第一話
亡国の王女




 ざ、ざざ。船体が勢いよく波を割って、順調に目的地を目指して進んでいる。空は快晴。風も穏やかで心地よい。
 グレイグは、デルカダール軍船の甲板にいた。この船は現在、バンデルフォン地方の船着場を出て、デルカコスタ地方を目指して南下中である。
 ユグノアが魔物の大軍の襲撃を受けた日より、数日が経っていた。あれから王と救出した人々を守りながらユグノア地方を撤退した一行だったが、バンデルフォン地方に抜ける手前の街グロッタが魔物に襲われているとの情報が入り、王の指示のもと救援へ向かった。実は虫が苦手なグレイグは蜘蛛型の魔物の親玉に苦戦したものの、なんとか撃退に成功。グロッタの町長の好意により、ユグノアで保護した民を託し、身軽になった一行は再び祖国を目指す。
 あわただしい数日とは対照的に船旅は穏やかなもので、ようやく人心地がつけた。だが、目を閉じれば炎上するユグノア城の光景が今でも脳裏によみがえる。魔軍による殺戮は凄惨を極めた。王に同行していた一人娘の幼いマルティナ王女も、行方不明となったままだ。
 むろん、捜索はした。ユグノア城から一度撤退した後、グレイグはすぐさま生き残った兵をまとめてマルティナの捜索に出た。昼夜を問わずの捜索に、しかし一向に王女の手がかりは掴めない。せめて何か痕跡でも――!
 兵士たちの疲労がピークに達する前に、無情にも王より捜索中止の命が出た。感情を映さぬ暗い瞳で、王は宣った。
 娘は死んだ、と。

 その言葉を、グレイグは到底受け入れ難かった。マルティナは今もどこかで生きて助けを求めているはずだ。皆に愛された天真爛漫な王女。グレイグにいたずらをけしかけては無邪気に笑っていたかわいらしい未来の女王。王の命令など無視して、今すぐにでも王女を探しに行きたい。
 だが、できない。
 グレイグは愚直なほどに忠実な騎士だ。デルカダール王に仕える一介の騎士にすぎなかった。命令に従うほかあるまい。
 暗くなった気分を振り払うように、顔を振ってぐっと頭を上げた。
 その視界に飛び込んできたのは、一人の少女。甲板で風に吹かれながら、波間を眺める少女の横顔をグレイグはなんとなしに見つめた。
 歳は、成人を間近に控えた頃だろうか。容貌はユグノア王妃エレノアに似て美しい。だが、その表情には隠鬱な陰りがある。
 グレイグが助け出した少女、ナマエ
 保護した少女が、実はユグノア王家の生き残りであると知ったグレイグは、その事実を王に報告するか大いに迷った。
 というのも、グレイグの敬愛する王がこの度のユグノア襲撃の原因はユグノア王家にあり、とはっきりと告げたからだ。
 いわく、勇者と魔王の復活は表裏一体。なればこそ、勇者こそが邪悪なる魂を復活させる存在、災いを呼ぶもの、すなわち悪魔の子だと。
 ユグノアの新たな王子イレブンこそが、あの魔の軍団をおびき寄せたのだ。グレイグはそれを頭の片隅で胡乱に思ったが、しかし一介の騎士が王の言葉を疑ってはいけない。王がそう言うのならば、それこそが真実であろう。
 勇者は悪魔の子。その事実はその後、ユグノア事件を生き残ったデルカダール兵と、一部の上層部の間でのみ共有されることになる。そして悪魔の子は必ず生きているという確信のもと、帰国した王の命令によりひっそりとイレブン捜索の隊が出されることになる。実の娘の捜索を差し置いて――。
 行方不明のマルティナ王女のことを思えば、ナマエのことを知らずに助けてしまったのは複雑な気分だった。王の言葉が真実ならば、世界中の人々にとって紛れもなくナマエは悪の手先の身内である。
 だが意外なことに、甥が悪魔の子であるという事実にショックを受けるナマエに対し、王は慈悲ある沙汰を下した。
「そなたにとっても愛する家族を悪魔の子に奪われたのは我らと同じ。憎むべきは悪魔の子のみ。そなたの身は責任をもって我がデルカダール国が庇護しよう」
 王の宣言に、その場に居合わせたデルカダールの兵達は内心ほっとした様子だった。ナマエが、人々の同情を誘うような儚げな風体の少女だったからだろうか。グレイグにとっても、せっかく助けた少女がみすみす処刑されては目覚めが悪い。
