだ。
 私も箸を置いて仲権殿を振り返ると、彼はやや甘えたような仕草で上目遣いでこちらを見上げていた。
「なあ、今日”しない”か」
 今度は私が目を白黒させる番だった。
 その言葉に含まれている意味合いは、説明されずとも分かった。昨晩も遅くまで求められ、今日だって寝過ごしてしまったのだから。
 とは云え、そんな言葉にいちいち反応して顔を赤くするような時期は過ぎている。私は面を食らいながらも、ややぎこちなく仲権殿に微笑んだ。本音を云えば今夜はゆっくり寝たい。
「どうしたんですか、明鈴が実家に帰ってからこのところ毎日じゃないですか」
「だってうち壁薄いし、明鈴がいると気使うだろ」
 明鈴とは、先日から実家に帰郷している住み込みのお手伝いさんだ。年頃の娘さんなので、お古の邸自体がぼろっちく壁が薄い我が家では夜の営みにも気を使う。
ナマエだって、遠慮なく声出せていいだろ?」
「もう、仲権殿ったら」
 恥ずかしげもなく云われてしまえば逆に照れて、からかわれる羽目になる。
「あ、その顔いいな」
「からかうのは止してください」
 赤い顔のまま睨んでもあまり効果はない。仲権殿はにんまりと笑った。
「可愛いよ、ナマエさん」
「もう、仕方のない人ですね。ほらほら、そうと決まったらお風呂も早めに入っちゃいますんで、早く食べてください」
「はいはい」
 食事を急かすと仲権殿は再び箸を持ち、へへ、とほころぶように笑った。


 食事が終わると一緒にお風呂に入り、背中を流しあった。
 夜になると夫婦共にしている寝室へと向かい、軽く話をしながら唇を寄せ合う。
 私のそれほど大きくもない胸に赤ん坊のように仲権殿が吸い付くと、そっとした手つきで茂みに分け入る。丁寧にほぐされ、唇が潤った花芯を開かせた。
 仲権殿の愛撫はいつも優しく丁寧だ。たまには激しく求めて欲しいと思うくらいに、手つきがいたわりに満ちている。でもそんな優しい仲権殿が大好きだった。
 それに反して、追い詰めにかかると容赦がない。
 一度捕まると、長い間離してくれない。無駄に持久力があるせいだ。他と比べようもなかったが、仲権殿自身が大きいせいで時として挿入に痛みを伴う事がある。だから丁寧な愛撫が欠かせない。
 私を求める時だって、仲権殿は私を気遣ってくれている。こちらの反応を窺い、腰の動きを強めたり弱めたりする。ゆっくりと、けれど延々と突き上げられて次第に訳が分からなくなってくるのだ。
 いいように揺さぶられて、次第に絶頂に追いやられる。波のように寄せる快感が、私を押し包む。
 私はあられもなく悲鳴を上げて、ぎゅ、と仲権殿に抱きつく。
 仲権殿は達する時、私の耳の裏を舐めるのが癖だった。


