Would you date me?・前




※ご注意:捏造救済後ホメロスによる魔軍司令ホメロスの独自解釈があります(ネルセンの試練で出てくる無明の魔神のモデルがうっすら自分だと気づいており、闇落ちした自分について客観的に語っている感じです)解釈違いの可能性もあるので、地雷の気配を感じた方は閲覧をご遠慮願います。






 蘇った邪神ニズゼルファはウルノーガとは比べ物にならないくらい強大な敵だ。よって私たちは邪神に対抗出来る力を得るべく、現在バンデルフォン城跡の地下に広がる迷宮の最奥でネルセン様の試練に挑んでいた。ネルセン様とはかつての伝説の勇者ローシュ様の仲間の一人で、バンデルフォン王国の建国の祖でもあるらしい。そんな神話の世界の凄い人が、いつの日か蘇る邪神の星を戴くロトゼタシアの行く末を案じ、死してなお魂のみとなってイレブンの訪れを待ち続けていたらしい。経歴だけ聴くとめちゃくちゃ偉人って感じで初めて対面した時は緊張したけど、ネルセン様は実際会ってみると結構普通のおじさんだ。個性的すぎる真っ赤でド派手な鎧にホメロスさんは一瞬絶句してから横に立つグレイグさんをチラ見して、『英雄というのは何故こうもセンスが壊滅的なのだ?』とブツブツ呟いていたりした。グレイグさんの私服のことを言っているんだろうけど、アレも確かにダサ……かなり個性的だ。まさかのムフフ本を死後まで後生大事に抱えていたあたりもなんとなくグレイグさんを彷彿とさせるものがある。煩悩というのは死んでも拭い去れないものらしい。

 とはいえ繰り出される試練はやっぱり相当キツイものだった。ネルセン様の魔力で生み出した長い長いダンジョンを乗り越えて、今は試練も終盤に差しかろうとしているところだ。イレブンの恐怖を具現化したという強大な魔物達が次々と襲いかかってくるのをなんとか倒し続け、最後に登場したのは長い銀髪に角と翼の生えた人型に近い魔物。その敵を前に、イレブンの剣を振るう手が急に鈍くなったことに気づいたのはその魔物と対峙してからしばらく経った時のことだった。
 ネルセン様の試練は負けても何度でもリトライが出来る。やり直しが効く戦いというのは貴重な経験だ。負ければ敗因をじっくり探り、改善点や自分たちの癖に気づいて成長への足がかりとする。それまでの試練では一度負けても皆で話し合いの場を設けて確実に勝ち進んできたのだけど、今回はそんな雰囲気じゃなかった。
 原因は主にイレブンだ。無明の魔神という名の魔物を前になんとなくピリピリとしていて、いつも以上に無口。負ければ無言ですぐに再戦へと突っ込んでいく。一体どうしてしまったんだろう。無明の魔神の打撃は一撃が重く、作戦もなければ苦戦するのは当たり前だ。そんな強敵を前にイレブンはどこか迷いながら戦っているようにも見えた。集中しきれていない。無明の魔神――イレブンの恐怖を具現化したもの。彼はこの魔物にいったいどんな恐怖を抱えているのだろうか。


 ゴウッ、と強烈な雷が迸り、前線に出ていたみんなが膝をつく。あと一歩回復が足りずまた負けてしまった。これで十二戦十二敗目。続く戦いにそろそろみんなの表情に疲れが見え始めてきたころだ。
「くっ……もう一戦!」
 だけどイレブンは仲間の様子も顧みず懲りずに再び挑戦しようとする。この試練では負けても再戦を望めば瞬時に傷が癒えるので、やろうと思えば延々戦っていられる。便利だとは思うけど今はそれがありがた迷惑だ。
「ネルセン様、もう一度お願いします」
「おいイレブン……」
 イレブンはやっぱり何か思いつめているようだ。そんな彼の無謀な挑戦を見かねたのかカミュがイレブンに声をかけようとした時、それを遮るようにして苛立ち混じりのテノールが横から響いた。
「――駄目だ、先ほどからまったく進歩がない。イレブン、悪いが今日は一足先に離脱させてもらう。猪武者のように何も考えず突進していく馬鹿にはこれ以上付き合いきれん」