「デルカダール国王陛下におかれましては、寛大なご処置を賜り心よりお礼申し上げます」
 祖国と家族を同時に失った哀れな少女が、幼い王女を失った老王を前にまるで奴隷のように額づき、震えながら告げる。感情を全て押し殺したような、色のない声色だった。
 グレイグはナマエを哀れに思った。彼女は今、針のむしろの上にいるようなものだ。本当は目の前の相手に許しを請いたい筈だ。
「そのように堅苦しくせんでもよい。今この時より、そなたはわしのことを父と思って接するがよい」
 ナマエを見下ろしながら、言葉とは裏腹にどこか冷たい声色でデルカダール王が告げる。それは事実上、デルカダール王がナマエの後見人となる宣言だ。
 はっとグレイグが息をのんだ。
「王よ、それは……」
 それではマルティナ姫のことは――。
 グレイグは喉まで出かかった言葉をぐっと飲み込んだ。娘を失ったばかりの親が、こうもすぐに養女を迎え入れられるものだろうか。
 今、この場の誰もが傷ついている。王とてそうに違いない。愛するものを失ったという事実から、ひとときでも目を背けたいだけなのだ。
 まるでマルティナ王女のことなどとうの昔に忘れ去ってしまったかのような王の言動に、グレイグは違和感を覚えながらも無理矢理自身にそう納得させた。
「……この身に余るお心遣い、本当に感謝いたします」
 頑なにナマエは頭を上げない。それとは裏腹に、震えた声は彼女の心の内の葛藤を伝えた。
 が、その堅牢な牙城は次のデルカダール王の一言で、あっけなく瓦解する。
「ロウのことは、残念であった」
「っ……!」
 ナマエの肩がびくりと揺れる。彼女の王族としてのプライドは、そこで砕けたようだった。
 満杯に注がれた杯から静かに水があふれだすように、彼女は声を殺してすすり泣いた。


 ナマエは航海中、ひどく大人しかった。デルカダール兵や雇いの船乗りたちが慌ただしく甲板を行き来する中、いつも船首の端の方に身を寄せていた。まるで皆の目を避けるかのような振舞いだったが、船上でただ一人の女性ということも相まって、彼女の存在の特異性がそれを許さなかった。青白い肌と薄幸な相貌とは裏腹に、ネルセンの宿の女将の好意で譲り受けた質素だが明るい色合いのワンピースがちぐはぐな印象を与える。ナマエは事実、とても目を引く存在だった。
 グレイグもそんなナマエのことを内心気にかけつつも、そっとしておいた方がよいと判断し、声は掛けずにいた。いや、掛けられずにいた。お前から何か一声かけてやれ、と同僚からせっつかれたが、あいにくとそういうフォローはグレイグにとって一番の苦手分野だ。なぜこういう時に限って、隣に幼馴染がいないのだろう。今頃城でグレイグの帰りを待ちわびているだろう幼馴染は女性の扱いに長けているから、ナマエのこともきっと安心して任せられたのに。
 しかし料理番の男から、ナマエがほとんど何も口にしていないようだと相談され、とうとうグレイグは腹を括って彼女のもとへ向かった。
 波間を眺めるナマエの前に立ったグレイグに、彼女が気が付いて視線をよこす。自分を救った男だと気づいてか、その目にわずかに光が戻った。
「あなたは……」
 軽く一礼し、グレイグは口を開いた。
「お寛ぎのところ、申し訳ありません。今少しお時間をいただいてもよいでしょうか」
 年下の少女相手に、少し口調が固すぎただろうか。畏まりすぎて怯えられては困る。いやしかし亡国とはいえ、相手は王族だ。礼節は尽くさねば、我が王の威厳にかかわる。グレイグは内心迷いながらも、用件を伝えるため続けた。
ナマエ様、あまりお食事を召し上がられていないようですが、もしやデルカダールの味はお口に合いませんでしたでしょうか? 料理番が心配しておりました。ユグノア風でもクレイモラン風でも、なにか食べたい物のご要望があれば、出来うる限り用意させますが」
 失礼にならない程度にナマエの様子を盗み見る。間近で見る彼女の表情は冴えなく、想像以上に具合が悪そうだ。
 グレイグの提案に、ナマエは力なく微笑んだ。