 夜半、一つの寝台で暖を取りながら、仲権殿の胸元に顔を寄せる。
 毎日重たい鎧を着込んでいるだけあって、仲権殿の体つきは精悍だ。可愛らしい顔に反して、と云ってしまうとまたふて腐れるだろうから、そこは黙しておく。
 逞しい胸に頬を寄せていると、寒さなんて吹き飛んでしまう。仲権殿は天上を見上げるように枕に頭を沈ませながら、片手で私を抱き寄せた。
「なあ、新しい邸、早く欲しいよな。頑丈な壁があって、広い庭があって」
 ささやかだけと実現するのは遠いだろう夢を語る仲権殿は、子犬のように目を輝かせながら私を振り返る。私は頬を緩ませながらも、小さくかぶりを振った。
「そんな贅沢は出来ませんよ。この小さな邸で私と仲権殿と明鈴との三人で、十分じゃないですか」
 将軍職とはいえ仲権殿一人の稼ぎでは、大きな邸を買うのには到底間に合わない。あと数年は我慢しなければ。それに私はこの小さな邸での暮らしが存外気に入っていた。小さな庭園でささやかに野菜を作ったり、仲権殿のために繕い物をしたり。魏では忙しかっただけに、こののんびりとした暮らしが好きだった。
「でもさぁ、もっとのびのびと暮らしたいよなあ。こんなせせこましいところじゃなくてさ」
「まあ仲権殿は魏ではお坊ちゃん暮らしでしたものね」
「いやいやいや、そういう意味じゃないって」
 仲権殿が私の言葉を慌てて否定する。仲権殿はなにせ時代をときめく夏侯一族だったもの。それはそれは豪勢な暮らしを満喫していたのだろう。
「誤解するなよ。俺はこの暮らしが気に入っていない訳じゃない。ナマエにさ、もっと楽させてやりたいんだよ」
 そう云って仲権殿は、ちゅ、と音をさせて私の額に唇を落とした。私はそれをくすぐったく受け取りながら、微笑んだ。
「ありがとうございます。そのお気持ちだけで嬉しいです」


「そういえば今日、城で星彩殿にあった。ナマエに会いたがっていたよ」
 思い出したように仲権殿が云ったので、私は一瞬懐かしさに目を細めた。
 蜀に亡命してよりすぐの頃、私は一時期城に皇室の貴婦人方の護衛として詰めていた事がある。その時に亡き張・関将軍のご息女と懇意にさせていただいたのだった。護衛の任を退任してより、彼女たちともしばらく会っていない。
「そうでしたか、それは嬉しいですね。皆さんにもご無沙汰していますし、一度城に顔を出そうかしら」
 すると仲権殿は、むっと眉をしかめて一言。
「だーめ」
 つん、と額をつつかれる。
「あら、どうしてですか」
「だってナマエ人気者だから取られちゃいそうで嫌なんだもん」
「そんなことありませんよ」
 子供じみた言い分にクスクス笑いながらかぶりを振ると、ますます態度を硬直させた仲権殿が頬を膨らませた。
「そんなことあるの」
「また子供みたいに。仲権殿ったら可愛いんだから」
 ぎゅう、とふいに思い切り抱きつかれる。
「はっきり云ってくれるなよ」
 拗ねたような口調で告げる仲権殿に、仕方のない人、と呟いてその頭を撫でた。栗色の柔らかい毛が、指に心地よい。
 仲権殿はしばらくされるがままになっていたが、ふと思い出したように口を開いた。
「明日明鈴が帰ってくるんだっけ?」
「ええ」
 明鈴が実家に戻っているのは明日までだ。明日の夕刻には帰ってくるだろう。
 仲権殿が、うー、と突然呻いて、枕に突っ伏した。
「どうしました」
「明鈴、もう少しの間だけ帰ってこなくてもいいのに」
 意外な言葉に、あら、と瞬いた。
「どうしてですか」
「だって、こうやって自由に”する”ことも出来なくなるだろ」
「仲権殿」
 軽口に軽く声に凄みを利かせて名を呼ぶと、顔を上げた仲権殿が笑った。
「まあそれは冗談として……。なんか二人きりだと新婚に戻った気分じゃないか」
「そうですね」
 それは私も思っていたことだった。独りで仲権殿の帰りを待つ間、寂しいながらもそれはそれで楽しい時間を過ごせていた。早く帰ってこないかと相手を想いながら待つ時間も、それなりに楽しい。
 その上、ずっと二人きりで過ごす時間の貴重なこと。相手を見詰めなおす良い機会だ。
 良いところも悪いところもひっくるめて、私は仲権殿が大好きだ。
「たまにはこういうのもいいだろ、新鮮で」
「ええ、そうですね」
 仲権殿。
 大好きな旦那様の名を、静かに呼んで。
「今、私とても幸せですよ」
「うん」
 幸せそうに微笑んだその頬に、そっと口付けを落とした。
 私の幸福はここにある。