 声の主はホメロスさんだ。彼はこれまでイレブンに黙って付き合っていたけど、とうとう堪忍袋の緒が切れたらしい。
 手厳しい言葉にイレブンがハッとして顔をあげ、すぐにしゅんとうなだれる。
「……ごめんなさい」
「一体何を躊躇しているのだ? 実力から見ればあれはもうお前の敵ではないだろう。なのになぜ怯む。我らが勇者殿は一体何を恐れているのだ」
「だってあれは、あの魔神は……!」
 イレブンが反論しようとして口ごもった。
「なんだ、言いたいことがあるなら言ってみろ。くだらない理由なら容赦はしないが」
「……」
 ホメロスさんは容赦がない。イレブンがぐっと歯噛みする様子を冷静に見下ろして、更に言葉を続ける。
「だんまりでは何も分からんぞ。まさかとは思うが、勇者殿は怖気付いたのか? だが忘れるなよ。如何な理由であれ、我々が立ち止まることは許されない。邪神を倒す、そのために我々はここにいるのだ。お前を信じて送り出した我が王の期待を裏切ることは決してするな」
「……王さま王さまって、ホメロスさんはいつもそればかりだ。王さまの期待に応えることはあなたにとって大事なんだろうけど、僕にはそんなものどうだっていいんだ。命令なんかなくても僕は邪神を倒すし、一人でも多くの命が救えるのなら救世主にだってなってやる。だってそれが僕がこの世に生まれた理由だから」
 なんだと、とイレブンの反論にホメロスさんが気色ばんだ。
「どうだっていい? 聞き捨てならんな。我が王を軽んじる発言は控えてもらおうか」
「待て待て、落ち着かんか二人とも。今は仲間同士で言い争っている場合ではないぞ」
 まさしく一触即発。……というわけでもないけど、ピリピリとした空気のまま睨み合う二人に飄々とした声が割って入った。声の主はパーティいちの年長者でありムードメーカーでもあるロウさまだ。仲裁役といえばこの人しかいない。そんなロウさまの登場に、私を含め二人の言い争いを見守っていたみんなの顔にホッとした色が浮かんだ。
 二人へと歩み寄ったロウさまはイレブンとホメロスさんの顔を見比べた後、少し困ったように眉尻を下げて再びイレブンに向き直る。
「……しかしホメロスの言う通りじゃ。イレブン、お主は何か迷いを抱えておるな? 迷いを抱えたまま戦うのは危険であることはお主も知っておろうて。どうじゃ? ここはひとつ、お主の悩みをこのじいに話してみぬか? 可愛い孫の話ならばいくらでも聴くぞ。まずはその胸の内の霧を晴らさねばな」
「お爺ちゃん……でもそんな時間は」
「でももへったくれもないわ。かようなひどい顔でこれ以上お主に無理をさせられようか。よし、本日の挑戦はここまでじゃ。みなのもの、一度地上へと戻り、ゆっくりと休息を取ろうぞ」


 ロウさまのありがたい提案に喜び勇んで地上へと戻ると、ぽかぽか陽気ののどかな青空が私たちを出迎えてくれた。異空間にずっと篭っていたせいか太陽の光が目にしみる。時刻は朝をちょっと過ぎた頃。バンデルフォンの平野に広がる広大な小麦畑を横目にネルセンの宿へと戻ったあと、お腹がペコペコだった私たちはまずはブランチに宿の女将さん特製シェパーズパイを頂いた。時間の感覚が麻痺していたけど、どうやら一晩中試練に挑み続けていたらしい。そりゃ疲れるし眠いしお腹も減るわ……。食事の後はイレブンとロウさまを残し、借りた部屋に各々引き上げてひと休み。熱いシャワーを浴びた後、ふかふかのベッドに潜りこむとすぐにこてんと眠りに落ちていった。
 ……グゴゴ、と地鳴りのような妙な音でふと目が覚めた。何の音だろう、と寝ぼけた目を擦りつつ体を起こし音の出所を探る。壁の向こうから聞こえてくるこの音の正体はどうやらグレイグさんのいびきのようだ。きっとメガザルを連発していたから相当疲れていたのだろう。民家に毛が生えたようなこの建物の壁はあまり厚くなく、隣室の会話は普通に聞こえてくるし正直プライバシーなんてあったものじゃない。だけどまあ、長らくイレブンたちと旅をしていれば女性と男性で部屋が分かれているだけでもマシに思えてくるから安いものだ。