「……お気遣いをありがとうございます。お食事は十分美味しい物でした。ただ少し体調が良くなく、十分にいただくことができませんでしたと、料理番の方にお伝えください。お食事については、特に要望はありません」
 顔に笑みこそ浮かべてるものの、痛みを我慢するかのように、身に纏っているストールの端がお腹のあたりで力いっぱい握りしめられている。
 もちろん鈍いグレイグにも、これが彼女なりの精いっぱいの虚勢だとわかった。
「要望はないと仰られても、体調はまだ良くないのでしょう? 今まで通りの食事で大丈夫ですか?」
「それは……できればその、私の分のお食事は用意していただかなくて結構です。お水さえいただければ……」
「ですが、デルカダールに着くまであと二、三日はかかります。その間水だけ飲んでるというわけにもいきますまい。野菜のスープや麦粥などであれば用意できますから、なんでもいいので何か食べられそうな物があれば言って下さい」
 グレイグなりの精いっぱいの提案だったが、ナマエはこれにも首を縦に振らない。
「私一人のために、手間をかけてもらうわけにはまいりませんから」
 隠しきれず、グレイグは深い溜息をついた。見た目によらず、なかなか頑固な姫君だ。
「いいですか姫君。庇護した姫君を飢えさせたとあっては、デルカダール王国の名折れとなります。陛下が知れば、料理番の男が罰せられるかもしれない。それを哀れと思うなら、どうか何か食べたい物をおっしゃってください」
 脅すような言い方はグレイグの本意ではなかったし、情け深い王がそのような理由で料理番を罰する可能性は恐らくありえないだろう。しかし自らの振舞いと立場の影響力の強さを思い出してほしいがゆえ、あえて指摘した。事実、ナマエはグレイグの指摘にはっと息を呑んだようだった。
「それは私も望むところではありません。では、スープを所望いたします。出来れば、トマトマーレの滋味スープのようなあっさりしたものが良いです」
 ようやくナマエからささやかながらも要望が出たことにグレイグはほっとし、近くの兵を呼び寄せ料理番へと言伝を頼む。
 兵が慌てて走っていくのを見送っていると、ナマエが横でぽつりとつぶやいた。
「……ごめんなさい。私、すこし石頭になっておりました」
 彼女の方を見ると、自省するように俯いている。どうやら意地になっていると自覚はあったようだ。グレイグは思わず破顔した。
「気にされることはありません。私もよく石頭と呼ばれることがありましてな。昔、親友と手合せをした際に誤って頭突きで伸してしまったことがあって。私の頭は無事だったのですが、やつの方には大きなたんこぶができてしまったせいで、しばらくの間私のあだ名は『石頭』になってしまいました」
 慣れないジョークを飛ばすグレイグだったが、しかし惜しいことにその表情は固いままだ。きょとんとして見上げてくるナマエの様子に、背中に冷や汗が浮かぶ。
 その時。
「……ふふっ」
 まさしく花が綻ぶようだった。ナマエの口元からこぼれた笑みに、グレイグは視線を奪われる。なんということだろう。微笑みひとつで、硬く陰気な印象が一気に払拭されてしまった。きっと彼女は、生来華やかで魅力的な少女だったのだろう。
「あ、笑ってしまってごめんなさい」
 グレイグが固まっていることに気づいて、ナマエが慌てて口元を押さえる。それを少し惜しく感じながら、グレイグは目元をゆるめた。
「いえ、姫君のお心を少しでもほぐすことが出来たのならば、なによりです」
 もとよりそれが目的だ。
 さて、料理番より頼まれた用件は済んだ。これ以上の長居は失礼に当たるだろう。だがナマエを間近で見たグレイグには、気がかりな点がもう一つ増えてしまっていた。
「失礼ながら姫君、お加減が良くないのであれば、軍医に看てもらってはいかがでしょうか? 軍医に相談すれば、薬をもらえるかもしれません」
 そう、ナマエの体調についてだ。怪我をした脚についてはユグノアを脱出してすぐに軍医の手当を受けていたものの、軍医の方も他の怪我人や傷病兵の看護に忙しく、保護した亡国の王女の様子を気にしている余裕はないらしい。魔物の軍団の追撃を恐れ、ユグノアからバンデルフォン地方までの撤退もかなりの強行軍だったので、それも少女の身には負担だったはずだ。今の今まで、気が休まる暇もなかっただろう。
 グレイグの提案に、ナマエが少しためらう素振りを見せた。
「あの、騎士様。わがままを言って申し訳ないのですが、この船にはシスターは乗っていらっしゃらないのでしょうか?」
 そこでようやくグレイグは、ナマエが何にためらっているのかに気づいた。
「恐れながら、この船には男の軍医しか同船しておりません。……姫君にとっては、できればシスターに看てもらう方がよかったのでしょうが、なにぶん今回の旅にシスターは随行を許可されていないもので。申し訳ありません」
 考えればそうだ、年頃の娘――しかも元王女が、医療行為とはいえ男性医に肌をさらすことに(最低でも触診はするだろう)、ためらいを感じるのは当然だ。だからといって、こればかりはグレイグにもどうすることも出来ない。
 小さくなって頭を下げるしかないグレイグに、いいえ、とナマエは困ったように微笑んだ。
「騎士様が謝ることではありません。無理はせずに大人しくしていれば、おそらく大丈夫ですので」
 少女のぎこちないフォローに、面目ない、とグレイグは頭が上がらない。
「そうだ姫君。広くはありませんが、姫君のために船室を用意しております。ベッドもありますゆえ、少し横になってはいかがですか? スープは出来上がり次第、部屋にお運びいたしますゆえ」
「ええ、そういたします。ありがとう」
 今度こそ、ナマエが満足げに提案を受け入れる。
 その顔には、おそらくもう癖になってしまっているだろう、普段から人を使い慣れている立場の人間が浮かべるような品位ある完璧な笑みが張り付いている。
 不意にマルティナのことを思い出し、グレイグの胸が痛んだ。あの姫も、幼いながらもナマエのような上に立つ者としての品格を持っていた。ぐっと哀愁を内に押さえ込む。

「あ、あの、お待ちくださいっ」
 それでは、と一礼し下がろうとするグレイグを、ナマエが呼び止めた。
「今更ですが、騎士様にお礼を申し上げるのが遅くなり、大変申し訳ありません。その節は危ないところを救っていただき、ありがとうございました」
 なにかと思えば、ユグノア城で彼女を魔物の手から救出したことに対する礼らしい。無論、騎士として当然のことをしたまで。まさか礼を言われるとは思っていなかったグレイグは、しばしきょとんとした。
 ナマエはそんなグレイグにかまわず、片手を胸にあて優雅に頭を下げた。
「改めて自己紹介をさせてください。私はナマエと申します。騎士様のお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
 丁寧な挨拶に慌てたグレイグが、恐縮です、とそこに直る。
「グレイグと申します、ナマエ姫」
「グレイグ様」
 その名を確かめるように声に乗せ、ナマエはゆっくりと立ち上がる。そして次の彼女の行動に、グレイグはぎょっとなった。
 グレイグの前で膝をついたナマエは、まぶしそうに目の前の男を見上げ。
「ほんとうに、感謝しております。助けに来ていただいた時のあなた様は、まるで神の御使いのように光り輝いて見えました」
 神聖な祈りを捧げるかのように、彼の手を押し頂くようにして感謝の意を伝える。
「おっ、俺はそんな大層な人間じゃ……!」
 思いも寄らないナマエの大胆な行動は、当然ながら甲板中の人々の注目を集めていた。しばし惚けていたグレイグだったが、すぐにはっと我に返り、ごほん、と咳払いひとつ。
「姫君たるもの、そんな簡単に男の前に跪くものではありませんぞ。それに礼ならば、私ではなく我が王に」
「はい、もちろんです」
 せいぜい威厳を保つように努めたが、グレイグの顔はごまかしきれないほど熱い。ナマエはそれを知って、あえてグレイグの忠告をおだやかな笑みで受け止めた。
 ナマエはその後、軍医に相談して眠り薬を処方してもらったようだ。以降目的地に到着するまで、甲板に彼女の姿を見かけることはなくなった。