 同室の女性たちの様子を見渡せば、みんなグレイグさんのいびきなんて慣れた様子で安らかに寝入っている。これくらい神経が図太くなければ過酷な勇者様の旅のお供は務まらない。けれど心配なのはグレイグさんと同室のホメロスさんだ。神経質そうな人だし、あの騒音の中で無事眠れているのだろうか。
 ぼんやりと物思いにふけりながらのそのそとベッドから抜け出す。もう少し眠りたかったところだけど、せっかく目が覚めたのでそのまま起きてしまおうと思ってのことだ。幸いにもひと眠りしたおかげか大分疲れは取れている。時刻は多分昼を少し過ぎた頃だろうか。喉が渇いていたので着替えて水を貰いに食堂がある一階へと向かった。


「あれ、ホメロスさん?」
 カウンターで宿の主人と話をしているすらりとした背格好の人に気付いて声を掛けると、ひとつに括った長い髪が揺れてその人がこちらを振り向いた。
「起きてきたのか」
 金色の目を軽く見開き、私の顔を見て意外そうに呟いたホメロスさんは相変わらず舞台役者さんのようにかっこいい。おろしたてのようなまっしろな開襟シャツに細身のスラックス、革のロングブーツ。腰のベルトには二本の剣がぶら下がり、重厚感のあるロングコートを肩に羽織っている。今朝迷宮からようやく抜け出した際に垣間見た、横顔に疲労を滲ませていたホメロスさんの姿はどこにもない。うっすらとだけ生えかけていた金の不精髭は綺麗に剃られ、長い金の髪だっていつもどおりつやつやのぴかぴかだ。明らかにこれから外出しますと言わんばかりの恰好。
「これからどこかにお出かけですか?」
「ああ、気分転換にダーハルーネへな」
 ホメロスさんはそう言って、取り出したキメラのつばさを上機嫌にひらひらと泳がせる。宿の主人には仲間のみんなに出かける旨の伝言を頼んでいたようだ。
「わぁ、いいですねぇ。ステキ」
 なんて何気なく言ったつもりだったけど、もしかして羨ましそうな顔でもしていたのだろうか。私の言葉に少し返答に迷った様子を見せたホメロスさんが、瞬きを何回か繰り返してからそっと唇を開いた。
「……君も来るか?」
「えっ?」
 きっとそれは単なる社交辞令だったのだろう。だけどホメロスさんからそんな気を遣われるとは思ってもなかった私は一瞬ぽかんとし、ようやく我に返って慌てて申し出を辞退した。
「あっ、いえいえそんな、お気遣いなく。ホメロスさんの癒しの時間をお邪魔するつもりはないので大丈夫です」
「……別に邪魔者扱いをするつもりはないのだが」
 と、ホメロスさんが心外そうに片眉をあげた。
「言い方を変えようか。ちょうど同行者が欲しいと思っていたところだったのだ。一人で観光は味気ないしな。君の都合が合えば付き合ってくれないだろうか」
 ぽかん、とふたたび惚けてしまう。二度目のお誘いの言葉は丁重で、これが社交辞令であるとは到底思えないものだった。……つまりホメロスさんは、本気で私を誘っている?
「……グレイグさんじゃなくて私でもいいんですか?」
 うっかり零したその名に、柳眉がぐっと険しく釣りあがる。
「なぜあいつを引き合いに出す。私は君を誘っているのだが」
「さそっ!? じゃ、じゃあ、あの、謹んでご一緒させていただきます……っ!」
 ホメロスさんにとっては深い意味のない言葉でも、私にはとても刺激的な言葉だ。気が付けば、仰け反りながら反射的にそう答えてしまっていた。
「ふっ、よろしい。支度は出来ているか?」
 大げさな私の反応に面白いものを見たかのように目を細めながら、ホメロスさんが当然のように顎を引く。これまで彼のお誘いを断る女性なんて一度も現れたことなどなかったのだろう。そんな自信っぷりを匂わせる口ぶりだった。
 慌てて身の回りの持ち物を確認する。残念なことに貴重品が入ったバッグは部屋に置いてきてしまっていた。出かけるのなら最低限お財布くらいはいるだろうし、それと上着も必要だ。
「あ、あの! 荷物を取ってくるのでちょっとだけ待っていてもらえますか? す、すぐ済みますから! あとお水を一杯だけ飲ませて欲しいですすみません!」
「そんなに慌てなくていい。ここで待っているからゆっくり支度をしてきてくれ」
 右往左往する私にホメロスさんが苦笑する。ありがとうございますっ、と慈悲深いお言葉に勢いよく頭を下げてまずは水を貰うべく食堂の奥の台所へと飛び込んだ。別に急かされているわけではないけど、ホメロスさんを待たせるわけにはいかない、という謎の使命感に駆られていたせいだ。だけどその時玄関の方から聞こえてきたボヤキには、流石に申し訳なさに胸がちくりと痛んだ。
「……そんなにせっかちな男だと思われているのか? まいったな」


 三分間だけ待ってやる、とかなんとか某王族の末裔のマフィアみたいな人が言っていたけど、幸いにもそれ以上待たせてもホメロスさんのお怒りを買うことはなかった。けれどキメラのつばさを使うために差し出された手を取ることを私が恥ずかしがってもたもたしたせいで、若干苛立ち気味のホメロスさんに肩を抱かれてしまうというプチ事件が発生。ルーラとは違い、キメラのつばさは移動する人同士の体がくっついてないと一方が置いてかれてしまうことが良くあるためだ。
 ――うわ近い近い、アッけど香水のイイ匂い……。なんて急に距離を詰められた私が一人パニックになっているうちにあっという間に空を飛んで目的地へと到着。
「着いたぞ」
 ふわっと足先が地面へ着地し、恐る恐る目を開けると見覚えのある港町が目の前に広がっていた。交易で成り立っている街は相変わらず活気に溢れ、行き交う人々も生き生きとして楽しそうだ。けれど私の意識は肩に置かれた手に集中していて、内心動揺しながらも冷静を装ってその腕の中からそろりと抜け出しわざとらしく声を上げた。
「わ、わぁ~ダーハルーネ久しぶり! 潮の香りがしますねぇ……ふ、あぁ。……あ、ごめんなさい、行儀が悪くて」
 急な緊張から解放されたという安堵感から思わずあくびが出てしまう。慌てて口元を抑えても時すでに遅しだ。気にするな、と隣に並んだホメロスさんが微苦笑して、ふと考え込むように眉をひそめる。
「だが、もしかしたらまだ休み足りなかったのではないか? よもや無理を言って付き合わせてしまったか」
「いえ、あれ以上寝たら夜寝られなくなっちゃうので大丈夫です。それよりもホメロスさんは少しは休めました?」
「……あいにく同室の人間の寝言いびき歯ぎしりその他諸々が少々喧しくてな。よほどあの男の顔に枕を押し付けてやろうかとも思ったが、勇者のお供が友殺しの汚名を被るわけにはいかないだろう? それでなんとか思いとどまり部屋を抜け出してきたというわけだ」
「そ、それはご愁傷さまでした……」
 皮肉たっぷりの恨み言に苦笑いしか返せない。確かによく見ると目の下に薄っすらクマが出来ているような……。


 ところでホメロスさんは本当に気分転換のためにダーハルーネに来たらしい。歩くか、と促され、あてもなくぷらぷらと通りを歩いていると、途中で一軒の小さなお菓子屋さんを見つけて声を上げた。
「あっ、ホメロスさん、あそこのお店に寄っていいですか? マシュマロ切らしちゃってるから補充しときたいです」
「ああ、そうだったな」
 こぢんまりとした店内に足を踏み入れると、いらっしゃい、とカウンター越しに店主のおばあさんがにこやかに声をかけてきた。
「駄菓子屋か」
 ぽつりと呟いたホメロスさんが、店内に所狭しと並ぶ子供向けのお菓子の数々を物珍しそうに眺めている。こんなこと言ったらお店の人には悪いけど、栄光ある大国の元将軍様が足を運ぶには相応しくない店だ。まるで童話の中に出てくるような、ドワーフの家に迷い込んだ人間、みたいな絵柄になっている。窮屈そうなことこの上ない。早く目的の物を買って外へと出なければ。というか、この人なんで律儀に私の買い物に付き合ってくれているんだろう?
「綿菓子か、懐かしいな」
 私が急いでマシュマロのお代を払っていると、背後からぼそりと聞こえてきた。後ろを振り返るとホメロスさんが棒に刺さった雲のようなお菓子を手に持ってまじまじと眺めているというシュールな光景が目に飛び込んできた。綿菓子といえばまさに十ゴールドにも満たないチープな子供向けのお菓子だ。それをどうするのかと見守っていたら、まさかのお買い上げ。近寄りがたい美形が手に綿菓子を持っている姿は……すごくファンシーだ。
 店を出た後はふたたび通りを眺めながらブラブラする。行き交う人たち(主に女性たちからの熱視線が多い気がする)の視線を地味に集めながらも、ホメロスさんは平然とした様子でマイペースに綿菓子をちぎっては口に放り込んでいた。
「食べるか?」
 不意にぬっと差し出された綿菓子に仰け反りつつ、慌てて首を横に振った。
「い、いえ、いいです」
「なんだ。物欲しそうに見ていたから欲しいのかと思ったが、違うのか?」
「そんなつもりで見ていたわけじゃないですけど……。じゃあせっかくなので少しだけ頂きます」
 どことなく残念そうな表情を浮かべたホメロスさんに申し訳なくなり、少しだけおすそ分けをもらう。
「遠慮するな。もっと取ってもいいんだぞ」
「いえ、あの、これだけで十分です」
 ……ううむ、緊張のあまり味がしない。それもこれもみんなホメロスさんのせいだ。だって今日のホメロスさん、まず距離感がおかしい。顔を上げたらすぐそこに整った顔があるせいで、うかつに目線も合わせられないでいる。
「あの……ホメロスさん?」
「なんだ?」
 ちょっと近くないですか、と言いかけて口籠る。わざとなのか気付いていないのか、ホメロスさんは私との距離感に何の疑問も抱いていない様子だ。
 この人のパーソナルスペースってこんなに狭いんだろうか? 並んで歩いていると何度か腕がぶつかってしまいそうになる。その度に距離を取ろうとして他の人にぶつかりかけ、慌てて退けるという事の繰り返し。こんなに近くに寄られると挙動不審になってしまいそうだ。というか既になっている。
「いえ、なんでもないです。――わっ、ごめんなさい……っ!?」
 どん、ととうとう通行人にぶつかってしまい、ふらついた所で横からぐっと肩を抱き込まれた。中央通りの両脇は運河が流れていて、勢いよくぶつかれば最悪そのままドボンだ。「おい気をつけろよ!」 苛立った罵声が飛んでくる。だけどその声はあいにく今の私の耳には届かない。というのも。
「ほ、ホメロスさん……?」
 宝石のようなきれいな瞳が私をじっと見下ろしている。端正なお顔がめちゃくちゃ近い。現在私は、なぜかホメロスさんの腕の中にいた。……まあ運河に落ちないようにホメロスさんが咄嗟に庇ってくれたからなんだけど、それにしたってこの状況は穏やかじゃない。当然ホメロスさんの警告も耳を素通りしていく。
「この街は道が狭い所が多い。誤って運河に落ちないように気を付けろ」
 ――ひええ近い近いめちゃくちゃ良い匂いするし良い声だし顎の形綺麗だし流し目やばいし金色の瞳にしっかり私映っちゃってるしでもうもう緊張で心臓が口から出そう誰か助けてヤバいこれは惚れる助けて。
 頭の中はすっかりメダパニ状態だ。でも勘違いしてはいけない。これはホメロスさんにとっては単なる親切心なのだ。
「は、はい、すみません。……あっ」
 油断すればすぐにでも崩壊しそうになる顔をホメロスさんから隠したい一心ですすっと目線を逸らす。すると円形状の広いステージが視界の先に映って、懐かしさから思わず声を上げた。あれは初めてホメロスさんと出会ったステージだ。海の男コンテストが開催されるはずだったあのステージで、悪の軍団もといデルカダール兵を率いていた彼と戦ったのだ。
 不自然にならないようにホメロスさんから距離を取り、緊張を紛らわすようにきゃっきゃとはしゃいでみせながらステージの方を指さす。
「見て見てホメロスさん! あのステージ懐かしくないですか? ホメロスさんがイレブンにコテンパンにやられた時の……アッ」
 そしてうっかり漏れた失言に青くなる。ホメロスさんが苦虫を噛み潰したような渋い顔になり、はあ、と重々しく溜息をついた。
「相変わらず君は私の古傷を抉るのか好きだな」
「あ、あはは……ごめんなさい、つい」
「それはわざとなのか天然なのか」
 非難がましい視線がじろりと私をねめつける。バツの悪さに耳の裏を掻きながら小さく頭を下げた。
「う、気をつけます」
「そうしてくれ」
 ホメロスさんは「ふん」と鼻を鳴らし、くるりと踵を返してそのままどこかへと歩き始めてしまった。途中で設置されていたゴミ箱に食べ終わった綿菓子の棒を見事にシュートイン。ナイスコントロール。なんて称賛している間に置いていかれそうになり、待ってください、と慌てて揺れる長い金髪の尾を追いかけた。